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やっぱり合唱っていいよ
oni

2004/11/12 23:35

 やっぱり合唱っていい!
 何を今更と思われるかもしれない。 
 10月半ばの休日,某テレビ局が恒例の自局主催の学校音楽コンクールの全国大会を放送していた。以前にも何かに書いたが,私は金木犀の薫るこの時期に行われる合唱コンクールには,思い入れがある。自分が合唱にのめり込んでいったのはこのコンクールあればこそだし,自分の青春時代を語るのに絶対に欠かせないモノなのである。(このあたりのことは,別稿に執筆中。ただし,例によっていつ世に出るかわからないのであまり期待されぬよう)
 で,このテレビ中継されるコンクールだが,小学生,中学生,高校生たちが,精一杯に日頃の練習の成果を発揮しようとがんばっている姿,そしてそこから生まれるハーモニーには,毎年のように胸を熱くさせられる。また,テレビ局もいろいろと盛り上げる工夫をしてくれて,司会に有名タレントを起用したり,課題曲の作詞・作曲を有名な方(ちなみに今年は小学校の部の作詞作曲はあのドリカムの吉田美和。何でも彼女自身が小学校時代にコンクールに参加したそうな。そして中学校の部の作詞は谷川俊太郎,作曲が松下耕。高校の部の作詞はなんとノーベル賞作家の大江健三郎ときた)に依頼したり,普通なら見られない舞台袖での子供たちの様子を映し出したりして,部活動としては一部の地域を除いては全国的にはマイナーな部類に入る合唱がこのときばかりはやたらとメジャーなものに思えてしまうものだ。吉田美和や谷川俊太郎でもすごいと思うのに,大江健三郎となると,この国営もどきの放送局がその威光を傘にこれでもかとばかりやってるようでちょっと嫌味な気もするが,見ている子供たちが合唱っていいな,と少しでも思ってもらえる可能性があることなら放送することは大賛成で,受信料払っても惜しくないと思ったりもする。審査員に,国のお役人を並べなければもっといいのだが・・・。
 さて,いつもえもいわれぬ感動を覚えるこのコンクール,今年は,中学校の課題曲に泣かされた。
 「信じる」というタイトルの曲だが,谷川氏の例の強いメッセージを秘めたシンプルな言葉たちが,松下氏の親しみやすくかつ透明度の高いメロディーと相まって子供たちの声として発せられたときに,それがすーっと心にしみいってくるような気がしたのである。

「信じることに理由はいらない。」
 このフレーズを聞きながら,私はある人のことを思い浮かべていた。それは,現在毎日のように殺し合いが続くあのイラクに,危険を顧みず子供たちを救いに行き,そして凶弾に倒れたジャーナリストの橋田氏である。彼に限らずたくさんの方がボランティアとしてイラクの人々のためにとかの地で活躍している。あのような危険な地に彼らを駆り立てるものはいったい何なんだろう。そのことは今の日本人の大半が,答えることができない理解不能の行動なのではないだろうか。実は私もそうである。
 しかし,その答えはそんなに難しいことではないようだ。それは,単純に,しかし,強烈に,彼らは人を信じていたし,信じているからだ,と思う。ただし簡単なのは答えることであって,その実行はかなり難しい。
 考えるに我々日本人は,「信じる」ということが死語に近いような社会に生きているのではないか。それにどっぷり浸かっているから,彼らの行動が理解できない。だから,日本社会のリーダーたるべき人までが,言下に「自己責任」という信じられないような言葉を発し,テロリストに捕まった人を見放しこそすれ,その勇気と「信じる」ことを実行したことをたたえることすらできないのだ。今の我々にはとても難しく感じるが,「信じる」ことは,かつて人々の間ではもっと簡単に,日常茶飯事的にできていたはずである。そんなすてきな世界だったはずだ。そう,思いたい。

「わたしは,信じる」
 曲の最後は,決して強くアピールすることなく,実に静かに抑えた感じで終わる。しかし,強く心に何かが残るのである。ここが何よりも好きだ。谷川氏の作品に常に感じられる淡々とした表現の中の力強さ。私は,余韻の中で橋田氏の奥様がイラクで彼が助けようとした現地の男の子を笑顔で見つめている姿を思い浮かべては目頭が熱くなるのである。彼女は,夫を信じ,彼が行ったことを信じているのだろう。そして,彼の少年もこの先の人生で人を信じるということを続けていくことだろう。
 松下氏の谷川作品を真摯に読みとろうという姿勢により生み出されたこの作品は過去に作られた課題曲の中で最も私の心に残る曲の一つになるに違いない。

 一つの曲でこんなにいろんなことを考えさせられる。心を揺り動かされる。合唱っていい,音楽ってすごい。


2004/11/12 23:35