虫の声
TAKAちゃん
2002/09/30 18:34
今年の夏は長く暑かったが、ようやく朝晩は涼しさを感じるようになってきた。秋の訪れをまず感じられるのは、朝晩の涼風とそして虫たちの鳴き声である。「蝉」のところでも書いたが、何をどの様に感じるのかはわからないが、虫たちは敏感に四季の気配を感じ取っているらしい。ボクの勤める大学は山の上にあるので、周囲には自然が残っている。家に帰る夜道で、秋の虫たちが鳴き始めると「秋近し・・・」と言った気分になって、いくらか疲れがとれるような気がする。
蝉は別にしても、夏になく虫ももちろんいる。『キリギリス』がその代表かもしてない。草むらの中で「ギィーッ・チョン」と暑げに鳴く。「チョン」はかなり小さいので、あまり良く聞こえないことも多い。実際に良く聴いてみると、本当はまず「チョン」があって、次に「ギィーッ」が来るようである。『キリギリス』が鳴くのは昼間である。夜になるとこんどは『ウマオイ』が「スゥィー・チョン」と鳴く。こちらは「チョン」が大分大きいが、やはり、本当は「チョン」が先のようである。ボクが昆虫採集に夢中だったことは前に書いたが、田舎に行くとこれらの鳴く虫も捕って、これは家で飼って鳴き声を楽しんでいた。『キリギリス』は『ウマオイ』に比べると、なかなか捕るのが難しいのである。他の虫が草の根元近くで止まって鳴くのに対して、『キリギリス』は何故か草の葉先に近いところで動き回りながら鳴く。だから、人の気配を敏感に感じ取る。そして、鳴き止むとすぐに移動する。だから、鳴いていたところをねらって探しても、たいてい失敗するのである。一度だけだったが、『クツワムシ』を捕ったことがあった。「カチャガチャ・・・・」と鳴くヤツである。めったに捕れなかったので嬉しかったが、そのうるささには閉口した。
涼風が吹きはじめると,これらの夏の虫に変わって秋の虫が鳴き始める。岡山に来る前にはたいていが『コオロギ』だった。中でも、『エンマ・コオロギ』は、とびきりの名歌手である。大都会でもちょっとした草むら(例えば、手入れの行き届かない我が家の猫額庭)があれば、その絶妙な歌唱を聴かせてくれる。しかし、声に似合わず名前の通り怖い顔をしてどう猛な性格である。家で飼うとすぐに共食いをして、数日で一匹だけになってしまう。そして、残るのはたいてい雌であった。(人様の世界に似ているのかも?)
秋の虫で、良く知られているのは、童謡にも歌われている『スズムシ』と『マツムシ』であろう。しかし、関東にいる間、『マツムシ』にはついぞお目に掛かったことがなかった。まして、秋の虫の王様といわれる『カンタン』も一度も聴く機会がなかった。東京では、確か「カンタンを聞く会」というのが催されていると思ったが、ボクは参加したことはない。ところが、岡山に来て、勤め帰りの道ばたから『マツムシ』の鳴き声がうるさいほど聞こえてくるのには感動した。まさに、鈴を転がすような音色で、昔は今の『マツムシ』が『スズムシ』と呼ばれていたことを納得させるものであった。きっと、関東であまり多くないので、次第に名前が入れ替わってしまったのであろう。蝉も虫も、地方によって違いがあるのだろう。やはり、私は「異国」に越してきたのだろうか?!
今年は、お盆過ぎに数日涼しい日があって、虫たちが一斉に鳴き始めた。これは、このまま秋になりそうだと喜んでいたが、残暑がぶり返してしまった。虫たちにも、異常な夏だったのであろう。ところで、この『マツムシ』の声が、年ごとに減っているように思えてならない。気のせいなら良いのだが・・・・。
参考:最近、『マツムシ』とよく似た名前の『アオマツムシ』というのが、都会を中心に増えているらしい。元々中国にいた帰化昆虫で、草むらに暮らす『マツムシ』に対して、樹上生活をするのが一つの特徴である。都心部の街路樹などで盛んに鳴いているそうである。やや大型で緑色をしている。都心で虫の声が聴かれるのは、自然が残っている証拠とも言えないことはないが、湖沼のブラックバスではないが、外来の『アオマツムシ』しか住めない環境とも言える。決して、喜ぶべきことではないと考えるが、如何だろうか。
2002/09/30 18:34