ヴィトクリア「聖木曜日のレスポンソリウム」

ヴィクトリア(1548−1611)は16世紀後半のスペインを代表する作曲家であり、ちょうど絵画のエル・グレコと同時代に活躍した。彼が生まれた翌年の1549年に、はるか遠い日本の鹿児島にザビエルが上陸している。ヴィトクリアは作曲家として数多くの作品を書いたが、世俗音楽は一切手がけていない。これは、当時の作曲家としては極めて異例のことであり、ミサ曲やモテットで親しまれているパレストリーナも、実は多くの世俗曲や器楽曲を残しているのである。現在残されているヴィクトリアの作品は、すべてラテン語でうたわれる典礼のための宗教曲である。それらは、ミサ曲18曲、レクイエム2曲、モテット52曲、イムヌス34曲、マニフィカト18曲であり、決して多作とはいえないものである。

ヴィクトリアの作品の中で、その頂点をなすとされているのが、「聖週間聖務曲集」と2つの「死者のための聖務曲集(レクイエム)」である。1585年に出版された「聖週間聖務曲集」は復活祭前の一週間に当たる聖週間で歌われる曲を集めたもので、その最初の日である「枝の主日(イエスがイスラエルに入城した日)」で歌われるものが3曲、聖木曜日(捕らえられた日)のためのものが12曲、聖金曜日(十字架に架けられた日)のためのものが12曲、聖土曜日のためのものが10曲となっており、合計37曲の作品が含まれている。

教会暦の肝要な一週間であるこれらの日々、早朝に「朝課」および「賛課」と呼ばれる祈りが捧げられた。「朝課」は3つに分けられ、それぞれにおいて「レクツィオ(朗踊)」の朗吟あるいは歌唱、レスポンソリウムの歌唱が行われる。そのうち、各日の第1の朝課において唱えられる(3つの)レクツィオは、エレミアの哀歌からのテキストによると決まっている。ヴィクトリアはこれらに付曲し、そのかわり、この祈りの(第1の朝課の)レスポンソリウムには曲をつけなかった。第2、第3の朝課においては、ヴィクトリアは逆にレクツィオを司祭による朗吟のままに残し、レスポンソリウムのほうに付曲した。ヴィクトリアの「聖週間聖務曲集」に含まれるレスポンソリウムの持つ力は、テクストとそれに付けられた音楽とのパランスの良さによるものである。テキストはそれ自体力強いもので、ヴィクトリアはこの観点から出発し、自然な朗吟のリズムを心して重んじながら、適宜な和声あるいは旋律的動機によって、詞の各フレーズに盛られた意味が強調されているのである。本日演奏する「聖木曜日のレスポンソリウム」は、ユダの裏切りからイエスが捕らえられる所までについての、聖書の種々の部分から取ったテキストが用いられているが、繰り返し歌われる「生まれざりしなばまだしもよからぬ」の沈痛な、しかも哀れみを帯びた表現や、「剣と棍棒を持ちて」の鋭く激しい表現が、極めて印象的である。このような虚飾のない音楽語法は彼以前の作曲家たちには知られなかったものであり、かつまた、バロック時代に入ると再び失われていったものである。これはひとえに、ヴィクトリアが音楽家であるばかりでなく、聖務者としてその一生を教会や修道院で過ごしたことによるものであろう。


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2002/01/20 10:48