バッハ:カンタータ第180番 「装いせよ、おお、わが魂よ」

バッハの死後、1754年に出版されたミーツラーの「音楽叢書」に収められた「追悼記」によると、バッハは5年分の教会カンタータを残したとされている。ライプツィヒの教会暦年で必要なカンタータは1年に約59曲あるので、5年分とすると約300曲の教会カンタータを作曲したことになる。

1723年5月22日にライプツィヒのトマス・カントルに就任したバッハは、着任後の2年間ほとんど切れ目なしに自作のカンタータを上演している。特に、就任2年目を新作を連ねてかざっている。しかも1724年6月11日の三位一体節後第1日曜から、翌年の3月25日のマリアへのお告げの祝日までの約十ヶ月というもの、いわゆるコラール・カンタータで統一しているのである。

コラール・カンタータ、つまりひとつのコラールの歌詞と旋律を、カンタータ作曲の基盤としてフルに活用する方法は、けっしてバッハの発明ではなく、むしろドイツ・プロテスタント音楽の古い伝統に基づくものであるが、バッハのそれは次のような特徴がある。第一曲の合唱と最終曲にはコラールの第一節と最終節が用いられ、第一曲はタラール旋律を定旋律とした合唱部を伴った大規模なオーケストラ曲、最終曲は簡素な四声体として作曲され、カンタータの枠を形成する。中間楽章は、レチタティーヴォとアリアであるが、コラール旋律そのものが用いられることは少なく、主題にその片鱗がうかがわれる程度である。中間楽章の歌詞は、おおむねコラールの中間節をもとに自由に作詞されることが多いが、中間節をそのまま用いる場合もあり、この場合はレチタティーヴォではなくアリアとして作曲される。バッハはコラールカンタータのシリーズを開始するにあたり、冒頭合唱に様々な技法の可能性を試みている点も興味深い。第一作の<おお永遠よ、汝恐ろしき言葉>はフランス風序曲でコラール旋律はソプラノに置き、第二作の<ああ神よ、天より見たまえ>ではアルトに置かれたコラール旋律に基づくモテット風の定旋律技法、次の<われらの主キリスト、ヨルダン河に来たれり>ではなんとヴァイオリン協奏曲と合唱が組み合わされコラール旋律はテノールに、そして<ああ主よ、あわれなる罪人のわれを>ではコラール旋律をバスに置きその主題をオーケストラ部においても発展させるというコラール前奏曲の手法を用いているのである。

今回演奏するカンタータ第180番は、1724年10月22日に初演されたもので、このコラール・カンタータの中の一曲である。バッハ当時のライプツィヒの礼拝式では、教会暦に従って各日曜日には毎年決まった使徒書簡と福音書が朗読された。カンタータは、福音書の朗読に続いて演奏されるものであったから、当然ながら、福音書章句を受けてその想念を解釈し発展させ、説教への備えをするものであった。また、説教後に演奏される第2部は説教を補完するものであった。今回演奏するカンタータ第180番は、三位一体節後第20日曜日のために作曲されたもので、その日に朗読された使徒書簡章句は「エペソ人への手紙」5.15〜21(賢くあれ、悪い時代の今)、福音書章句は「マタイ伝」22.1〜14(王の婚宴のたとえ)である。従って、カンタータの内容は、福音書章句を反映しているはずである。新共同訳聖書から引用してみよう。

「マタイによる福音書」22.1〜14、「婚宴のたとえ」
イエスは、また、たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来を使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意が出来ています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、その人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意は出来ているが、招いておいた人々はふさわしくはなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴につれてきなさい。』そこで、家来たちは通り出て行き、見かけた人は善人でも悪人でも皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

バッハはこの曲をJ.フランクの歌詞にJ.クリューガーが曲をつけたコラールに基づいて作曲している。J.フランクのコラールのテキストは、宴にあずかる喜びの表現を基調としている。その宴とは、パンとぶどう酒を通じて永遠の生命にあずかる「聖なる晩餐」にほかならない。この天上の宴では、復活したイエスを、「装える魂」たちが取り囲む・・・。冒頭の大コラール合唱にはジーグ、主の訪れを待つ心の弾みを歌うテノール・アリアにはブーレ、「生命の太陽」を讃えるソプラノ・アリアにはポロネーズというように、各曲に舞曲のリズムが用いられており、喜ばしいはずみを通わせ、軽快に明るく仕上げられている。悲壮な感じを与える曲の多いコラール・カンタータの中で、明るく輝かしい一輪の花を思わせる爽やかな曲である。


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2002/01/20 10:48