「波はささやき」に寄せて
私はモンテヴェルディが好きです。この人の曲との出会いはそう古くないのですが、最初に出会ったのが「ヨメさんに死なれた男の歌」で、これ一発ですっかり参ってしまったのです。
その後も小さな曲をいくつか歌ってきて、この人の曲の中に、躍動しているナマ身の人間の泣いたり怒ったり、喜怒哀楽などと漢字でとりすました表現にはおさまり切らない勢いで私共に迫ってくるものに、とても、当世風に言えば波長が合うのです。
今日は彼の作品の中から、Ecco Mormorar l'onde;Jo mi son giovinetta;Cor mio,Mentre ve miro の三つを歌います。どれもよく知られているようですが、とりわけEcco mormorar l'onde は、彼の曲の中でも最もポピュラーなものの一つでしょう。
この曲は、今まで述べてきたような、モンテヴェルディの曲の特色からは、少々はずれています。人間が出てきません。まず題名ですが、普通の邦訳「波はささやき」はどうみても誤訳で、私なら「入江の夜明け」とするでしょう。あるいは、歌い出しの歌詞を題名にするのなら、「波はつぶやき」です(歌の題名は忘れても出だしの歌詞は忘れないというのは古今東西を問わないようで、カラオケの歌本は、必ず出だしの歌詞からひけるようになっています)。大体、波の音は、ササヤクというような、摩擦音の感じではない。むしろブツブツと呟くという音の感じに近い。波は、夜どおし、低音で、ブツブツ言いつづけているのです。夜の間は、入り江は、その波の音だけが支配する世界です。
風が出てきました。あたりはまだ暗いけど、確実に朝が歩みよって来ます。木々の枝が、ささやくようにふるえています。
東の空が白みはじめると、小鳥が目をさまします。ソプラノの二重唱で、さえずりはじめました。
そうこうする間にも、あたりはどんどん明るくなってきます。やがて東の方の山から、さん然たる朝の太陽の光が鋭くさしはじめるのが、ベース・アルトとあらわれる鋭角的な音の動きで、そうとわかります。なんと美しい朝焼け・・・。
・・・こうして、夜明けの時の経過は作者の眼前の情景の変化となり、更にそれはこの曲の部分々々のめまぐるしく色合いを変えてゆく音の動きとなります。平凡な入り江の夜明けの光景から、あたかも額縁に入った一幅の絵が切り取られたかのように、劇的ともいえる描写音楽が生み出されたのでした。
さて、私がこのような講釈をしている間にも、日はますます高く昇ってゆきます。劇的な夜明けにつづくものは劇的な一日なのでしょうか、それとも日常的を絵にかいたような、ただの一日なのでしょうか・・・・・・。
(田中勝彦)
2002/01/20 10:48