モテット集

モテット(モテトゥス)は、13世紀のはじめ頃に成立したと考えられる音楽様式である。当時は、グレゴリオ聖歌に由来する長く引き延ばされた定旋律をテノールパートに置き、上声部にそれを様々に装飾するメリスマを加えた多声のオルガヌムやクラウズラと呼ばれる楽曲が歌われていた。モテトゥスは、この2声のクラウズラの上声部に新たな歌詞を付けたものである。13世紀後半になると、3声、4声のモテトゥスが作曲されるようになった。上声部の歌詞は、最初から何らかの意味でテノールの歌うグレゴリオ聖歌の歌詞の内容と関連するものであった。しかし、次第にその関連も失われ、テノールに置かれた定旋律も自由なものとなっていき、やがて、テノールに定旋律を持たない自由なモテトゥスが盛んに作曲されるようになっていった。そして、ルネサンス期のはいると、比較的自由な形式の多声教会音楽(場合によっては世俗的内容を持つものまで)が作られるようになり、今日ではそれらをモテットと総称するようになった。

本日はルネサンス期を代表する3人の作曲家のモテットを演奏する。音楽の上でのルネサンスの始まりをどの時期にするかは諸説のあるところであるが、15世紀頃から始まると考えられる。ギョーム・デュファイ<Guillaume Dufay>(1400頃〜1474)はそのもっとも初期にあたり、15世紀後半のヨーロッパ音楽を代表し、新しい歴史の時期を切り開くことになる。彼は、出生地であるカンブレの大聖堂の合唱児童として訓練を受けた後、イタリアでローマ教皇カペルラなどで活躍し、1450年頃にはブルゴーニュ公宮廷音楽家の称を得ている。彼の幅広い国際的な活躍は、当時の諸々の技法を同化されることを可能にし、それによってまったく新しい音楽を作り出して行くのである。6曲ないし8曲のミサ曲、約40曲のモテット、約80曲のシャンソンが伝えられているが、初期の古拙な作風と晩年の明澄な作風とでは様式上の差違は極めて大きく、デュファイ一人の歩みの中にこの時代のヨーロッパ音楽のもろもろの動きが具現されていると言われている。本日演奏する「めでたきかな、天の元后」は最晩年に作曲されたもので、彼が死の床にあるときに枕元で歌ってほしいとの遺書を残していたものの、実際に歌われたのは彼が息を引き取ってしまった後であったとの記録が残されている。グレゴリオ聖歌の旋律がテノール以外の声部はこれに自由な装飾を付けるというやや古風な様式を残しており、テノール以外の声部にはAve Regina...の合間にデュファイ自ら祈りを捧げる言葉が挿入されている。

フランドル楽派最大の作曲家で、ルネサンス音楽の代表とも評されるのがジョスカン・デ・プレ<Jouquin des Prez>(1440頃〜1521)である。彼の活躍していたのは、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェルリらのそれとほぼ重なっている。デ・プレはフランドルに生まれ、若くしてイタリアに出て活躍し、フランス王ルイ12世の知遇も受けた。晩年は故郷のフランドルに帰り、コンデの司祭を努めた。彼は全声部が同一の素材によって統一される通模倣様式を確立している。それに、輪郭線の明確な旋律、不協和音の秩序だった用法、機能的和声法を予告されるような和声進行、言葉と音楽との密接な結び付きなどの要素が加えられている。特に注目されるのは、古典的な均整に満ちた構成性と、言葉の内容の表出に絡んだ情緒的な傾向との、適正なバランスである。本日演奏ずく「深き淵より」は詩篇130篇によるもので、彼の特徴が良く現れている。

イタリア・ルネサンスの最後を飾り、イタリア教会音楽を代表する作曲家がパレストリーナ<Giovanni Pierluigi da Palestrina>(1525頃〜1594)である。一生をイタリアで過ごし、ほとんど教会音楽の作曲だけに専念したと言われている。その作品はフランドル楽派に基礎をおいているが、対位法技法の完璧な流暢さ、おおらかな旋律線の流れ、まばらな音の織りなし方、不協和音のなだらかな扱い方、全体にみなぎる心もち冷たい雰囲気など、独特の特徴をもち、わが国でも大変に親しまれている。彼が残した作品はミサ曲150曲をはじめ、モテット250曲あまり、奉献唱68曲など多数のラテン語による宗教作品、さらに、イタリア語によった宗教・世俗マドリガーレやカンツォーナなどが100曲以上に上っている。今年は彼の没後400年にあたる記念の年である。

本日は、この約半世紀を隔てた3人の作曲家の作品をお聞きいただき、その作風の違いを感じとっていただければ幸いである。


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2002/01/20 10:44