ルネサンス世俗曲 「脇役から主役へ 〜舞曲の歩んだ道のり〜」

  これまでの演奏会で多くの舞曲を取り上げてきたが、今回は、西洋における「舞曲から組曲への歴史」について少し話題にしたいと思う。「踊り」というものは太古の昔から一般庶民から上流階級を問わず広く行われ、現在に至るまで連綿と続けられてきた人間の営みであるといえる。「踊り」のためにはそれに付随する音楽(舞曲)が必要となるわけで、いわば脇役的存在として舞曲が誕生したことになる。

  中世の頃になると、声楽が宗教音楽の領域で高い地位を獲得していたのに対し、器楽は「世俗のもの」として一段低くみられていた。そのため教会音楽の作曲家たちは、器楽で演奏される機会の多い舞曲に対しては創作意欲を刺激されなかったと思われる。その当時、舞曲を演奏するのは主に吟遊詩人たちで、様々な娯楽の場が活躍の舞台となっていた。その音楽は即興で奏でられることが多く、ほとんど楽譜に書き留められることはなかった。

 舞曲がその地位を高めてきたのはルネサンス時代からである。王侯貴族たちも舞踏に興じるようになり、庶民の素朴な「踊り」が様式感のある宮廷舞踏へと発展し、その過程で舞曲も洗練されていった。例えばイギリスでは、荘重なパヴァーヌや軽快なガリアルドといった舞曲が好まれ、エリザベス女王(在位1558-1603)もさかんに踊っていたと伝えられている。このころになると舞曲自体も楽譜として残されるようになり、16世紀にはピエール・アテニャン(1494?-1552?)が、17世紀にはミヒャエル・プレトリウス(1571?-1621)が多くの舞曲を出版・紹介したことは有名である。もっともこの頃の楽譜は、今日の五線譜のようなものではなく「音程の動きが分かる」といった簡単なものであった。

 バロック期に入ると、やっと器楽が本格的に活躍する時代になる。舞曲も宮廷で盛んに踊られるようになって洗練度を増し、宮廷音楽家たちも大いに創作意欲をかきたてられ、「伴奏音楽」を越えて舞曲に関心を持つようになった。その源の一つはドイツのヨハン・ヤコブ・フローベルガー (1616-1667)が作った一連の作品で、アルマンド(Allemande)・クーラント(Courante)・サラバンド(Sarabande)という舞曲組曲の原型がこのとき示された。さらにジーグ(Gigue)が組曲の最後に入れられ、この曲順が基本型として定着していった。さらに、フランスの音楽家たちはこの形式を取り入れ、それに他の舞曲も加えて組曲の形式を発展させていった。フランスのリュート奏者たちは舞曲の前にプレリュード(Prelude)を置き、演奏を始める前の調弦や指慣らしといった雰囲気で即興的な音楽を奏でるようになり、その形式が他の楽器作品にも取り入れられていき「フランス様式」として確立されることとなった。以下は紙面の関係から「フランス様式」を話題の中心にする。

 17世紀半ばからはフランスの国力が隆盛期を迎えるとともに、フランスバロック音楽も最高潮に達した。この頃、宮廷内の音楽に最も権威を持っていたのがジャン・バティスト・リュリ(1632-1687)で、イタリア人でありながらルイ14世の信を得て音楽監督の地位についていた。リュリはフランス様式にイタリア的なエッセンスを取り入れ、ルイ14世の趣味に合うような様式として再確立した。また、付点音符で構成された緩徐部分と速い部分からなる序曲(overture)をオペラ・バレーに付け加えたりした。この序曲によってそのあとに続く舞曲の性格が表され、全体がまとまり感のある作品となった。これがいわゆる「フランス風序曲」の始まりと考えられている。

 17世紀後半のフランスは芸術・文化の中心地であったため、そこで生まれた音楽は他国の作曲家たちにも大きな影響を与えることになった。例えばバッハやテレマンは、冒頭にフランス風序曲がついた鍵盤楽器用の組曲や管弦楽組曲を書いているが、これらはフランス様式の舞曲組曲を元にしていると考えられる。特にバッハの組曲を構成している舞曲は、「踊りのための曲」からは遠く離れ、思考の中で行われる「抽象的な踊り」という性格を持っているように感じられる。これ以降、多くの作曲家が舞曲的形式を利用して独自の作品を発展させていくことになる。

では、今回の演奏会で取り上げる舞曲について簡単に説明する。

パヴァーヌ
16世紀のイタリアを起源とする宮廷舞曲で、その名はパドヴァ市の別名(パーヴァ)に由来すると考えられている。通常ゆっくりした2拍子(初期には3拍子のものもある)で、しばしばそのあとに速い3拍子のガリアルドが続く。 

ブランル
16世紀の舞曲で、踊り手が輪になって足を横へ横へと運んでまわっていく踊りである。2拍子系のブランル・サンプルとブランル・ドゥーブル、3拍子系のブランル・ゲーがある。

ガリアルド
16世紀に流行したイタリア起源とする3拍子系の陽気な舞曲で、しばしば荘重なパヴァーヌやパッサメッゾと対の形で使われていた。 

アルマンド(アルメイン)
「ドイツの」あるいは「ドイツ舞曲」の意味で、16世紀フランスで起こったゆるやかな2拍子系の舞曲のこと。ダンスの面からみると、男性と女性が腕を組んで踊るという「非貴族」的な要素を持ち、かつ跳躍のステップが多く使われる軽快な踊りであったため、フランス王侯貴族の舞踏会では特に若者の間で愛好された。

ヴォルト
フランス・プロブァンス地方を起源とする8分の6拍子の舞曲である。3拍子系のガリアルドに類似するが、より軽快に踊られる。

クーラント
フランス語の「走る」という言葉に由来する舞曲で、元来は速く飛び跳ねるような動きを伴う踊りである。フランスでは高貴で品位のある雰囲気で踊られるため、ゆっくり目の2分の3拍子で演奏された。一方、イタリア風では4分の3または8分の3拍子の速いテンポで演奏された。

<葛谷光隆>


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2003/10/08 19:06