指揮者のつぶやき… 〜指揮者の寺子屋〜


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ヴィンシャーマン先生のバッハは常に新しい
TAKAちゃん

2002/02/15 23:31

 前にも書いたが、ボクは岡山バッハカンタータ協会の一員として、ヴィンシャーマン先生の指揮によるバッハの4大宗教曲であるマタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ曲、およびクリスマスオラトリオを演奏してきた。その多くはCDとして市販されており、ごく最近はクリスマスオラトリオが発売された。ただ、残念ながらその録音は東京での演奏会のものであり、ボクはOPEの演奏会前日だったため参加していない(もちろん、岡山と大阪での公演には参加した)のが残念であるのだが。なお、マタイ受難曲の時はOPEも参加している。

 ボクがバッハにのめり込んだ原点が、1970年に来日したカール・リヒターのロ短調ミサ曲であることはこれまでにも何度か書いた。しかし、ボクがバッハを最初に聴いたのは、実はヴィンシャーマンであった。NHKのFM放送が始まったばかりの頃、そして、家庭用のテープレコーダーが発売されはじめた頃のことであった。もちろん、MDでもカセットでもなく、オープンリールのもので真空管が使用されており、マニュアルも英文のみでソニーの製品であった。そして、初めて聞いたバッハが、当時バッハのスペシャリストとして活躍していた(決して活躍を始めた、ではなかった)ヴィンシャーマンの指揮・オーボエによる「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲」であった。そのテープは再生する機器もないものの、今でも戸棚の奥にしまってある。ボクが高校生の頃(多分1963年頃)のことである。

 そのヴィンシャーマン先生の指揮でマタイをやると聞いたとき、とんでもないことだと思った。時はすでに平成、古楽器によるバッハが華やかに登場しており、リヒターも過去の人(今でもボクはリヒターのバッハに心酔しているが)、あのリリングでさえ古いと言われるようになっていた頃である。大変失礼ながら、ボクの中ではヴィンシャーマン先生はその頃すでに終わってしまった人となっていた。(そういえば最近リリングのことを聞かないがどうしているのだろう・・・・。)古めかしくて、重厚なだけで、およそ面白味のないマタイになるのだろうと思って、がっかりした。

 当然のことながら、ヴィンシャーマン先生は本番前日のリハーサルまで来岡されない。それまでの練習は、普段から指揮をされている佐々木正利先生(前にも書いたが、岩手大学教授で、わが国のバッハ演奏の第一人者)である。その佐々木先生のマタイは、ボクにとってはそれまでと同様に、誠に心地よく瑞々しいものであった。特に、歌詞の内容とドイツ語の抑揚のニュアンスを生かしたコラールの深い表現は絶品であった。でも、それは佐々木先生のバッハであって、ヴィンシャーマン先生は違うのではないかと、まだ思っていた。

 ところが、ところがである。ヴィンシャーマン先生のバッハはそれ以上に新鮮瑞々しいものであった。早めのテンポ設定、生き生きとしたリズム、言葉のアクセントを強調する表現、コラールの多彩さ、いずれをとってもすがすがしいものであった。決して古風なものなどではなく、新しいものであった。使っている楽器はモダンのものであるが、そこから流れ出る音色はかなり古楽器のニュアンスに近いものとボクには感じられた。もっとも、これは主として弦楽器について言えることで、管楽器に関しては楽器の構造の違いによる音色の差は歴然としたものがあるのだが、音楽の表現は決していわゆる「古典的・ロマン的」なものではなかった。佐々木先生のバッハと同じ流れがそこにあった。あの歳にして(失礼!)、ボクなどを圧倒するような、実に若々しく活気に満ちた力があった。その演奏から得たものは非常に大きいものであった。ヴィンシャーマン先生とともに演奏が出来たことを、ボクは大変光栄で、幸せなことであったと思っている。

 仙台や東京にも歌いに行ったので、ヴィンシャーマン先生と演奏したのは、10回を超えていると思うが、その都度驚かされることがいくつもあった。その例を2,3紹介しよう。

マタイの練習の合間の会話:
 
私が若い頃の演奏はこんなではなかった(残念ながら今はその美声は失われているが彼は少年合唱団員として数多くの演奏会でバッハを歌っていた)。もっと、遅いテンポで、べったりしたものであった。今は 多くの研究や古楽器による実践が行なわれている。私はこれらの研究の成果を取り入れて演奏している。楽器は改良されて良くなったモダンのものを使っているが、これは演奏会場が当時より広くなったことなどによるものであるし、良いものは使った方が良い。しかし、古楽器で研究されてきたような奏法の良い点は積極的に取り入れている。

マタイのイエスの十字架上の死の直後のコラールの練習中にオケと合唱のメンバーに向かって:
 
このコラールは一般に遅めのピアニッシモで、イエスの死を悲しんで静かに歌われる。でも、楽器編成は管楽器も加わり他のものと同じである。バッハはそんなに静かな演奏を考えたのではないのではないかと思うが、君たちはどう思うかね。

演奏会前日のリハーサルの前に:
 
ステージににこやかな顔で現われ、自らオケメンバーの譜面台にパート譜を並べ始める。

演奏会当日のゲネプロが始まった直後:
 
エキストラの日本人奏者のために、合唱団員が何事が始まったかと思う中、突然「Happy birthday」を演奏した。

練習会場に向かうボクの運転する車の中で単なる団員であるボクに向かって:
 
前回の演奏会はみんなどう思ったかな?。今度の曲(クリスマスオラトリオ)は大変長いものだが、大丈夫だろうか。日本人の聴衆は退屈しないだろうか?

 いかがだろうか。そこには、バッハ、いや音楽に対する真摯ないつ迄も続く研究心に満ちた一学徒と、優しさと思いやりにあふれた偉大なマエストロ、の姿がある。 


2002/02/15 23:31