[バックナンバー]


「手紙」 
FUJIsan

2002/04/30 11:02

 万年筆のことを書いたので、そうなると手紙についても一言いっておかなければなるまい。
 「最近の若者は云々」という文句は既に平安時代に見られるものであって、いつの世もジェネレーションギャップはあるものだと言われる。しかし、「手紙を書かない」=「言葉使いが間違い」=「字を知らない」=「万年筆が売れない」というような事柄がほとんど同義で言われるのはどこかおかしいと思う。女子校の教師をしていると、結構生徒たちが手紙を書くことを苦にしない現状を目にする。確かに「拝啓〜敬具」のタイプの手紙は書かないが、私の年代だってこんな手紙を苦にせず書ける人がどのくらいいるかと考えると、やはり手紙を書かないことが全ての元凶であるかのように言われるのは間違いだと言っても良いだろう。

 ここ数年の中で最大の発明はEメールだろうと思う。これによっておそらく郵政のみならず、電話事業までが打撃を受けている。もっとも Eメールが電話回線を使ったインターネット上で行われるものだけに、電話会社は直接に営業上の被害を被っていないと思われるが、それでも業態転換が内部で行われているらしいということは門外の私にもわかる。

 昨今はおそらくかなりの人が、JISキーボードからローマ字変換で日本語を打つスピードが手書きを上回っていることだろう。変換用操作は別にして、アルファベット26文字のうち、日本語を打つのに必要なキーは22個だけであり(L、Q、V、Xは原則として使わない)、しかもAIUEOの位置だけ覚えておけば、原則として一回置きにこの五つのいずれかを押すのだからたいへん楽だ。早く打てるわけだ。しかし、考えてみると、いかにタイピングが早くなろうと、話すスピードにはかなわない。また思ったことをすぐに人に伝えるという即時性を考えてみても書き言葉が話し言葉を上回ることはない。それなのになぜEメールが流行るのか。
 これは携帯電話を考えてみるともっと分かりやすい。ケイタイメールほど打つのに時間のかかるものはない。あのスピードがいかに速くても、キーボード入力を上回ることはないだろうし、話すのに及ぶこともない。しかもケイタイという小型通信機は、話すこともメールも両方できる機械だ。それなのになぜEメールが流行るのか。その答えは案外簡単であって「書いたもの(もらった文面)が残るから」であろう。もちろんそのほかにも「いつでも見られる」「音がしない」などのメリットもあるが、やはり最大の理由は読み返しができることではないか。そしてこれは手紙のメリットと全く同じなのだ。

 英語ではmailは「手紙」のことなので、私の知人のアメリカ人はEメール(電子メール)と普通の手紙を「Email、USmail」という使い分けをしているが、私は英語で書くときは「Email,Airmail」と書き分けることにしている。最近はshipmailなんてまずない。こんなとき、外来語のない言語は不便だなと思って、ちょっと優越感にひたってみたりする。さて、この二つを比べてみると、そう大きな違いはないように思えてならない。書いたものが規格化された文字になるか、直筆になるかというだけの違いだろう。直筆、つまり書いた人の「作品」としての字である。作品を残そうと思ったら道具も選ぶ必要がある。

 私の同僚で、小さなメモにも筆ペンを使う方がいる。そして申し訳ないけれど、その方は悪筆である。理由を尋ねたことがあったが「字の練習」と言われていた。Eメールは作品にはなれないけれど、手紙は作品である。
 私が手紙に万年筆を使うのはこのあたりが理由である。万年筆は手入れがたいへんである。私のようにボトルインクを使っていると、インクを詰めるのにも時間がかかるし、手は汚れるし、こぼしたり垂らしたら面倒なことになる。しかも安いものではない。またペン先を壊したらもうそれでおしまいだし、扱いも丁寧でなければならない。まあ、キャップをとった状態で落としたら終わりになる。書くときにも無茶はできない。こうやってみるとよくないことだらけのようだが、それだけにいい作品になりうるのだ。僕の字自体は決して美しいものではないが、そういう字でも作品になれるのが万年筆の力だと思っている。
 もし僕から手紙をもらって、それがボールペンで書かれていたら、きっと嫌われていると思ってくれていい。鉛筆だったら絶交だと思っていい。(逆に仕事上は鉛筆を多用しているのだけれどね。)誰かお手紙くださいね。OPEの方ならまず、ちゃんとアウロラ・オプティマ・クラシックNo.996とペリカン・ロイヤルブルーインクでお返事を書きますから。それに便箋が自作のものだったら最高待遇です。


2002/04/30 11:02