エリザベス朝の世俗曲集

イギリスは、15世紀前半にはダンスタベルなどの活躍により大陸におけるルネサンス音楽の形成に多大な影響を与えていたが、その後かなり長い間低迷期を過ごしていた。その後、16世紀に入るとともに次第に回復してきたが、1558年即位のエリザベス1世<Elizabeth I>(1533〜1603)の治世に入るとともに、文化そして音楽は新しい繁栄の時代を迎えることになった。この時代には、教会音楽と並んで世俗音楽が花開いた時代でもあった。同時代に活躍したシェークスピア<Shakespeare>(1564〜1616)の戯曲に反映されるようにイタリア芸術の影響が強く見られ、音楽ではイタリア・マドリガーレに由来するイギリス・マドリガルが多数作曲された。しかしそれは、古典的な均整感や深みよりは、むしろ自然の流れを重んじ、軽快な動きを中心としたものに発展していった。このことは、イタリア・マドリガーレが宮廷人や人文学者などの貴族的な芸術であったのに対して、イギリス・マドリガルはこの国で台頭しつつあった中流市民を基礎においていたことによるものであろう。この時代には、合唱曲だけでなく数多くのリュート歌曲、バージナル(小型の方形のチェンバロ)曲、宮廷や市民たちの舞踏会で用いられた様々スタイルの舞曲などの器楽音楽も広く愛好されていた。

本日は、イギリス・マドリガルをリコーダーあるいは、チェンバロ伴奏付きで、また、舞曲をリコーダーにリュートおよびパーカッションを加えた形で演奏する。このうち、最初に演奏する「新古風なラクリメ<Lachrimae Antiquae Novae>」は、当時の最も重要なリュート歌曲の作曲家であったジョン・ダウランド<John Dowland>(1563〜1620)の歌曲「流れよ、わが涙<Flow my Tears>」の彼自身による編曲である。この曲は、メランコリックな旋律のゆえに、当時きわめて広く愛唱され、この曲をおさめた歌曲集は初版(1600年出版)が1023部という当時としては極めて大量に印刷されたことが伝えられている。


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2002/01/20 10:44