第2ステージ:歌曲を中心として

ジョン・ダウランド 〜グローバル規模の戦国時代を見ていた泣き虫の芸人〜

 昨年黄金時代スペインの作曲家ヴィクトリアについて書いたとき、彼が厳しくも安定した生活ではあったカトリックの地位ある修道士であったことを書くのを忘れていた。修道士といえば、当時の知識階級である。いっぽう今日演奏されるダウランドは、もっと激しい生き方をした。日本国民の半分以上がイエズス会信徒になったといわれ、大村氏等の寄進により九州の半分がイエズス会領になった1563年に生まれ、キリスト教弾圧が進み踏み絵制度が始まった1626年に死んでいる。73年の間には世の中かくも大きく変わる。14歳で父親に死別。以来少年ダウランドの生活と心を支えるものはリュートだけだった。だから音楽が「楽しみ」であったかどうかすら本当の所はわからない。彼が生涯泣き虫だったというエピソードもうなずける。

 当時はまだ後進国だったチューダー朝イングランドの女王エリザベスI世即位の5年後、ダウランドはロンドンに生まれた。若き日にフランスに赴任しカトリックに改宗していたので「私の信仰が私の妨げとなった」と彼自身回想しているように英国国教会信徒でない彼が出世することは15歳で自立してから36年間なかった。しかし諸侯と仲良くしていたので34歳までには学位を授けられ才能のおかげでフィレンツェ、ローマ、ベネチア、フランクフルト等諸外国で名声を得る。37歳の時にはデンマークで、クリスチャンIV世のリュート奏者に任命された。41歳で帰国してからは英国での評価もようやく高まった。当時国を支配していた諸侯は、家来を従えて互いの土地を奪い合い殺し合う戦争を繰り返していた。領主となった者は農民を駆り出して庭付きの城や別邸を築き、周辺に商人や職人を住まわせて城下町をつくった。ダウランドはさまざまな領主の家来になったおかげで、権力闘争にも何度となく巻き込まれそうになった。イングランドはといえば、女王によって「日の沈まぬ帝国」への道を邁進していく。ダウランド27歳の時1588年にはスペイン無敵艦隊をイングランド軍が撃破する。1603年生涯独身のままエリザベス女王が没する。その時イングランドは、スコットランドと連合国家の樹立に成功。1607年イングランド人による北アメリカ侵略=植民開始。バージン女王エリザベスにちなんだバージニアという名の植民地を作った。

 Can she excuse..(彼女は私の過ちを許してくれるだろうか)の歌の原題「エセックス卿のガリヤルド」のエセックス卿はそんなエリザベスに恋してふられロンドン塔に幽閉された挙げ句、暗殺されてしまった諸侯の一人だった。う・・・。ダウランドの涙は浮世の人間の欲望と利害の渦巻く隆盛を極める国家の中で「ひたすら歌うしかできなかったリュート弾き」が感じた虚しさの象徴だったのかもしれない。

<相澤 真>


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2002/01/20 10:44