パレストリーナ「ミサ・デ・ベアタ・ヴィルジネ」

 20世紀も余すところ残りわずかとなってきたが、音楽の世界では今世紀後半は古楽復活の時代であったと言うことが出来る。バロック音楽の演奏に古楽器が用いられることはもはや当たり前のこととなり、今や、ベートーベンさえも当時の復元楽器で演奏されることが珍しくなくなりつつある。前世紀、すなわち19世紀は、音楽の歴史への興味が急速に高まった時代で、科学的実証的な音楽史書が次々と書かれていった。こうした音楽史研究と並行してグレゴリオ聖歌の復興とルネサンスのポニフォニー音楽の復興が大きな流れとなっていった。そして、ポリフォニー音楽の盛期をなしたのはジョスカン・デ・プレを中心とするフランドル学派であると考えられているが、我が国では、いまだにパレストリーナの音楽が最も良く親しまれているといえる。

 パレストリーナは1525年頃ローマの東およそ40Kmほどのところにあるパレストリーナという町で生まれたと考えられている。彼の本名はジョヴァンニ・ピエルルイジであるが、出身地を表す言葉が加えられ、一般にはパレストリーナの名で通っている。10歳の頃からローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会の少年聖歌隊員として音楽教育を受けはじめ、その後、教皇庁システィーナ礼拝堂聖歌隊員、サン・ジョバンニ・インラテラノ教会楽長、教皇庁カペルラ・ジュリア楽長などとして活躍した。パレストリーナは大変多作な作曲家として知られ、生涯に105曲のミサ曲、250曲あまりのモテトゥス、68曲のオッフェルトリウム(奉納唱)、その他多数のラテン語による宗教曲が残されている。また、この他にイタリア語による宗教・世俗マドリガーレやカンツォーネなどが100曲以上現存している。

 パレストリーナのミサ曲にはルネサンス・ミサの構成法の全てが動員されている。グレゴリオ聖歌の旋律を素材とする「パラフレーズ・ミサ」もかなりあるが、自分自身や他の作曲家の宗教曲の旋律を定旋律とする「パロディー・ミサ」が多く作曲され、さらには世俗曲に基づくものも多く残されている。また、自由なモティーフによって構成されるミサ曲も見いだされ、有名な「教皇マルチェルスのミサ」や我が国でもしばしば演奏される「ミサ・ブレヴィス」などがある。本日演奏する「ミサ・デ・ベアタ・ヴィルジネ」は、1567年に出版されたミサ曲集第2集に含まれるもので、グレゴリオ聖歌の聖母マリアの祝日のミサで歌われる通常文聖歌に基づく4声のパラフレーズ・ミサである。彼は、後に同じ旋律を用いて6声のミサ曲を作曲している。

 パレストリーナが活躍していた時代は、我が国では安土・桃山時代にあたり、天正少年遣欧使節が派遣された頃であった。彼らはおそらくヴァチカンでパレストリーナの音楽を聴いたことであろうし、ひょっとすると、信長や秀吉も耳にしたかも知れない。こんなことを考えながら、これらの曲を聴くのも、また一興と言えるであろう。

<坂本尚史>


[前のページへ]

2002/01/20 10:44