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新撰組そして幕末 雑感
oni

2004/12/19 15:25

 また,某局の番組に関するネタからスタートである。

 今年の大河ドラマのあの番組,結構楽しませてもらった。そういえば,この大河ドラマ,私は小学生のころから楽しませてもらっているような・・・。毎年好みに合うものばかりではないのだが,何年かに一つは毎週でも見たいというものが出てくる。

 ただ,今年の番組について言えるのは,今までとかなりタッチが違うということで,これは大河ドラマファンの誰もが感じていたことだろう。それもそのはずで,脚本は知る人ぞ知る三谷幸喜氏である。彼の作品を全て見ていたわけではないが,まあとにかくテンポのいい笑いが基本であると感じている。
 さすがにシリアスな場面では控えているが,ここぞという場面では,次々出て来て,激しい場合は1分間に3回ほど笑えたりもした。三谷氏の作品に今年映画化されて話題になった「笑いの大学」というのがあるが,その中で戦時中の特別高等警察の厳しい検閲(笑いを時下にふさわしくない退廃的なものと否定)を受けながらも,どうしても笑わせるような脚本にしてしまう脚本家の性(さが)を描いていたこととは無関係でないように思われる。「笑いの大学」の脚本家はとりもなおさず,彼自身を描いていると思うのだ。
 また,近藤勇と坂本龍馬が友人同士,などという歴史上はあり得ないことがどんどん出てくる荒唐無稽さも特徴的なことである。
 そういう部分が好きになれない人は,もう1月中くらいに見るのを止めていたことだろうし,それも無理からぬことかな,と納得もしてしまう。歴史上の人物を真面目に描いてきた正統派老舗番組である。旧来のファンはさぞかし,ついていけなかったところだろう。
 そこへ来ると,私などは今までのは今までの,今年のは今年の,そういうもんだと割り切っていたし,生来がこういうチャランポランな性格なので,多少の違和感はあるもののノープロブレムと言っていい。なんといっても,脚本家を知っていたというのが大きい。この人ならまあこれくらいはするだろうという予備知識というか免疫というか,それによって,衝撃は緩和されたわけだ。

 ただこの脚本のポイントは単にそういった笑いとか奇抜な設定ではなく,登場人物一人一人の描き方の巧みさにあったように感じている。番組名からして「新撰組」という団体名であるからそこのところが重要になるのは当然だが,一人一人の個性がとてもはっきりと描かれていて,それがうまくかみ合うように作られており,そこがドラマの魅力として光っていた。
 また,侍に憧れた武士以外の階級であった彼らが,武士たち以上に武士らしくなっていく過程を当時の揺れ動く京都の政治情勢をバックに見事に描き出していたり,新撰組という組織を確固たるものにするために,厳しく粛清をしていく様子を幾分(いやかなり?)美化しているもののうまく描いていたりしていて,誰もが楽しめかつ懐の深い作品に仕上がっていたと思う。

 さて,この新撰組および,それが活躍する幕末の時代にはちょっとした感慨がある。私の故郷鹿児島では西郷さん(「せごどん」と当地では呼ぶ)が今でも絶大な人気者であり(観光的な戦略上,意図的にそうしている面もあるようだが),彼を中心とした勢力が幕府を倒し,明治維新という歴史上に残る大変革をもたらしたことは,大変高く評価され,学校でもその功績をいやというほど聞かされた。考えてみれば,日本本土の最南端に位置し,農業と観光以外に主たる産業がなく,県民の平均所得も全国下位の常連であるこの県の子供たちに希望を持たそうとすれば,過去を振り返ることしかなかったのかもしれない。

 さらに考えると関ヶ原の合戦で気が進まないうちに西軍に与したばっかりに外様大名になった薩摩の島津氏は,その武力の強大さから,江戸幕府からはかなりしんどい目に遭わされ続け,300年近くを堪え忍ぶのである。その国力をそぐために幕府からは無理難題を数々押しつけられた。その中でも杉本苑子の小説「孤舟の岸」に描かれている濃尾平野の三大河川合流地点の大工事などはその最たるものとして伝えられ,当時工事に赴き犠牲になった藩士たちは鹿児島では幕府からの屈辱に耐え工事を完遂し藩の面目を保った「薩摩義士」として今でも顕彰され立派な記念碑が存在する。われわれが小学生の時分には道徳の教材として扱われていた。(忍耐とか,勇気とかが主題だったと思う)

 そのように江戸幕府に対する恨み辛みの反面,鎌倉以来続いてきた島津家を奉じる土地柄だっただけに,戦国の世にどこから現れてきたかわからない徳川氏(一応源氏の流れだと自称していたが)などという新興勢力をどこか蔑んでいたし,我々にもそんな雰囲気は伝わっていた。
 また,鹿児島では少なくとも私たちの高校生時代までは,関ヶ原でダイブ攻撃よろしく敵陣中央突破をして帰還した薩摩武士の勇敢さを顕彰するとともに,それ以後臥薪嘗胆の思いをさせられた幕府に対する恨みの思いを延々30何番までの歌詞にした歌を歌いながら,(ただし,たいていコンクール前にあるので部の顧問の先生からは口パクしとけと合唱部員には指示が出ていたのを思い出す)当時の島津氏の居城のあった伊集院まで行進する「妙円寺参り」なる郷土行事が存在した。今もおそらくやっていることだろう。関ヶ原から400年以上たった今もそんな思いを伝えようとしているのである。時代錯誤も甚だしいことだが,このようなことを伝えていくことはある意味大切なことかもしれない。自分たちの地域の文化はどのような物事や精神を背景に成り立っているのかを知るいい機会になると思うのだ。

 結局,われわれの郷土の先輩は数々の苦難に耐えた後,あの明治維新を起こしたんだ,このことを誇りに思いましょう,といった教育を学校でも地域でも我々は受けたことになる。
 こうしたことに加え,薩摩藩士であったご先祖さんは,うそかほんとかどうも若い頃の西郷,大久保の前で当時珍しかった世界地図を広げ,世界情勢について説いたのだということを聞かされると,もう他人事ではなくなってくるわけだ。(このご先祖さんの名前をうちの御曹司が生まれた際に頂戴して命名しようとしたが,当時から頭角を現していた天才バッターと同じ名前だったので,ちょっとミーハーかなと思い,同じミーハーでも関西以外ではみんな知らんだろうという例の同姓のQB氏の名前をいただいたのだが,彼が全国番組に出るアナウンサーになるとは,世の中わからんもんです。)

 ついでながら,最後の方で薩摩の将校として出てきた有馬藤太だが,これまた司馬氏の短いエッセイで彼について書いたものがあり,それを通して彼の存在を知っていた。確かにその中でも,彼は近藤を一軍の将として彼を遇し,斬首でなく,武士としての名誉を保つ切腹を最後まで主張したと書いてある。また,その中で,彼が後年名乗っていた名前(純雄)がわかり,その名からするとひょっとするとうちの流れかもしれない(現在調査中)のだが,このような人物が,幕府憎し,新撰組憎しだけで突き進んでいた官軍の連中の中にいたというのは,同姓と言うことも手伝って何かほっとするのである。

 まあ,わたしのようなことがなくても,純粋な鹿児島の少年は,その地理的特性から情報が限られているため,皆が一様にあの金満球団(この球団以外の野球中継はまず見られなかった)のファンになってしまうのと同様に,皆がせごどんを中心とした幕末の志士たちに憧れてしまうのである。

 したがって,その志士たちをハイエナのようにつけねらい殺害しようとする新撰組はにっくき敵以外の何者でもない。なんといっても,思想も何もない,ただ人を斬るだけの野蛮な集団じゃないか,こちらは日本を救うためにやってるんだ,志が違う,控えろー!なんてことを小生意気に思って,新撰組のことを描いた映画をテレビでやってるのを見たら,憎々しく思ったもんである。

 そんな新撰組に対するイメージががらっと変わったのが,司馬遼太郎の「新撰組血風録」との出会いである。何のことはない,大学の折りに,帰省の列車の中で読めるような軽いヤツということで書店の文庫本コーナーで「新撰組は気に入らないけど,幕末の情勢なども書いてあるんだろう。それに分厚いから帰るまでの暇をもてあますことはなかろう。」なんて感じで選んだ。それまで司馬作品を読んだことがなかったのだ が,読み始めるとその独特なテンポの良さと,時代考証の緻密さに裏打ちされてまるでその場に居合わせているように登場してくる近藤,土方,沖田ら登場人物に圧倒され,あっという間に500ページ近くを読んでしまった。それ以来,新撰組ファンであり,司馬遼太郎ファンで,司馬氏についてはほとんどの著書を読んでしまった。読み終わった私はもう自分があの浅黄色の羽織をつけ,剣を青眼に構え「ご用改めである,神妙にいたせ!」と京の某小路で,不逞浪士を威嚇している沖田総司にすっかりなりきっていた。今思えば,お隣の国の眼鏡をかけた俳優に寄り添うきれいな女優になったつもりのおばちゃんたちとあまり変わりませんなあ。

 司馬氏の作品で魅せられた新撰組をこれまた好きな三谷氏の脚本で大河ドラマという舞台で見られる・・・ちょっとブルーになりがちな日曜日の夜が楽しみだったし,幸せな1年であった。ただちょっと難癖を付けるなら,土方,沖田,のキャスティングははまっていたものの男前すぎたことか。それから斉藤についてだが,三谷氏の談によると資料不足で苦労したとのことだったが,その分彼は好きに描いたのだろう。クールで,強い,それだけでもかっこいいのに,実は一番熱い隊士だったなんて・・・しぶすぎて,反則!イエローフラッグが飛びます(それでも雨の中で旗を持って叫ぶシーン・・・おじさんは不覚にも胸が熱くなってしまった)また,西郷役の俳優さんの鹿児島弁は結構いけてたが,大久保役の人のは,悪くはないものの,今ひとつ・・・。方言指導の先生は手を抜いたのかな?と思ったら,方言指導はなんと高校の合唱部のニつ上の先輩(演劇部と掛け持ちされていた)で,最後の方は薩摩兵の役でちょっとだけ出ていた。しっかい,しっくいやったもんせ!ちぇすとー!


2004/12/19 15:25