まこて、げんねこっ・・・
oni
2004/02/14 14:57
飛行機が霧島連山を臨む鹿児島空港に着き,出口専用の自動ドアを抜けると聞こえてくる独特のイントネーションと音便を駆使したフレーズ。気持ちと体がいっぺんにほぐれてくるのが分かる。自分が鹿児島で生まれ18年ほどを過ごした人間だったんだと感じる時である。実に懐かしく心が安らぐ反面,他の地域の人たちに聞かれると恥ずかしいような気分にもなるのである。
「東京の地下鉄の中で大声で岡山弁で会話してる奴がおって,それを聞いとったら余程殴ってやろうか思うたんじゃ。」と苦笑いしながら友人が話してくれたことがあったが,これも同じように自分の使っている方言を恥ずかしく感じる表現なのかなと思ったりもした。
しかし,戦後生まれで我々くらいまでの年代の鹿児島県人は,ちょっと恥ずかしいを通り越して自分たちの言葉にひどいコンプレックスを持っているのではないかと思う。少なくともかつての私においてはその傾向が強かった。だから,鹿児島を出て生活するようになってからは,方言を出さないようにしていた。正確に言うと,気がつくと方言が出ていなかった,というのが正直なところだ。無意識にそういうことをやっていたというのは,コンプレックスもここに極まれりという感じだが,先ほど書いた年代の鹿児島県人で県外に出た人間のほとんどがおそらく私と同じようになっていただろう。
これほどまでにコンプレックスを感じるのには理由がある。実は私たち鹿児島の人間は子供時代に学校で国語の時間以外に標準語教育を受けたのである。私の通っていた小学校では「ことばのおけいこ」というテキストがあり,週に何回か全校放送でそれを使った指導が行われるのである。(ひょっとするとあのテキストは鹿児島市内共通,いや県下全域で使われていたかも知れない。)言葉の違いも矯正され,アクセントやイントネーションまで教えられた。結果我々は普段は鹿児島弁を使いながら,いざというときは標準語もしゃべることのできるいわゆる国内バイリンガルとなったのである。もっともイントネーションやアクセントは書いてあるものを読むときは直されたが,会話の中ではなかなか直らないしそこまで先生達も直そうとは思ってなかったようで,これを我々は「からいも(サツマイモのこと)標準語」と自嘲気味に言ったものである。
こうした取り組みの背景には,高度経済成長期に鹿児島のような職場の少ない地方から多くの中高卒業生が金の卵といわれて大都市に向かった「集団就職」が存在する。それらの多くが就職後突き当たる問題が,言葉の壁だったといわれる。何せ江戸時代に幕府の隠密対策として人工的に難解に作られた言葉だという説があった(今ではこの説は否定されているが)ほどで,自分の言葉が理解されない,わかりやすく言おうとしてもなかなかうまくいかない,それでノイローゼになったり,会話や電話の応対を恐れる者が多くいたというのである。大都市に出ていっても苦労しないようにという親心から始まったのが我が母校で行われていた「ことばのおけいこ」に代表される標準語教育だったのだろう。
しかし今から思うと,それはすべからく鹿児島弁を否定する教育でもあったように思う。先生達の言われるニュアンスは,「標準語ではこう言うのですよ。」というよりは「こう言い直しなさい。」というように聞こえていた。鹿児島弁がまるで未開の言葉で標準語の下に置かれるもの,これを使うことは恥であるかのように教わったという印象が強い。だから東京のど真ん中で鹿児島弁で会話するとしたらそれはとんでもないことのように思ってしまったり,他の地域の人たちに自分のくにの言葉を聞かれることにコンプレックスを感じてしまうのはその時の教えが染みついているのだと思うのだ。
まあ,方言の問題などどうでもいいといえばどうでもいい問題である。今風に言えば「トリビア」的なことで,「ことばのおけいこ」のくだりはおそらく「へー」ボタンを押したくなった人もいることだろう。でも,どうでもいいと単純に言いきれないのが鹿児島県人にとっての鹿児島弁なのである。しかし,呪縛から解き放たれる(そんな大げさなモノではないが)機会は少しずつ訪れたのであります。
私は大学時代を関西で過ごした。そこで驚いたのは,教育実習で子どもたちに教科書の音読をさせるとイントネーション,アクセントは関西のもののまま行うことだった。最初は「こいつら,ずるい!我々はかなり苦労したのに」と思ったが,指導教官までもがそうしているのを聞くにいたって,「ここの人々は標準語に合わす必要などないという確たる信念をもっており,逆に自分たちの言葉を大事にしているのだ。」と思うようになった。すると彼らがとてもうらやましくなり,自分たちの文化(といっていのかどうか)を大切にしている(いや頑固で保守的なだけかもしれないが)姿勢も大事なんだなと感じるようになっていた。
また,いつの頃からだろうか,「地方の時代」と言われてそれぞれの地方が持っている良さを発掘し,見直そうというムードが高まってきた。「地方」や「田舎」に価値を見いだす機運が「都会」に変調していた価値観の反動によって生じたのかもしれない。言葉についても例外でなく,町おこし,村おこし運動とも相俟って,自分たちの方言を胸を張って紹介するというような自治体まで出てきた。ことばは自分たちのアイデンティテイーを象徴するものだという認識が一般化し,職業柄同和教育や人権教育の研修の場面でその考えに触れ,肩の力が次第に抜けていくような気がした。何せ無意識とはいえ,方言が出ないようにとどこかで力が入っていたのだから。
そして先日,神事で帰った際,戦時中に神戸から鹿児島に移り住んだという義姉の母親と話す機会を持った。話は程なく言葉の問題になり,ご多分に漏れず彼女も苦労されたということだった。しかし聞いているうちに,当時の鹿児島で使われていた言葉には独特の挨拶があり,それがとても情緒があり,その挨拶を必死で覚え使うことで地元の人たちに受け入れてもらったし,自分もどんどんはいっていくことができたという実感があるということだった。苦労はしたけれどそうした言葉の文化を習得できてうれしく思っているということを言っていた。それを聞いて,使う言葉のために差別的な扱いを受けられたことにはしんどい面を感じずにはいられなかったが,一方でもうちょっと胸張っていいんじゃないか,立派な方言の文化じゃないか,とかなり強く思うようになった。逆に私たちが育った頃より一昔前のその情緒のある独特な挨拶文化を学びたいという気持ちさえ出てきた。
最後になるが,今どきは自分たちの方言に胸を張ってという風潮があると述べたが逆にこんな事がある。時々鹿児島に帰る度に思うのは,ふるさとの姿がどんどん変わっていく,というか日本の他の街並みと比べて大して変わらなくなってしまっているということに加え,若い人たちの話す言葉が鹿児島弁を堂々と話しているどころか地元の人間同士にもかかわらず標準語に近くなっているなあということである。まさかとは思うが方言を否定する「ことばのおけいこ」をこの人権教育が普及しつつある中で鹿児島の学校がいまだに行っているとは思えない。まあおそらくマスメディアの影響で中央の情報がどっと入っているからだろうとは思うが,コンビニの中でそんな若者達の会話を聞くに至っては,一体どこの街にいるのか分からなくなるのである。かつての自分ならいい傾向と思っていただろうが,最近ではちょっと辛くなるおじさんである。これってわがままかな?
そうそう。タイトルの「まこて,げんねこっ・・・。」は鹿児島弁で「本当に恥ずかしい・・・。」の意味です。
でも恥ずかしがることはないのだ。よーし堂々と使うぞ,かごっま弁!
「あーげんねごっあったどん,ないもかいもいううたぎな,よかきもっにないもした・・・ははは(^^;)じゃっどんから,やっぱいげんねごっあっど。」
さあ,何といったかはご推察下さい。でもこうやって文字に起こすと,なんかすごい言葉に思えますな,自分が使っていた言葉だけど・・・。
2004/02/14 14:57