パーセル作曲 「メアリー女王の葬送の音楽」

作曲者  ヘンリー・パーセル

 ヘンリー・パーセルHenry Purcell【1659〜1695】は、現在でも「イギリスの音楽史上最高の作曲家」と評されている。年代で言うと、パーセルが死んだときにバッハが十歳だったということになり、イギリスバロック音楽が円熟した時期の作曲家である。 

  パーセルはまさに天才音楽家であった。幼少時代は王室付属礼拝堂少年聖歌隊員であったが、変声期を迎え聖歌隊を退くと、18歳という若さで王室弦楽団の常任作曲家となり、さらに24歳でウェストミンスター寺院のオルガン奏者になるなど、作曲家・オルガン奏者としての名声と地位をほしいままにする。パーセルは教会音楽や鍵盤楽器用独奏曲、器楽合奏曲、劇音楽など様々な分野で多くの作品を残したが、なかでも英語による声楽曲は彼の本領が最も発揮された分野である。とりわけ本日演奏する「メアリー女王の葬送の音楽」はパーセルの最晩年の作品であり、彼の作品の中でも最も人々に愛された曲であると言えよう。

 パーセルは、しかし、才能を早く開花しすぎたのかもしれない。1695年11月21日、わずか36歳という若さで生涯を閉じ、自らの音楽の拠点だったウェストミンスター寺院に葬られたのだった。

メアリー女王の葬送の音楽

 1694年12月、国民に絶大な人気のあり、パーセルの庇護者でもあったメアリー女王は、天然痘のため32歳という若さで死去した。葬儀は翌1695年3月、ウェストミンスター寺院で荘厳に挙行された。ダイアナ妃の葬儀を思い出された方はその荘厳さをご理解されよう。場所も同じである。この葬儀にはイギリスルネッサンスの偉大な作曲家トーマス・モーリーThomas Morley【1557頃‐1602】の音楽が使われたのだが、モーリーの葬送音楽には失われてしまった部分があった。その足りない部分をパーセルが書き足したのだった。しかし、その書き足された部分はあまりにも美しく、歴史的な価値が高くなったため、後にはパーセルの作品として親しまれるようになった。これがこの作品である。同年の11月26日この曲は再びウェストミンスター寺院で演奏された。他ならぬ作曲者パーセル自身の葬儀であった。

 この作品の直筆楽譜は現在では失われているが、演奏家としても名高いホグウッドの研究によると、この作品は3つの版があり、いずれもパーセル自身が行なった改訂による。器楽曲と合唱曲からなるこの作品のうち、改訂により最も大きく変化しているのが最後の合唱曲「Thou knowest Lord,the secret of our heart(主よ、あなたは私たちの心の底までご存知です)」である。この作品中最も人気のあるこの曲は、1版と2版ではポリフォニー(多声音楽)として作られているのに、3版ではホモフォニー(単声音楽)となっており、しかも全く違う旋律である。市販のCDでも、マイケル・チャンス指揮のものは2版、ガーディナー指揮のものは3版の楽譜で演奏しているので、聞き比べてみるとそれぞれの版の良さがあることがわかる。

 本日私たちはフィッツウィリアム博物館蔵、ホグウッド校注による第3版楽譜を用いて演奏する。他の版に比べ、第3版が最も神の救いを実感した作りであり、真摯に信仰を貫いた作品であると感じられるからである。三つの合唱曲は、若くして亡くなるという不条理の中で呆然とする人間の悲しみとはかなさを歌い(第1曲)、それが神の偉大な計らいの中の一つなのだと改めて気付き(第2曲)、ついには神に依り頼むところにのみ人間の心の安らぎがあるのだと改めて信仰を深くする(第3曲)という構成になっている。

 なお、オリジナル楽譜の器楽パートは4本のトランペットとドラムという編成で書かれているが、本日はリコーダーとドラムを用いて演奏する。オリジナルよりも素朴で信仰の深さを実感できる楽器編成であると思う。 

<日下不二雄>


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2003/10/08 19:05