はーどぼいるど・ぱられるわーるど?
... Kanri-nin no BOYAKI ...

【Written by TAKA-C】
↑最近「リアクション」が
欲しくなってきました。
..for you...


[A.D.2001]


2002/01/20 10:48

【2001年11月29日(木)】 〜 気づけよなぁ…俺たち

 昨夜、自宅でくつろぎながらPCのキィを「ぱたぱた」しておりますと、会社の上司からメールがきました。
 「うっ。嫌な予感」と、液晶モニターの前で身構える(ボクシングで言う「十字ブロック」をする心境?)ワタシ。

『住宅取得控除の添付用紙に不備があるとのことで、人事から申請書を預かってます。
「住宅癪入金等特別控除申告書」の本人名が「○川□男」さんのではなく「たかしぃ」のものが必要だということです。
〆切りは来週末まで。』

 んーん?????。

 ワタシの頭に大きな「?」マークが浮かびます。
 本人名?(俺は本人だ…アタリマエか)。○川□男??(誰だそいつ)。添付用紙に不備???(ちゃんとしたぞ)。

 うーん。全く思い当たるフシが無い。
 かみさんに「こんなん会社から確認きてんねんけど」と聞く。
 「さぁ?」との返事。
 そりゃそうだ。税金関係で俺にわからんことをかみさんがわかるとはちっと思えない(そういう夫婦なんです。我が家は)。
 「この『○川』さんて誰だろう」とワタシが言うと、かみさんしばらく考える。お、ちっとは考えてくれる。偉いぞかみさん、と自分でも理由もなく感動していると…。
 「あぁぁぁぁあああぁぁ」とかみさん。

 「おっ、なんかわかったか」
 「○川さんって、お隣さんだ」
 「なーんだ、お隣さんか。よかったよかった…って、なんで俺がお隣さんの名前で年末調整の書類書いてるんだよ?」
 「さぁ?」
 「さぁ?…って、税務署からもらった申請用紙もう一度出してよ」

 と、今年送られてきた用紙の束を見ると…。
 「うん。確かにお隣さんの名前だ。でもなんでウチにあんだよ」
 「さぁ??」
 「さぁ??…ってよぉ、ちっとは考えてくれよ。うーむ。…あっ。この住所はお隣だから…ってことは」
 「ってことは?」
 「郵便屋さんが間違えたんだよ。お隣さんのをウチにポストに入れたんだ。それに…確かウチは去年、申請用紙が束になって来てたよな。ちょっと見せて…そうだよ。これ、税務署から送ってくるのは10数年に一回なんだよ。ウチ去年来たから、去年の用紙の束から今年用のヤツ使わなきゃいけないんだ…」
 「なるほどー。去年も来たのにどうして来るのか不思議だったの。『毎年来るのか』と思っちゃたし、なにせ『税務署』さんからだから気になるから直ぐ開けちゃったし」
 「宛先書いてあったやろう。確認せんかったんか?」
 「だって『税務署』さんだもん。とにかく早く開けて確認したかったの」
 「うむー。でも、そういやぁ、俺も書類書きながら『○川』って誰だろう。市長の名前か?くらいにしか思わなかった。土地や建物の大きさも気にならなかったし…。まっ、ともかく明日会社に行って、申請し直しておくわぁ。『年末調整』は庶民には貴重な家計の財源だからな。それにしても、ウチの会社の人事も驚いたやろうなぁ。あ、俺、偽名使って入社したとか思われたかな(笑)。まぁ、よかったよかった。あははっ」

 「でも…お隣さん、年末調整の申請、どうするのかしら?。あなたもう書き込んで出しちゃったんでしょ??」
 「ぐげ?!」

 その日の内にお隣さんに事情を説明しに行き、先ほどお詫びの「菓子折り」を持って謝ってきました。
 あほ夫婦で、ごめんなさーい。

 

【2001年11月26日(月)】 〜 最近の収穫(ひさびさ?)

 えー。

 書きたいことはたくさんあったのですが、なかなか書けなかったです。忘れないうちに早く書かないと・・・。うむむ。

 相変わらずCDを買っています。いつもの大阪日本橋での発掘(人呼んで?トレジャーハント)ができず唸っていたのですが、大阪京橋の駅ビルに「スポット」を発見しました。日本橋と比べればフロアは狭いが、「怪しげ??」な輸入版が多く、早めに退社できる時はいそいそと足を運んでいます。足を運ぶ姿も怪しいかも。

 で、そこでの収穫はといいますと。。。

 ◆J.S.BACH ゴルトベルク変奏曲(BWV988) 他(2枚組):ダニアル・バレンボイム(P) -\1,000-

 バレンボイムの演奏家生活50周年記念盤(らしい)。
 ゴルトベルクの演奏は好みだが、録音が古いみたいでヒズ・ノイズが気になった。でも、まぁ、こんなもんか。
 Disk2のベートーベン(作品120)の方が好感を持ったのは我ながら意外。ベートーベンを聴くのはあまり「得意」ではないので。

 ◆TCHAIKOVSKY 白鳥の湖 他(2枚組):Kazushi Ono & Radio Bratislava Symphony Orchestra -\800-(!!)

 値段に惹かれて思わず手にしてしまいました。
 うーん、値段なりの音でした。演奏うんぬんよりも、音の感じが「ホーム・レコーディング」みたい。
 ま、こんなもんかな。。。ってなんちゅう感想や。感想ですらないかも。

 ◆J.S.BACH イタリア協奏曲(BWV971)他:ロバート・カサドシュ(P) -\1,000-

 やはり、録音は古く(1950年代)で、それなりでしたが、あの「ソニーレコード」レーベルがこの値段だったら、と思ったりもする。
 ソニーレコードのシリーズもの(ベストxxx100とかの類)でない超廉価版って初めて見たかも。
 なので思わず買ってしまいました。しかも、バッハを買う私です。

 ◆J.S.BACH オルガン曲集 (6枚組!!):トン・コープマン(Org)(!!!) -\1,800-(!!!!)

 今回の最高の掘り出し物は、コレ。値札を見て「うそぉぉぉぉ」と声を出してしまった。。。ほんまに店内で声を上げてしまったの。
 で、値段を3度確認した。桁一つ間違ってる事って、よくあるのものね。レジで虚しく引っ込めるのは嫌だし。
 期待通り、いや期待以上。演奏も、録音も、大満足でございました。うーん、至福。

 これがあるから、輸入版探し(あさり?)はやめられないです。

 それぞれの感想は、ぼつぼつと、と思っております。
 感想を書きたくて、まだ書いてないCDがかなりあるんだけどなぁ。苦笑。ま、それはソレで幸せなことかもなぁ。

 

【2001年11月25日(日)】 〜 御礼

 第17回の演奏会を「無事」開催することができました。

 これも、本当にみなさまのおかげだと思っております。心から感謝いたします。

 そして、私個人として、OPE会員を含めた私の周りの方々全てに御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。

 今年は改めて「歌う」ことについて「考えた」年でした。
 なぜ自分は歌いたいのか・・・ちょっとそんなところまで考えてしまいました。
 その答えは極端に個人的だし内省的で、しかも内容はあまりまだまとまらなないので、このスペースにすら書き付けることはできません。
 でも、一言でいえば「自我の解放」なんだと強く思いました。

 申し訳ありません。
 貴重な時間とお金を使って、会場に足を運んでいただいた方に、こんな自慰的なうたうたいが居る事を心苦しく思います。
 ただこれからも当分は「解放」とことが、私自身の歌い「テーマ」になりそうです。
 なので、単なる暴力的な解放でなく、「表現力」をもった解放にしたい。
 たくさんのことはできないので、一つづつ目標を決めて歌ってみよう。そんな風に考えています。

 もしよろしければ。
 これからもお付き合いいただければ非常に幸せです。

 

【2001年10月15日(月)】 〜 ミサ曲ト短調:個人的な考察(2)

 Gloria。「栄光の賛歌」である。

 「秘めた想い」。

 私は旋律からそんな感覚を受ける。
 「密やか」に神を称える。
 ほんとうの事ってのは「密やか」に想うことの方が、実際には多いのではないだろうか。

 ともかく。

 早いメリスマでのはじまりの"Gloria"は、各声部が重なり合うところが多い。6小節からのSoprano-Alto、10小節からのTenor-Bass、そして13小節からのSopranoと他声部などは、BACHとしては珍しいのではないのだろうか。10小節の動きは歌っていて心地よい。聴く側となってみれば、Sopranoの旋律は非常に魅力的である。また付点八分+十六分+八分(らぁん・ぱ・らーん)のリズムでの"Gloria"、そして八分+十六分+十六分+八分(らん・ぱぱ・らん)のリズムでの"De-o"は歌っても聴いても楽しいと思うので、歌う時にはリズム感で「際立つ」ように表現してみたいと思う。
 45小節からの"et in terra pax,.."。ここは器楽の音がぐっと薄くなり、合唱は「フーガ」形式で進行するこの部分が私はたまらなく好きだ。同じ3拍子の音楽だが、先ほどの"Gloria..."とは異なり、リズムではなく音で聴かせたい・聴きたい部分である。「地には、善意の人の平和あれ。」の歌詞を大切に「詠う」ことにより、自然に「フーガ」が浮き上がってくるのではないだろうか。レガート(音のあいだを切れ目なく演奏すること)唱法で歌いながら、言葉についてはアクセントを意識し明瞭するよう心がければ良いのではないかと思う。蛇足であるが、この部分を私は「祈り」の気持ちを特に込めながら「大切に」歌っている。
 64小節"Lau-da-mus te"からのは非常にポリフォニックな感じがする。基本的に"Lau-da-mus te"の「だぁ」、"ado-ra-mus te"の「るらぁ」、"glorifi-ca-mus te"の「かぁ」に重みを与え歌うように心がけている。ここでも、私はSopranoの旋律が好きであり、歌いながらSopranoの動きを確かめているのである。

 

【2001年10月1日(月)】 〜 ミサ曲ト短調:個人的な考察(1)

 演奏している曲について細かく話したことはないのだけれど、今年の演奏曲「J.S.バッハ ミサ曲ト短調」について、私が感じていることを書いてみたいと思う。音楽的な「バック・グラウンド」がない私がこんなことは無謀かもしれないが、一人の歌い手として率直に「感じて」いることをそのまま書いてみよう。

 いきなりなのだが、どうして"Moll(短調)"の音楽こんなに「切ない」のか。特にバッハはそれが際立っていると感じてしまう。第1曲"Kyrie"の前奏もたまらなく切ないのだ。
 この前奏に導かれて4声で"Kyrie"と歌い(唱え)、Altoがメロディを歌う。導入の"Kyrie eleison"は多少「和声的」な雰囲気なのだが、Bassの私にとっては39〜44小節の「進行」が好きだ。この"basso continuo"を活きいきと歌いたいと思う。活々というのは「ぶつぎれ」とは異なるところが、歌い手としては難しいところでもあり楽しいところでもある。
 そして"Christe eleison"であるが、これもなんとも言い難く「美しい」。非常に「多声的」であり「内省的」ではないだろうか。旋律もさることながら、下降の3連符がそう感じさせる。そして62小節からの内声(Alto,Tennor)と外声(Soprano,Bass)の「やりとり」は歌う側にとっては「喜び」を感じる部分だ。
 終わりの"Kyrie eleison"の入りは正直なところを言うと「苦手」である。普通ならばBassらしく「朗々」と歌えば良いのだろうが、私は「抑制」して歌ってみたい。それが出来ないのが辛いところだ。オクターヴの跳躍もそうだし、高い位置(音)でのメリスマ(一つの言葉で音を動かしながら伸ばす歌い方)が苦手と言うのは、Bassとしてまだまだ練れていない証拠だと思う。こういうフレーズが満足して歌えるようになれば良いのだが14年歌っていても、まだまだである。
 またこのメリスマは、基本的に8分音符の「遅い」進行である。これがまた「難しい」と思う。各パートが進行の中でそれぞれ「主題」を歌うのだが、その主題を「浮き上がらせる」ためにはパート同士がきちんと聞き合わないと、なかなか「くっきり」浮き出てこない。ここをなんとか全員で巧く表現したいのである。

 

【2001年9月25日(火)】 〜 圧巻。。。

 言葉がなかったりする。
 果たして、私の表現力でどこまでこの気持ちを表すことが出来るのか。困難な作業だが挑んでみたいと思う。

 グレン・グールド。。。鬼才、奇才、異才、偉才と言われたピアニストである。。。らしい。
 らしい、というのはその異彩を直接実感することがないからである。私は少しの期間だが、彼と同じ時代を生きたのにも関わらず、私はその異彩を感じる機会がなかった。

 私がグールドを知ったのは、恥ずかしながらこの2・3年だ。彼が亡くなったのが1982年であるから約20年間、私は彼の存在を「知らない」まま生きてきた。
 それが幸福であるのか不幸であるのはよく分からない。もし20年前に彼の演奏。。。正確には彼の演奏を記録した録音物。。。を耳にしたとしても、果たして、今ほど感銘を受けたかどうかは分からない。きっと、私はまだまだ幼かったのでなにも感じないと思われる。今だからこそ、これほどまでに惹きつけられるのではないかとも思える。しかし、リアルタイムに彼の演奏を、例えレコードやテレビ放送だとしても、耳にできたかもしれないと考えると、少々悔やまれるのだ。彼と「同時代」に生きていたのにそれに気がつかなかった事に。

 まぁ、過ぎてしまったことなので、仕方が無いことなのだけれども。

 9月22日の深夜、NHK-BSでグールドの映像が4時間放送された。「演奏する」グールドの映像を観たのは、これがはじめてだった。
 その演奏する姿には、きっと「賛・否」というよりも「好き・嫌い」がはっきりするのではないかと思う。歌いながら、それも外声ではなく内声らしいのだが、その旋律を声に出し、左手で「指揮」をしながら、グールドは左利きなので指揮も左手である、左手を動かしながら演奏をするその姿は「奇異」としか言葉では表現できないかもしれない。
 でも。圧巻だった。
 特に練習風景と思われる映像は、声に出しながら演奏し、自分の歌、きっと歌はグールドがイメージしている旋律だと思うのだが、歌に指が合わない時には腹立たしそうに立ち上がり、窓辺で何度かその旋律を歌ってからまたピアノに向かい鍵盤を軽やかに「たたく」。
 バッハ、ベートーベン、放送された「エロイカ」は素晴らしかった、そして現代曲の演奏、チェンバロでのバッハ、そしてオーケストラの指揮。。。若い三十歳前のグールドと、亡くなる数年前の深く考え込んだような面持ちのグールドとさまざまな映像が4時間流れた。

 音楽の全てを引き出そうとする、きっとそうだと私は思うのだが、その姿は圧倒的である。「圧倒的」としか表すことの出来ない、自分の表現力の乏しさが悔しい。彼の演奏から受けた感銘を、言葉で、そして自分の演奏で表現できればと切に思うのだ。

 

【2001年9月23日(日)】 〜 帰還・生還?やっぱりバッハ!

 恥ずかしながら、戻ってまいりました。

 もう恥ずかしくて「日記」という看板を掲げていられない。 ので、「Monologue」へリニューアル?ですが、内容は全く変わらずワタシの「ぼやき(関西風味)」であります。

 慌しい日常。。。まぁ慌しいのを「日の常」にはしたくないのですが。。。の中、音楽をたくさん聴いて、ちょっぴり歌を歌っております。

 で、やっぱりバッハ。なにをおいてもバッハ、かな?と思う今日この頃。

 ワタシは自室にいる時は基本的に音楽を聴いています。
 かみさんによると、ワタシの部屋から流れてくる音楽で、ワタシの状況が分かるそうであります。うむぅ、恐るべし。。。まぁ、かなり分かりやすいらしいようなんですけど。私の機嫌って。
 POPSを聴いている時は威勢をつけたい時、ロマンティック楽派以降を聴いてる時はノッている時、そして落ち着きたい時は古典派以前、やはりバッハを聴いているようなのだそうだ。さすが。。。わが妻、こうしてワタシを観察して日々の操縦をしているのだな。ふむふむ。

 色々と音源に手を伸ばして聴いているのだけれども、どうしても手が伸びるのはバッハである。まぁ、所有している枚数が多いこともあるんだけど。
 んで、ここ最近ハマっているのは、ズバリ「クリスマス・オラトリオ」。。。クリスマスにはまだまだ早いが、堅いことはいわないで下さい。特に、第4部のTenorのAria「われはただ汝の栄光のために生きん」を繰り返し聴いている。
 所謂バッハの「4大宗教曲(マタイ,ヨハネ,ロ短調,クリスマス・オラトリオ)」の中で、クリスマス・オラトリオはワタシとしてはそれほど惹かれるものではなかった。しかし或る日突然、ハマる時があるのです。そんなことってないですか?私だけなのかしらん??。
 Aria「われはただ汝の栄光のために生きん」は、保守的と言われようとも、リヒター&ヴァンダーリヒと思うのです。私はこの「透明感」ある演奏が好きなのだ。Tenorと2本バイオリンの絡み合い、そしてそれを支えるコンティニオ(涙)。。。この前に「歩み」を進めようとしている通奏低音に、私の陳腐な表現力では追いつかないような心の「震え」を感じるのだ。
 音楽による「推し進めていこうとする力」。勇気が湧いてくると思うのだけど、どうだろうかなぁ。
 コンティニオに喜びを感じるあたりがBassらしいといえばらしいんですけどもね。

 蛇足〜最近こればかり聴いてるので、かみさんからは「またか」という顔をされています。。。

 


[A.D.2001]


2002/01/20 10:48