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ウサギはもうたくさん
oni

2004/07/25 16:35

 ウサギをそんなに食べたの?なんて気を回さないでくださいっ!文章はよく読んでから。

 職場で飼育栽培委員会なるものを担当している。もう4年目でマンネリ気味であるが,時々事件があって飽きないといえば飽きないものである。
 先日も,委員会の子供が「先生,黒いウサギの首が傾いたままで変」と知らせてくれた。「え?そう。ありがとう,見ておくよ」と答えたものの「あーあ,こんどはなんだろ,また病院に連れて行くことにならなきゃいいが・・・」と2年前のことを思い出し,気が重くなるのを自ら叱咤しつつ動物たちのいる小屋に向かった。
 正直,学校において生き物はある意味アイドル,ある意味,頭を悩まされる困りモンである。どこの学校の飼育担当の職員もおそらく同じように感じていることだろう。飼えば子供は喜んでくれるが,その世話となると大変である。飼育委員会の子供たちもよくやってくれるが,休みが長く続くときなど,校区の広いうちの学校などは子供に世話をしに来てなど,おいそれとは言えない。餌代も結構かかるので,家庭で出る野菜をお願いするが,定期的に当てにできるものでもない。そんなこんなで,学校の生き物は決して動物嫌いというほどではないにしても,生来ものぐさで世話好きでもないわたしにとって,ちょっと恨めしい存在である。

 さてウサギ小屋に着いて例のウサギを見るとウサギの首は確かに傾いたままで何か動きも少なく元気がない。動いたと思うと何か不自由そうである。
 しばらく様子を見たが,次第に首の傾きも大きくなり,ごろごろと転げ回ったりもする。インターネットで調べてみると,すぐに症状がぴったりの病気が見つかった。神経をやられる病気で,原因は遺伝的なものもあれば,寄生虫の持つ病原菌によるものもあるのだそうだ。子供たちが毎日のように「どうなるの」と訊いてくるので,教頭と相談し病院に連れて行くことになった。備前市内にも動物病院はあるのだが,連れて行くのはお隣のしかも兵庫県の赤穂市の病院である。
 先ほど2年前ということを述べたが,そのときもその病院だった。そのときは別のウサギが顔の下に腫瘍ができそれを切除してもらったが,予後,土日の世話のために我が家へ連れ帰って世話をしている最中に死んでしまった。そのときはよくなりかけていただけに世話の仕方が悪かったか,と大変悔やみ少し落ち込んでしまったものだった。そのときの手術の際に病院の先生ご夫妻がとても親切にいろんなことを教えてくださったし,治療費が安かったこともあって,今回もわざわざ赤穂まで連れて行ったのだった。
 閉院時間の7時半に間に合うように暗くなったばかりの山陽道を使って飛ばしている最中,車では段ボールのはこの中でウサギがバタバタとコントロールを失って回っている音が絶えずしていた。「待て待て,もうすぐしたらよくなる。」実際は見込みはどれだけあるのかわからないくせに,むしろ自分を安心させるために音がするたびつぶやいていた。
 病院に滑り込み,診察台の上に段ボール箱からウサギを取り出す。抵抗しようとするが,例によってローリングしてしまう。それを押さえて何とか診察台に乗せた。「ああ,2年前にアイツが手術してもらった台だな」何ともいえない思いが交錯する。ウサギを見て先生は,これは脳をやられていますね,と即座におっしゃった。「注射を打っておきます。これが効かなかったら,難しいですね。」と言いながら,2本のステロイドホルモンと,栄養剤を打ってくださった。そして,自分で食べられず弱ってしまうので口にこちらが運んでやってください,とアドバイスくださった。
 翌朝,子供たちに病院でのことを伝えた。そして私からは,「みんなでよくなることを祈ろう,それしかないよ」と言ったが,それしかないことはないということを5年生の委員の一人であるAちゃんはその日から実践して見せてくれた。彼女は食べやすいクローバーを持ってきては,きれいとは言い難い小屋にべたんと座り込んで,ウサギの口まで運んでやり食べさせていたのだ。それを何日か続けた。衛生上よくないにきまっているが,そのことで注意するほど私も無粋じゃなかった。Aちゃんの気持ちがとてもうれしくてたまらなかった。
 Aちゃんは,普段は忘れ物が多かったり少し大人ぶってふてぶてしい態度をとったりすることがあり,家庭の環境もちょっと複雑である。今のところ,目立った問題行動はないが,こちらが気にかけて見てやらねばならない児童の一人である。
 彼女は土曜日にも来てもいいか,と尋ねてくれた。土日に連れて帰らなきゃならんかな,と前回のことを思い出し,少し重たい気持ちになっていた矢先だったので正直「助かった」という気分で「ありがとう,そうしてくれるかな?ウサギも喜ぶよ。」と浅薄にも自分のことをウサギにすりかえてすかさず返事をした。
 肝心のウサギは,少しずつ落ち着いてきており,倒れるばかりしていたのが,体も起こせるようになっていて,「みんなの祈りが通じたな」と子供たちとも喜び合って,希望を持ちつつ金曜日は学校を後にしたのだった。
 そして月曜日の朝,南向きの斜面に建てられた学校の坂を上りながら,「アイツ大丈夫?・・・だよな」そんなことを思いつつ車を止めた私のところへ,数人の委員会の子供たちが駆け寄ってきた。いやな予感,私の顔は引きつっていただろう。
「だめ・・・やったん?」
 うなずく子供たち,いつの間にか走り出して小屋の金網にへばりついていた。
 倒れたウサギの顔には同じ小屋で飼っているインコの餌の殻がまぶりついていた。冷たく固くなっているウサギ・・・生き物がいつか訪れるときに出会って私たちは何ともいえない感慨を持つ。宗教的にはいろいろな表現の仕方があるのだろう。顔についたインコの餌の殻を払いながら,私は何で?という割り切れない思いに苛まれていたが,校内に設けられた小動物の墓の一角に埋葬しようとシャベルで地面を掘る頃には心も落ち着き今度は感謝の気持ちが沸いてきた。
 その前の週には長崎でむごたらしい事件があったばかりで,学校には,例によって型どおりの通達がお上から下りてきていた。そんなおりに死ぬかもしれないウサギを世話するAちゃんの姿を見て「子供は信じられる」という気持ちを強く持ったのだ。そんな大切なきっかけを作ってくれたんだと思うと,このウサギの死も無駄じゃなかったのだ。
 思わず「ありがとう」とつぶやきながら,そっとその穴の底に黒いビロードのような毛をたたえた小さな体を置いたのだった。

 それにしてもこれで2回目のお別れ,1回目と同様少し落ち込み加減。もうたくさんだと思いつつ,残った生き物たちを見ていると,そうも言ってられなくなる。さあ,がんばって世話するとするか・・・。

 ね,食べてないでしょ。


2004/07/25 16:35