「出会い」で「夢」を叶える集団
OPE as ルネサンスバロック音楽専門店
(1999/09/24)


 1983年12月の日曜日の午前中,我が家へ1本の電話が入りました。
"もしもし,初めまして。私坂本といいますが・・・。"
 現音楽監督の坂本さんからでした。
 実はこの前日,私と女房は,岡山市民会館で行われた岡山大学グリークラブの定期演奏会でプリントごっこで刷ったお手製の団員募集のビラ(当然はがき大二版刷りで200枚程度刷るのがやっと)を配っていたのです。しかもその団とはその時点でまだ,確定団員が女房と私だけという,発足したばかりのものでした。
 "やった,早速反応があった。しかもだいぶその道に通じた人らしい。"
われわれ夫婦は,とにかく仲間を得た喜びでいっぱいになったことでした。

 高校時代所属していた合唱団で、コンクールの選択曲としてT.L.ヴィクトリアの"O manum mysterium"と出会って以来ポリフォニー音楽に興味を覚え、いずれはそんな音楽を専門的にやってみたいと思っていた私ですが、縁あって岡山に住むことになりました。しかし岡山には、果たして私の考えるような活動をするグループはありませんでした。当時の岡山はいろんなジャンルの曲を歌いますといった合唱団がほとんどで、「こんな曲をやりたい」といったジャンルにこだわりを持った合唱団は皆無に等しかったのです。考えてみると、合唱がそれほど盛んとはいえず、したがって合唱人口も決して多くないという状況でしたので,し方のないことだったのです。いわば、地方ではデパートかよろず屋さんは成り立つけれども、専門店ではやっていけないといった事情と相通じるところがあるようです。

 ともかくも、そんな事情から「自分たちで作るしかない」と考え、先述のプリントごっこでのビラ刷りおよび配布という運びになったのです。ただ、「専門店」を岡山で開くとなるとそんなに人が集まるとは思わなかったので「ヴォーカルアンサンブルをやろう」という趣旨のビラにしたのです。幸い、ルネサンス、バロック期の音楽はもともと大人数を必要としませんし、私自身が岡山に来る前に住んでいた関西で実際の演奏を聞いていたキングスシンガース、スコラーズ、プロカンツィオーネアンティカといったアカペラのアンサンブルグループに刺激を受けていたということもありました。そんなこともあって、女房がソプラノ、私がテノールということから最低でもバスとアルトが1名くれば一応アンサンブルができると半ば真面目に考えていました。

 そんなところに坂本さんからの電話・・・。あの時配ったビラが200枚足らずだったことを考えれば、まさにラッキーでした。数日後に我が家で行った練習には、坂本さんは奥さんをはじめ以前同じような活動を一緒にしていた旧岡山ポリフォニーアンサンブルのメンバー数名を連れてきてくださいました。さっそくギボンズの"The silver swan"他数 曲を合わせましたが、初見にもかかわらず涼しい顔をして歌うこの新しい仲間たちの登場を心強く思うと同時に、思いの外メンバーが早く集まりグループを作るという願いがかなったことに夢を見ているような気分だったことを思い出します。

 しかし夢の実現はこれに留まりませんでした。毎年1回の演奏会の開催、J.S.バッハの作品を継続してプログラムの中心に取り上げていく、しかもオーケストラと合わせる、ルネサンスバロック音楽へのアプローチに不可欠な器楽部門を設立する、など
 次々に実現することができました。それもこれも、OPEのコンセプトに賛同して集まった仲間たちの和とそこから生まれる力強い活動が生み出したものです。1999年に行った、J.S.バッハ作品の頂点の一つヨハネ受難曲の演奏会は私たちの夢のその時点での集大成だったといえるでしょう。このようにこれからも「夢」は実現されていくでしょうし、それは、とりもなおさず1983年の12月から続いているOPEにおける仲間たちとの 「出会い」があればこそと考えます。そして、この仲間たちと「夢を実現」していけることを誇りに思うと同時に、ともにルネサンス・バロック音楽の灯をこの岡山で灯し続けることができるのを何よりの喜びとして今後も活動を続けていく所存です。