指揮者のつぶやき… 〜指揮者の寺子屋〜


[バックナンバー]


初めての海外旅行 -ヨーロッパの思い出-
その3:それは、あまりにも荘厳であった

TAKAちゃん

2003/01/09 12:29

 さて、バグパイプを買い損なったボクは、次なる訪問地アバディーンへ向かった。ここでは、以前岡山に来られた折りに我が家にご招待して、手作りのクラヴィコードをお見せしたことのある、ケイ酸カルシウム系化合物の権威であるProf. Taylarを訪ねることにしていた。しかし、直前に所用で不在であるとの連絡を受けた。それでも、研究室くらいは見せてもらえそうだったので寄ってみることにした。すると、母校の後輩であるK博士が研究に来られていた。研究室を案内してもらい、夕食をともにした。なんと彼はバグパイプを習っているそうで、ある程度上達しないと良い楽器は売ってもらえないと聞かされた。実は、この後輩とは学生時代ほとんど面識がなかったのだが、その後、イタリアの国際会議でも一緒になり、大変親しくなった。今でも、研究分野が近いこともあって、親しくお付き合いいただいている。この年の国際会議では、他にもかなりの日本人が参加していた。外国で会った日本人同士は、すぐに打ち解けるようで、いまだにつき合いが続いている。よそにも、○○会議仲間と言うグループが出来ているようで、この面でも国際会議に参加することは意義があるように思う。

 アバディーンを離れて、有名なネス湖を見たが、好天に恵まれ穏やかな湖面からは、とても怪獣がいるとは思えなかった。その晩は近くのB&Bに泊まったが、ここの親父さん(林業を生業としている素朴な好人物)、のスコットランド訛りの強い英語は、全く分からなかった。次の日は一気に南下して、シェイクスピアの活躍したストラッドフォード(でしたよね、たしか)まで走った。シェイクスピアゆかりの劇場あとや公園を散策したが、あまり記憶に残っていない。この夜は郊外の街道沿いのホテルに泊まり、久しぶりに家に電話した。ホテルからはダイヤル直通であった。電話にでたのは、当時8才の娘で、突然の父親の声にびっくりしたのか「はい坂本です、はい坂本です」を繰り返して、みんなに笑われていた。翌日は、また一気に走り、イギリス最初の夜に泊まったカンタベリーのB&Bに行った。この間、ロンドンで後輩を降ろして、元の2人旅となっていた。ここのB&Bの女将さんは、まるで息子が帰ってきたかのように歓迎してくれて、先客がありシングルの部屋しか空いていなかったにもかかわらず、補助ベッドまで運び込んで泊めてくれた。

 次の日、イギリスを離れて再びドーバー海峡をフェリーで渡り、フランスに入った。このあと、どこを走ったのかほとんど覚えがない。ルアーブルと言う港町に寄ったことと、自動車レースで有名なルマンを通ったことは記憶している。いずれにしても、パリには寄らなかった。途中で1泊したようにも思うのだが、記憶が定かではない。次に寄ったのは、ソーレムである。私はそれほどでもなかったのだが、何故か先輩が行きたがっていた。ソーレムには古い音楽の好きな方はご存じであろうが、グレゴリオ聖歌を復活させたことで有名なソーレム修道院がある、と言うよりも修道院しかない小さな街である。この文を書くにあたって、手元にある世界地図で場所を確認しようとしたのであるが、見つからなかったくらいである。

 グレゴリオ聖歌の多くは4線の楽譜であるネウマ譜で記載されている。そこには四角で表わされる音譜と菱形で表わされる音譜の2種類があるが、それらを同じ音価(長さ)で歌うのが‘ソーレム式’である。これには異論も多いのであるが、その純粋で流麗な美しさには、聞く人を魅了するものがあり、今でも主流な歌唱法となっている。そのソーレム修道院の夜の礼拝の歌を聴こうというのである。ボクは、ヘンに宗教家的なところがあり、クリスチャンでもないのに、そのような礼拝に行くのはためらわれたのであるが、とにかく‘神様’(わからない方は、思い出「その1」をご覧下さい)のご希望なのであるから逆らえなかった。修道院の真正面のホテルに泊まり、珍しくホテルのレストランで夕食を済ませ(他にレストランなどなさそうな街であった)、夜の9時前に聖堂に向かった。

 礼拝が始まる前は聖堂に灯りがともり、どこかのミッション系の女子大生とおぼしき日本人の団体と、何人かの外国人、いや地元の人々らとともにイスに座った。ミサの時刻になると灯りがすべて消された。少し待つとその真っ暗な石造りの聖堂の中に、どこからともなく10人ほどの足音がコッ、コッ、コッ、コッ、と響き、足音が止むと澄み切った天使のような先唱が響き、応唱が続いた。まるでこの世のものとも思われない、これまでに経験したことのない幽玄な世界であった。しばらく暗闇が続いたあと、数本の蝋燭がともされ、礼拝が続いた。ボクは、その荘厳さに圧倒され、いたたまれなくなって外にでた。聖堂の外にでて見上げると、そこは降るような星空だった。

 ボクは先にホテルに帰って、休んでいた。しばらくして帰ってきて、素晴らしかったと感動していた‘神様’の手には、なんとカセットレコーダーが握られていた。ボクは、言葉もなく‘神様’の顔を見つめたのであった。

旅の教訓3:お土産をいつ買うか、思案のしどころ。エディンバラからアバディーンへ向かい途中で、スコッチウイスキーの醸造所を見学した。今では日本でも売っているグレンフィヒック・ピュア・モルトの醸造所である。スコットランドにはスコッチウイスキーの本場(当たり前か)であるので、いくつもの醸造所がある。見学したあと、車で行動していたこともあって、陶器の瓶入りを1本、ウイスキー好きの親父への土産につい買ってしまった。父には喜ばれたのであるが、これは後々大荷物となって最後まで運ぶのに苦労した。重い物、水物は、旅の最後に買うべきであると、肝に銘じた。もっとも、その後の旅行で、後から買おうと思ってとうとう買えなかったこともしばしばある。お土産をいつ買うか、これはなかなか難しいことである。なお、このウイスキーは旅の最後に寄ったシンガポールの空港の免税店で沢山売っていた。ボクは、大学で世話になっている先生へのお土産として、ここでも1本買った。ただ、陶器入りの物はシンガポールでも、その後の日本の酒屋さんでもこれまでにところ見かけていない。この瓶、いまだに思い出として我が家の洋間に飾ってある。もちろん、中身は帰国してすぐに、今はもう他界した親父の胃袋におさまってしまったが。


2003/01/09 12:29