バッハ「マニフィカト」

 マニフィカトは西洋音楽史上もっとも頻繁に作曲されてきたテキストの一つである。それはルカによる福音書がマリアの賛美の歌として伝える章句であり、その鮮明なイメージと豊かな起伏と湧きあがるような高揚感が、古来から多くの音楽家の霊感をかき立ててきたものと思われる。

 マニフィカトのテキストは、いわゆる三大カンティクム(歌詞の形によるテキスト)の一つとして、ルカによる福音書第1章に述べられている。そこでは、エリザベツのヨハネ懐妊の報告に続いて、御使いガブリエルによるマリアへの受胎告知が語られる。不思議に思ったマリアは、エリザベツを訪ねた。するとエリザベツの子が胎内で踊り、彼女は聖霊に満たされてマリアを祝福した。マリアは感動して「私の魂は主をあがめ(マニフィカト)、私の霊は救い主である神を喜び讃えます」で始まる歌を歌い出した。このマリアの誉め歌がマニフィカトのテキストである。以下に聖書の該当する部分を掲げる。

[洗礼者ヨハネの誕生、予告される]
 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリザベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリザベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリザベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。

−−−中略−−−

[イエスの誕生が予告される]
 六ヶ月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神の恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼の父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神にできないことは何一つない。」そこで、天使は去って行った。

[マリア、エリザベトを訪ねる]
 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

[マリアの参加]
 そこでマリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力のある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
 マリアは三ヶ月ほどエリザベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

 このテキストは、キリスト教の礼拝において早くから重要な位置を与えられ、聖務日課の晩課(夕べの祈り)中に、その棹尾を飾るものとしておかれた。このマニフィカトは中世においては、グレゴリオ聖歌風の調べで歌われ、多声音楽の発展とともにアカペラのポリフォニーを主体とするものが数多く作曲された。バロック時代にはいると、モンテヴェルディの<聖母のための夕べの祈り>に代表されるような独唱・合唱・器楽演奏付きのマニフィカトが作曲されるようになった。

 ルター派プロテスタントの教会においてもマニフィカトは重要視されていた。G.シュテイラーによれば、バッハの時代のライプツィヒでは、土曜日と日曜日の晩課にマニフィカトが歌われた。牧師の説教の後、若干の祈りを経てオルガンの前奏が入り、それに続けてルター訳のドイツ語によるマニフィカトが、単旋律ないし単純な4声部編曲によって歌われるのであった。ただし、クリスマス、復活祭、聖霊降臨祭の、いわゆる三大祝祭の第1・第2祝日の晩課においては、伝統的なラテン語のテキストに、多声の、より高度な音楽を付した楽曲が演奏される習慣があった。バッハの前任者であるヨハン・クーナウもバッハの作品とよく似た作品を残している。

 1723年5月にカントルに就任したバッハは、こうした習慣に直面し、マニフィカトを作曲したのである。そして、同年の聖ニコライ教会で行われたクリスマスの晩課のために、変ホ長調のマニフィカト(BWV243a)を書いた。そこには4つのクリスマス楽曲が含まれており、主合唱とは別の小さな声楽グループによって歌われた。その歌い手たちは、天使や羊飼の扮装をして、演技も行なったと推測されている。

 バッハはその後(Bach−Compendiumによれば1733年の7月2日「マリア訪問の祝日」のために)、大がかりな改訂を行なった。彼は、クリスマス用の楽曲をすべて削除し、リコーダーをフルートに、オーポエを一部オーボエ・ダモーレに置き換え、さらに調性をトランペットのより効果的なニ長調へと改めた。これが今日一般に演奏されるバッハのマニフィカト(BWV243)の稿で、粗削りな変ホ長調稿に比べ、丹念でバランスの良い仕上げを特徴としている。いずれにせよ、マニフィカトは伝統的な典礼のテキストをルターの精神において生かした名作であり、バッハの代表作のひとつに数えられるものである。

 なお、今回はニ長調の稿に、同じニ長調に移調した4曲のクリスマスのための挿入曲を含めて演奏する。

<坂本尚史>


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2002/01/20 10:48