J.S.バッハ:教会カンタータ第84番・第182番

今日「カンタータ」と呼ばれているバッハの作品は、合唱と独唱、および器楽合奏からなる多楽章の声楽曲を指す。中には、合唱を欠き独唱と器楽合奏からなる作品もある。現存するバッハのカンタータは、約200曲の教会カンタータと約20曲の世俗カンタータである。

教会カンタータはルター派プロテスタント教会での礼拝用の音楽である。バッハ当時のルター派教会では、教会歴の指定する日曜・祝日の礼拝のなかでオルガンによる前奏の後、入祭唱としての多声モテトとミサ通常文の「キリエ」・「グローリア」が歌われ、書簡章句・福音書章句の朗読に続いてカンタータが演奏されたという。カンタータの演奏はその日の礼拝で朗読された福音書章句をうけて、その内容を解釈・発展させるとともに説教への導入をはかる、あるいは説教を補完するという機能を持っていた。日曜日と祝日のすべてにカンタータを提供するためには、年間60曲程度が必要であった。バッハは教会歴5年分のカンタータを作曲するつもりであったといわれているが、現存するのは約3年分である。残りの2年分が完成されたかどうかは定かではないが、一部の歌詞が残されていることから、作曲されたもののその後失われた可能性も残されている。

カンタータ第84番

このカンタータは復活祭前第7日曜日に演奏されるもので、バッハがライプツィヒの聖トマス教会のカントルをつとめていた1727年の作と考えられている。

第1曲のアリアは歌詞に歌われている満足と感謝の喜びを表現する3拍子のメヌエット舞曲風の曲である。オーポエのオブリガードの動きと付点リズムなどが特徴的である。レチタティーヴォに続く第3曲のアリアでは、3拍子のリズム、喜びの表現であるコロラトゥーラ、オーボエとソロ・ヴァイオリンの間の掛け合いなどによって舞曲的性格が一層明瞭となっている。レチタティーヴォに続く終曲は単純な形のコラールである。

カンタータ第182番

ミュールハウゼンを離れヴァイマールに移ったバッハは、1714年に宮廷楽師長に就任し4週間ごとのカンタータ創作が義務づけられることになった。このカンタータはその第1作で、棕櫚の祝日(復活祭の直前の日曜日、1714年は3月25日)のために書かれたものである。この祝日はキリストが十字架に架けられる週の初め、ろばの背にまたがってエルサレムに入城した日で、民衆は棕櫚の枝を打ち振りながら歓喜して救い主を迎えたと言われている。

曲は主の歩みを示すような付点リズムを奏でる独奏ヴァイオリンとブロックフレーテのソナタ(第1曲)から始まる。続いて第2曲のダ・カーポ形式の合唱が主の入城を迎える民衆の喜びを歌うとともに、この喜びの声をかりて、キリストのエルサレム入城は同時に我々の心の中に入り給うことでもあるという全曲の主題を設定している。続いてバスによるレチタティーヴォがキリストの声として自らの来臨を告げ、強き愛を以て世の救いのために自らを捧げるのだという決意が告げられる(第3、4曲)。それを受けたアルトのアリア(第5曲)が信徒自身にその心を信仰の証として救い主の足元に差し出すよう歌う。そしてテノールのアリアが、迫害の時がきてもイエスと共にあって十字架のもとを退かぬように励ます(第6曲)。これを受けたコラールによって受難の主題が会衆に受けとめられ(第7曲)、そこからイエスと共に歩んでいこうという信徒の喜びが導き出され(第8曲)、このカンタータが閉じられる。

(坂本尚史)


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2002/01/20 10:44