指揮者のつぶやき… 〜指揮者の寺子屋〜


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初めての海外旅行 -ヨーロッパの思い出-
その2:よそ者には売らないよ!

TAKAちゃん

2002/11/18 17:58

 さて、空港で‘神様’と合流したあとは、まず、かつての先輩の留学先で、今回も彼が本拠地としていたケルンに向かった。その途中でともかく腹ごしらえをしようということになった。ともかく19時間の遅れで到着しその間気の休まる暇もなかったが、‘神様’と出会ってほっとしたのか急におなかがすいてきた。とある街道筋のしゃれたレストランに入って、ボクはローストチキンを注文した。そこに出てきた皿を見てびっくり仰天した。なんとそこにはこんがり美味しそうに焼けた大きな鶏の半身がのっていたのである。せいぜいクリスマスに食べる鶏の骨付きもも肉程度を予想していたボクは、西洋人の食欲にびっくりさせられた(そう言えば、その後ケルンで食べた何とかいう名物料理であるポークカツも大きい上に2枚重ねだったっけ)。どこを見たか良く覚えていないが、たしか鉱山町を一箇所見学して、その日の午後ケルンに着いた。ケルンでは駅に付随するホテルを予約してくれていた。さすが、ヨーロッパへ来さえすればあとは何とかするといっていた‘神様’だけのことはあると思いながらチェックインした。そのあと、ケルン大聖堂など少し市内を見物したあと、‘神様’曰く「ボクはこのあと友人の家に泊まりに行くから、夕食は適当にしてくれ、向こうの角を曲がると中華料理屋があるからそこならメニューもわかるだろう。それから、一泊しか予約していないからもう一泊延長しておけよ。」そう言い遺すと、車で夕闇迫るケルンの街に消えていった。天国から地獄へとは正にこのことで、ついさっきまでの神様がこんどは閻魔様に見えた。仕方なく、片言の英語で何とか宿泊の延長をし、その日の夕食は焼飯で済ませた(中華料理といったって、中国語はしゃべれないし漢字ばかりのメニューで料理の中身はちっともわからなく、理解できたのはこれだけであった)。翌日は、‘神様’が留学していたケルン大学や、郊外の知人宅を案内してくれた。この知人氏はとても温かい人柄の方で、奥様手作りのクッキーと庭で採れたプラム、それとたっぷりの紅茶でもてなしてくれ、それほど流暢とは思えない英語で一生懸命に、英語の良くわからない、ましてドイツ語は全くわからないボクにも色々なことを話してくれた。ドイツ人の親切を体感した一日だった。

 その翌日から、いよいよヨーロッパ一周ドライブの始まりである。どこをどう通ったかは良く覚えていないが、フランスのカレーからフェリーでドーバー海峡を渡って、イギリスに入った。イギリスにはいると道に“Keep Left”の標識が沢山でている。右側通行のヨーロッパ本土?から左側通行のイギリスに入って、反対側を走る車が多いのだろうか。ちなみに、ボクも大分運転したが、左側通行だから楽ということも感じなかった。左ハンドルで右側のサイドミラーのない車での左側通行は、なかなかスリルがあった。まず泊まったのはカンタベリーだったと思う。ここの教会は由緒あるもので、その壮大さには目を奪われた。最も、この時の旅では多くの教会を見た。いずれも甲乙付けがたい立派なものだった(全て有名な教会だったので当たり前といえば当たり前だが)。

 この後は、ロンドンを通過して、ケンブリッジを通り、その時後輩が留学していたシェフィールドに向かった。ケンブリッジでは、聖歌隊で有名なキングスカレッジの礼拝堂を覗いた。誰かがオルガンの練習をしていたが、残念ながら聖歌隊の練習はなかった。しかし、とても響きの豊かな礼拝堂で,ここでの演奏はさぞかし素晴らしいものだろうと思った。なぜか、小川を挟んで美しい芝生があったのが印象に残っている。

 シェフィールドでは後輩の指導教員であるDr. Sharp に大学を案内してもらった。特に特別な装置もなく、あまり印象に残っていないが、彼が食堂で昼食をご馳走してくれたとき、「今日はカレーだから日本人には良いだろう」というようなことを言ったように思う。ここに2泊して、今度は後輩も一緒になり3人で北へ向かった。ヨークを経てエジンバラについた。ちょうど音楽祭の最中で、軍隊のショーを城内広場でやっていた。この時に聞いたバグパイプの音色は、素朴で哀愁があって、素晴らしいものだった。急に、バグパイプが欲しくなったボクは、市内の店を数軒見たが、置いてあるのはいかにも土産物といった類のもので、大したものはなかった。誰に聴いたか覚えていないが、誰かが郊外に工房を作っているとのこと。車のある強みでさっそく行ってみた。街道から小道を少し入ったところにその工房はあった。行ってみると、ある、ある、素晴らしいバグパイプが展示してある。また製作途中のものも何本もある。高そうだったので、半分は諦めながら値段を聞いてみた。すると、そこの親父さんは、不機嫌そうな顔をして確か次のようなことをいった。「1,200だけど、外人の若造なんかにゃ売ってやらないよ。欲しけりゃ土産物屋を探しな。それで充分だろぅ」。

 旅の始まりで、大金を使ってしまうのはためらわれたこともあり、ボクはすごすごと引き下がったのであった。

 

旅の教訓2:今はカード万能時代だからそんなことは少ないが、このころはTCか現金を持ち歩いていたので、どこでどう金を使うかが思案のしどころであった。バグパイプは旅の始まりで買えなかったのであって、帰る間際ならきっと買っていたと思う。いやな顔をされながらも。実は、このたびでは最後に逆の思いもした。イタリアで帰国の前日に町を歩いていたら古い楽譜を売っていた。羊皮紙に書かれたもので、このたびのはじめから探していたものであった。店主も売りたがっていたのだが、手持ちのリラがなかった。TCもカードもだめだとのことで、結局紙に書いた楽譜を1枚買った。これは我が家の洋間に掛かっている。今思いだしても残念であった。来年またイタリアに行く用事があるので、もう一度探してみようと思っている。


2002/11/18 17:58