せんせー ご近影
1999年6月1日(火)のおはなし
TAKA−C : (^o^)/ハーイ。せんせーの音楽遍歴をお聞かせくださーい。
せんせー : 音楽遍歴といったら大げさだけど…ね。
○幼稚園時代 : プロテスタントの教会付置の幼稚園に通った。聖堂には、当時としては数少ないパイプオルガンが設置されていた。クリスマスの劇でヨセフをやらされた記憶がある。結局、信者にはならなかったが、教会音楽が好きになる素地はこの時に出来たのかもしれない。
TAKA−C : ”ヨセフ”は自発的ではなく、やらせられたのですね。
せんせー : まぁ、そんなところです。
○小学校時代 : 1年の時、なぜか校歌を聴いて楽譜に書き、先生に誉められる。2年の時、世田谷区の音楽会に出るための小学校での合唱団員に選ばれる。ボーイソプラノで、学校で一番高い声が出た。当時、映画で有名だったウィーン少年合唱団にあこがれた。以降毎年選ばれた。これが合唱との出会いであった。3年になって、父の薦め(希望)でヴァイオリンを習い始める。本当はピアノを習わせたかったようであるが、高価で手が出なかったようである。全くといって良いほど練習をしなかったが、ともかく中学2年まで続けさせられた。高校に入ってから、急に寂しくなり、フルートを買ってもらって自己流で遊び始めた。これは、今も続けている。実はオーボエを吹きたかったが楽器が高価(当時で100万円ほどした)で手が出なかった。同じ年に、当時体が弱かったこともありボースカウト(カブスカウト)に入団させられた。そこには鼓笛隊があって、リコーダーを吹くことになった。これが、今も続いている笛の吹きはじめであった。前述のフルートを始めたのも、これが影響していると思う。
○中学校時代 : クラブ活動で音楽(合唱)部に入りたいと希望したが、変声前の男子は入部させてくれなかった。2年の夏休みに変声期を迎え、ソプラノから一気にバスになり、2学期から晴れて?音楽部に入部した。3年のときにはコンクールで東京都大会まで出場した。
TAKA−C : 私も児童合唱のときはボーイソプラノでした。せんせーといい技術部長さんといい、ボーイソプラノは声がわりがするとBassになっちゃうんでしょーか?
せんせー : どうなんでしょう。次回までにわかればお教えしましょう。
○高等学校時代 : 入学と同時に音楽部に入部した。3年生にピアノが抜群に上手い先輩がいた。現在,N響アワーや大河ドラマの音楽で有名なI氏であった。この学年には芸術家がそろっていて、他に京都で活躍中の彫刻家のK氏もいた。なお、後輩にはYMOなどで活躍中の私と同姓の氏がいる。1年の後半からは部長をさせられた。部長は指揮者も務めるのが習慣だった。これが、指揮を始めたきっかけであった。3年の時には、文化祭で「真間の手古奈」というオペラを3年生有志で上演した。美しい「手古奈」を金品の贈り物で我がものにしようとする都の役人を歌った。3年の時に、後輩がパレストリーナの「ミサ・ブレヴィス」からグローリアを演奏した。中世・ルネサンス音楽との出会いであった。以後、この時代の音楽に”はまる”ことになり、現在に至っている。
TAKA−C : イニシャルにしても誰だか分るような気がするんですが
(・_・)......ン??せんせー : …ムカ・・・(-_-メ)>。
○大学・大学院時代 : 大学のサークルには入らなかったが、後輩たちと当時としては珍しい中世−バロック期の合唱のみをレパートリーとする合唱団「コール・ムンテレ・ゼンガー」を作り、活動した。この合唱団では、デ・プレやパレストリーナのミサ曲やバッハのモテットを取り上げ、4回の演奏会を行なったが、団員の就職・転勤や結婚などで自然消滅してしまった。この間に、カール・リヒターの初来日公演があり、東京文化会館でバッハの「ロ短調ミサ曲」を聴いた。最初の「キリエ・・・・・・」を聴いた瞬間にしびれるような感動を覚えた。こんな経験は初めてのことであった。これ以来、今に至るまで、バッハの虜である。
TAKA−C : 「バッハの虜」ですか。でももう既に奥さまとはお付き合いされていたんでしょう??。
せんせー : (よけーなコトを言うんじゃぁない)。
○岡山赴任から現在まで : 岡山に奉職してから、大学の合唱団を指導することになり、「ムンテレ」が消滅してしばらく遠ざかっていた合唱に再び取り組むことになった。この時、部長がヴォイストレーナーに依頼したI氏のお誘いで、カトリック教会で行なわれていたポリフォニーを歌う合唱団に参加することになった。いわゆる「旧岡山ポリフォニーアンサンブル」である。その後、川崎医療福祉大学混声合唱団「ちょらす」の指揮を引き受け、また、岡山バッハカンタータ協会にも入れていただき、まるで、合唱が本業みたいな状態になって現在に至っている。なお、昨年はI先輩との関係で「岡山『悪魔の飽食』を歌う会」を組織して、同曲の全国縦断コンサートの一環である岡山公演を行なった。この公演は今年は大分で、来年は広島で行なわれることになっている。
TAKA−C : 合唱は「本業」ではなかったのですか。そりゃ、知りませんでした。
オドロキですね(゜O゜;)。せんせー : ムカ・・・(−_−メ)>
※コノ文章は先生から頂いた文章を元に、やりとりの部分を管理人が「大幅」に脚色の上、編集しております。。。
2002/01/20 10:48