J.D.ゼレンカ作曲 「マニフィカト・ハ長調」

  ヤン・ディスマス・ゼレンカ(1679-1745)は「ボヘミアのバッハ」とも呼ばれる作曲家で、バッハやヘンデルと同時代にドレスデンで活躍した作曲家である。彼はプラハ郊外のロウノヴィツェで生まれ、プラハに学び、1710年からドレスデン宮廷楽団のコントラバス奏者になった。1715年から19年にかけてはウイーン、ヴェネツィアで研鑚を積んだが、その後再びドレスデンの宮廷楽団に奉職、1735年に「教会音楽家」の称号を得た。しかし望んだ楽長への昇進は果たせず、失意の晩年を送ったと言われるが、その生涯は未だ不明の点が多い。そうそうたる顔ぶれを擁したドレスデンの楽団のうちでも、ゼレンカの作曲の才は抜きん出ている。彼は対位法の技術に優れていた上に大胆な和声感覚をもち、個性をもつ独特な音楽を書いた。近年、彼の器楽作品が取り上げられる機会が多くなっているが、多くの作品の中でも教会音楽にこそ彼の本領は発揮されたと伝えられている。

 ゼレンカは、ドレスデンの宮廷礼拝堂で行われる礼拝音楽を数多く作曲しているが、日曜日の晩課のために一連の詩篇曲とマニフィカトを遺した。マニフィカトは3曲作曲されたとされているが、現存するのは2曲である。いずれも、当時の晩課に適するように、10分程度の曲である。マニフィカトのテキストは、いわゆる三大カンティクム(歌詞の形によるテキスト)の一つとして、ルカによる福音書第1章に述べられている。そこでは、エリザベツのヨハネ懐妊の報告に続いて、御使いガブリエルによるマリアへの受胎告知が語られる。不思議に思ったマリアは、エリザベツを訪ねた。するとエリザベツの子が胎内で踊り、彼女は聖霊に満たされてマリアを祝福した。マリアは感動して「私の魂は主をあがめ(マニフィカト)、私の霊は救い主である神を喜び讃えます」で始まる歌を歌い出した。このマリアの誉め歌がマニフィカトのテキストである。マニフィカトは西洋音楽史上もっとも頻繁に作曲されてきたテキストの一つである。その鮮明なイメージと豊かな起伏と涌きあがるような高揚感が、古くから多くの音楽家の霊感をかき立ててきたものと思われる。

 今回演奏するマニフィカト・ハ長調(ZWV107)は、1727年頃に書かれ、1735年に曲集へとまとめられたものである。バッハの作品とまさに同時代の作で、その自筆総譜は、ドレスデンのザクセン州立図書館に保存されている。編成はソプラノ独唱と合唱4部、弦と通奏低音。2本のオーボエが、任意楽器として追加されている。バッハや他の多くの作曲家の作品に見られる多楽章形式と異なり、ここではテキストが、緩急緩の3つの楽章+アーメン・フーガとしてまとめられている。なお、もう1曲のマニフィカト・ニ長調(ZWV108)は、バッハが息子のフリーデマンに筆写させている。

<坂本尚史>


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2003/10/08 19:06