[バックナンバー]


「いい音楽」 
FUJIsan

2002/02/20 14:58

 ずっと昔の、私がまだ合唱を始めたばかりの頃の録音がいくつかあって、カセットテープに記録されているものを、時折暇があるとCDに作り替えている。中にはテープが伸びてしまって聴けなくなった残念なものもあるが、何本かはちゃんとCDに収まってくれた。1970年代はじめの録音である。

 先日それをある人に聴いてもらった。CD制作作業中はあまりゆっくり聴くこともできなかったので、私も一緒になって久しぶりに聴いていた。合唱団はもちろんOPEではない。(OPEは1983年の創立である。)その録音ではパレストリーナのSuper Flumina Babilonisとか、モンテヴェルディのLasciate Mimorireなどが歌われている。私もそれには参加しているのだが、私自身の年齢も十代から二十代に入った頃であり、メンバーも私と変わらない年齢の人たちばかりだから声は若いし、技術的にも未熟だ。しかし、それはそれでまとまった一つの世界ができていた。思ったより良い演奏だった。

 あのグループにはあのグループなりの人間関係があって、私もその中で、全力をもって活動していた。良い友人にも恵まれた。ただ、指揮者をはじめとしてみんな若かった。今冷静に聞き返してみると、技術的問題のみならず、曲の解釈にみえる若さゆえの横暴さ。知識のなさから来るいくつもの破綻。挙げていけば限りないほころびが見える。しかもなぜそうなってしまっているのかが、今ならきちんと説明もできる。(あのころはわからなかった。)しかしそれでもなお、そこにはまとまり音楽性を感じるのだ。あの時も今も、少なくとも私自身は目指しているものは少しも変わらない。それは、先輩から教えてもらった貴重な言葉「いい音楽をしよう」ということである。

 この言葉の意味を、はじめ私は分からなかった。「いい音楽?」「音楽をする?」音楽は「ある」ものだと思っていた。楽譜が「ある」。グループが「ある」。そこに混じって自分も歌っていけばいいのだと思っていた。ところがよく考えてみるとちょっと違うことに気づく。音楽って、いったい誰がやっているのだろうか

 OPEの場合で考えてみる。OPEは、集まってきた人たちだけがやっているグループだ。(多少、圧力をかけられて入団した人もいるようだが)、嫌いならせっかくのお休みの日にわざわざ練習には来ないだろうし、一度来て嫌だと思ったなら続かないだろう。確かに、来たら練習はしているから、団は「ある」。それに音楽監督もいる。練習中は指導もある。それに合わせていこうとすることになる。だからもともと「ある」ものという感じはする。でも、指揮者は歌わない。だから指揮者が、自分の目指す音楽をはじめから持っていて、メンバーをその形にあてはめていこうとしたって、歌い手がその通りにできないとき、しないとき、指揮者は指示を変更していかざるを得ない。つまり音楽は指揮者の中であらかじめ完成しているのではなくて、歌い手の様子を見てその都度小さい変更を繰り返している。主体性を持つのは歌い手なのだ。もちろん指揮者は自分の目指す方向に持っていこうと、くり返しくり返し練習させる。しかし時には別の方法を指示してみたりもする。こうして音楽は指揮者が作るのではなく、指揮者と歌い手とが共同で作るということになる。もちろん技術的な面では歌い手には大きな責任がある。譜読みだってしてこなければならない。指揮者も譜読みはするし振る練習もする。あの副指揮者だって暇があれば楽譜を「読んで」いることが多いのだ。

 ということはOPEの音楽を作っているのは指揮者も、昨日入団した歌い手も同じだということになる。そのときその場にいたものがいかに音楽を作っていくかということになる。これが「いい音楽をする」という主体的表現になっていくのだと私は思っている。古いカセットテープに演奏を残すそのグループでは、酒を飲むと「どんなに下手でも、いい音楽をしようぜ」と言い合っていた。これが支えになっているから、私は今も他の人に声援を贈るときは「いい音楽をしてください」という。

 さて、OPEの創立当初の演奏は、すべて録音が完全に残っているということは以前にも書いた。そして現在、あの慢性睡眠不足の手負いの虎「otonosama」氏によってふたたび日の目を見ようとしている。そこに残された古い録音を聴いていると、それはそれなりに非常にまとまった音楽になっているように思う。この古い録音を聴いて、自分たちはあまり上手くなっていないなと思った、と言われた人がいたが、その人には申し訳ないけれどもそれは少し違うのではないかと私は思っている。合唱団はその時代その時代で構成メンバーが変わるものであり、特にうちのような小さいグループの場合、誰が所属しているかによってずいぶん音楽に違いがでてくる。当時のOPEメンバーは、数人を除いてあとは全く現在とは違っており、そのときの人間関係の中で生み出されたものを、いくら指揮者が同じだと入っても、今のものと比べてはいけないのだと思う。今は、その当時にはまだ生まれてもいなかったメンバーだっているのだから、その若い人たちに「あなたが生まれる前と比べて今はこうだ。」なんて言っても、責任はないはずだ。

 だから私は思う。一回一回の演奏会がすべてだと。今回よい演奏会ができたら、それはそれでよし。次はまた新たな、全く別の良い演奏会を目指す。その都度「いい音楽」を作り出していこうとすることが、団が生きていることだと思う。18回演奏会のための練習が始まっている。新しいメンバーも入ってきた。残念ながら離れていくメンバーもいる。そして残ったものは、また新しく、別なものを作り出していくのだ。新しいメンバーと共に。


2002/02/20 14:58