エリザベス女王とルネサンス舞踏

エリザベス1世(1533−1603、在位1558−1603)と言えば、その名も高きイギリスルネサンスの名君である。彼女は国内での宗教紛争、対外勢力の脅威、破綻寸前の国庫など多くの困難な状況の中で王位についた。当時としては珍しく長寿を全うし、44年の長い統治の間にはこのみじめなイギリスをその歴史上最も華やかな時代へと導いたのである。国力を高め、海洋帝国としての礎を築いたエリザベスは対外的にも内政面でも実に巧みであり、いかに賢明な君主であったかと想像される。芸術の面でも、シェイクスピアを輩出し、バード、ダウランドをはじめとする多くの素晴らしい音楽家を生み出し、イギリス音楽にも黄金時代を招いたのである。その一因は、芸術を愛し、自らもヴァージナルを奏で、歌を歌い、そして何より踊りを愛好した、いかにもルネサンスの君主らしい女王にあるだろう。

エリザベスの舞踏好きといえば、ガリアードが有名である。彼女は毎朝ガリアードを6曲か7曲踊ったらしいが、これは15分くらいも跳びはね続けていたことになる。おしゃれでもあった女王がダイエットの為に、朝のジョギング代わりに踊っていたと想像してみるのもなかなか面白いが、これもやはり踊り好きでなければ続かないことであろう。彼女がほぼ70年の長い生涯を閉じる1年前に、ナヴァール公と2曲のガリアードを踊ったことも伝えられている。また、女王が、ラ・ヴォルタを踊っている絵も残されており、これも跳びはねる踊りである。それまでの時代の、跳躍を含んではいても基本的には摺り足でゆっくりと進むバスダンス(イギリスでは「メジャー」と呼ばれ、シェイクスピアも「行儀正しく、中庸、荘重で、古めかしい」と記しているとおり、間もなく踊られなくなった)や、エリザベスが、跳躍の踊りを奨励し、「身分が高く、もうあまり若くない人達の為に、最初の1曲だけ踊っても良い」とされたパヴァーヌ(バスダンスより少し遅れて現れ、王侯貴族が素晴らしく豪華な衣装をまとい、威厳を示す為に踊った儀式的な行列の踊り)と比べて、生き生きとした快活な踊りが好まれたのである。ここに、大航海時代と呼ばれる、冒険に胸を躍らせ、珍しい到来物に目を輝かせた時代の、生きることを楽しんだイギリスルネサンスの息吹を感じるのである。

1591年、イギリス、コードレイに滞在中のエリザベス女王は、ティバーパイプで伴奏されるその地方の踊りでもてなされ、それを宮廷舞踊にとりいれた。それまでは外国起源の踊りがフランスを経由してきていたが、−ドイツ起源のアルマンド、多分カナリア諸島起源と考えられるカナリー(エリザベス時代の跳躍の踊り)、そして、パヴァーヌ、ガリアードはイタリア、ラ・ヴォルタはフランス等々−この時代から国内巡行の都度、その土地の踊りが次々と宮廷舞踏に取り入れられていった。これらのたくさんのカントリーダンスは次第により宮廷風になり、次の時代に入ると、イギリスのコントルダンスと呼ばれ大陸で大歓迎されたのである。エリザベスがこのことを知ったらきっと喜んだことだろう。

エリザベス女王については、宝石や真珠でおおわれた衣装を身につけ、硬い表情で威厳を放っている肖像画が何枚も残されているが、臣下からの高価な服飾品のプレゼントや、海賊船からの献上品の金銀宝石をちゃっかり受け取っていたことを思うと、神々しいばかりの姿にも親しみがわいてくるのである。自己を抑制することを知り、理知的でバランス感覚を備えた女王が、夢中になったルネサンスの踊りを踊って、遠い時代の心を感じてみたい。

最後に、サルタレロはバスダンスの後に踊られた、速いテンポの跳躍の踊りであることを付しておこう。

(湯浅宣子)


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2002/01/20 10:44