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万年筆」 
FUJIsan

2002/04/08 13:40

 今回は「万年筆」のことを書いてみようと思っています。
 考えてみれば「ファウンテン・ペン」、つまり「泉の如くインクのわき出るペン」という名を、こんこんと湧出する様子をイメージして「万年筆」と名付けた明治の人の詩心には感じ入るものがあります。
 私が万年筆に惹かれるのは、やはりイメージが先行しているのだろうと思います。「高級」「大人」「知的(学問)」「作家(芸術)」といった、自分にないものをもたらしてくれる魔法の棒のように感じていたのでしょう。私の年代では「入学祝いは万年筆」というのが一般的であり、そのために私も中学校入学時と高校入学時にいただいたことがありました。そのころはインクはブルーブラックというのも一般的で、いただいたそれらにもブルーブラックを入れていたのですが、私はあの色が好きではありませんでした。いかにも寂しげで心細く感じるあの色は、今でも好きではなく、少なくとも大人になってからは一度も使ったことはありません。さてそれらの万年筆をわたしはいずれもすぐになくしてしまいました。いずれも東京の満員電車の中で落としたのだろうと思うのですが、使い始めてすぐのことだったので、ひどく悔しい思いをしました。万年筆は高価なものだし、またなくしてしまうのではないかということから、自分で買うことはなく、いつの日かまた使ってみたいという思いだけで、もっと使いやすい安価な筆記用具に興味は移ってしまいました。

 大学生活も終わりの頃、卒論を書くという段になって、私は急に万年筆が欲しくなりました。何せ原稿用紙に200枚(予定。実際に提出したものは160枚でした。)書くのです。完成原稿枚数の三倍は紙もいるだろうと、私は卒論用の大学名入り原稿用紙を600枚買い込み、万年筆も買い求めました。これはプラチナ社(日本)製で、純銀のボディに白金のペン先がついた、かなり凝った作りのものでした。インクは同社のカートリッジインクを使うことになるのですが(まだボトルインクを使うことは思いつかなかった)、ロイヤルブルーという色があり、それも二箱(20本)買って書き始めました。多分イメージとしては、作家がモンブラン社(ドイツ)の太いNo.149という万年筆でサラサラ書き、気に入らないと破って丸めて捨てる、あれをやってみたかったのでしょう。結局貧乏性の私がしたのは書き損じの紙を下書き用に使うというみみっちいことでした。さてこのペンですが、これが実に使いにくいものでした。純銀製のボディは随分重く、白金のペン先は堅く、しばらく書くと手が痛くなって休まなければならないものでした。おまけにインクがとぎれることが時々あって、そのたびに中を開き、カートリッジをしごいてやらなければならなかったのです。ただロイヤルブルーの色はたいへん美しく、この色は現在にいたるまで私の常用色になっています。しかし万年筆というものは不思議なもので、こんなペンでも使っているとだんだん手になじんできて使いやすくなるのです。インクのとぎれもなくなりました。特にこの時は流行作家ほどの分量を毎日書いていましたからなじみがはやく、論文が完成するころには手放せないほど使いやすいものになっていました。ところが運の悪いことに、インクがなくなりかけて買い足しに行ったときにはプラチナ社がロイヤルブルーのカートリッジを製造中止にしてしまった直後で、どこに行っても売っていませんでした。そのためにしばらく使わずにいたくらいです。その卒論が通って、無事に大学を卒業し、教員になってからはコンバータを使ってボトルインクを入れるようになりました。インクはペリカン社(ドイツ)のやはりロイヤルブルーでした。でも執拗に文房具店を見るたびに「プラチナのロイヤルブルーのカートリッジありませんか」と尋ねていました。ある時岡山の小さな文具店で「ありますよ」と言われたときは本当にうれしく、「在庫を全部ください」といったのですが、小さな店なので二箱しかありませんでした。でも二つとも買って満足し、今でも使わずにとってあります。

 教員になって二度目に学校を変わったときのことです。その学校での最後の一年は個人的にも落ち着かないことがあり、クラスでもうまくいかず、しかも秋頃になって学校を変わる話が決まっていて、生徒に悪いなと思っていました。中高一貫の学校で、中1から持ち上がった高1でしたので、四年間のつきあいの中で許してくれないかと、心の中で生徒に手を合わせる日々を送っていました。ただ生徒には学校を変わる話をしにくく、三月になってもまだできませんでした。本当に終業式の直前だったと思います。
 三学期の終業式後のホームルーム、わざと何事もなかったようにいつも通りに話を終え、これでこの学校での八年間も終わったなとふと寂しい気になったとき、教室を出たところで一人の生徒が呼び止めたのです。振り返ると大きな花束。そして小さな箱が手渡されました。その小箱には一本の万年筆が入っており、その軸には日付、クラス名、そして私の名前が刻まれていたのです。時間がなかっただろうに、知らないところでみんなで話し合って、お金を集め、品物を決め、頼んでくれていたのです。感激して「今日のことは忘れない」というのが精一杯でした。
 このペンが唯一、自分の名前の入ったものです。パイロット社(日本)のものでした。細字でタッチの柔らかい万年筆です。今、パイロットの黒色インクを入れて書類を書くときなどに使っています。黒インクは私はこのパイロットのものがもっとも「青墨」のような色で美しいと思っています。黒だけはやはり日本の書道の伝統が生かされているのでしょうか。外国製の黒インクにはこの味がありません。

 雑誌で「自分の書き方の癖に合わせてペン先を調整してくれる万年筆屋」の記事を読み、ある時上京時に品川にあるその小さな店を訪ねました。店主と話をしているうちにその人柄に惹かれ(私はこのパターンが多い)、この人が調整した一本が欲しいと思いました。私は太字の万年筆が好きなのですが、太字の場合軸はかえって細い方が書きやすいものだと思っていました。軸が太いとペン先の小回りが利かず、細かいところがうまく書けなかったのです。アルファベットしか書かない国の人ならいざ知らず、国語教師の万年筆で書く文字は縦書きの漢字が多いのです。小回りが利かないと字が荒れるのです。その店先で、店主が厳選した数少ない展示品を一本ずつ手にとっていくと、中に妙に手になじむ一本がありました。デザインも色もたいへんに美しい。聞いたことのないメーカーのものだったのですがこれを買うことにしました。これを店主が私の癖に合わせてくれるのです。三日ほど待って改めて手にしたそのペンは、後になってたいへんな名品だということがわかりました。アウロラ社(イタリア)のオプティマ・クラシックNo.996というもので、現在は岡山の丸善でも展示して販売しています。字も太く、軸も太いペンですが、書いてみると小回りが利き、細かい字もきれいに書けます。海のように深いブルーに豪華な金のリングのついたこの万年筆は、現在ペリカンのロイヤルブルーインクを入れて、私の手紙用になっています。私から手紙をもらったら、それはこのペンで書いてあるのです。

 2001年夏にドイツに行きました。ライプツィヒを中心に旅してまわった紀行は他のところにも書きました。その際「自分へのおみやげ」として、もし安かったらペリカン社(ドイツ)の万年筆を一本欲しいものだと思っていました。自分へのおみやげはリコーダー2本(ソプラノとソプラニーノ)になりました。ペリカンの万年筆は、売っているのを見たことさえもありませんでした。自国製品だから安く売っているはずだというのは完全に勘違いでした。だから値段もわかりません。万年筆を見たというとフランクフルトの空港で売っていたモンブラン社(ドイツ)だけでしたが、ひどく高いものでした。
 ワイマールで本屋に行きました。頼まれていたものを探すためでしたが、それを見つけたあと、日本でいうと丸善のような感じの店内を見て歩きました。高級文具は何もおいていません。しかしそこに万年筆があったのです。たった一種類だけでした。プラスチック軸の安物です。しかし私がそれを買ってしまったのにはいくつか理由があります。プラスチック製とはいえ軸にはパール塗装がしてあって、本体とキャップとクリップは微妙に色を変えてグラデーションのようになっていること。ペン先の形が高級ペンのようになっていること。しかもイリジウム先端(これがあると万年筆は一級品)という刻印が入っていること。さらにキャップがスクリュー式、つまりねじのように回してキャップをしめる形式のものというスタイルであったこと。その上値段は数百円であったからである。帰国後にこのペンにインクを入れて書いてみました。一緒に買ったカートリッジインク(一箱数十円)はロイヤルブルーだし、何よりもプラスチックのじくで本体が軽く、本当に書きやすい。さすがに万年筆の国のものは違うのだ、とびっくりしました。生活のための道具として何が必要なのかということをこの一本は教えてくれたように思いました。高価・豪華なものは不要。かといって新しい技術ばかりに頼るのでもない。古くからあるものを使いやすくしていって今に活かす。これは万年筆が水性ボールペンに押されてほとんど売れなくなっている(ごく最近また上向きになってきたそうだが)日本への文化的警鐘であるのだと思ったものです。

 さて、まだ何本か「自分の話をしてくれ」と言っている万年筆たちがいるのですが、最後に一本だけ現在毎日持ち歩いているものについて話します。これはパイロット社のカスタム67という中級品。ペン先はOB(オブリーク)という、斜め切りをした太字。かつて学校出入りの文房具屋さんと話をしていて、最近全く万年筆は売れないとこぼしていたので、売れ残っているもので気に入ったものがあったら一本買ってあげようかと言うことになり買い求めたもの。やはりスクリューキャップのついたオーソドックスなものです。これも使いにくかったのですが、去年の年末に岡山の丸善で「万年筆クリニック」と名付けたイベントがあり、万年筆の職人さんが来るというので見てもらいました。一目見て「使いにくいでしょう」といい、「ちょっといいですか」と言って返事も待たず、一気にペン先を引き抜いて指先でしごき、ルーペで見ながら何度か力を入れたり小さいヤスリでこすったり、その間約一分。すっと元に戻すと、「書いてみてください」私が書いている様子を見てもう一度ペン先をしごくと、以前とは全く違う書き味になっていました。もうモンブラン以上の書き味。びっくりしました。驚いたのは、こうやってインクがきれいに流れるようになると、このペンで書いた字もきれいになるということです。今はそれを毎日胸にさして持ち歩いています。インクはロットリング社(ドイツ)のターコイズブルー(トルコブルー)です。

 こうやって一本の筆記用具がいろいろに表情を見せ、精神性まで満足させてくれる。万年筆というのは不思議な道具だと思います。手入れには少々面倒がありますし、ただ手入れすることでいくらでも深まる。この話、何かに似ているが・・・というところで、今日はこれ以上は続けないことにしましょう。


2002/04/08 13:40