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「歌を歌うこと」
FUJIsan

2002/01/20 10:48

 今、これを書いているのは2001年の年末である。12月に入ってから毎週週末は歌ばかり歌っている。これは主にクリスマスがあるためであり、クリスマスの会などでちょっと歌ってくれなんて依頼が少しあると、その練習をしたりするので結構忙しくなってしまう。

 岡山カトリック教会のクリスマス深夜ミサ(12月24日の夜、12時からのミサ。日付で言うと25日になるが、クリスマスのまさにその晩=クリスマスイヴ=のミサであるので趣もある)では、中世のミサ曲を実際に使っての美しい音楽ミサであり、OPEメンバーが毎年来てくれて音楽を担当してくれているために、報道されないのに口づてで広まり、信者ではない人の間でも結構人気がある。夜12時からという時間設定が逆に集まりやすいのか、思わぬほど多くの人が集まってくる、隠れた名行事だと私は思っている。もうこれは10年近くも続いている。2001年のクリスマスにもまた同じように歌ってもらうことになっている。新しく献堂された聖堂での美しいクリスマスイヴをさらに美しく彩ってくれることになるだろう。このミサの練習ももちろんあり、練習と本番をくり返して、人前で歌う回数が増えて、家人からはあきれられている。

 ただ、このようにして頼まれたりミサの時に歌を歌うということは、私にとっては自分のためのことではない。あくまで他人のためである。音楽が、時空を超える性質のものではないということは、共時性が大切であるということである。ということは、そのときその場に一緒にいた人が大事ということでもあるのだ。確かに現代は録音技術が発達し、自分の学生時代あたりと比べてもはるかに美しい録音や再生が本当に手軽に味わえるようになってきている。ただそれによって人々は音楽を深く愛するようになったといえるだろうか。ポピュラー音楽のおびただしい新譜は、逆に膨大な消費を生み、蔓延する情報は人々に焦りだけを与えるという結果を生みだしている。本当に音楽を愛する人の数が増えているとは思えない。逆に言うとメディアの発達は、もうその限界を露呈しているということなのだろう。今後いかにスーパーCDが発達し、カード型メモリーの容量が増えようと、それによって産み出されるものの限界はもう既にわれわれの目には見えている。

 閑話休題。自分の周囲に同じ時を共にしている人が、僕の歌う歌によって何か安らいでくれれば、いやほんのひとときでも日常を忘れてくれれば、もうそれで十分だ。しかしこれがまたむずかしい。人を和ませようと思ったらそのための準備も十分でなければならない。たとえ即興でやるにしても、その時のために日頃から蓄えておかなければならないのだ。歌う声でいうと、自分の声が響かなくなるときはどういうときであるかをまず知っておかなければならないし、その時に合わせていかなければならないということになる。自分のことでいうと、私の場合午前11時までは全く声が出ない。その時間に少し無理をして大きい声を出すと、それは汚い声にしかならないのみならず、その日一日もう響かない。またアルコールが入ると全くいけなくなる。だから午前中に歌わなければならない時は早起きすることになるし、結婚披露宴などで歌うことになっているときは乾杯のシャンパン以外はウーロン茶になる。以前に勤めていたところの忘年会では、最後に歌ってくれなんていうことがあって、そうなったら最悪、みんなが酔っぱらったあとの二次会で一人水割りを飲みながらしらけている羽目になってしまうのだ。

 そういう自分のコンディション調整もさることながら、譜読みや表情付けなどの練習、それから人前で演じることへの勇気も磨いておかないと、私のような小心者には演じられない。

 さて、合唱の場でのことを考えてみようと思う。OPEも含めて、合唱団に入ってくる人はまず自分が歌いたいから入ってくるわけである。その点では自己満足が優先するわけですね。(もちろん自分もそうです。)そして自分が団の中である程度歌えるようになってくると、歌うことが気持ちよくなってくる。しかしそれがまた途中で変化していくべきなのだと思う。つまり、まずはパート内で、そして団全体で、自分がどういうバランス体の一部になっているかということ、それから今度は聴衆にどう向かっていくのかということ、これらを確認していくのが練習だと思うのだ。

 合唱を初めて数年経った頃に強く感じたことがある。それは「歌っていて一番おもしろいのは演奏会の一週間前の練習だ」ということ。もちろん私だけの思いであって、他の人に押しつける気はないので、疑問を持った人はたわごとだと思っていてほしい。確かに本番には「打ち上げ」という臨時増刊特別別冊大付録が付いているので(付録のために雑誌を買う人って多いよね)特別な思いがありますが、歌うことだけについて言うと、曲にちゃんと目鼻が付いて生きてきた時期に、聴衆を意識し、団の中での自分というものを感じ取り、音楽に主体的に向き合っている緊張感を感じるのである。この緊張感は何よりも音楽をやっている醍醐味なのではないかと思うのである。これはもちろんアマチュアの世界でのことであって、プロの方々の同意を求めるものではないのですが、しかし合唱はアマチュアだからこそできる表現方法であるということもあります。


2002/01/20 10:48