「消費される音楽」・・・
(2000/07/01)


人的な話で申し訳ありませんが・・・昨秋郊外(=田舎)に引っ越しました。OPEの練習に通うのに便利になった(その代わり通勤がしんどくなりました)のも勿論なのですが、もう一つの大きな変化は私のオーディオ熱が再燃したことです。以前住んでいた時よりも、ご近所を気にしないで音楽を聴くことをできるようになったのが大きな要因だと思います(まぁ限度はありますが)。
FMアンテナを立て、NHK−FMの「朝のバロック」を毎朝エアチェック(死語ですね)しております。また、CDもぽつぽつ買って聴いています。

で、FMを聴いたりCD店のクラシックコーナーに通うようになって改めて感じたことは、「後期バロック音楽=J.S.バッハ」なのだなと言うことです。まず、出回っているCDの絶対数が明らかに違うことを実感しました。例えば、今年私たちが演奏する”Magnificat”はすぐに4人の演奏者のものが手に入れる事ができました(リヒター、ムンヒンガー、リリング、鈴木雅明)。朝バロでオンエアされる曲もバッハが圧倒的に多いです。特に組曲3番やマタイのアルトのアリアは放送で3回くらい聴いたような気がします。まぁ、それだけバッハが、私を含めた多くの人々に受け入れられているということなのでしょうね。
それに対して、同じく今年OPEで演奏しますパレストリーナのミサのCDを探したのですが、かなり大きなCD店でも全く見つかりませんでした。やはりたくさん売れないから置いていないのでしょう。幸いWebで見つけることができ、無事取り寄せることができました。

クラシック音楽ではあまり感じたことがなかったのですが、今日的な「消費される音楽」の実状・・・みたいなものを実感したような気がします。「消費される音楽」が良い・悪いということではないのです。私たちが演奏している楽曲とはあまり関係ないと今まで思っていたのですが、「産業・流通・消費」の観点で捉えると、ジャンルを問わず音楽はすべて同じである。例えばJ−POPとクラシックはなんらかわらない。そのことがわかって、非常に不思議な感じがしたのでした。

【TAKA−C】


2002/01/20 10:48