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1月3日,テレビの前で
oni

2006/01/21 13:32

 今日は1月3日,お正月恒例のあの駅伝大会をテレビで見ながらこの原稿を打っている。この大会,選手達が真剣に走る中で毎年ドラマがあるが,今年も順位の変動が大きかったり絶対的なエースのいないチームが初優勝したりしておもしろいものになっていた。80年からの歴史のある大会で,すっかりお正月の風物の一つになっているが,私個人としては,盛り上がれば盛り上がるほど複雑な気持ちになってしまう。
この大会は関東一円の大学のみに参加枠が限られた大会,つまり1地方の大会にすぎないということである。単に1ローカルの大会が毎年ここまで話題になることに不自然さを感じてならないのである。おそらく主催者の新聞社やその系列の放送局が力を入れてきた成果なのだろうが,それならばそれで全国を対象区域にしたマスメディアとして,力を入れる方向性を間違っていないか?とつっこみたくなるのである。ましてや,系列の地方の放送局には「その片棒担いでどうするんだ。自分の地方のことはどうなってるの?」と言ってやりたくなる。

 くわえて,走っている選手の出身高校を見てみると,大半は西の出身であることがわかり,それがまた,引っかかる。この大会が歴史のある大会になってしまっているがための結果だろうが,そこには,野球少年達が甲子園出場を夢見るのと同じように陸上競技に情熱を注ぐ日本の高校生アスリート達がこの大会にあこがれ,関東の大学へ関東の大学へと進学してしまうという構図が見える。もちろん,どこの出身者でもどこの大学にも行く自由はあるのだが,あまりにもいい選手が関東に偏っているのは,全国の大学を対象にした他の大会の結果を見ると,毎年上位には関東のチームがずらりと並ぶことでわかる。そしてこの一地方大会が実質上の日本一を決める大会になっているのが実態である。そこに,どうしても不条理さを感じてしまうのである。

 この状況をかの新聞社のお偉いさん方は,どのようにお感じになられているのだろう。また,陸連関係の方々はどのようにお考えなのだろう。もし,「これでよし,日本の中長距離ランナー育成に貢献している素晴らしい大会だ,満足」なんて思っているのなら,氷枕つきのベッドでもプレゼントして差し上げたい。
わたしはこの状況を単に,陸上界にとどまらず,日本のスポーツ界や文化,そして現代日本人の価値観のあり方まで考えさせられる問題であると思っている。つまり,なんでも東京が一番という価値観である。逆に言うと,地方には価値がない,地方はしょうもない,という考えである。そこからは,地方切り捨てという考えさえも出てくるのである。

 野球の東京6大学なら大して全国的に強くもないチーム同士の対戦でも中継があったりするのに,私の好きなアメリカンフットボールは,学生に限って言えば関西がこの10数年ほどリードしているが,5年ほど前からそれまでずっと行われていた同時中継ではなく,深夜に録画が放映されるようになってしまった。(これが一番言いたかったんだろうって?)

 金にものをいわせるのがどの選手以上に強力な武器である例の東京をフランチャイズにするプロ野球球団の中継は,最近弱くなりすぎてさすがに減る傾向になっているが,それでも,依然として他球団の比ではないほど多い。まあ,これはこの球団のファンが日本中に散在しているという,フランチャイズ制のシステムから見ると不自然な状況の方が問題であるとも言えるが。

 スポーツ以外でも,世界の有名音楽アーチストの演奏会は東京中心に行われるし,展覧会など文化的な刺激は確実に東京周辺に住んでいる人の方が享受しやすい環境になっている。楽器等の個人レッスンなども指導者が東京中心に在住していることが多いし音大の教授陣も東京付近の大学の方が充実している。地方在住でその道で一旗揚げようとする者には大変不利である。すると,皆「やっぱ,東京に住まなきゃ」とお上りさんになるわけである。こうして,東京中心主義のもたらす悪循環が立派に完成するわけである。

 最近,「地方からの発信」という言葉も聞かれるが,まだまだ,東京中心の呪縛から日本を解放するには至っていないと思う。依然として文化的に恵まれた環境が東京を中心とした首都圏に偏っているという日本全体の問題が,厳然として横たわっている。

 例の駅伝大会の背後にはこうした諸処の問題がどうしても見えてしまい,おじさんは脳天気にレースの展開をテレビの前で楽しむような気持ちになれなかったのでありました。考えすぎでしょうか?


2006/01/21 13:32