バッハとカンタータ 196番、4番
ベートーヴェンはバッハを「小川でなく大海だ」と評した。Bachとはドイツ語で小川を意味するからだ。この評こそ、現在の音楽史上評価である。
現在高く評価されている作品が、ある時期顧みられなかった例は数多い。そのことが作品の評価を判断するものではないにしても、あのバッハにして19世紀を待たなければならなかったとは・・・の思いは否めない。
皆川達夫氏は、その長い中世音楽研究の目を通してバッハを改めて見たとき、その桁外れのスケールを再確認したと語っておられる。「再確認」を与えることこそ、実はバッハの最も偉大な部分なのではないかと思う。
バッハの旋律は美しい。それだけで先に進んでしまうことが多い。「小川」を軽く飛び越えて先の山道に入ってしまうのだ。ところが山道の険しさ、大自然の厳しさをひとたび知ったあとふり返った「小川」は、じつは「大海」であったことに気付く。自分がとび超えたような気がしていたのは、実はその周囲でうごめいているにすぎなかったのだ。
ふり返る「なつかしさ」は、同時に「忘れられない」ものとなり、一生その人の心に残る。「なつかしさ」を感じ得る作曲家、いったい何人いるだろうか。
さて、今日演奏するカンタータ196番と4番は、いずれもバッハの初期、ミュールハウゼン時代の作品である。年齢で言うと22歳から23歳の作品である。バッハは、このミュールハウゼン市聖ブラジウス教会オルガニスト時代(1707〜8年の一年あまり)に初めてカンタータを書き始めた。この時代のバッハのカンタータは、後の時代のものにくらべて合唱が大きな比重を占めており、それらをアリアや二重唱がつないでいくといった形が特徴的であり、また、歌詞のうえでも純粋に宗教的なものが多用されている。
196番は1708年6月5日に初演されたといわれる、結婚式のためのカンタータである。冒頭の交響楽を除くと四曲の声楽曲で構成されているが、明るい力強さのあふれた作品である。特に最終曲後半にあらわれるアーメン・コーラスは壮大で、華やかさのなかにも歌う者、聴く者を陶然とさせる信仰的深まりを感じさせる。
4番は1707年4月24日初演といわれる(諸説もあるが)復活祭のためのカンタータである。この作品はルターによってつくられた同名の復活祭コラールをもとにしてつくられた壮大なコラール・モテットであり、他の同時代の作品とは異なった形式、内容をもつ。全八曲とやや長いが、復活に浮かれるのではなく四旬節の主の受難を見据えて復活を捉える厳しい目が、二曲目以降の全ての曲の最後に付せられている「ハレルヤ」の響きに、宗教的な深い余韻を加えていると思われるのである。
(日下不二雄)
2002/01/20 10:48