イタリア・マドリガーレの流れ−誕生から崩壊・バロック音楽への変容
ルネサンス期には、貴族の宮廷や一般市民の家庭でも様々な音楽が楽しまれていた。これらには器楽合奏によるものが多かったが、声楽曲も歌われていた。この、いわゆる世俗声楽曲は各地で異なった発展をとげているが、フランスではシャンソン、イギリスではマドリガル、イタリアではマドリガーレとして、一つの完成をみることになった。いずれの場合も、中世の民衆音楽や吟遊詩人の音楽から発展したものと考えられるものである。
このうち、イタリアでは、15世紀末から16世紀にかけて、フロットーラと呼ばれる単純な多声楽曲が歌われていた。フロットーラは徹底して世俗的性格を持ち、恋愛詩、あるいはかなり卑俗な歌詞によって歌われた。あるいはまた、劇の上演のさいの一種の付帯音楽としても使用されていた。フロットーラでは旋律は上声部におかれ、旋律と言葉の結びつきはかなり密接であるとともにリズム・フレーズの動きは明確で歯切れよく、ホモフォニックな動きのなかに洗練された和声感覚を示していた。演奏にあたっては上声部を歌い、下声部を器楽で伴奏するのが普通であったが、重唱や合唱、あるいは器楽独奏の場合もあった。出版されているだけでも数十人の作曲家の名前があげられ、曲数は600曲を超えている。
16世紀に入ってイタリア世俗音楽の中心となったのがマドリガーレであった。初期のマドリガーレでは、ホモフォニックな四声曲が圧倒的で、フロットーラに比べると、より洗練された歌詞を用いたものが多かった。16世紀中頃を過ぎると、五声の作品が多くなっていく。ホモフォニックな傾向はより強まり、歌詞と音楽との結びつきも重視され、特定の言葉を強調するための不協和音の導入、活気あるリズム、魅力的な旋律などによってマドリガーレ作法が確立されることになった。
16世紀末から17世紀初頭にかけてのイタリア・マドリガーレの最後の時代を担った代表的な作曲家は、マレンツィオ、ジェズアルド、そしてモンテヴェルディーであった。とくに、マレンツィオの作品では節度ある表現・気品・格調、ジェズアルドの作品では愛の苦しみに悶え、死を呼び求める魂の叫びを象徴するかのような半音階法が特徴的である。
前回の演奏会続いて今回もとりあげるクラウディオ・モンテヴェルディー(1567〜1643)の偉大さは、ルネサンスの伝統的手法から出発して、自らの創作のうちにパロックの表現の世界を開拓していったことである。前項のパレストリーナが、ルネサンス・ポリフォニーの要素を純粋化することに留まったこと(その作品は大変魅力に満ちた、美しいものには違いないが)とまったく対照的である。モンテヴェルディーの音楽の魅力については前回の演奏会のパンフレットをご覧いただきたいが、彼のマドリガーレにおいても初期の作品(前回及び今回演奏する曲など)では、それまでの伝統にしたがってアカペラ形式によっている。しかし、やがて通奏低音部が付加され、後期の曲集では器楽伴奏付き独唱ないし重唱の形に変容してしまっており、ルネサンスのマドリガーレはここにおいてバロックのカンタータもしくはアリアに解体してしまったのである。
(坂本尚史)
2002/01/20 10:44