バッハ「クリスマス・オラトリオ 第5部」
1723年5月にライプツィヒの聖トマス教会カントルとして赴任後の数年を経て、カンタータの創作に一段落したバッハは、赴任して11年が経過した1734ねん、イエスの降誕を祝う作品である《クリスマス・オラトリオ》を作曲した。バッハ自身の手で題書されたこの作品は物語風の流れを持つとはいえ、続けて演奏されるものではなく、降誕節第一祝日(12月25日)から顕現部(1月6日)にかけての6祝日に演奏される一連の連作カンタータといえるものである。
《クリスマス・オラトリオ》をなす6つのカンタータは、自筆楽譜でも別々の用紙に書かれており、音楽的にも独立している。しかし、バッハが全体を統一的なものとして構想したことは、ニ長調を主調とした調性の配置や、ルカによる福音書第2章とマタイによる福音書第2章の降誕記事の順次的配列、コラールの配置などからも、明らかである。聖書の記事はテノールの福音史家に委ねられ、天使、ヘロデ、羊飼いも登場する。聖母マリアは直接的には登場しないが、アルト独唱による自由詩の部分にその役割が与えられている。
バッハは、この《クリスマス・オラトリオ》のほとんどの部分を旧作からの転用でまとめた。このような手法は『パロディ』と呼ばれ、当時は広く行なわれていたものである。バッハは、かなり多くの『パロディ』を行なっている。バッハが『パロディ』を行なった理由は、はっきりしていない。その『パロディ』の多くは世俗カンタータから教会音楽への転用であること、晩年の作品に『パロディ』が多いことなどから、たった一度しか演奏する機会のない世俗カンタータを、より演奏機会の多い形にして残そうとしたのではないかと言われてきた。しかし、マタイ受難曲の主要な部分がレオポルド公の葬送音楽に転用されたなどその逆の転用もあり、さらに、カンタータよりも演奏機会の多い器楽曲から教会カンタータへの転用もあり、いまだに多くの議論を呼んでいる。いずれにしても、当時一般的に行なわれていたことであり、バッハに限った特別なことではない。
バッハが第1部から第4部の原曲に用いたのは、1733年9月5日に上演されたザクセン皇太子フリードリヒの誕生日のためのカンタータ《心を砕き、見守ろう [岐路に立つヘラクレス]、BWV213》、1733年12月8日に上演されたザクセン選帝候妃兼ポーランド王妃マリア・ヨゼファの誕生日のためのカンタータ《太鼓よとどろけ、ラッパよひびけ、BWV214》。1734年10月5日アウグスト三世のポーランド王即位記念日カンタータ《汝の幸を讃えよ、恵まれしザクセン、BWV215》である。また、第6部は失われたカンタータからのほぼ全面的転用であり、第45曲(第5部第3曲)は失われた《マルコ受難曲、BWV247》の第114曲からのパロディと推定されている。純粋に新しく作曲されたのは、レチタティーフとコラールを除くと、第10曲のシンフォニア、第21曲の合唱(いずれも第2部)、第31曲のアリア(第3部)の3曲のみであるとされている。この他、第43曲(第5部第1曲)もパロディの可能性があると指摘されている。成立の経緯はどうあれ、バッハの《クリスマス・オラトリオ》は、弾けるようなクリスマス到来の喜びと幼子を見守る温かく柔らかい眼差しに満ちた作品であり、クリスマスの三が日のみでなく新年を経て顕現節におよぶ喜ばしい季節を豊かに飾る、至福に満ちた作品である。
本日演奏する第5部《栄光あれと、神よ、汝に歌わん》は新年後の日曜日用のもので、1735年1月2日の聖ニコライ教会での午前礼拝で初演された。テーマは「真の王の誕生に対するヘロデ王の不安とおののきである(マタイ2.1−6)」である。真の王の誕生を讃える冒頭合唱に続き、東方の博士たちの物語が語られ、その話を聞いたヘロデ王とエルサレムの民のうろたえとおののきが語られる。「真の王による慰めはいつ来るのか」という問い(ソプラノとテノールの重唱)に対して、「その方は既にここに居られる、こころをその方の王座にすることによって、くらい洞穴のようなこころも、恵みの光に照らされ、主の王座にふさわしいものになる」(アルト独唱とコラール)と歌われる。
<坂本尚史>
2003/09/11 14:01