いま、ほしいもの
TAKAちゃん
2002/03/24 21:04
いま、それなりのお金と場所があれば、買いたいものがある。
それは、車である。ボクはマツダのスポーツカーであるRX-7が欲しい。何を隠そう、実はボクはスピード狂で先日も高速道路を・・・・・・・、ということではない。スポーツカーだから欲しいのでもない。実際にはRX-7だから欲しいのでもない。コスモでも、一時あったファミリアでも良いのである。これらの車の共通点は何か。そう、ロータリーエンジンである。あの、世界で彼らだけが実用化に成功したエンジンが製造中止になると聞いて残念でたまらない、そして欲しくてたまらなくなった。別に、性能がどうのこうのと言うことではない。色々と意見はあるだろうが、特に優れものだったとは思わない。燃費は悪いし、おそらく耐久性もそれほど良くはないであろう。だから、製造中止になるのだと思う。では、何故欲しいか。技術者たちが苦労を重ねて、何度も挫折しながらも開発に成功した。その汗の結晶、というか熱意の成果、ボクの嫌いなカタカナ語で言うとテクノロジーに憧れるのである。この辺の事情は、某放送局のなんとかXという番組で紹介されているようだが、残念ながらボクはほとんど見ていない。
ボクはもの作りが大好きである。今はあまり時間がないが、楽器作り、日曜大工、模型作り、などに凝っていた。料理ももの作りの一環だと思っているし、夢としては家を建ててみたいと思っている。そのせいもあるだろうが、職人技や技術者魂に強い憧れと尊敬の念を抱いている。ロータリーエンジンがなくなるのが残念なのもそのためである。宮大工や寺院建築の棟梁たち、数多くの仏師、オートバイのホンダ、トランジスターラジオのソニーなど、わが国にも多くの優れた職人業やテクノロジーがあった。余談であるが、大量生産・大量消費の世の中となったIT時代となって、職人技が急速に消えていくのは誠にさびしいことである。鍛え上げられた職人の手作業の正確さ、素晴らしさは、いくらでもある。デジタル制御の旋盤の加工精度は職人の手仕上げにかなわないし、電動工具は昔ながらの鉋による仕上げにはかなわない。しかし、町工場の火が消えて近代的と称する機械工場に代わり、街から大工さんがなくなり工務店になってしまった。太い針1本で勝負するような畳屋さんは、すでに消え去って久しい。機械任せ、新規開発よりは技術導入に頼る、他社と同じようなものをただ少しだけ安く作る、などなど。日本の将来はどうなってしまうのだろう。モーターで動くプラモデルではない、あのゼンマイで動くブリキのオモチャを作る細工はすごいものだと思う。
せめて、ボクは古いと言われても良い物、高くても職人技のさえた手作りのもの、技術の結晶として出来たもの、最初に開発した会社のもの、を大事にしていきたいと思う。まねごとは嫌いである。ボクは、オーディオはソニー、オートバイはホンダ(実際は乗れないので買わないが)、鉛筆はトンボか三菱、テレビはシャープ(テレビ開発の秘話を忘れない)、GUIのOSはMac、しか原則として買わない。以前のパソコンは日本的なNECにこだわっていた。「原則として」が残念なところで、大抵は「安さ」に負ける。でも、こだわりたい。一度、これがいいと思うと、徹底してそれにこだわる(ことにしたい)。ビールはK社、胡椒はS社、七味唐辛子はY社、醤油はK社、マヨネーズはK社、家電はT社、電話はN社、宅急便はY社、セロテープはS社、タイヤはB社、ウイスキーはS社(かN社)、他にもいろいろある。もちろん、味の好みや生まれ育った土地柄にもよるが、単なるボクのこだわりであって、他家の人に押しつける気は毛頭ない。関係の方には申し訳ないが、ボクのこだわりとして許していただきたい。
しかし、残念ながら、カミさんはあまりこだわらない。その日の気分と値段で決めるようだ。ボクはカレーが好きであるが、その市販のルーが毎回のように変わる。それが不満だ。ボクは一度決めたらなくなるまでそれにこだわりたい。今はもうないと思うが、昔食べていたベル・インドカレーの味は忘れられない。
ところで、車だ。otonossamaがM車にこだわりやっとの思いで入手したように、ボクもRX-7を購入したい。宝くじに掛けてみようか。だがしかし、大問題がある。RX-7にはチェンバロが入らないのである。さあ、どうしようか・・・・・。
2002/03/24 21:04