ジョスカン・デ・プレと「ミサ パンジェ・リングァ」

作曲者のジョスカン・デ・プレ(1440頃〜1521)は、フランドル楽派最大の作曲家であり、また、ほぼ1世紀後のパレストリーナと共にルネッサンスを代表する作曲家である。彼は現存する18曲のミサ曲を始め、多くのモテットなどの教会音楽や、シャンソンなどの世俗曲を残している。ミサ曲というのは、カトリックの典礼で用いられる定まった文、すなわちミサ通常文(キリエ、グローリア、サンクトゥス、アニュス・デイの5つの章からなっている)に曲を付けたもので、古くはグレゴリオ聖歌にその例を求めることが出来る。

ジョスカン・デ・プレのミサ曲は、ギョーム・デュファイ(1440頃〜1474)によって完成され、ヨハネス・オケゲム(1430頃〜1495頃)によって受け継がれたミサ通常文の5つの章を共通の定旋律と冒頭動機によって通作する<循環ミサ曲>の形を、さらに新しい方向に発展させたものである。すなわち、デュファイやオケゲムでは、共通の定律がほとんど一つの声部にのみ限定されていたのに対して、ジョスカンは、それを全声部に広げ、また声部間の模倣をいっそう完全なものにした。こうして、各声部がお互いに模倣し合いながら、それぞれ独自の旋律を展開していくという、通模倣様式の<循環ミサ曲>が成立したのである。

これらのミサ曲の定旋律としては、グレゴリオ聖歌などの古くから歌われてきた聖歌からとられたものが多いが、なかには自由な旋律による曲もつくられている。今回とりあげた「ミサ パンジェ・リングァ」は、同名のグレゴリア聖歌イムヌス(賛歌)から定旋律をとったもので、そのはじめの部分がミサ曲の各章の冒頭旋律として用いられ、それが各声部に実に見事に模倣・展開されており、ジョスカン・デ・プレのミサ曲を代表する均整のとれた名曲である。やがて、定旋律は聖歌からだけでなく、一般の人々に親しまれている世俗曲や民謡から採られるようになり、いわゆる<パロディー・ミサ曲>が生まれ、急速に広まっていくことになる。なお、バッハのカンタータなどの作品でも<パロディー>が頻繁に行われたと言われているが、これは一つの曲そのものを他の作品から歌詞だけ変えて転用するもので、定旋律を他の曲から採るルネッサンスの<パロディー・ミサ曲>と異なっている。

これまで述べてきたように、ジョスカン・デ・プレの作品は、いずれも端正で均整のとれた通模倣様式に特徴がある。また、ミサ曲ばかりでなく多くの美しいモテットも作曲している。そのいくつかは第一回定期演奏会で取り上げたので御記憶の方もおありではないかと思うが、「アヴェ・クリステ」、「アヴェ・マリア」などの代表的なモテットを聴くと、彼がルネッサンスを代表する大作曲家であることを実感することが出来る。今回の演奏で、その素晴らしさが少しでも表現することが出来れば幸いである。なお、デ・プレが活躍していた時代は、ヨーロッパではコロンブスが新大陸を発見し、マゼランが世界一周航海に旅立った頃である。また、ルターが宗教改革を始めたのもこの頃であった。一方、わが国では応仁の乱が始まり、戦国時代へと突入して行く頃であった。

(坂本尚史)


[前のページへ]

2002/01/20 10:48