バッハ:カンタータ第12番 「泣き、嘆き、憂い、おののき」

この曲は、1714年の復活祭後第3(ユビラーテ)日曜日(その年は4月22日)のために、ヴァイマルで作曲された。バッハがヴァイマール宮廷の楽師長に昇進し、毎月1曲のカンタータを作曲するようになって2曲目の作品である。なお、その1曲目は第5回演奏会で演奏したカンタータ第182番「天の王よ、よくきませり」であった。姓名不詳の詩人(おそらくザロモン・フランク)は、第2曲のために新約聖書「使徒行伝」第14章22節を、第7曲のためにS.ローディガストのコラール(「イエスはわが喜び」)の引用(オーボエまたはトランペット)は、バッハのアイディアである。

曲は、オーボエの主奏する嘆きのシンフォニアに始まる。続いて起こるヘ短調の沈痛な合唱曲(もっとも、当時のコアトーンでは、現在の嬰ヘ短調に響く)は「ラメント・バス(嘆きの低音)」を反復するシャコンヌ形式に添って進められる。しかし、心はキリストの受難を思いやることによって、慰めへの足がかりを得る(アルトのアリア)。続いて変ホ長調のアリアに入ると雰囲気は一変し、パスが明るい上行音形(終曲のコラール旋律に関連する)に乗せて、キリストに従う決意を歌う。続くテノールのアリアは、常に誠実であれ、やがて苦難は喜びに変わると歌い、コラールで締めくくられる。このコラールは、現代の日本の賛美歌集にも第80番、父なる神の慈愛の讃美歌として取り入れられている。なお、第2曲のシャコンヌは、1748年頃、「ロ短調ミサ曲」の<クルチフィクスス(十字架につけられ)>に転用された。

カンタータは、それが演奏された当日の礼拝で朗読される使徒書簡ならびに福音書の章句の内容を反映したものである。資料によれば、この日に朗読された使徒書簡および福音書の章句は、次のようなものであった。カンタータ12番の、苦しみに耐えそれを糧として生きることから、キリストに従って行くことによってやがて喜びに変わる、と言う内容は、まさにこれらの章句をそのまま表しているといえるものでないだろうか。

『ペテロへの第1の手紙、2.11〜20:人の立てた制度に従い、苦しみも忍べ』
愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりはしていても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。

主のために、すべての人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。

善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい。すべての人を救い、神を畏れ、皇帝を救いなさい。

召使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。不当な苦しみを受けることになっても、神がそうお望みだとわきまえて苦痛を耐えるなら、それが御心に適うことなのです。罪を犯して打ちたたかれ、それに耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。

『ヨハネ伝による福音書、16.16〜23:イエスの別れの言葉:汝らの憂いは喜びに変わる』
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」イエスは彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じあっているのか。はっきり言っておく。あなた方は泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなた方は悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしが再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。


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2002/01/20 10:44