イギリス・マドリガル

  イギリス・マドリガルを聴いていただくことにしましょう。 

 ルネサンス期の文化はイタリア中心であり、イギリスでもさまざまな面でイタリア文化の影響が見られるということはご存知の方も多いと思います。イギリス文学を代表するシェイクスピアWilliam Shakespeare 1564-1616の戯曲にもイタリアの影響を見ることができるといわれています。

  音楽もまたイタリアではさまざまに発展しています。キリスト教教会音楽はもちろんのことですが、日常生活の中で庶民に歌われ演奏された「マドリガル」と呼ばれる世俗曲もイタリアでは数多く作られ、人々の生活を豊かにしていました。イギリスは音楽の面でもその影響を大いに受けており、たくさんの作曲家がイタリア・マドリガルの影響を受けつつ、独自のイギリス・マドリガルを作り、イギリスの庶民たちも身近な楽しみとしてマドリガルを合唱で歌い楽しんだようです。一日の労働を終えて帰宅したあと、夕食後の団らんの中で家族でマドリガルを歌うということが、イギリスにはよくあったらしく、いかにも庶民レベルで展開されていたイギリス文化らしい楽しみであるように思います。

  イギリス人作曲家たちは、イギリス庶民のために曲を作りました。したがってイタリアの影響を受けたといっても、イタリア・マドリガルの特徴である高度な歌唱技術を必要とするポリフォニー技法よりも、誰でもすぐに歌えるような旋律のはっきりした曲作りや歯切れのよいリズム感を特徴とした曲作りを大切にしています。完全に「多声の組み合わせ」(ポリフォニー)で構成された緻密な音楽というより、「一つの旋律をより大切にした」(ホモフォニー)的な部分の多い歌いやすい音楽が多いという言い方もできるでしょう。またイタリア・マドリガルがダンテ、ペトラルカといった高名詩人の文学的な詩を歌詞として使っていたのに対し、イギリス・マドリガルでは軽妙な内容の庶民的なものを多く使っていました。このあたりも「宮廷人・学者などを中心にした通人のための貴族的文化(イタリア)」と「中流市民を中心にした庶民文化(イギリス)」の違いがよく現れているところでしょう。イタリアの影響を大いに受けながらも、独自の文化にあった作品が次々に生み出され、独特の音楽文化の花を開いた世界。イギリス・マドリガルをこうとらえても良いのではないかと思います。

  今回はこうしたイギリス・マドリガルの有名な六人の作曲家の作品を演奏します。いずれもほどんど同年代の作曲家たちです。モーリーが少し年長であり、彼こそがバード(William Byrd)と並ぶイギリス・マドリガルの先駆者なのですが、他の人たちもそれに続く代表的作曲家ばかりです。

「かしこいクローリス Thus saith my Cloris bright」  ウィルビー  1600頃
  クローリスという名の可愛い女の子の言葉を通して濃いの不思議さを歌う美しい曲です。恋はどこから来るのか、わからないけれど、急にやってきては私たちの気持ちを激しくしてしまうもの、と歌います。

初めてあなたを見たときから   (Since first I saw your face)  フォード  1607
  平安時代の「古今和歌集」の「恋」の部は三巻ありますが、その最初の巻は「まだ恋が実る前の心浮き立つ時期」の歌ばかりを集めたものです。この歌はまさにそのような、うきうきしてたまらない心の弾みを歌っています。二番まである長い歌詞ですが、それも恋心から来る饒舌のように感じられます。

優しい乙女たちよ (Say gentle Nymphs)  モーリー  1594
  おとぎばなしの世界に迷い込んだようなファンタジックな歌です。恋人を捜しながら妖精に語りかける男。それも決してあせらず、なんだかゆったりと踊るようです。これも恋の力なのでしょう。

アマンタスとかわいいフィリス (Amyntas with his Phillis fair)  ピルキントン  1613
  この曲はもう底抜けに明るい曲です。真夏の太陽き下で青春を謳歌し、抱き合う二人の歓声が聞こえてくるような曲です。

私の眼よ、涙を流せ  (Weep O Mine eyes)  ベネット 1599
  青春の持つもう一つの面。それは人生を遙か眺め渡したときに誰しもが感じるそこはかとない哀しさと寂しさでしょう。この曲では悲しみを嘆く人の姿が、しかし美しい光景の中で切々と歌われます。

全ての木々は (Now every tree)  ウィールクス  1597
  季節は美しい新緑の頃。けれども恋が実らぬ者にとっては冷たい冬のような毎日。しかしこれも人生。若者はこうした孤独感の中からまた歩き始めるのです。

  以上の6曲の合唱の他に、今日はソプラノ・ソリスト鈴木順子さんによる2曲を聴いていただきましょう。まず「柳の歌」(Willow Song)です。これはシェイクスピアの作品「オセロー」の中で劇中歌として使われているものです。曲自体は作曲家もわからずたいへん古いもののようですが、歌詞は芝居の場面に合わせてシェクスピアが仕立てたものと言われています。ヴェニス共和国に仕える武将オセローは旗手イアーゴーの悪知恵にだまされて清純な妻デズデモーナを疑い、絞め殺してしまいます。その後オセローは、これがイアーゴーの悪だくみであったことを知って短刀で自害します。この歌は死を覚悟したデズデモーナが歌う気品に満ちた純粋な美しさを持ったものです。
  もう一曲は「バーバラ・アレン」(Barbara Allen)です。これはやはり誰によって作られたのかわからない曲ですが、一つの物語になっています。可愛い、しかし恋と死を歌った甘く哀しい曲です。「愛と死」という永遠のテーマをさりげなく歌い上げたイギリスらしい曲と言っていいでしょう。

<日下不二雄>


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2003/09/10 23:19