フランス・シャンソンについて

 今年の第2ステージでは「フランス・シャンソン」を演奏します。

 「フランス・シャンソン」と聞いて今回のプログラムにあるような曲を思う方は少ないことでしょう。それよりもイプ・モンタンのような二十世紀のフランスの歌謡曲を思われることが多いと思います。「枯葉」や「そして今は」といった現代フランス歌謡曲(シャンソン)も美しいのですが、それは他の演奏家に任せることにして、私たちはフランスのポリフォニー音楽に向かっていくことにします。そもそも「シャンソン」とはフランス語で「歌」という意味ですから、フランスの歌はみんなシャンソンなのです。

 時は一気に十六世紀初頭へと飛んでいきます。この時代のフランス音楽は世俗曲(世俗シャンソン)が中心でした。「世俗曲」とは「教会音楽」に対する言葉で、信仰・規則・習慣といった教会的な観念とは反対の、人間として自由な生き生きした生活を歌った音楽のことです。十六世紀にはいるとフランスは長かった百年戦争での国力衰退や人々の疲弊から回復し始め、「フランス文芸復興の父」と自称した国王フランソワ一世のもと、市民階級が様々な分野に活躍し、充実した国力を得るようになります。音楽の上ではフランス・ルネサンス音楽が形作られていきます。ヨーロッパ音楽全体では、第1ステージで演奏したラッソを中心としたフランドル学派が中心であり、フランスでもこのフランドル学派の影響は受けているのですが、庶民生活の生の喜びを率直に歌い上げる作品が多かった分だけ、本家のフランドル学派の作品よりも生き生きした、歌詞と曲がマッチした独特のフランス音楽が出来上がっていったのです。これはこの時代のフランス作品だけに見られる独特の華やかで明るい世界です。今回取り上げるのはその中でも代表的な三人の作曲家の作品です。

クロード・ドゥ・セルミジ 1490−1562
ピエール・パスロー 1509−47 活躍
クレマン・ジャヌカン 1485−1558

 パスローだけは没年がはっきりしませんが、みんな十六世紀前半に活躍した同じ時代の作曲家です。このころ多くのシャンソン楽譜が出版され、また器楽用に編曲されたものの多さを見ても、人々に愛された当時の音楽がそこに見えます。詩の内容はフランス市民の生活をそのまま歌ったものが多く、軽妙、小粋、そして時にはちょっと猥雑でもあります。

 さて、初めの曲はセルミジの「あなたのくれる楽しみ」です。洗練された美しさが有名なこの人の作品らしく、静かで流麗な旋律からこのステージを始めます。途中バスダンスの曲を間に挟み、AABAの形式で演奏されますが、これは我々のオリジナルです。

 次にパスローの「うちの亭主はお人好し」です。夫のお人好しを幸い「コッ、コッ、コキュ、コキュ」と鳴くニワトリの世話を亭主に押しつけ、自分はこっそり楽しみごとにふける横町の女房のさまが歌われています。

 三曲目からはすべてジャヌカンの作品です。「恋の手習い」では若い娘が男から恋の手ほどきを受けます。「始めは難しくても慣れればすぐに楽になるの。何の芸事も同じよ。胸が高鳴るわ」とにっこり笑う娘のようすが歌で表されます。

 「すてきな遊び」では若い男が若い娘をむりやりつかまえてキスをし「すてきな遊びは楽しいぜ」と鼻の下を伸ばします。歌いながら踊るようすがlaissez(レッセ=さぁ遊ぼう)のくり返しの中に見られます。

 「美しいこの五月に」でもやはり若い男が五月の野山に出てとびはね、踊り、羊飼い娘をつかまえてキスします。始めの方にでてくるdansons ballons(ダンソン・バロン)のくり返しは飛び跳ね踊る様子、後半ででてくる同じメロディのchantons gaiemant(シャントン・ゲマン)は追いかけっこをしている様を歌っています。底抜けに明るい恋の様子を感じながら、このステージを閉じることにしましょう。

<日下不二雄>


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2002/01/20 10:44