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2004年12月31日 金曜日 午前9時3分 年末年始休暇、その弐。

予てから懸案であった年賀状の作成はようやく完了した。
途中、プリンタのインクが無くなり買いに出かけるという
お約束の出来事もあったけど。

それから部屋の掃除。
本棚の整理をし、埃を掃う。
部屋の蛍光灯も久しぶりに拭き上げてみる。
心なしか明るくなったような気がするから面白い。

廃棄しようと思いながら手をつけていなかった古いPC
(NEC-PC9821Cb2F)の処分を試みる。
Webで手配の仕方を確認し申し込みを行う。
でもさ。
廃棄に費用がかかるのは今のご時世だからそれほど抵抗はないんだけど、
Webなりコンビニで申し込んだ後に、廃棄用伝票が送られてきて、
それを自分でPCを梱包し、伝票を貼り付けて自分で発送するのって、
正直、このやり方って、面倒臭いことこの上ない。
「コッチもヤりたくてヤってるんじゃないんだからキミらも手伝いなさい」
ってな思惑を感じてしまうのだ。
積極的にリサイクルする気があるのか疑わしい気がしてくる。
まあ、俺が勤めている会社もPCを作っているから同じなので、
大声では文句は言えないのかもだけど。


今朝、雨音で目が覚めて、
今、自室の窓の外を覗くと大きな牡丹雪が降ってる。
そんな大晦日の朝だ。



年末年始休暇、その弐。

2004年12月30日 木曜日 午前0時34分 年末年始休暇、その壱。

年越しに向け、買出しに出かけた。


日本酒、一升瓶が一本と五合瓶が二本。
ワイン、ボジョレーが二本。
ビール、クラシックラガーがワンケース。


酒ばっかりかよ…。
ある意味、万全の買出しの成果であったか、な。



2004年12月29日 水曜日 午前8時59分 仕事納め。

なんとか今年は納まった。
年明けから色々とあるのだけれど、まあそれは新年に考えることにします。
ほっと一息ついたら、なんだか風邪をひいてしまったみたい。
鼻の奥が乾いて痛いし、鼻と耳が詰まってる感じがする。

せっかくの休みなのにと思うのか、
平日に風邪をひかなくて良かったと捉えるのかは、微妙なところ。

あー。
年賀状、書かなくっちゃ、だわ。


2004年12月18日 土曜日 午後2時12分 師走。

師走とは、
陰暦十二月の異称。
一般的には「普段は落ち着いている師匠でさえ走るくらい慌しい月」と
言われているけど、本当のところ語源は未詳なのだそうだ。

語源はともかく。
俺は師匠でも無いこともともかくとして。
慌しい今日この頃。走るというよりもじたばたとしているここ最近。


しかたがないので、このまま一気に仕事納めまで走り切るつもり。



2004年12月11日 土曜日 午後0時15分 刻の流れ。

IBMがPC事業を売却する。

現在のPCでマック以外の仕様のものは
「IBM−PC/AT」互換機と呼ばれるものだ。
互換とは原本があってのことなのだけど、そのオリジナルが無くなる。
マック使いの人はマックを愛して止まない人が多いと思う。
だけど、僕はウィンはそれほど好きでもない。

でも。
PCのキィをパたつかせてドキュメントを作成することで、
幾ばくかの身銭を稼いでいる僕にとって、
それは手に馴染んだ「文具」なのだ。
だから、
その馴染んだキィ・タッチを提供し続けてくれた、
IBMがこの世に送り出したThinkPadには愛着がある。


一つの時代が明らかに終わる。
変り続けることの先に進歩がある。諸行無常なのは分かってる。
だけど一抹の寂しさがあるのも確かだ。
たとえ今もう既に製造は中国が行っていることには変わりないんだけど、
IBMがとして作ってるうちに、
ThinkPadの最期の一台を確保しようか、な、と想う。



2004年12月7日 火曜日 午後11時7分 不惑前。

大人にならなきゃそろそろ窮屈だと感じるようになった。
でもまだ早いんじゃないかなとも思わなくも無い。
できればまだしばらく蒼いままでいたいと願う自分が確かに在る。
けれども蒼いからこそ腹が立つことが多いこの頃。


年が明けると三十八才。不惑(四十路)前に惑っている俺です。




2004年11月15日 月曜日 午後11時39分 冷たい秋の雨に触れて。

冷たい秋の雨に触れて。

『秋の雨に
 わたしの手が 濡れる
 夜の雨に
 わたしの心が 濡れる
 小鳥の雨に
 わたしの乾いた眼が 濡れる
 陽のある雨に
 わたしの思い出が 濡れる

 落葉松(カラマツ)の
 秋の雨に わたしの手が 濡れる
 落葉松の
 夜の雨に わたしの心が 濡れる』

        落葉松 : 小林 秀雄/野上 彰


冷たい秋の雨に触れて、ふと、口吟の今朝。





2004年11月3日 水曜日 午後9時30分 f (Forte)に関する極私的な考察。


 指揮者が大きなモーションでタクトを振り下ろし振り上げる。
 フォルテ(f/forte:音楽における強弱記号の一つ。「強く」の意)。
 フォルテを表す指揮。
 弦楽のメンバーは自身の弓の弾き(ボゥイング)に力を込める。
 弦を押さえつけ弓をひと弾き。
 すると大きな音が出る。
 フォルテの表現だ。


先日、弦楽の演奏会を聴きに行って、
僕にふっと降りてきた考えがある。

僕も、
指揮者からフォルテを指揮されると、
鞴(ふいご)である自身の腹筋に力を込めて
たくさんの息を声帯に送り込む。
フォルテの音が出る。出ているはず。出ていると思っていた。

 でも、それって、本当に、音楽的なフォルテの音なんだろうか?

そもそも、フォルテとは何に対して「強く」なのだろうか。
僕の身体から発せられる基本となる音は、
音楽的にはどの強さなのだろうか。
ピアノ(p/piano:音楽における強弱記号の一つ。「弱く」の意)なのか。
メゾ・ピアノ(mp/mezzo piano:「やや弱く」)か、それとも
メゾ・フォルテ(mf/mezzo forte:「やや強く」)なのか。

僕自身が今まで思っていた僕のフォルテは、
音は大きいけど強くない。
僕の声は狙いを澄まして飛んでいないと思う。
声帯に空気を多く送り込んだだけではフォルテにはならない。
音は大きいけれど強くない。
フォルテは大きくではなく「強く」なのだから。

何も構えずに作らずに、
自分の身体を自分の自然な息で鳴らしてみる。
音は大きくないけれど、響き、遠くまで飛ぶ声が出る。
その、僕の身体から鳴る基本の音をフォルテと考えれば、
僕の奏でる音楽が変わるのかもしれない。
もしかしたら。


少しだけ聴こえる世界が動いた気がする。
コトリと小さな音を発てて。





2004年10月30日 土曜日 午前9時7分 「今夜、すべてのバーで」

 「今夜、すべてのバーで」

先日他界した中島らもの著書を読んだ。
彼の感受性、好しとしているものごと、彼が愛して止まないひとともの、
そして彼の人を楽しませたいと言う想いを読み取ったような気がしている。

アル中である主人公。
その主人公が霊安室でビーカーに注がれたエタノールの水割りをを手にした時、
「口をつけるな、つけるんじゃない」と、思わず心の中で叫んでしまった。
こうして俺がその世界に引き込まれてしまうのは、
彼の小説に物語として力強さがあるからだと思う。
小さいけれども強固な、国に対する不信感。
大きいけれども意識的に薄められている、弱者への優しさ。
誰とも係わりたくないという、孤高のポーズ。
けれでも誰かに寄り掛かりたいという、依存の胸の内。
文中の其処此処で語られる、そんな彼の想い。
その想いが俺の身体の奥を揺り動かす。

主人公は恋人に突き飛ばされて、ミルクで満たされたグラスを持ちながら
バーのカウンター席から倒れるラストシーン。
酔いという依存の対象が酒から、
目前の愛しい女性に代わったことを実感しながら主人公はこう叫ぶ。
「今夜、すべてのバーで」と。
先に逝ってしまった彼が愛した人たちに盃を傾け乾杯しながら倒れて行く。
これってもしかしたら小説の形を借りた恋文じゃないの?
そう思えてならない。

彼の描く物語の展開構造は、古典落語のそれと似ている。
だからその美しいラストシーンを読み終えた後、
俺の頭には「おあとが宜しいようで」と一礼し、
拍子木が打たれて高座をすっと降りる、噺家の画が浮かんだ。

ちょーぉん




2004年10月27日 水曜日 午後9時54分 満つる前。

23時、駅に着く。

改札をくぐり階段を上りバスターミナルの横を抜ける。
キィを挿し入れる前に、ふと、宙を見上げる。
宙に浮かぶ、雲、雲、雲。
夜宙に見える白い雲。

澄んだ秋の空気と十三夜の月の光があった故だとあらためて解る。





2004年10月27日 水曜日 午前1時5分 家庭用ネットワークの足元。

先日、朝から自宅のネットワークが不通だった。帰宅するまで、ほぼ丸一日だ。
インターネット・サービス・プロバイダと近い業界で仕事をしているので、
この手の障害に関する雰囲気は概ね想像できる。
まあ、
このコストでこの速度を提供してもらってるんだからと思えば諦めも着く。
ただ、
これだけネットワーク接続が大衆化している状況で
俺みたいに「物分りの良い」お客はそれほど居ないことも容易く想像できる。
これがNTTの固定電話回線だったら、マスコミは大騒ぎなんだろうな。
だから、
IP電話の加入をする気には今のところならない。

家庭用のITインフラは、まだまだ電気・ガス・水道の可用性には遠く及ばない。
戒めも込めて自嘲気味にそう実感した。




2004年10月22日 金曜日 午後10時3分 脆弱なものの上に。

昨朝の事。

一昨日の台風で濁流となって荒れていた川の河岸は鈍い角度で抉り取られ、
そこにあったはずの道路は何処かに逝ってしまっていた。
その上にそそり立つ高層住宅は頼りなさ気だ。

俺は昨日も今日も無事に働いて来ました。
貴方と彼方も無事にお過ごしですか?



2004年10月20日 水曜日 午後7時53分 すべてが川になる。

帰宅指示が出て、15時前に事務所を出た。
大阪市内は激しい雨。傘が雨避けの用を成さないので手足と鞄はびしょ濡れだ。
まあ濡れたものは洗ったり乾かしたらいい。
JR京橋駅で運行情報を見る。軒並み運休だ。
でもこれは台風が直撃する時の約束事。
自分の帰路に使う路線が運休にならないことを祈りながら列車に乗り込む。

車窓からいつも見慣れた河を眺める。
普段は川幅の真ん中辺りだけを申し訳なさそうに流れている。
ところがそこには、見たことのない光景があった。
川幅いっぱいに茶色の濁流。

駅に着き、家路を急ぐ。
溝や排水溝からは雨空に向かって水が吹き上がる。
そして、いつもの下り道が明らかに川になっている。
このままこの場所がそのまま滑って、
あの濁流の河まで流されても仕方ないような気になってくる。
下り道の川のように流れる水が、
ダムの放水のような塊で落ちてきても諦めがつくような思えてくる。

水の流れに対して、
死と言うものを身近に感じたのは生まれて初めてだ。
今回は、どうも冗談にはならない嵐になるのだろう。

皆と自分の無事を祈る。





2004年10月17日 日曜日 午後9時47分 無益・無用・無為・無駄。

今日は思いっきりサボタージュの日にした。
行かなきゃならない所、やらなきゃならない事があったけど止めてしまった。

朝からぼんやりと録画を観る。
「列島縦断 鉄道12000km」という番組の録画だ。
俳優の関口知宏がNHK-BS放送15周年記念として、
今年の5月から6月にかけて
JRの路線だけを使って最長片道切符の旅を行った。
この録画を見る度に、
自分フ心の中の凝りがほぐれていくような気がしている。
 ※「最長片道切符の旅」の定義:
  同じ駅には2度立ち寄らず全国のJR鉄道網を「一筆書き」で乗りつぶす

これは間違いなく究極の「無駄な旅」だ。
けれども、
この無駄な行程になんとも言えない甘美な魅力を感じてならない。
もちろん、
こんな旅をしてみたいという憧れもある。
それ以上に思うのは、
俺の日常にだってこういう無駄ができる瞬間があるんじゃないかということ。

日頃は、
「無駄の排除、高効率化、低減、削減、対費用効果」といった単語を駆使し、
人から動機付けされ、人に訴求している自分。
それは生計を立てるのに必要なこと。
それ以外の事は無駄をしちゃってもいいんじゃないかな、と思う。
今日のサボリにしたって無駄の極み。
だけどそれはそれでいいじゃない。
そもそもこんなに良い天気なのに、
室内に籠もってシコシコやってるのもつまらない。
秋の柔らかい日差しと爽やかな空気を吸ってくることにする。


そうそう。
無駄ってさ、こういう意味なんだってさ。

 むだ【無駄・徒】:
  「むな(空)」の変化とも、擬態語「むたむた」からともいうが未詳。
  「無駄」は当て字。
            Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988






無益・無用・無為・無駄。

2004年10月17日 日曜日 午前9時25分 操舵。(6)


『いらっしゃいませ。こんにちは。
 本日はどういったご用件ですか?
 新車のご検討。当店でしていただける?
 ありがとうございます。
 候補のお車はございますか。
 …ですか。ありがとうございます。ウチの自信作です。
 今、乗っていらっしゃる…とは正反対の乗り味の車になると思います。
 直進安定性、走破性は抜群です。クラスNo1と言えると思います。
 現行モデルは車重が増えてしまったので、
 評価が良くないのは非常に残念です。
 その点を気にされて、旧車を好まれるお客様が多いのが正直なところです。
 ご検討いただける時期としては、今が良い時期なんですよ。
 つい先日、特別仕様車が出たばかりなんです。
 年2回、夏と冬にご用意させていただいております。
 普段、私はお急ぎでないお客様には、
 半年待ってもこの特別仕様車をお勧めしたいくらいなんです。
 私がお客様に「待った方が良い」と言うべきでは無いのでしょうが。
 申し訳ありません。
 展示車も試乗車も当店には置いてないのですが、
 Usedですぐにお乗りいただけるお車を準備できます。』


試乗後、僕は注文書に署名と捺印をした。



2004年10月15日 金曜日 午後11時24分 操舵。(5)

商談に入る。

僕は結構、買う意欲を見せている。
だがセールスのノリがイマイチだ。
値引き額もそこそこで悪くない。
彼は商品知識も豊富で、こちらの質問にきちんと答えてくれる。
お勧めのオプション紹介してくれる。
このクルマはオプションが肝になると思っているので、
こういうアドバイスは嬉しい。

しかし。
会話、というか商談をしている気にならない。
「本当に売る気があるのかな?」
そんな感覚を覚えてしまう。
別に目前に居るセールスの青年に、
僕の人間性を受け容れてもらおうなどとは、端から思ってもいない。
だけど、車というオーナーの生活観が具体的かつ如実に現れる道具。
その道具を提供する側には、
提供側なりの「熱」があってもいいんじゃないの?
型通り、マニュアルに従った接客では決心できない。
あなたから、
この車を買おうとは思い込むことができないんだ。

売るという行為は、
物品の所有権や自身の労役を顧客に渡すだけではない。
自分という、人間性を削って差し出すことだと僕は思っている。
これは理想であることは分かっている。
でも、僕はそういう売り手から買いたいし、
自らもそういう売り手になりたいと自身に言い聞かせている。

果て無き理想と分かっていながらも。





2004年9月20日 月曜日 午後8時38分 操舵。(4)

実際に体験する。
見て、触れて、乗ってみる。
試乗だ。
試し乗りはいつだって、なんだって、愉しい。

つるりとした革張りのシートは心地良い。
アクセル、ブレーキの位置も悪くない。
エンジンを回してみると軽い始動音が室内に響く。
メゾピアノのアルトと言った感じで好印象。
店の周りを走らせることにする。
サスの突き上げはマイルドな感触。
ステアリングはカチっとした感覚で直進安定性にも不安はない。
まあ、
横風のきつい高速道路を走ってみないと分からないこともあるだろうけど。
ブレーキを踏んだ時の制動性も不安が無い。軽い車だから当然か。
初めてのフルタイム4WDも街乗りでは気にならなかった。

気になるのはアイポイントの低さなのだけれども、
これは「そういうクルマ」なんだから仕方が無いと納得する。

満足と妥協。
その微妙な平衡の間で常に揺らいでいる。
果たしてそれは僕だけなのだろうか。



2004年8月26日 木曜日 午後8時47分 操舵。(3)

さて、乗り換え。

実は以前から気になる存在があった。
具体的に日記にも何度か記したことがある。
しかし乗り換えるのなら、
まずは実車に会いに行かなければ話しは始まらない。
Webや文章でも事前に確認はしている。
でも頭で確認するだけでは全てを認識把握すること不可能だ。
見て、触れて、乗ってみる。
運転には自身の感覚が最も信頼と信用ができると思っている。

お目当ては稀少車なので、なかなか試乗できるものが探せない。
ディーラーに尋ねると展示車はあるが試乗は出来ないらしい。
ふむ。
イイのは分かっているのだからツベコベ言わずに買えってことか。

同じメーカーのクラシカルな雰囲気が好みのもう一台。
シルバーのグリルやバンパー、黄色大きめのフォグ。
これは試乗車があるとのこと。
実車を実感するために、ディーラーに車を走らせることにした。


もう既に、
手放すことはきっちり決めているものに乗って、
それ自身を換える対象を売る店に向かう。
複雑な心持ちがする。
まあ。
車に限らず、
似たような心理になる状況は少なからず有るのだけれども。
この年齢になれば。



2004年8月13日 金曜日 午後0時23分 操舵。(2)

6代目も悪くはなかった。
悪くは。

輸送用具としてはかなりのものだと思う。
車内の広さは申し分ない。となると居住性も必然的に満足できる。
アイポイントの高さから得られる視界も良好だ。

そう。輸送の用具としては悪くないのである。

しかしながら。「爽快感」が決定的に欠如している。
K6A型インタークーラーターボから得られるパワーとトルクは十分。
(K6A型=スズキ製の主力エンジン)
奔りの力強さは好し。
ただ、曲がらない止まらない。
それは車体重量と重心の高さの故。
高い積載性能と居住性能とのトレード・オフだ。
それは許そう、だが。
直進性能の低さは如何ともしがたい。いや、我慢ならないのだ。
自動車道でハンドルをしっかり保持しないと前に進まない車。
悪天候、特に風雨の際のふらつきは爽快感からかけ離れている。
不快極まりないと言ってもいい。

慣れようとした、でも、やっぱりどうしても我慢できなかった。
約4万キロ、3年もの間、
堪えた自分がむしろ大したものだと思ったりしている。
それはそうでもありません?





2004年8月6日 金曜日 午後10時30分 操舵。(1)

詰まる所「爽快感」。
意のままに動き、力強く奔り、素早く曲がり、穏やかに止る。
結局はワガママなのだ。
それなりのコストを掛ければそれを得られるのは解かっている。
が、
日常生活を細々とやり繰りしている身には自ずと損益分岐点が明らかになってくる。
自身の欲求に対してかなり低めの設定で。
しかしその限られた制約条件の中でいかに自身を満足させるか。
前向きの妥協を探る過程は結構、愉しいものだ。

自動車運転免許を手にして17年。
先日、7代目にあたる車を手にした。
交付期間に比べて多い方なのかな?
そのキャリア中でUsedが3台なのだから、
自分としては特殊だとは思っていないのだが如何なものか。

それとも。
浮気性との評価を拝命することになるのか?。はてさて。




2004年7月14日 水曜日 午後10時52分 頭痛。

要因は幾つか思い当たることがある。

頚椎の5・6・7番から椎間板が出ているのがその最たるものなのだろうけど。
根本的な原因は他にあると自分では思っている。
僕は体が弱いのだ。
何をもって強い・弱いの判断をするかなのだが、
精神、殊に感受性に対して肉体が虚弱なのだと捉えている。
乱暴に例えれば、
軽自動車のボディーに2000ccのエンジンが乗っかってる状態。
動力を無駄なく接地させることができない。
全体としての均衡が取れていないのだ。
その余分なパワーがボディの弱いところに過負荷を掛けている。

想えば。
僕の頭の中で奏でているこの音を僕の体の外に解き放つこと。
それができれば僕はどんなに楽になれるか。
でもその響きは僕の内から外界へ決して踏み出すことは無い。
僕はその絶え間ない共鳴の内で自分だけの音を聴かなければならないのだ。

普段はそれでも構わない。
つまりは慣れだ。慣れてしまえばなんということはない。
伝達できない力を外に逃がしてしまえばいいのだ。
そうやって今までやってきた。そしてそれはこれからも大きくは変わらない。
ただ、
それが巧く逃がすことができない場合が時として起こる。


その結果、体の一番脆弱な部分に負担がかかる。
首の痛みとそれにまつわる頭痛の由来はこれだ。




2004年5月3日 月曜日 午後9時40分 練度、未だ足らず。

久しぶりの「練習」。

音符を追うのが精一杯で、満足な歌になりませんでした。

今月末の「練習」には、文字通り歌えるようにしておきますよ。


2004年1月29日 木曜日 午後9時6分 上京物語。(4)

カフェの喧騒の中で取材らしきものは続く。

そもそも。
システム構築プロジェクトが巧くいかないのは、
経営トップのITに対する見識、
利用者のITに対するリテラシー、
IT部門の業務への理解、
そのいずれもが不足しているから。

否。
そんなんじゃないよ。

  単年で企業として利益を上げる。
  自部門のエゴを捨て。
  生き残り成長するために今、
  共に何をすべきか。


その共通した強固な価値観の中で検討ができていないから巧くいかないんだ。
そしてお互いにその価値観に基き歩み寄ることができるように考え行動する。
だってさ。
儲かってないと自分が働いている足場が無くなっちゃうんだよ。
その前提でみんなが危機感を持って我が事として論議して解決策を考えないと、
未来は無いんだ。


あなたと僕とでは課題に対する価値観が明らかに違うんだもの。



専門誌の取材という経験から直接、得るものは無かったけど、
僕は僕の価値観に少なからず自信が持つことができた。
切実に我が事として課題意識を持っている僕の部下と、
現場を知りたいといいながら机上でしか話ができていない記者を見ながら。
もしかしたらそんな『自己確認』の機会をもらえたのかもしれない。

そう思え確信できた。



(まあ記者さんも、これからもっと交歓できれば違うんだろうけど。
 でも話を『聞き出す』プロフェッショナルなんだから、もっと…ってのもあって、ね)



2004年1月28日 水曜日 午後6時58分 上京物語。(3)

翌日。

某日経BP社から取材らしきものを受けるため東京駅へ向かう。
普段だったらこのようなオファーは受け入れないのだけど、
丁度、遠征のタイミングに合ったので受けることにした。
やはりこれも『縁』の成せることだろうし。

東京駅定番の『銀の鈴』で待ち合わせをし、早速移動。
インタビューなのでいったいどんなところでやるのかと思っていたら
八重洲地下街にあるチェーン店のカフェで開始。
別に場所にこだわるつもりは無いんだけど、
この状況で落ち着いて話す気にはなかなか…ねぇ。

テーマは『コンピュータ・システム構築の実態』と言った事について。

でもさ。
この話題って散々、
僕らの働く業界で問題視されれいることだし、
その問題視を世に出しているのはあなたの会社なのだけどね、
善きにつけ悪しきにつけ。

思っていることを話をするのだけど、
僕から出てくる話題は『総論』的なことばかり。
それはそう。
いくら日経の看板があっても
信用も信頼もできていないあなた個人に『ほんとうのところ』なんて
話したりできないよ。
それにあなたは一体、
僕から何を聞きだしたいのかい?
明確な落とし処を
あなたは持っているのかな。
それともそういう固定的な考え方ではインタビューって出来ないものなの?
結局2時間強、
話をしたのだけど自分からしても面白みの無い話だったと思う。
まあその中から面白さを見つけ出すのはあなたの仕事なんだろうけど、ね。




2004年1月27日 火曜日 午後9時54分 上京物語。(2)

遠征初日の夜。
湘南の工場に駐在しているメンバーと酒宴を催す。
が、
トーンは総じて重い。
湘南工場の縮小が決まり、
来年度中に規模が3分の1以下になることが見込まれている。
でも、うちのメンバーが職種転換をしたり転宅を伴う転勤はまず無い。
だけど彼らと共に働く社員達が
自分たちのこれからについての不安を口にしているのを聞いていると
自ずと彼らも気持ちが沈んできてしまうと言う。
そしてこの1年は敗戦処理の1年になると思う。


  その中で実感として
  自身の中に何が残せるか。
  それが問われる1年になるよ。


僕は
自分に言い聞かせるように酒臭い息で、彼らにそう言った。





2004年1月26日 月曜日 午後3時15分 上京物語。(1)

社用で湘南へ向かう。

いつもよりも早めに起きて身支度。
今回の遠征は2〜3泊の予定。
でも荷物はいつもの通勤鞄一つとソフト・スーツケースが一つ。
新人の頃は2泊以上になると大きなスポーツバック一つが
ぱんぱんになるくらいの大荷物を持って移動していたのだから、
これは明らかに進歩だ。
そもそも以前は、
移動中に今まで読めなかった本を読もうとか
音楽がないと寂しいからCDを何枚か持って行こうとか
思っていたのだけど
まず鞄から引っ張り出して読んだり聴いたりした試しは無い。
そんなの新人じゃなくても分かりそうなものなのだけど、
経験をしないとやはり実感として理解できないらしい。

ので、
必ず読む本と必ず聴く音楽を1点づつ携帯。
これは普段の通勤時と変わらないので大きな影響は無し。
スーツは真夏でなければ数日続けて着てもまず問題ないので
宿泊の時には本当に重宝する。
他の衣服も下着とシャツだけ日数分あれば概ね問題ない。
場合によっては下着の他、
服は無ければいっそ買ってしまえばいい。


  意外にオトナぢゃん、俺。


で、
新幹線の時間も余裕をもって家を出る。
最寄の駅が近づき、
愛車の助手席に目をやり、
ふっと気がつく。


  あ。。
  俺、
  持って着てないぢゃん。
  …コート。。



流石にコートを買う勇気は無い。
そもそも
新幹線に乗るまで防寒着無しで寒さに耐える自信は皆無。
引き返しました。
コートを取りに。
おかげで指定のひかりに乗り遅れてしまったとさ。



2004年1月12日 月曜日 午後8時18分 流石、此、面子乃、新年会。

昨日は岡山ポリフォニーアンサンブルの新年会。
団員である師匠の奥様と我が細君と僕の3人で宴席が催される場所に向かいました。

さて、
出掛けようとした際、
師匠のお宅の玄関先にて師匠の奥様が僕に対して曰く、


  「私、場所わかんないわよ。
   でも、フジーくん居るからわかんなくてもイイわよね?」


 ………。
 俺、
 岡山を離れてもう12年以上になるんですけど。。。
 そりゃさ、
 ほぼ毎週、岡山に居るから市内の状況は概ね分かるけどさ。


てなわけで、
二人を連れて最短の経路で岡山駅前に向かいます。
幹事に地図を事前に見せてもらっていたので
『だいたいおおよそ』の場所は把握済み。


 岡山駅前の某有名百貨店の裏手にあるビアホール。


そんなのあったっけ?
俺が知ってる限りじゃそんなもんなかったんだけど。
まあ、さすがに飲み屋の状況まで細かく把握できているわけないので、
最近できた店と言うことで自身を納得させて移動いたします。
(西宮市在住で把握してたら自分でも恐ろしい)

が、
見当たらない。
仕方がないので思い当たる所を適当にうろうろ。
(思い当たる場所があるのが変だとも言わないように)

すると、
同じように場所が良く分からなくて迷子になっている団員を2名発見。

高島屋の裏で、
かに道楽よりも駅に近い飲み屋といったら
この辺りのビルだよな。。。
あ、
コレだ、
発見。


  「高島屋の裏、じゃなくてチューギン(中國銀行)の裏、
   って言ってくれれば、わかるのにーぃ」


とは、迷ってた連中の全員の弁。

でもね君達、
せめて誰か一人くらいは持って来ようよ。
幹事がちゃんと地図配ってたんだから、さ。


ま、
無事に時間通り到着して乾杯できたんだから、好しとしますか、ね。





2004年1月7日 水曜日 午前6時1分 くり・おら通信(1)。

クリスマス・オラトリオ。
21番、えぇわぁ♪
音取りで寒気がしたのは初めてかもしれない。
特に38小節の辺り。


…ってBassが歌ってないぢゃん。

、、だからか(自爆気味)。




次の演奏会に向けて、J.S.バッハの「クリスマス・オラトリオ」の音取りをぼちぼちしております。




2004年1月6日 火曜日 午前6時2分 波乱?。

昨日は年末年始休暇明け、2004年の初出勤。
過飲過食で重い胃袋を抱えながら会社向かってヘコヘコと歩いておりますと、
流れ出すメロディー(江戸ポルカ:一青窈)。
いぃ旋律だよなぁ…。
俺の携帯電話の着信メロディーだわ。
聴き入ってどうすんだよ。

着信番号を見ると、部長からだ。
嫌な予感。


  今どこや。
  Webが繋がらん。
  早よ、来い。


既に正門の前に立っていたので、
更衣室に立ち寄らずそのまま事務所に向かってダッシュ開始。
ベンチコート着込んでる完全防寒のこのナリで走ってると、
まるで姿はペンギンの有様。

幸い。
昨日は年始初日なので朝会があり、障害はその間に回復。
長期休暇の後は何かあると思いながら
出勤しているので慌てたりはしないのだけど、
こういうことを予め覚悟してるってのもイマイチっぽい。

波乱なのか、予定調和なのか。
ともかくも、日常が始まったことを否応無しに実感いたしました。



2004年1月4日 日曜日 午前8時57分 ターン。

飲んで、食べて、観て、聴いて、遊んで、寝て、
そしてまた飲んで過ごした今回の休暇。
徹底的に弛緩をすることができました。
年末は気持ちを自身の外に向かって発散、放射ばかりしていたので、
この休みの間は徹底して気持ちを身体の内側に引き込むように意識してみました。


さて、
明日からいつも通りの日常が戻ってくる。
次の「息継ぎ」は何処でしましょう。
三月末まで一息で泳ぎきれるかな?





2004年1月3日 土曜日 午前10時27分 祈りの歌。

年末に日帰りでちょっとした遠出をした際、
J.S.バッハのミサ曲を聴きながら運転をしていた。
バッハは、
4曲の小ミサ(キリエ,グローリア2節のみから成るミサ曲)と「ミサ曲ロ短調」
(キリエ,グローリア,クレド,サンクトゥス,アニュス・デイの典礼全文)の
計5曲を残したと言われている。
幸いにして、
僕は小ミサの2曲、ト長調とト短調を歌う機会に恵まれた。


そこでふと思ったこと。

  もう2曲も歌った/まだ2曲しか歌っていない


そのどちらで捉えるかで、
残りの3曲への対峙の仕方が変わるような気がする。
「もう2曲も歌った」の言葉の中には、
残った3曲への慈しむ想いが強く、
「まだ2曲しか歌っていない」には、
後の3曲への立ち向かう決意が強いのではないかと思えるのだ。

今の僕は後者の感覚に近い。
そう感じる理由はかなりはっきりしている。
それは、
自分のキャリアの中で一度は歌ってみたいと思っている「ミサ曲ロ短調」を、
まだ歌っていないから。
この曲を歌うことにより、新たな価値観が僕に生まれる期待があり、
そしてこの曲を歌う時期は、もっと先が善いだろうと漠然と捉えている。
そのぼんやりとしたものを、これから少しずつ確かなものにしていきたい。

そう、まだ2曲。
そして歌うべき歌はもっとたくさん、在る。


僕が歌ったことのある、
バッハのミサ曲ト短調のグローリアの一節を
今年の年賀状の素材に使わせていただいた。

  Et in terra pax (hominibus bonae voluntatis.)
   〜 地には、善意の人に平和あれ。〜


信仰心の希薄な僕が、
この一節に切実に祈りを込めて歌わなくて良い日が
早く来るように。
もっと穏やかな祈りになって欲しいと、願って止まない。




2004年1月1日 木曜日 午後5時55分 新年のご挨拶。

新年のご挨拶。

2003年12月31日 水曜日 午前5時43分 未年の締め括り。

今年は一日一日がとても早く流れているように感じながら過ごしました。

僕にとっての大きな変化は、
『自分以外の人ができることは自分がしないで任せる』ということを
意識的にするようになったことです。
僕は基本的に「やりたがり」で、
そこそこ器用なので自分以外の人にやってもらうと言うことが
かなり苦手でした。
むしろ、
お願いをするくらいなら自分でやってしまうことがほとんど。

で、
僕より20年以上の先輩に言われました。

 自分以外の人に任せることの方が
 自分が行うよりも数倍難しい。
 事細かに指示をしてやってもらうのは任せたことにはならない。
 その人のことを自分なりに分かった上でお願いをする。
 お願いをするということはその人を100%信用すること。
 それが「任せる」ということ。
 そして任せる時は、
 お互いに楽しめるように任せてあげて下さい。
 任せる側にも新しい違った楽しみが必ず生まれますから。

 私も貴方に任せているのだから、それは自ずと分かるはずです。


僕はチームワークがあまり得意ではなくて、
一人独立採算的に物事を処理してきたのですが、
そういうスタイルはどうももう周りから望まれていなかったようです。
望まれていなかったのはかなり以前からだったのですが、
それを周りが言い出さないよう自分なりに、
狡猾で周到に立ち回っていました。
しかし、
今年とうとうその首根っこを押さえられてしまいました。

 自身に自信のない素振りを見せて、
 できることをやらないのは
 謙虚ではなく等閑事にしていると言える。
 そしてそれは非常に罪深いことでもある。


痛い所、衝いてるよな。
言われて知らん顔ができないの知ってて言ってるよな、ってね。

さてこの一年。
僕は周囲の期待に応える事ができたのかな?
今年はルーキー・イヤーだったので、
目に見える成果はほとんど無くても
みんなも概ね好意的に僕を受け容れてくれてたんだろう。

来る年は問われる年、だよな。うん。



今年一年、お付き合いいただきありがとうございました。
来年も、より一層のご愛顧いただければ幸いです。
ではみなさま、
善い年をお迎え下さい。



                                2003/12/31 5:35


2003年12月14日 日曜日 午後11時16分 『悪くないね』


  いいんじゃない


これは 『…でも、ボクならば…』 と言う想いがが続く。

  悪くないね


これは 『だから、ボクもいいと思う』 と言う想いが続く。

僕の、
歌と音楽と生き方の師匠はいつもこういう言い方を、する。
本当にややこしい人だ。
だけどその言葉を出すまでの、
遠慮や捻くれ具合に拗ね具合、
そして優しさを分かることができると、
きっと誰しも彼に惹きつけられると思う。
そう断言できる。


そんな彼が今日、彼が育てた合唱団から勇退した。


 先生、お疲れさま。
 でもまだ老け込むつもりは毛頭ないんでしょ?
 あなた本当に負けず嫌いで欲張りだもの。
 他にもたくさんやりたいことあるのだから、
 ここは一つ、小休止。
 どうせ足らなくなったらまた新しいこと始めるだろうし。
 『師匠』って、面と向かって言ったことは未だにないんだけど、
 そのうち呼ばせてもらいますよ。
 もう少し、僕の練度が上がったらね。


今夜は師匠を想いながら乾杯したい、と思う。



                                2003/12/14 23:05


2003年11月29日 土曜日 午前0時23分 連休明け。

その夜は一晩を通して全てを濡らすような雨でした。
寒いなぁ。。。懐(素。



                                2003/11/27 5:55


2003年11月27日 木曜日 午前5時51分 連休三日目。

連休三日目。

連休三日目。
「遊びすぎ」との反省から…ではなく、
給料日前で懐が寂しいという現実的な理由で家でじっとしていた。
翌日から普段通りの日常、仕事もあるし。体のリズムを堅気のものに戻さないと。
日中は本や漫画を読んだり、Webを見たりしながらとろとろと過ごす。
夕方になってから前日に入手した日本酒をいかの塩辛をアテに少々賞味。
ほろ酔いになってから早めに食事を摂って、
ゆっくり風呂に浸かって、
浅い時間に床に就く。



うん、ずいぶんと、回復できたな。心も体も。
それを実感することができた連休だった。

さて、これで年末までなんとか乗り切れるかな。



                                2003/11/26 5:55


2003年11月24日 月曜日 午後7時39分 連休二日目。

晩秋の晴天に誘われて、車で少し遠出をした。
針路は北。篠山(ささやま)方面に向かう。

丹波杜氏をご存知だろうか。
灘(西宮・神戸)は日本酒の産地なのだが、
そこで酒造りを取り仕切るのは丹波(篠山)出身の杜氏達。
その丹波杜氏のお膝元である篠山のとある酒蔵へ、
日本酒を買い求めにいった。
国道176号線から372号に入り、
目当ての蔵の隣に作られた直売所の前に車を停める。
にごり酒や原酒、朝一番しぼりとここでしか手に入らないものもある。
僕は冷で飲みたいので淡麗純米酒を購入する。

それから篠山市街をささっと車で周回し、
県道49号線の山道を三田方面に抜けて戻る。

帰宅後は中央競馬のG1レースである「マイルチャンピオンシップ」を
TVで観戦しながらインターネット経由(i−PAT)にて馬券を購入。

今日のレースは「外れる」気が全くしなかったのだがその気持ち通り、
デュランダル − ファインモーションの馬連1点買いでズバリ的中した。
こんなことは珍しい。年に1〜2回しかない。
「じゃあいつもは外れる気がしているのか?」と訊かれれば、
「その通り」と答えてしまうのが僕の馬券の買い方だ。
馬柱を見ながら長考…
長い時は朝から予想誌を目前にしてレース直前まで検討することもある
…の結果であっても概ねいつも一抹の不安は残っている。
しかし、今回のレースは全くそんな不透明な考えは浮かばなかった。
それでも購入する額はいつも通り微々たるもの。
賭け事はいつもと違うことをしたらまず勝てない。
行き詰るまでは愚直なまでに自身の方法論を崩さない。
そう思っている。
ちなみに、
全く当たる気がしない時は購入しない。
これも自分流の博打での張り方だ。

そして夜は昨日の食材の残りに食べ物とワインを足して、
DVDを見ながら炬燵で飲み食い。
とろとろと酔いがまわったところで風呂にゆっくり浸かって就寝。



こうやって文字にすると、本当に怠惰な過ごし方をしていますよね。
だけど、
今回の連休は思い切り弛緩する所存なので善しとしております。



                                2003/11/24 19:26


2003年11月24日 月曜日 午前10時1分 連休初日。

  この連休は言いようもないくらい弛緩しよう。


こんな決心めいたことを考えた金曜の夜。
まずは帰路の乗換駅の駅前にあるCD屋で、CD2枚をバーゲンで購入。
ボビー・コールドウェルのベスト版と西川貴教くんのベスト版だ。
この文章を書きながら、
今も後ろでなつかしいAORのメロディが流れている。


そして連休初日はゆっくり飲む目論見で午後から買出しに行く。
まずは
近所に店舗が少ない Wendy's でクラシックダブルチーズを食して腹ごしらえ。
それから食器や服の店をひやかしながCD屋と本屋を巡る。
特に戦利品もないまま本日のメインテーマである食材を購入。
サラダ、ハム、チーズ、揚げ物、そしてワインとビール。
やはり旬の縁起物なのでヌーボーは買ってしまう。

と記すと、なんだか豪勢に思えるのだけれども実態と実状はこうだ。

昼食は Sizzler でサラダ・バーが食べたかった。
食器も服も気に入ったのを見つけた。
CD屋では探していたDVDソフトを見つけた。
本屋では新刊の発売を知った。
だけど全て購入は先送り。
サラダはお安目のポテト・サラダ。
本当はカニ・サラダやローストビーフ・サラダが所望だった。
ハムはこまぎれ、つまりヘタばかり集めたヤツ。
チーズも揚げ物も100g単位での購入。
ビール言いながらもキリンの白麒麟という発泡酒。

ペイ・ディ前の連休なのでコレが精一杯。それでもコレで財布はスッカラカン。
でもまあ、いいのだ。
今月は我ながら善く奮闘した。少しご褒美を与えても善いはず。


自分に甘くたっていいじゃない。
だって、自分を一番甘えさせてくれるのは自分しかいないんだもの。
享楽的なわたくしなのであります。



                                2003/11/24 9:15


2003年11月8日 土曜日 午後9時49分 浮かぶ色。

初対面で話していると、
この目の前に居る人と自分が「合うか/合わないか」が分かってくる。
そしてもう少し話していると、
その人の心の在り様がなんとなく見えてくるような気がする。
具体的に文字で表現できるようになるには自分の中で時間をかけて、
その心象(Image)を咀嚼する必要があるのだけれど
直ぐに頭に浮かぶものがある。

色(Color)だ。
その人から受ける印象を色として自分の中で捉えることができる。


思い浮かぶ色についても2つの種類がある。
一つはその人そのものが持っている色。
適当な言葉ではないかもだが「人間性」から感受して思い浮かぶ色。
もう一つはその人の今現在の状態を表す色。
「心境」から感受して思い浮かぶ色。

そして僕は自分の持っている二つの色を相手と重ね
色合いを確かめながら交感をしているようだ。




2003年11月7日 金曜日 午後3時50分 第一印象。

第一印象。


それを自分の中で固定するつもりは、ない。
だけど大きく外れることも少ないのも実際だ。

分かるのは「○」か「×」か。
すなわち「相性が良い」か「そうでない」か。
これくらいの事。

でも、この印象が、やっぱり大切だと感じている。
そして、自分がこのように人を見ていると言うことは、
人からも自分がこのように見られていると言うこと。
だから、常日頃から自分も同じように人から感じられていると思うと、
自ずと自身の立ち居振る舞いが変わってくるような気がする。



萎縮することなく姿勢は正して生きたい、と。




 

2003年11月5日 水曜日 午後11時45分 人に遇う。

人に会う機会が以前より格段に増えた。
100枚の名刺を1年経たずに使い切ってしまう。
外勤でない自分がである。

そこで感じた事。


人を見るのに1分も必要は無い。
多分、20秒、いや10秒で充分。
もしかすると5秒で見切っているのかもしれない。



そう実感する昨今だ。




2003年10月19日 日曜日 午前6時36分 朝の儀式?

今日は「情報処理技術者試験」の試験日だったりします。
普段からもう少し意識して試験勉強しておかなければならないんですが、
いつもの如く?一夜漬け風味での準備です。
加えて、
昨夜のプロ野球日本シリーズを見ながらビールを飲んでいたら、
床に空き缶が5本も転がっている始末。。
案の定、今朝にアセトアルデヒドが体内に残ってしまいました。
ので、4時前に起床して先ほど朝風呂で代謝を促してまいりました。

こんなんで大丈夫なんでしょうか?
朝風呂は最高に気持ちよいんですけどね。

2003年10月15日 水曜日 午後9時13分 歌うこと。

先週の日曜日、
10月5日に僕の所属している合唱団が演奏会を行いました。
去年は仕事の関係で活動できず
2年ぶりに舞台に立ちました(板に付いた)。

 ああ、やっぱりコレだよな


演奏会だけでなく、
練習を含めて「歌うこと」全てが、
自分を表現する大切な手段の一つだと改めて強く実感しました。

来年はバッハの大曲「クリスマス・オラトリト」の全曲演奏。
既に次回に向けて動き出している想いが
自身の中にあるのは非常に心地よいものなのです。



                                2003/10/15 6:20



2003年7月13日 日曜日 午後0時58分 夏の音楽は Guitar。

夏の音楽は Guitar。

そんな偏った認識を持っている。

紋切型(ステレオ・タイプ)かもだけど、
ギターものを掛けながら海辺の国道を走ると言うのが
僕の基本的な「夏」のイメージである。
砂浜に傘とベットを置いてビールをやりながら
ラジカセからギターものを聴く。
これも至福なのだがここ5年くらいそれは出来ていない。

実家は海沿いの田舎町なのでそうやって気軽で手ごろに
夏を満喫できる。

元々、
自身の音楽体験としては Jazz Funk が基盤になっているので
「夏 = Guitar」の公式が確立されているのだろう。
もし、
時計を25年位戻すことが出来たなら。
僕は基本的に今の自分に大きな不満足は無いのだが、
楽器、
特に Guitar と Pianoだけは子どもに戻ってやってみたい
と思う。
今からでも遅くない。
多分、多くの人はそう言うだろう。
でも自分としては時を遡って試してみたいのだ。


  やり始めるにはその旬となる時期が必ずある。


僕はその事その言葉をかなり信用し信頼しているので、
可能性の高い時期から始めてみたいのだ。
言い訳なのは自覚してる。
だけどやっぱり、
自分の耳で鳴っている音が自分の身体から出すことが
もう今では既に出来ない事で叶わない事であると判っている。
これはこんな僕にとっても、この上ない苦痛なのだ。


まあ、歌がそこまで出来ているかというのは、
はなはだ疑問なんだけど、ね。




  Premonition of Summer(KIYOMI) 〜 Suma(MIDORI)

                 角松敏生 作曲/演奏
                  「Legacy of You」より


P.S.
カドマツ社長のプレィは
お世辞にも巧いとは言えない(苦笑)。でも好き♪。


                  2003/07/13 12:29


2003年6月29日 日曜日 午前11時43分 ひらく。

 ひらく。

 瞼を、ひらく。

今朝目が覚めると、
日差しが目の奥に突き刺さる感じがしました。
寝不足?、それとも飲みすぎ?。
まあ、それも少なからずはあるのでしょうが、
太陽の光の力が僕の思っていた以上に強かったのでしょう。
もう夏至が過ぎたのですね。
梅雨の雲に遮られていたのだけれど、
その雲の上では強い日の光が注がれていた。


 感性をひらく。

束の間の梅雨の晴れ間から差し込んだその光を
自分のまなこの奥に受けて、
自身の奥のほうのスイッチが入ったような気がします。
すると、自室の窓から見える山の緑、庭に芽吹く花々の新芽が
躍動感に溢れているような気がするのですから
ほんとうに不思議なものです。

 生の息吹。ひらく・のびる・みのる・ゆめみる。



 『るり…みどり…
  きいろ,うすべに,しろ,くれない…
  芽ぶき,ひらき,あふれるものに
  ひらかれる  ひとのまなざし
  その眼のなかの  ひらく歓び』



          伊藤海彦 作詞/荻久保和明 作曲
          「季節へのまなざし」 ひらく より



 心をひらく。

さて、次の季節に向けてどんな想いをひらきましょうか?。



2003年6月22日 日曜日 午前8時1分 車両。

不思議な空間だと思いませんか?。
僕はそう思えて仕方がないんです。

僕は電車を使って通勤しています。
その車中の1時間には、小さな出来事がたくさんあります。

最近多いのは、人身事故によるダイヤの乱れ。
何故、最近多いのかということはまあ置いておいて。
今年になってからだけでも僕は3回位、
そんな状況に遭遇している気がします。
ホームで待ちぼうけを食らうならまだしも、
ちょっと困ってしまうのは
事故処理のため路線が一時不通になり、
車両の中で開通を待たなければならない時です。
僕は普段乗る時間帯の通勤電車ですから、
一両に100名以上の人が乗っているのです。
その100名が運転再開までの待ち時間に
苛立ちを感じながら気持ちを抑え、
車掌のアナウンスに一喜一憂する、その様子とその雰囲気。

そこに連帯感を感じてしまう僕は、
人とは少し違うところを感受しているのかもしれません。

事故で停車中の状況は極端な例かもですが、
それぞれの生活をしている人間が車両という、
同じ時間に同じ方向に進む閉ざされた空間に
今まさに居合わせるというのは
なにか特別な状況じゃないんだろうか、
と、思わなくもありません。


 『流れる夢を  引き裂くように
  いつもの街へと  朝が走る
  人波  息を切らしたままに
  都会へちりばめられて行く

  いつもの見慣れた景色と
  昨夜(ゆうべ)の  夢の続きが
  重なる瞳に映る  あなたがかすんだ  まま』


                  作詞/作曲 角松敏生
                  「Rush Hour」より







2003年6月15日 日曜日 午後4時36分 梅雨。

梅雨。
この季節は自分の生まれた季節なのですが、かなり苦手です。
具体的な理由はいくつかあります。
それに共通し総じて言えることは
「気温が高く湿度も高い」という状況が体質的にダメなよう
です。

 これって、日本に住むの、向いてないぢゃん。

そんなコトを言わないで、住まわせて下さい(涙目)。


でも、
この季節で好きなこともあります。
家でぼさっと雨の降る風景を窓から眺めること。
雨の降る日は外も静かなことが多いですから、
その湿度と同様に躰にぴたっと張り付くような静けさが
僕は好ましく感じているようです。


  『降りしきれ 雨よ
   降りしきれ
   すべて
   立ちすくむものの上に
   また
   横たわるものの上に

   降りしきれ 雨よ
   降りしきれ
   すべて
   許しあうものの上に
   また
   許しあえぬものの上に』


          高野喜久雄 作詞/高田三郎 作曲
          「水のいのち」 雨 より


口ずさみながら、今日の雨を眺めています。


                  2003/06/15 14:33


2003年6月2日 月曜日 午後10時58分 笑う空。

新月に限りなく近い、月。
今宵の月齢は2.3。
時は夜8時過ぎ。



西の空が、笑ってる、薄く。



                  2003/06/02 22:55


2003年2月16日 日曜日 午前11時32分 @第43回きさらぎ賞(GIII)

第43回きさらぎ賞(GIII) 2回京都6日( 2月16日)第11R

  枠 馬 馬名        騎手
○ 1  1  マッキーマックス  C.ルメール
◎ 3  4  エイシンクッシング 武 幸四郎
△ 5  7  サイレントディール 武 豊
▲ 5  8  ネオユニヴァース  福永 祐一

《投票予定》
 エイシンクッシングの単勝 と
 1-4-7-8の3連複をBOXで。
                2003/02/16 10:42


2003年2月13日 木曜日 午後10時13分 欲しい。




 スズキ Twin


ハイブリッドBが、ほっしぃぃぃぃぃぃ。



                2003/02/12 23:17


2003年2月8日 土曜日 午前0時26分 ハナキン。


…って死語ですね。おもいっきり。

処処の問題で週末以外に飲みに行かなくなった私です。
たまーに、会社帰りにひっかかりたいのですが、
まあ、それもなかなかまならず。
麦酒を傍らに置いて ぱそ の前、
バックでは好きな音楽か、
見終わっていないビデオが流れている
と、言うこの頃でございます。

お手軽にくつろげちゃう方法かと思われ、
結構、気に入っています。

明日は知人と「例会」と称し大阪・北新地へコソっと行ってきます。
今回は、面子の中で年長者である約二名を、Coolにいぢってみたいと目論んでおります。
はてさて、どうなることやら。


ここのところ、
心と身体のリズム感が、ちこっとずれてる私なので、
ちとしばらく、
Coolであることを心掛けようと
意識しておりますデス。


ちゃお♪

                2003/02/08 0:23



2003年2月4日 火曜日 午後11時1分 安息の日曜日。


「日常」が還って来ました。
歌をうたえるってのは、私には欠かせないものの一つのようです。


  以心伝心 Performed by YMO(Written by YMO)

                2003/02/02 1:14



2003年2月2日 日曜日 午前1時19分 復活の土曜日。

「日常」を取り戻しに西へ奔ります。


  U・T Performed by YMO(Written by YMO)

                2003/02/01 12:53


2003年2月1日 土曜日 午後0時54分 星の金曜日。



久々に星を見た。


  千のナイフ Performed by YMO(Written by R.SAKAMOTO)

                2003/01/31 23:15



2003年1月31日 金曜日 午前0時19分 冬晴れの木曜日。

事故話のつづき(あまり続けたくないけど)。


ども。
生きてます。

真正面から石垣に突っ込んだんですが、
エアバッグも開かなかったてっことは、
深刻な状況ではないとの現れだと思うのです。
如何なもんでしょう。

懐具合も、
保険とJAFのおかげで、取りあえずは問題なさげのようです。
この辺りのことも、
経験のおかげで「危機」に対する準備は
それなりに出来ているみたいです…自慢できる話ではありませんね。

自分で言うのもお恥ずかしいのですが、
僕は比較的多く交通事故に遭っています。
今回の件と過去のことを振り返り重々反省して、
運転の根本から考えて直してみます。

まあ、
今日も駅に来るまでに同じ道で、
事故を2件目撃しました。
8km程度の距離で、です。(@国道176号)
確かに道そのものに問題はありそうなんですが、
「その道を使わないと生活ができない」という前提に立って
対処しようと考えておりますデス、ハイ。

これはきっと「戒め」だったんだろうなあ。


それにしても、
スピンもレッカー移動も
共に初体験だったわああぁ〜。


  咲坂と桃内のごきげんいかが ワン・ツゥ・スリー
   Performed by ユー・アンド・ミー・オルガスムス・オーケストラ
                      (Written by H.HOSONO)

                2003/01/31 0:04


2003年1月30日 木曜日 午前0時33分 氷の水曜日。

氷結でした、路面。
調子に乗って開けちゃいました、アクセル。
流れました、プァな軽自動車FRのリァ。
回りました、くるくるくる。

スピンは初体験でした、はずかしながら。

山側の石垣に正面から突っ込みました。
前後左右に他の車が居なくて、本当に助かりました。
谷側に跳び出してたら、私この文章を書けていません、きっと。


まさに、今、この曲を自室で聴くことができています。


  SOLID STATE SURVIVOR Performed by YMO(Written by Y.TAKAHASHI)



…スタッドレス・タイヤ、買おうっと。事後なんで、遅いんだけども。
次は4WDだな…。


                2003/01/29 23:59

−追伸−
「19,000」のキリ番、ワタシが踏んでしまいました(滝汗;;)。
今日はアタリの日のようです。。。


2003年1月28日 火曜日 午後10時30分 寝坊の火曜日。

きっちり1時間、寝過ごしました。
目覚ましをいつ消したかさえ、記憶にございません。

んでも慌てず騒がず、殿様出勤でした。
ラッシュを回避できて快適でした。
が、
多用すると失います、信頼。


気分はこんなカンジかな。。


 中国女 -LA FEMME CHINOISE- Performed by YMO(Written by Y.TAKAHASHI)


                2003/01/28 22:11



2003年1月28日 火曜日 午後10時30分 雨の月曜日。

冬にはめずらしい、篠突く、雨。
冷ややかな、氷雨。

昨夜、取れてしまった歯冠に入れた義歯。


週の始まりにしては、調子の上がらないシチュエーション。
コレ聴いて、盛り上げてイきまっしょい。


 東風 -TONG POO- Performed by YMO(Written by R.SAKAMOTO)


                2003/01/27 21:32


2003年1月7日 火曜日 午後9時41分 通常営業開始。

みなさま、こんばんは。

寒いですね。
世間は雪の影響で大変なようでございます。
影響を受けたかみなさまにはお見舞い申し上げます。

昨日、幸い裏六甲ははらりはらり程度の降雪でした。
でも、
峠の気温がマイナス四度。
無事は無事でございますが、
外で泣くと涙の痕が凍ってしまいそうです。
…まあ、ナカナカ泣いたりはしないですけども。
コノ気温にはさすがに素で驚いちゃいました。

さて、
わたくしも月曜より通常営業/平常運転。
今週はてれてれてとやり過ごしてなんとか週末を迎える目論見です。
が、果たしてどうなることやら…。
週末は浜名湖−湘南への遠征ですので真剣に雪が心配なのです。
新幹線の中で6時間カンズメとかはナニがナンでも堪忍してもらいたい。
果たしてこの願いは天に届くのか。
新年の幕開けは馬券的中で幸先が良いのですが、はてさて。

では本年も「いぃ加減」でまいりましょう、いざいざ。


ちゃお♪



2003年1月4日 土曜日 午後10時51分 ベテランの呟き。

新年明けましておめでとうございます。
旧年中は多数のご来訪を賜り
誠にありがとうございました。
本年も「わたくしなり」ではございますが
つたない文章を書いていきたいと思います。


「技術」と「能力」が共に成長する、ルーキー。
しかしある時期から、
「技術」の進歩に対して「能力」の成長がついていけなくなり衰えがはじまる。
その能力の衰えを、更に「技術」と「経験」でカバーしてゆく。

ベテランとはそう言ったものかもしれない。


僕と同世代のスポーツ選手は既に当然ながら多くの分野でベテランとなっている。
そして、選手の多くが「現役」生活を終えようとしている。
もちろん、製造業に勤める人間とスポーツ選手を比較することはかなりの無理がある。
だけど『一線級のスポーツ選手=自分より年長者』と言う極私的な常識が、
非常識になりつつある事に対して僕は正直になところ、驚きを禁じえないのである。
非常に厚かましいのだけれども。

僕の「同期」にサッカーJリーグ・ジュビロ磐田の中山雅史選手がいる。
その彼が2年の複数年契約を結んだ。
「35歳:フォワード」という状況を考えれば破格とも言える契約更改だ。
複数年契約をすると言うことは、
37歳までの現役選手としての契約をクラブ側から望まれたことを意味する。

 『向上は望めないかもしれないけど、現状を維持するために日々、努力していきたい』
 『いつも自分自身、がけっぷちの気持ちでいる』

契約更改時における彼のコメントである。

置かれている立場や状況は異なるけれど、
人生のステージでは彼も僕も「がけっぷち」の度合いは変わらないと僕は思っている。


俺だって俺の現状を維持し、まだまだ向上をしていかなかればならない。



それを強く実感したのが昨日の新年会である。
久しぶりにALL-NIGHTで飲んだのだが、
さすがにいろいろな意味で感じることがあったし
正直、心身に「堪えた」のである。


前向きに「年相応」を考えてみようと強く感じている僕だ。


まずは、
酒の飲み方だなあ…。



2002年12月30日 月曜日 午前10時4分 浪漫な男。

連休3日目。
朝食のトーストをふごふごと頬張りながら
朝刊(朝●新聞:大阪版)を読んでいますと、
寝ぼけた心と身体に刺激的なコピーが
目に飛び込んできました。


 「銃は
   男のロマン…・」
  〜月刊誌 Gun 2003新春2月号 好評発売中


…。

そうだったのか?(ヲイマテ)。


なかなか挑戦的なキャッチに
MyHeartを鷲掴みされちゃいましたが、
素朴なギモンが私の頭に浮かびました。

私は黒光りした「ニュー・ナンブ」頬擦りしたいとは
あまり思わない輩なので銃にロマンは感じません。
では、ナニにロマンを感じるのか?。

考えること約5秒。
3つ浮かんだのですが
公開できない2つは心の奥に仕舞い込んどいて、
やっぱり浮かんだのは、

 「酒は
   男のロマン…・」


やっぱコレかよ<自分。



2002年12月21日 土曜日 午前8時14分 飲む男。

今夜、飲みます。
クリスマス前ですが、素っ気も色気も無く飲みます。
(面子に姫が若干一名居ますがさておき←おくなよ)


タクシーで飲み代一回分使っているので、
社用忘年会をキャンセルしました。
しかし、
本日の極私的忘年会はイっちゃいます。

って言うか、
私、幹事だったりします。
やはり、
お酒は気心の知れた人と飲むのが旨いですので。


関西では今朝は雨です。
夜更け過ぎに雪へと代わるのでしょうか?。

2002年11月19日 火曜日 午後9時53分 指先の記憶。

さらにPCネタの続きです。

一般的(?)にMacintoshをこよなく愛する人を
「Mac使い」や「Macなヒト」という言葉で
呼称すると思います。
間違っても「Win使い」「Winなヒト」とは
あまり言わない(多分)。
なぜならそれは
"Minority"(マイノリティ:少数派)たる
気高く自負みたいなものが、
そうさせているような気がするのです。
"Majority"(マジョリティ:多数派)には
ちょっと解釈できない感覚かもしれません。
「似たような」と言うと、
Mac使いの方々に失礼かもしれませんが、
敢えて言うなら私も "Minority" である、と。

そうなのです。
私は「ThinkPad使い」「ThinkPadなヒト」であると言う
ささやかな自負が明確にあります。
そもそも、
ノートPCをキィ・タッチ「のみ」で選ぶということ自体、
かなり少数派ではないでしょうか。
それは強い自覚。
でも、
そう言うヒトは私以外にきっと存在している。
これは固い確信。

1998年夏。
その頃の私はノートPCはパート・タイム・ユースのもの。
デスクワークに耐えうる物では無いという
固定的な確信めいたものを持っていたのです。
なので当時、
ノートPCはNIFTY-Serveに接続し、
テキストメールを送受信する事ができれば充分と考え
「TOSHIBA Libretto20」を存分に使っていました。
そう、
PCの本領はデスクトップPCである。
ノートPCはあくまでも「補完」的な存在だったのです。
ノートPCには最初っから快適な操作性は求めてはいない、
否、いけないのだと考え、
その価値観の中では
「Libretto」の割り切り方は潔い、と。

その価値観をがらりと変えたのが、
同居人のために買い求めた「片落ちのThinkPad 560E」。
いわば間に合わせ的な出会いでした。
しかし、
その出会いは私にとって
「衝撃」と言っても言い過ぎではなかった。
私は初めて触れた「ThinkPad 560E」の感触を
今でもこの指先に明確に覚えているのです。

既成の価値観の崩壊と新たな愛着の創出。

以降、私は「ThinkPad使い」の路を
爆走することになるのであります。


[ご参考]
 ⇒ http://ascii25.com/25/ad/thinkpad/637196-000.html



2002年11月18日 月曜日 午後9時45分 手に馴染んだ文具。

PCネタの続きです。

「洗礼プレィ」を受けて、
青息吐息の愛機「IBM ThinkPad(390E)」。
彼女(?)は私にとって3台目(代目)のノートPCでした。
3代目…デスクトップを含めると8代目でしょうか?。
それはまあ、ともかく(苦笑)。

初代の「TOSHIBA Libretto20」、
また会社のデスクで使用している
配給された自社製ノートPCは別格として、
私が手にした2代目そして3代目のノートPCは
いずれも「ThinkPad」であります。

「手にした」と言うよりむしろ
「手放せない」という言葉が適切かもしれません。
ここ最近のPCは
良い意味でメーカーの力が拮抗している。
悪く言えば個性が薄い。
その中で「ThinkPad」は
異彩を放っていると(私は)思っています。

その個性・異彩。
それは何かと言えば、
「キィ・タッチ」。
コレに尽きます。

こんなことは大した問題ではないかもしれません。
でも文具としてノートPCを考えた時に、
この「キィ・タッチ」ほど重要で
切実な問題は存在しないのではないかと、
私には思えるのです。

だって毎日文字を記すものだから。

万年筆の世代ではありませんが、
諸先輩方が書くために
「手に馴染んだもの」を求める気持ちは
少なからず分かるような気がしないでもないのです。

なので、
買っちゃいました「ThinkPad」。
おかげで懐具合は既に「厳冬」が訪れました。
ハードディスク録画をしたくて検討していた
「VAIO RXシリーズ」の購入時期が
また遠くに行っちゃいましたがあ(泣)。




2002年11月17日 日曜日 午後11時50分 コトの顛末〜洗礼?。

一昨日の夕方、少量ですがPCに麦酒を
こぼしてしまいました(「洗礼プレィ」と呼称)。
乾燥を試みた後、電源を投入したのですが
全く起動しません。
どうやら初期化の際(BIOS上でI/Oデバイス確認時)に
キーボードが認識できなくなっているようです。
つまり、
キーボードが「機械的」にオシャカになっているようです。
仕方がないので、
自宅に余っていたデスクトップ用PCのキーボードを
繋いで何とか起動をすることができました。
キーボードが余っていると言う
我が家の状況を考えてみると、
我ながら不可思議な気持ちになります。
なぜ、「余っている」のでしょうね…。
で、
ノートPCに外付けキーボードを接続し
データの移行を無事完了しました。
一番面倒なメール関連のデータを移せたので、
取り敢えずはしのげそうです。

さて、
私にとって手になじんだ「文具」であるノートPC…
愛機「IBM ThinkPad」を突然失ってしまいました。
約10年、PCと付き合ってきて
「洗礼プレィ」してしまったのは今回が初体験(!)です。
まあこれだけPCの傍で飲み食い
…特に飲酒をしていたのに、
ここまで無事で過ごせたのは
単に運が良かっただけなのかもしれません。
戒めのために、こういう状況を与えられたのかもです。
そう思うと多少は気が楽になります。
が、懐の中身は北風吹き荒んでいます(涙目)。

先ほど、友人から電話がかかってまいりまして
その顛末をボヤいたところ
「PCに聖水をカケて、どうするんだ」と
言われてしまいました…。
私はそんな高度なプレィはできませんってばさ(汗)。

とは言え、
果たしてこの状況をどうやって解決したものか。
昨日から、とろとろと考えている晩秋の休日であります。


2002年11月10日 日曜日 午前10時8分 2枚のアルバム〜その3。

10月30日は私にとっては少しだけ「特別な日」でした。
それは、私が敬愛して止まない二人のミュージシャンの
アルバムが同じ日にリリースされたのです。


「INCARNATIO〜インカナティオ」:角松敏生

同じく、
親愛を込めて「カドマツ」と呼びます。

タツローが
自身の"Origin(起源)"をその創作活動の中で
明白に現しているのに対し、
カドマツは
その時々で自身が心地善いと感じる音を
自身の感性で解釈した上で
届けてくれる。

80年代から90年代にかけて、
DanceMusicそしてComputerMusicを究めた彼は、
長い「凍結」の期間に入る。

そして「解凍」。

解凍後の彼の音は
素直に彼自身の音楽の"Origin"を現してくれている。
彼なりの「斜に構えた」表現方法で。

そんな「斜」の角度がたまらなく好きだ。

「生音」にこだわった最近の彼の音は
このアルバムの中で"Japanesque(純日本的)"なものとして
向き合っている。
それは暖かく心地よい。
そして、
泡的な90年代の手法と
現代のDigitalで模倣された方法への
彼なりの"Antithese(反定立)"。

 メールひとつ無くしたら
 消える日々と知らないで
 今日も託す親指に
 明日は見えてくるの
 僕は誰とも約束をしないよ    (Gazerより)

そう叫ぶ彼の詩は
彼自身への戒めなのか?

 「貴方が感じているほど、貴方の音楽を愛する人は
  Digitalに生きてはいないと思うよ」


私のこのアルバムの一番は「風車」。

 廻れ風車
 僕を連れて行け
 何も欲しくはないから
 花の咲くあの場所へ

 廻れ風車
 君を連れて行け
 きっとまだやり残したことが
 見つけられるだろう

 廻れ風車
 僕等を吹き飛ばせ…


吹き飛ばされるのも
悪く 無い。
素直に そう 思う。


2002年11月8日 金曜日 午後7時16分 2枚のアルバム〜その2。

10月30日は私にとっては少しだけ「特別な日」でした。
それは、私が敬愛して止まない二人のミュージシャンの
アルバムが同じ日にリリースされたのです。


「RARITIES〜レアリティーズ」:山下達郎

親愛を込めて「タツロー」と呼ばせていただきます。

アルバムに収録できなかった作品を集めた、
山下達郎自称裏ベスト。

収められた15曲、全て愛しく感じます。
聴いた私はもちろん、
創ったタツローもこれらの曲が愛しいのだろうと
思われるのです。

「…結局日の目を見なかった作品…」を
掘り起こしたこのアルバム。
そして、
このアルバムに収めることの出来なかった作品の存在。

その存在感を、
聴き手である私が勝手に感じているから、
15曲全ての歌が愛しいのでしょう。

寒い季節、
そして少し寒い時代に、
温まる15曲だと私は思います。


私は「スプリンクラー」が一番好きです。

 冷たいざわめきを
 心のざわめきを
 消し止めて…
 スプリンクラー!

                    〜つづく

2002年11月7日 木曜日 午後10時43分 2枚のアルバム〜その1。

10月30日は私にとっては少しだけ「特別な日」でした。
それは、私が敬愛して止まない二人のミュージシャンの
アルバムが同じ日にリリースされたのです。

昔、もう20年くらい前の話しですが、
私が一番音楽を聴いていた時期は
ミュージシャンの方々はほぼ半年サイクルで
アルバムの新譜を出していました。
月々の小遣いを工面して、買い求めていたあの頃。
そして愛しむように黒い円盤の上に針を置き、
そしてそれこそ貪るように聴いていたあの頃。
少し切ない懐かしさが込み上げてくる気がします。

今は…
創り手も聴き手も、
「良いものをじっくり」と言うことが
多少できるようになったようで、
お互いに「待つ」ということができるように
なりました。

これは意外に裕福なことなのかもしれません。

でも我慢はやっぱりつらい。
だけど我慢の後に手にした歓びは、
他のものにはなかなか替え難いものです。
待つことに少し慣れた。
だけどもやっぱり
2年以上待つのは分かっていても寂しかった。
そして、
手元にある2枚のディスク。
お帰り、そしてまた出会えてありがとう。

                    〜つづく

2002年11月2日 土曜日 午前9時27分 ♪ちぇぇぇえんじぃ ざぁ わぁぁぁぁるどっ

最近、私が多感だった頃に聴いていた洋楽が、
CMで流れることが多くなりました。

なんでも、
私たちの世代が購買の中心世代らしく、
この世代に訴求するように
その世代が聴いていた曲を選曲するのだそうです。
で、今の世代のコたちも共鳴して、
色々聴き始めてるそうです。
なので80年代の洋楽コンピ物が売れているみたいです。

喜ばしいコトなのですが、
現代のオリジナルって少ないような気がするのが、
ちょっと残念です。

今日はタツローとカドマツの新譜を入手してきます。
ではでは。


2002年10月31日 木曜日 午前6時2分 言霊。

ことだま:古代、ことばにやどると信じられた霊力。

ここでの霊力とは「魂」、もっとやわらかく言えば「想い」のこと。

よくよくじっくり吟味した話にはもちろん、
なにげない一言にも文字通りの言葉の意味よりも、
広く深いその人の「想い」がある。

その「想い」をありのまま投げ出すことも、
その「想い」をありのまま受け容れることも、
困難なこと。
でも、
人は解り合いたいから「想い」を記号である言葉に託して、繋がろうとする。

自分の「想い」を丁寧に言葉にしたい。
相手の言葉から可能な限り「想い」をトレイスしたい。

そうありたいとわたしは想う。


-----
公私とも、多くの方と話す機会が多いです。
特に今月は業務でのローテーションがあり、
いままで話すことの無かった方とも言葉を交わす機会に恵まれています。
その際、
ふとした言葉に重みを感じることが多いですね。

もちろん日記の文章を読むと、
言葉の存在感が強く強く手に捕ることができます。

それにしても、
別れ際のなに気ない一言ってほんとうに海の底よりも深いよね(笑)。

2002年10月29日 火曜日 午前7時14分 キィを打つ手が冷たい。

おはようございます。
秋深し、という感じになってまいりました。

気温が低いのも辛いのですが、
私は「乾燥」も辛いです。
喉の奥が直ぐに乾いてしまって、困ってしまいます。
この状態で人込みに出ると、
風邪菌を即ヅモして振り込んでしまいそうです。

水分多量摂取男ですが、更に量が増える冬の季節デス。


2002年10月27日 日曜日 午後10時20分 本日は秋の「盾」。

今日は「すこん」と抜けるような空です。
ちょっと風が強いですけど。
私が住んでいる処は「六甲おろし」ではなく
さながら「六甲のぼり」とで言いましょうか、
そういう風が吹いています。
ココから六甲山へ向かって吹き上がる風が、
山頂を越えて甲子園へ吹き降ろしているのです。
もっとも「六甲のぼり」なんて
誰も言ってませんが、ね。

15時くらいまで、ぶらり散歩に出かけてきました。
良い天気だし。
その六甲山を車で「縦走」したのです。

さて、本日は秋の「盾」。
先週の今週なので?、慎重にイきたいです。
んが、
愛しの彼がデるので、
冷静さを欠いてイるカモです。
と言うことで検討結果は以下の通り。

天皇賞:秋G1 15:40発走
 ◎テイエムオーシャン  強さと陣営の意思
 ○ツルマルボーイ    河内さん
 ▲ナリタトップロード  腐れ縁 ヤネが違えば…
 △アグネススペシャル  一発狙って
 ×イブキガバメント   ヤネが違えば…その2

アトは馬場とパドックでキメます。


⇒投票
 (1) 中山(日) 11R 馬連 1流し 7,10
 (2) 中山(日) 11R 馬連 BOX 15,17,18
 (3) 中山(日) 11R 馬連 7−15

⇒結果
 着順 馬番  馬名       TIME
  1  8  シンボリクリスエス 1:58.5
  2  1  ナリタトップロード 3/4
  3  17 サンライズペガサス クビ


シンボリ=岡部 ですか…。
でも愛しのトップロードくんが魅せてくれました
んなので、ま、いいでしょう。
勝利騎手インタビューでの、
岡部さんの声が少し上ずってるのが印象的でしたね。

2002年10月27日 日曜日 午前10時1分 菊の季節の風景。

「…に桜が満開っ」との名調子は、
元関西テレビアナウンサー:競馬実況の杉本清翁。

先だっての10月20日(日曜)早朝、
大阪(京阪京橋駅)乗車→京都方面へ向かう準急に
乗車しておりました。

車中は京都競馬場(淀)に向かうと
「おぼしき」方々で一杯です。
え?、なぜわかるって?。
それは、独特の雰囲気があるのです。
馬券師各位には、ニオイがあるんデス。
今日はメデタイ「菊花賞」。
いきたぁぁぁい。
でも…私は途中下車です。

んで、何故か学生さんも多いです。
…あっ、キュートな娘が右斜め前に。
きゃぁきゃぁ。
いぃなぁぁぁ。
年齢的にはお互いに射程外ですが、タイプだぁぁ。
五年後にまたお目にかかれませんか?。
でも…私は途中下車です。
(しかも5年後は四十路だ<自分)

試験に向かう車中でこんなコトを考えている私は、
ぶっちぎりのダメ人間ですね(自覚)。

休日朝の電車の中の風景は、
通勤のそれとは違います。
いつも乗らない人たちが乗ってるから、
新鮮なんでしょうね。
いつも乗ってる人にとっては。

2002年10月26日 土曜日 午前6時30分 おはようございます。

朝風呂上がりの私です。

昔…15年くらい前、即ち学生さんの頃は、
完全な「夜型」人間でした。
当時は、夜21時〜翌朝5時のバイトをしていました。
朝6時前にビールの自販機の前で待っていて、
ビールを買って朝刊を読みながらちびちび飲んで、
7時くらいにベットにもぐりこんで 、
12時起きてゴハンを食べて学校へ行く…。
なんて生活を平然としていました。

今は無理です。
23時には眠いですし、朝は6時には目が覚めちゃいます。
トシなのかなあ、やっぱし。


2002年10月25日 金曜日 午前6時13分 「海辺のカフカ」繁盛記?。

私の傍らにいつもある
村上春樹さんの著書なのですが、
新作「海辺のカフカ」。
昨今、本の売れない時期に関わらず、
爆発的に売れているようですね。
いつも不思議に思うのですが、
文芸書で100万部近く売り上げているのに、
春樹さんの読者は私の身近にほとんど居ない
と言う現実。
みなさん「こっそり」読んでいるのでしょうか?。

これだけ売れると「書評」のようなものが
一般誌にたくさん掲載されています。
やっぱり好きな作家さんのコトなので
私としても気になります。
で、読んでみる。
そして、
書評を読んだ後の感想は概ね、
「うーん…」と言うのが多いのです。


ここのところの書評のポイントは以下のようです。

 ◆サリン事件についてのインタビューの影響
  (アンダーグラウンド)
 ◆河合隼雄さんとの親交の影響
  (村上春樹、河合隼雄に会いにいく)

  ⇒「匿名性」暴力への抵抗と
   「ユング心理学」「臨床心理学」への傾倒

こういった書評に対して、
私自身がどうもすっきりしないのは、
この数年の活動「のみ」を切り出して
新作を評するってことについてなんだろうなと、
自分では思っています。
などと言いながら、
私もその書評を書いた方々全ての文章を読
んでいるわけではないので、
断定して言い切ることはできないでしょうね。

評する、というか、感想は難しいです。

でも本が売れて、それに関連して
色々と意見を交わすことは悪くないです。
ちょっと暗めの本の関連業界も
少しは明るくなるかもですし。

2002年10月24日 木曜日 午後8時56分 蒼い満月。

ふと宇宙を見上げると、
きっぱりとした月が昇っていた。

大阪駅。
帰りの電車を待つホーム。
目前の駅ビルと、左手にある老舗百貨店との間、
雲ひとつ無い
ソウコウ(霜降)の澄みきったスペイスに、
ぽっとう浮かんだ、満月。

蒼い光が明るく宇宙を照らし、
いつもそこにある星明りの存在も今宵は霞む。
降り注ぐ蒼い光は、
皮膚の奥の性にまでとどいているのだ、と思う。
ヒトはそれを「蒼魔法」、と呼んだ。
自分がジブンで無くなる、と言う。
では、それにかかってみる。
そういうのも悪く無い。
そう文字にした時、
いつもより静かに電車がホームに滑り込んだ。


-----
10月21日は十六夜だったそうです。

2002年10月18日 金曜日 午後10時29分 公休日。

3連休の直後にまた休みをいただきました。と、言っても私が勤めている会社全体が休みだったのですが。もちろん、本日働いていらっしゃる方が大多数ですので、非常に申し訳なく、でもありがたいと思っております。

で、いかに過ごしたかといいますと。
まずは、なかなか行けなかった愛車の1年点検に行ってまいりまして、その後、3ヶ月ぶり(!)に髪をカットしてもらいに行き、そして兵庫六甲山を軽くドライブをした。

私としては、最上級に有意義な休日を過ごせました。
そして、今日の出来事と午前中のさわやかな秋空を思い出しながら、麦酒をいただく。窓の外では秋の虫たちの鳴き声。

平穏是幸福をしみじみと感じている、秋の夜長でございます。

2002年10月17日 木曜日 午後11時44分 見える世界が変わる。少しづつ…。

少々、重たい話題かもしれません。ご容赦下さい。



先日、私の大学時代の同級生が急逝されました。
「癌」だったようです。

今まで、
少なからず年の近い友人を見送って来たのですが、そのほとんどが事故に起因した死でした。

そして、たぶんはじめての…病死。

また少しだけ、自分の観点が変わったような気がします。
今を精一杯、生きることが、
先に逝ってしまった人たちへの「たむけ」になる、と信じて。

2002年10月17日 木曜日 午前4時40分 ヒサビサ。。。

どうしてこんなに、間が開いちゃうんでしょうねえ(苦笑)。

Webをはじめて数年になるのですが、夏場は「ぱったり」止まってしまいます。過去の日記や更新履歴なんかを眺めてもそのようです。
まあ、真夏にこうしてちくちく文章を書く気にならないのは確かなようです。

ようやく秋、私の一番好きな季節になりました。
大阪の酷暑(ヒートアイランド?)でゆだっていた私の脳みそも、ようやくクールダウンできたみたいなので、またぼつぼつとぼやいてみたいと思います。

なにとぞ、見捨てず、ご贔屓に。

2002年8月1日 木曜日 午後9時33分 我が家には。。。

「プライバシー」と言う物が、どうもないらしいです。

イチブで機密がダダモレのようです。

うーむ。

「住基ネット」ごときで漏洩したところで、アタシ的にはダメージはないのですが、「日常」をそこはかとなくドコゾに公開されるのは、かなりイタイです。

                                    Webに書くときは考えようね。to 同居人サマ

2002年7月21日 日曜日 午後9時31分 到来。

 こんばんは。

 夏ですね。
 全く待ち遠しくない、夏です。

 思えば…学生時代は夏はどきどき・わくわくといった特別な高揚感がありました。夏の季節の長さ=休暇だったこともあるのですが、多分それだけではないでしょう。いや、むしろ休暇の期間はさして問題ではないかもしれない。

 いま迎えてる夏は、私にとって夏の質が違うのです。

 何度か書いたのですが、関西、殊に大阪の夏が、私はどうしても好きになれません。いえ、はっきり言って根源的な嫌悪を禁じえないのです。

 瀬戸内の夏で育った私には、大阪の夏は苦痛に類すると言えます。

 この「湿気」の腹立たしさ…。馴染もうと努力しているつもりなのですが、どうしてもだめです。10年以上になるのですが、まだまだ我慢できません。この自分のこらえ性のなさを思うと、我ながら滅入ってきます。が、やっぱり、大阪の夏は、ヤダっ!。

 郷土意識は希薄な方なのですが、今の時期になると無償に故郷が懐かしく感じてしまいます。秋になるとそうでもなくなるんですから、勝手なものでありますね。はい。

2002年7月17日 水曜日 午前0時43分 サッパリ。

 髪切り完了。

 台風一過。もうすぐ梅雨明け。気分は『夏』デス。

 …へ?、7号デスカ???

2002年7月9日 火曜日 午後10時56分 ○×△□…

 …カミキリタヒ。

2002年7月8日 月曜日 午後9時13分 ついに来た来た、やっぱり来た。

 あ゙ぢぃ…。

 いきなり分かり切ったコトを言って申し訳ありません。
 来てしまいました。大阪の『不愉快』な、夏。

 大阪の真夏の陣(?)の経験は、もう10回目を越えたのですが、どーにもこーにも、慣れません。きっと死ぬまで慣れないと思います。はっきり言って 嫌悪感 以外のナニモノも感じません(キッパリ)。
 大阪平野の夏がこれほど不快なのは、地形の影響とやはり都市部に圧倒的に『緑』が少ないからだとTVニュースかなにかで知りました。まあまだ大阪市内のオフィス街は、そこそこ公園(中の島公園や靱公園。蛇足ですが私は靱公園のばら園が結構好きだったりします)があります。でも、私が勤めている会社がある守口市は淀川沿い以外にまとまった緑は少ないのです。大枝公園ってのは、どーも『緑』って感じではなく『桜+下草』ですし、鶴見緑地(これは正確には大阪市)は『緑のかたまり』。ほどよく建物と緑が調和をとれてるとは言えないのではないでしょうか。また、JR大阪環状線に乗って、車窓から外の風景を眺めてみても、緑らしいのは桜ノ宮界隈と大阪城のまわりくらいで、他は大小さまざまな建物が連なって駅と駅の間を繋いでいるように見えるのです。

 たまに東京に出て同じように電車の窓から外を見ていますと、意外にに『緑』が多い事を感じます。山手線にしても中央線にしても、都心間(渋谷〜新宿〜東京)の間にはほどよく大きな公園があるのではないでしょうか。

 大阪の過酷な夏を感じる度に、『街づくり』がこの暑さを更に際立たせているのではないか、などと毒づいてる真夏日のある日であります。 あ゙ぢぃ…。 (しつこいかな?)

2002年7月5日 金曜日 午後9時43分 本日、訪れたもの。

 こんばんは。

 来ました、ダイハツ御中から。

 1万名限定(主催者発表)『Copen』プロモーションCD-ROM+カタログ。

 はぅぅ。素敵なそのフォルム。プロポーションって言った方が良いのかしらん?。色はやっぱし「ダークグリーンマイカ」しかワタシにはアリエマセン。
 これほど強い衝動で欲しいと思った車は未だかつて無かった。もしかしたら私は今、車適齢期なのかもしれません(勿論造語。そんな言葉はありませんが)。
 がんばれば、なんとか手に入るかしらん。

 はっ。
 今日は賞与支給日でありました。
 給与所得者のささやかな楽しみ。
 しかーし。支給額は…業績(弊社全体とアタシの査定分)を如実に現しております。

 35歳。現実は甘く無いようです。
 でも、目標できたぜよ(かーちゃんにはナイショだ…って、ネットに書いてどうすんだ、アタシ)。

2002年6月29日 土曜日 午後10時24分 おぷてぃかる。

 こんばんは。

 我が家に「光ケーブル」が来ました。
 俗に言うFTTH(Fiber-to-the-Home)でございます。

 まずヒトコト。

 サクサクっ!。

 ロードテストは、また追々。

2002年6月26日 水曜日 午後11時12分 【続報】TRICK2 中

どぉ〜んと こいっ!

2002年6月25日 火曜日 午後11時24分 【速報】TRICK2 中

                                        …くるくる。

2002年6月24日 月曜日 午後10時30分 ミ(たくない)サル

 週のド頭仕事帰り、35才アンニュイ(?)な感じをかもしだしながら、てれてれと自宅最寄駅のエスカレータを登っておりますと、目前に数枚の張り紙。はて、選挙にゃぁまだ早いのだがね。なんだろぉ。

 『警告 サル に注意』

 はっ?。
 さる?、サル??、申???、猿????。

 『新聞等で既に ご存知 の通り、最近民家に野生の猿が山から降りて来る事が多く、この付近でも野生の猿を目撃したとの連絡がありました』

 す、す、す、既にご存知だって?。この界隈ではCommon Senseなのか??、猿って。

 『してはいけないこと:1.目を見ない…(脱力のため以降未確認)』

 …ココは大分高崎山なのかっ?。タシカ、小学校修学旅行んっ時、バスガイドさんにそう言われました。

 しっかし我が裏・六甲は、去年はツキノワグマで出たとか出ないとかの話があったし(その時も駅に張り紙がされてました)、4車線の国道176(○ッタ○リのGSで有名?←根に持ちすぎですか?ワタシ)ではウリボウとその母が仲良く横切ってるのを よく 目撃するくらいの「わくわく動物ランド」ですがね。

 家人に「猿が出るから気を付けてね…」と言いながら、目を合わせないようにとは下の句が続ける事ができませんでした。

 明日はちゃんと、張り紙の注意事項を見ておきマス。ハイ。

2002年6月23日 日曜日 午後10時41分 押し売り?

 先週金曜日夜のコトでございます。とある近所のガソリン・スタンドにて…。

 私:「レギュラー、10リッター」
 GS:「ハイオクですか?」
 私:「レギュラーっす」
 GS:「レギュラー、満タンですね」
 私:「レギュラー、 10リッター よろしくっ」
 GS:「わかりました、 満タン 入ります」
 私:「 じゅ〜りったぁぁぁぁぁっ! だっっ」

  ごぼごぼごぼぼぉぉ(給油中)

 私:(視線、給油メーターへ)

  ディジタル・メーターは勢い良く、 10.00.00 の値を超えていった…。


 そりゃ、軽四だからさっ、満タンでも30リッターちょいだけどさ
 こちとら、ペイ・ディ前なんだよぉ
 Route176の某○○○石油のスタンド
 二度とイかねぇ…(涙)


2002年6月20日 木曜日 午後9時47分 オープン・ツーシータ

 昨日のニュース(経済欄)において、個人的にツボにハマった記事があります。

  『ダイハツ:新型軽オープン・スポーツカー「Copen(コペン)」新発売』

 ぁぅぁぅぁぅ…ほっ、ほっ、ほ、欲しい…。

 運転を初めて早15年。その間、5台の車を乗継ぎ、只今6台目。お安くお手軽な車ばかりを乗っておりますが、そのどれもが愛嬌のある車たちでした(※注:"RestRoom"参照)。でも…。

 軽オープン…なんて、なんて甘美な響なのかしら。

 就職して初めて「マトモ」な車を買おうと思った頃です。
 ホンダ・ビート、スズキ・カプチーノ、が新作発表されました。
 パンプキン・イエローのビートくん。カーマインのカプチーノくん。
 我が手の内に容れてしまいたいという、強いつよい衝動にかられたのです。
 が、学生時代は「うさんくさい」中古に続けて乗っていたため、社会人として初めて買う新車において、荷物も積めない車を買う度胸はありませんでした。『ルーキー初登板、初球=チェンジアップ』で投げ込むようなものですからねえ。のっけから、そんな勇気は奮い発たちませんです、ハイ。あえなく使えるファミリーカーの王道、「日本の」カローラを買ってしまいました。
 私のこのような感覚は、万事共通でございます。マズハテガタク、デス。知人からは「お前のセンス、ダサっ」と散々な言われようでした。ひどいなあ。
 でも(「でも」って単語は不適切だな)カローラはとっても良い車でしたよ。

 てなわけで、私にとっては幻の軽オープンなのでした。
 そんな私の目の前に…あぁ。
 「熱い想いを打明けられなかった憧れのヒトが、今まさに目の前に現れた微笑んでくれている」ような感覚に囚われの身でございます(なんだソレ?)
 カノジョから(♀なのか??)目が離せないのです。ドキドキ。
 価格は150万円。び、微妙だわ。しかも賞与前に発表という巧みなマーケティング。なんて罪作りなのアナタって。

 諸搬の事情で、貯蓄モードの私には酷な状況。しばらく悶々とした想いを抱えて過ごす日々になりそうです。
 ちなみにダイハツさんのWebは、「コペン」発表に伴い非常に繋がりにくくなっております。同朋が多いのですねえ。

2002年6月19日 水曜日 午後8時55分 興味が薄い割には

 韓伊戦、見てしまいました。
 しかもかなり熱中して、です。眠い中、最後まで生中継を見入ってしまい、加えてその後放送された日本戦のダイジェストまでも、です。

 戦ってる選手の方々には、非常に失礼なのは承知の上で、極私的かつ率直な印象を書いてみます。
 韓日両国はそれぞれ「しかるべき」結果を得たのでは、と思っています。
 うーん、言い方が偉そうですね。ごめんなさい。
 生と録画の違いがあるので、受けた印象は公正ではないかもですが、後半終了三分前までは、韓日とも同じ状況ではなかったでしょうか。
 共に1点差を追いかける。残された時間はわずか…。
 その状況下の、日本代表のプレイからは感じ取ったものは「焦燥感(もうダメなのか?)」。対して韓国の姿からは得たものは「信頼感(なんとかするかも!)」。
 結果を知った上で日本のプレイを見ているからでしょうが、そのように私は感じたのです。

 理由は色々あると思います。
 大きな要因は、私が日本人でしかも中途半端な大人だから。性格にも少なからず問題がありますし、ね。
 そんな私ですから、日本代表の姿に自身の弱さを投影してるのかもしれません。追い詰められた状況を自力で打破できない、弱さ、脆さ、そして底の浅さ。日本代表の選手たちは、決してそんな事は無いのだとと思うのですが、彼らの試合から勝手にそう感じ、受けとめてしまいました。それは同じ「日本人」だから。
 でも、勝った韓国と、勝てなかった日本。越えられなかった壁は何だったのでしょう。

 こういう観戦の楽しみ方はアリでしょうか?。
 それにしても、朝刊各紙や今朝のTVの扱い方はナシだよなあ…。

2002年6月18日 火曜日 午後8時24分 身体との対話

 こんにちは。みなさん、身体、元気ですか?。
 かなり前のCMで、井上陽水さんが似たようなこと言ってましたね。

 私は頚椎(首)の「椎間板ヘル二ア」を抱えております。
 そう言えば、「オレの肝臓はさいてーだぁ。γ−GTPが…」とか「尿蛋白がさぁー」などと、持病自慢をする方がいらっしゃいますよね。私は、別に自慢のつもりはないのですが、こいつと折合いをつけながら日々の生活をおくっていることは確かです。いわゆる「共生」と表現しても良いかもしれません。

 若い頃、それこそ20年位前は、気合いさえあれば大抵の事はなんとかなってたような気がします。でも、気合いのみで結果が左右される程度でしたので、競技者ともその程度だったのでしょう。うん、我ながら納得。
 けれども、自身の持っていた身体のイメージ(走る・跳ぶ・投げる…)は、おこがましくも十代後半だったのです。それもついこの間まで。しかし実際は実年齢よりも確実に「老いて」いた。

 老化してるんです。当たり前ですけど。

 あつかましさついで(?)に申し上げますと、老いるなんてほとんど自分に関係のない事。まるで、米西海岸で起こっている交通事故とおんなじで、自分には直接関わりの無い事だと思っていたのです。
 「へル二アは老化現象ですから特別なものではありません」医師の言葉は慰めではなく、事実をジジツとして改めて私に認識をさせてくれる一言でした。もっと早く気づけよな、ジブン。

 人間の能力の成長には、二種類が存在すると思います。
 ひとつは「ピーク」性のある成長。ある時期に頂点を向かえ、そして衰退して行くもの。もうひとつは寿命を向かえるまで無限に成長し続けるもの。前者は「走る早さ」などが該当するのではないでしょうか。後者は「創造力」「表現力」などと思うのですがどうでしょう。
 スピードスケートの清水宏保さんは「身体と対話する」ことによって、人間の潜在能力を引き出すことが可能だとおっしゃってました。彼はそれこそ、大腿に手のひらを当てて語りかけるそうです。
 私もまだまだ伸びそうなところとちょっと衰え始めたところに対し、意識して語りかけてみましょうか。清水さんほどの高いレベルではないにしても、ね。伸ばしたい所はおでこ(頭脳)と胸(心)、衰えてるのはやっぱり首ですかね。
 緩やかに、変化に対応したいものだと思うのであります。

2002年6月17日 月曜日 午後8時54分 歴史的な日って??

 2002年6月14日は、記録に残る日となったのでしょうか?。

 W杯。盛り上がってますね。

 でも少なからず懐疑的でもあるのです。
 もちろん、日本の選手は本当に健闘してますし、結果をちゃんと出している。それは本当に素晴らしいと思います。だけど、どうしても醒めて見てしまっている、私。
 理由を考えてみますと、どうも報道、特にTVの「煽り方」に共感できないからのようです。W杯は盛り上がって当たり前。醒めてるヒトが普通でないというニュアンスを感じてしまうのです。「煽動(Agitation)的」ってのは言いすぎでしょうか?。道頓堀川に飛び込むヒト、六本木でタクシーの屋根上で踊ってるヒト、W杯そのものよりもそんな光景に目が行ってしまうのは、いかにも自分が『ひねくれ者』だと口外しているのと同じですね。

 そんな騒ぎを全く別にすれば、今回のW杯で「世界」レベルのファンタスティックなサッカーの試合をたくさん観戦できることは、素晴らしいことだと思います。サッカーをあまり詳しくない私でさえ、幻想的だと形容しちゃうくらいのプレイなのですから。

 W杯を観戦して、私個人の最大収穫は、「サッカーと言う競技の面白さのようなものを実感できた」と言うことでしょう。
 私の非常に極端な理解は、サッカーとは「陣取り合戦」である、です。敵の居ない位置にボールを出し、空間を自軍のものとし、敵本拠(ゴール)を責める。
 空間の獲り方は様々あって、個人の卓越した技術の集積した結果、組織の綿密な連携の結果、そして相手の対応できない速度による移動の結果など、それらが各チームの個性であり戦術、そして相性となるのだと思いました。

 とまあ、こうして一般的な解釈でなくても、好きに感じて自分としては楽しんで見てます。
 私も踊ったり、飛び込んだりしないまでも、ほどほどに「煽動」されているようですね。

2002年6月17日 月曜日 午後1時53分 さいきん、変わったこと。。

 どうも。本当にご無沙汰しています。お元気でいらっしゃいますか?

 私はぼちぼち過ごしております。

 変わった事と言えば年が一つ増えた事くらいです。人によってはコレって大きな事なのかもですが、私はそうでもありません。30も35も実感としては大きな差が無いのです。二十歳代の自分と比べれば、ずいぶんと違うのかもしれませんが、よくわかりません。まぁ18のヒトから見れば「オヤジ」にかわりないんでしょうねえ。
 とまあ、今のところ年齢を「なんとなく」感じてるくらいです。差異一覧表でも書き出せば、違いが明確になるのかもです。が、私生活で現実を真正面から直視する必要も、今のところ無さそうなのでしないですけど(暗い気持ちになっちゃうかもだし)。
 ちなみに、業務ではそんな検討表を作成する事が多いです。少なくとも心躍るような資料ではないのですね。
 頭の中で考えるだけでなく、やはり「文字にする」と言う事は良いことだと思います。頭の中で整然とした考えも、実際書き出してみると全くつじつまが合わないという事がよくあります。それって私だけかしら?。それだけでなく、文字に起こすことで今まで見えていなかった事がはっきり確認できることも多くあります。
 内容はともかく、文字にするって事は「表現」ですものね。自分自身に向けての表現ってのも良いかもです。
 さいきん、「歌」については自分に対してでさえ、働きかけができてないのが、少し物足りない事でございます。

 


まい・びーくる (2002年1月6日日曜)

去年の11月に、クルマを買い換えたんだよ。
SUZUKIのエブリィ・ワゴンなんだけどね。なかなかイイ感じ。
自動車運転免許を取得してから12年、その間に乗り継いだクルマは次の通りなのです。

1st. SUZUKI:フロンテ(1989/3〜1990/3)

2nd. TOYOTA:カリーナGTクーペ(1990/3〜1990/12)

3rd. TOYOTA:カローラ(1992/9〜1998/9)

4th.-1 TOYOTA:タウンエース・ノア(1998/9〜2001/9)

4th-2. SUBARU:ヴィヴィオ(2000/6〜2001/9)

こうして改めて並べてみると、それぞれのクルマに思い出がある。

今のクルマは軽自動車なんだけど、実は今まで軽自動車は敬遠してた。
僕はOPE(=岡山ポリフォニーアンサンブル)の練習に参加するために、岡山に週1回通ってる。往復約300kmの距離を走るから、軽自動車は動体性能(はしる・まがる・とまる)に不安があったんだ。特に加速性能と巡行性能がある程度備えていないと、毎週のかよいにはちょっと辛い。
でも、ヴィヴィオを運転して何度か岡山に行ってみたら、少しストレスを感じたけれども、パワーのある軽自動車だったら充分使えると実感したんだ。ヴィヴィオはノン・ターボのCVT(無段変速)だったので、加速は辛かった。それと上り勾配でもスピードダウンは否めなかった。まあ、もともと長距離を乗る仕様ではなかったし、僕も家から駅への「脚」として買ったクルマだから仕方ないね。
だけど、それ以外は軽自動車は充分「使えるクルマ」になったと思った。

それで、ノアの初回車検を機会に、ノアとヴィヴィオを処分してエブリィ・ワゴンを買った。
そう、ノアでワゴン車の魅力を知って、ヴィヴィオで軽自動車の出来の良さが分かったから、選択としては妥当というか必然的な結果かもね。
エブリィはターボなので、加速・巡行性能はリッター・カーよりも高いかもしれない。またワゴンだから車内空間や積載性能も充分満足できる。難点は、まずエンジン音が気になること。これは運転席の下がエンジンルームだから仕方がないね。それと燃費ね。動体性能が高いってことはそれだけ燃料を食うことは当たり前だけど。でもリッター=10kmと少しと言うのはノア(2000cc)と同じかちょっと悪いくらいだから些か不満でもあるね。ターボ車に乗るのは初めてだから、僕がターボ車の乗り方をもう少し掴んだら燃費は延びるのかも。

エブリィは乗ってて楽しい。だって運転していてストレスがたまらないもの。アクセルを踏んだらその通りに反応してくれる。ハンドリングはワゴンだからそれなりだけど、その分を差し引いたら充分な反応を示してくれると思う。

『自動車の最も大切な要件が2つあるとはお思いになりませんか?。
まず一つは「移動の手段」として基本性能が高い位置でバランスを保っていることでしょうね。そこをきっちりと押さえてある自動車ならば、運転していてフラストレーションは感じないでしょうから。
そしてもう一つは、カタログ値では計れない「爽快感」ではないでしょうか。例えば、今はあまり見かけなくなった2ストロークのオートバイのように「ピーキー」な自動車が運転していてたまらなく爽快ということもありますから。どちらを優先するかはその人の嗜好によるのでしょうね。
ところで、エブリィはどちらの要素が強いのですか?。』

ん?。ああ、それよりもタイセツなことがあったの。
経済性…。
だって、高速料金が2/3くらいなんだもの、軽自動車はさ。ほら、僕、岡山に通ってるし。
それと維持費。税金、保険とか。ノアもヴィヴィオもすごく気に入っていたんだけど、僕しか運転しないのに2台のクルマを所有するってのは…ねえ。


2001年のChristmas (2002年1月2日水曜)

少し前の話で恐縮なのですが、2001年12月22日(土曜日)大阪いずみホールへ、鈴木雅明指揮:バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)演奏の「ヘンデル:メサイヤ」を聴きに行って来ました。

陳腐な表現で申し訳ないんですけど、本当に素晴らしい演奏でした。

メサイヤの演奏をライブで聴くのは3回目でしたが、今までで最も印象深かったです。
まず最初に驚いたのは、前奏曲に合わせてテノールのヤン・コボウさんの「語り」。ヘンデル自身が演奏したメサイヤは会場や時期毎に演奏内容が異なっていたようですが、このような「語り」が入った形式はヘンデルの生前でもあったのでしょうか。

コーラスがとても心地よい。特にソプラノの透明感溢れる声唱はまさに「うっとり」してしまうくらいでした。ビブラートを抑制し、細いながらも芯の通ったその声は、ホールの天井に沿って頭上に降ってくるような感覚を憶えました。
そしてコーラスの安定度、透明度もさることながら、更に素晴らしかったのは独唱だったと思います。私はこれほど「情熱的な」メサイヤの独唱を聴いた経験がありません。イエスの誕生を歓喜に満ちて歌い上げる第一部、イエスの受難と死を湧き上がる激情を感じさせる第二部、そしてイエスの復活を新たな喜びとしてしっとりと歌う第三部を”characteristic”に歌うソリスト達。ソプラノのスザンヌ・リディーンさんのその情感に溢れ透き通る声、蛇足ながらその風貌にうっとりしながら聴き入ってしまいました。バスのBCJではおなじみのステファン・マクラウドさんのクライマックス、最後の審判の場面を歌う独唱は、自身との圧倒的な力の差をひしひしと感じながら聴き入ってしまったのです。あんな風に歌えればどれだけ気持ち良いだろうかなあ、嗚呼。

大定番、「ハレルヤ」コーラスと最終の「アーメン」フーガはソリストも着席のまま歌っていらっしゃったのも印象的でしたね。やっぱり良いですね、この2曲は。理屈とか関係なく、本能が振るわされてしまう。歌に聴き入ってしまうのです。
そして、自分でも歌いたい。自分の感じる「ハレルヤ」と「アーメン」を表現してみたいと思わずにはいられなくなってしまう。

メサイヤが終わり、アンコールで「ホワイト・クリスマス」が無伴奏で歌われました。歌詞は英語ではありませんでした。ドイツ語なのかな。編曲も独特で、複雑な不協和音も心地よかったです。もちろん最後にきちんとカデンツアがあるから心地よいんですけどね。

『なかなか素敵なクリスマスを過ごされたんですね。だからあの日はウチにもお見えにならなかったのですね。演奏会の余韻を分かつ事のできるお相手がいらっしゃったんでしょう?。いったいどなたと一緒にその演奏会に行かれたのですか。』

…わたし、ひとりで、その演奏会を聴いていました。演奏会の後は、暖かかい演奏会の後は現実とのギャップでちょっと寒くなっちゃったのでとっとと家に帰ったよ…。


2002当世物価事情 (2002年1月1日火曜)

実家の山口に帰省したんだけどね、物の値段が安くてびっくりした。
ま、正月の時期だったから初売り価格だったのかもしれない。
いわゆる耐久消費財って言うのかな、電化製品とかの値段が正月ですごく安かった。
でもさ、生鮮品とかは正月時期って普通値段高くなるじゃない。
だけど、白菜とかの値段はずいぶん安かったなあ。

『白菜の値段が分かる、お勤めの方って珍しくないですか。』

そう?。僕は、生鮮食品の底値ってだいた知ってる。珍しいかな?。
そんなことは、さておき。
電化製品も安かったよ。デジタルカメラなんて大阪日本橋の電気街で見かけるよりも安かったもの。

『物価の水準が違うのかもしれませんね。物品の販売価格が安いのは、賃金のレートや収入水準が都市よりも若干低いのかもしれませんね』

なるほど。
ならば、ブロードバンドが普及して在宅勤務が可能になったら、地方で居を構えて、自宅で都市に社を構える企業の仕事をすると言うのが、給与生活者としたら一番いいのかもね。
でも僕が今、住んでいるところもかなりの田舎なんだけど、物価高いけどなあ。

『新興住宅街だからではないですか。それに、田舎とは言いながら大阪市内に1時間以内で行く事ができるではありませんか。』

そりゃ、そうなんだけどね。

実家で一番嬉しいのはね、J−POPのCDが実家では安く手に入るんだ。
あるディスカウント・ストア(DS)なんだけど、香港からの日本製レーベルの「逆輸入版」を売ってる。
日本版では3千円くらいするCDが2千円以下で手に入る。もちろん、DSだから売れ筋商品しか置いていないけど、僕としては非常に嬉しいね。さっき話したヤイコのCDもそのDSで買ったんだよ。
このディスクの真ん中のところを見てよ。”MADE in Hong Kong.”ってプリントされてるでしょ。
関西でもたまに逆輸入版を見かけるけど、数や品揃えはそのDSには及ばないね。それとも関西で大々的に扱っている店を僕が知らないだけなのかな。
大手CDショップや大型家電量販店でも逆輸入CD扱って欲しいんだけど、もしかしたら無理なのかな。だって、そんな売れ筋の逆輸入版がばんばん入って来たら正規版が売れないものね。
だけど、同じソフトウェアなのにどうして値段が違うのかが理解できないんだけど。

『日本のCD製造管理は、外国に比べて非常に厳密だと聞いた事があります。海外では良品のCDが日本国内の品質検査では不良になるくらいの差があるそうですよ。特に海外のマイナーレーベルはびっくりするような品質のCDが市場に出回っているみたいです。私もクラシックですが、チャイコフスキー2枚組を400円で買いました。音とびがひどかったです。でもその価格ですし、もともと悪くても仕方ないと思って買ってますから気にしていません。音楽ソフトに対する考え方が国によって大きく異なるのでしょうね。』

でもね、同じソフトウェアが、自分が手にしている2/3の値段で近くの国で売られているってのはどうも釈然としないんだ。音質や品質管理のレベルが違うからその価格差になっているなら、もっと逆輸入版がどんどん日本に入って来てもいいんじゃないかな。
だって選ぶのは僕ら「購買者」だから。

『クラシックは全体のマーケットがポップスより小さいし、輸入版CDを買う人も私たちみたいに「値段相応」って思ってるからきっと大きな問題にならないのでしょう。
海外CDの状況を知らない多くの人が、品質の良くない逆輸入版J−POPを買って、そのCDが頻繁に音とびをしたらどうでしょうか。売った方も買った方も、両方とも事後処理が大変ですし、そこでのやりとりは不幸以外のなにものでもないと思いませんか。』

確かに、そうだよね。
ただ、僕は買う方がちょっと視野を広げれば、安く良いものが手に入るのではないかな、って思ったんだ。

『今ではネットでの購入が容易にできますからね。
先ほどの在宅勤務の話しではありませんが、香港からネットで直接J−POPのCDを購入の方法を考えてみてはどうでしょう?。』

買いたいの山々なんだけど、言葉のモンダイを越えなきゃいけないんだよ。僕の場合は…さ。


 

2002年の歌姫 (2002年1月1日火曜)

矢井田瞳(ヤイコ)ってすごいよね。
歌はバツグンに巧いと思う。あの「表」声と「裏」声の使い方はちょっと真似できない。
音創りも、芯があると言うか骨太っていうか。
僕、よく知らないんだけど、なんて言うんだろう…イギリス系のロックっぽい感じしないかな?。”QUEEN”や”POLICE”や”U2”、そんな雰囲気。このビッグ・ネームを同列に扱ったらマズイのかな。ごめんなさい。
でも、なんかすごく「堅い」感じ。そう、僕が知ってる「ロック・ミュージック」なんだよね。
ヤイコは確か、25才くらいだよね。僕と1世代違うんだけど、なんか彼女の創る音楽の「波長」が合うの。

つんくとかもさ、80年代の音楽の匂いをふんだんに取り込んでるよね。つんくの場合は「パロディ※」を確信犯的にやってるんだけどもさ、それはそれで好きだし聞いてて楽しい。
ヤイコの場合は自分が聴いてきた大好きな音楽を自分の中で原型がなくなるまで、ホントトロトロになるまで煮詰めて、それをベースに新たに自分独自のロックとしての表現をしてるみたいに、聴いてて感じる。

『この場合の「パロディ」って本来の意味での使い方ですよね。「既存の作品のの特徴を模して、全く別の意図のもとに作りかえた作品。もじり。」と言う理解でよろしいでしょうか。』

そうそう。杜松さんの理解の通り。いわゆる「パクり」とかを意図してるわけではないよ。

それと、彼女が生み出す歌詞。
どうしてそこまで「身を削るのか」と言いたくなるくらい。
自分の「血」を流して、「肉」切って、「骨」を削り出して創ったような唄だと思う。
ここまで自分の身から搾り出して大丈夫なのかな、なんて感じてしまう。
彼女のうたう歌は「痛み」が伝わってくるんだよね。聴いてるとすごく痛い。
同じような痛みは、先にデビューした椎名林檎からも感じた。痛みの種類はちょっと違うんだけど。
林檎の痛さは、「肉体に根ざした本能」の痛みだと思う。うん、すごくセクシャルなやつ。
ヤイコの痛さは、「精神に根ざした本能」の痛み。メンタルに響く。
アプローチの仕方が少しだけ違うだけで、ふたりとも「受け容れたい・受け容れられたい」という本質的な欲求を歌っていると思う。だから聴いてて「痛い」。

『「痛み」ですか。痛い思いをしながら音楽を聴くと言うのは、少し独特な受け止め方ではではありませんか』

いや、痛いのはさ、聴く側、つまり僕の認識の問題じゃないかな。
なんか自分でも説明のつかない感情ってのがあってね、それを音と唄で明確に表現されて、そしてそれを僕が受け止めた結果、僕の神経がそう反応してるんだよ。僕の場合は「痛点」が刺激されてるから痛く感じるんだろうね。
感受性って人それぞれだし、感じた事を更に表現するのって個性がでるでしょう。僕はそうなんでけどヘンかな?。でも魅力的な歌であることは確かだよね。むしろ麻薬的かな。

『私も、矢井田さんと椎名さんは魅力的なうたをお歌いになると思いますよ。矢井田さんは焼酎がお好みみたいなので、もしこの店にいらっしゃったら特別に準備をしないといけませんね。焼酎は普段お出ししておりませんから』

ヤイコと飲むか…。いいな、楽しそうだな。じっくり差し向かいで飲んでみたい気がする。女性としてお付き合いをしてみたい気もするしなあ。
林檎はちと怖そうだな。怒られるこかではなくて、本性を詳らかにされそうでさ。

って、何を言わせるのよ…。

 


【2001年11月29日(木)】 〜 気づけよなぁ…俺たち

 昨夜、自宅でくつろぎながらPCのキィを「ぱたぱた」しておりますと、会社の上司からメールがきました。
 「うっ。嫌な予感」と、液晶モニターの前で身構える(ボクシングで言う「十字ブロック」をする心境?)ワタシ。

『住宅取得控除の添付用紙に不備があるとのことで、人事から申請書を預かってます。
「住宅癪入金等特別控除申告書」の本人名が「○川□男」さんのではなく「たかしぃ」のものが必要だということです。
〆切りは来週末まで。』

 んーん?????。

 ワタシの頭に大きな「?」マークが浮かびます。
 本人名?(俺は本人だ…アタリマエか)。○川□男??(誰だそいつ)。添付用紙に不備???(ちゃんとしたぞ)。

 うーん。全く思い当たるフシが無い。
 かみさんに「こんなん会社から確認きてんねんけど」と聞く。
 「さぁ?」との返事。
 そりゃそうだ。税金関係で俺にわからんことをかみさんがわかるとはちっと思えない(そういう夫婦なんです。我が家は)。
 「この『○川』さんて誰だろう」とワタシが言うと、かみさんしばらく考える。お、ちっとは考えてくれる。偉いぞかみさん、と自分でも理由もなく感動していると…。
 「あぁぁぁぁあああぁぁ」とかみさん。

 「おっ、なんかわかったか」
 「○川さんって、お隣さんだ」
 「なーんだ、お隣さんか。よかったよかった…って、なんで俺がお隣さんの名前で年末調整の書類書いてるんだよ?」
 「さぁ?」
 「さぁ?…って、税務署からもらった申請用紙もう一度出してよ」

 と、今年送られてきた用紙の束を見ると…。
 「うん。確かにお隣さんの名前だ。でもなんでウチにあんだよ」
 「さぁ??」
 「さぁ??…ってよぉ、ちっとは考えてくれよ。うーむ。…あっ。この住所はお隣だから…ってことは」
 「ってことは?」
 「郵便屋さんが間違えたんだよ。お隣さんのをウチにポストに入れたんだ。それに…確かウチは去年、申請用紙が束になって来てたよな。ちょっと見せて…そうだよ。これ、税務署から送ってくるのは10数年に一回なんだよ。ウチ去年来たから、去年の用紙の束から今年用のヤツ使わなきゃいけないんだ…」
 「なるほどー。去年も来たのにどうして来るのか不思議だったの。『毎年来るのか』と思っちゃたし、なにせ『税務署』さんからだから気になるから直ぐ開けちゃったし」
 「宛先書いてあったやろう。確認せんかったんか?」
 「だって『税務署』さんだもん。とにかく早く開けて確認したかったの」
 「うむー。でも、そういやぁ、俺も書類書きながら『○川』って誰だろう。市長の名前か?くらいにしか思わなかった。土地や建物の大きさも気にならなかったし…。まっ、ともかく明日会社に行って、申請し直しておくわぁ。『年末調整』は庶民には貴重な家計の財源だからな。それにしても、ウチの会社の人事も驚いたやろうなぁ。あ、俺、偽名使って入社したとか思われたかな(笑)。まぁ、よかったよかった。あははっ」

 「でも…お隣さん、年末調整の申請、どうするのかしら?。あなたもう書き込んで出しちゃったんでしょ??」
 「ぐげ?!」

 その日の内にお隣さんに事情を説明しに行き、先ほどお詫びの「菓子折り」を持って謝ってきました。
 あほ夫婦で、ごめんなさーい。


【2001年11月26日(月)】 〜 最近の収穫(ひさびさ?)

 えー。

 書きたいことはたくさんあったのですが、なかなか書けなかったです。忘れないうちに早く書かないと・・・。うむむ。

 相変わらずCDを買っています。いつもの大阪日本橋での発掘(人呼んで?トレジャーハント)ができず唸っていたのですが、大阪京橋の駅ビルに「スポット」を発見しました。日本橋と比べればフロアは狭いが、「怪しげ??」な輸入版が多く、早めに退社できる時はいそいそと足を運んでいます。足を運ぶ姿も怪しいかも。

 で、そこでの収穫はといいますと。。。

◆J.S.BACH ゴルトベルク変奏曲(BWV988) 他(2枚組):ダニアル・バレンボイム(P) -\1,000-

 バレンボイムの演奏家生活50周年記念盤(らしい)。
 ゴルトベルクの演奏は好みだが、録音が古いみたいでヒズ・ノイズが気になった。でも、まぁ、こんなもんか。
 Disk2のベートーベン(作品120)の方が好感を持ったのは我ながら意外。ベートーベンを聴くのはあまり「得意」ではないので。

◆TCHAIKOVSKY 白鳥の湖 他(2枚組):Kazushi Ono & Radio Bratislava Symphony Orchestra -\800-(!!)

 値段に惹かれて思わず手にしてしまいました。
 うーん、値段なりの音でした。演奏うんぬんよりも、音の感じが「ホーム・レコーディング」みたい。
 ま、こんなもんかな。。。ってなんちゅう感想や。感想ですらないかも。

◆J.S.BACH イタリア協奏曲(BWV971)他:ロバート・カサドシュ(P) -\1,000-

 やはり、録音は古く(1950年代)で、それなりでしたが、あの「ソニーレコード」レーベルがこの値段だったら、と思ったりもする。
 ソニーレコードのシリーズもの(ベストxxx100とかの類)でない超廉価版って初めて見たかも。
 なので思わず買ってしまいました。しかも、バッハを買う私です。

◆J.S.BACH オルガン曲集 (6枚組!!):トン・コープマン(Org)(!!!) -\1,800-(!!!!)

 今回の最高の掘り出し物は、コレ。値札を見て「うそぉぉぉぉ」と声を出してしまった。。。ほんまに店内で声を上げてしまったの。
 で、値段を3度確認した。桁一つ間違ってる事って、よくあるのものね。レジで虚しく引っ込めるのは嫌だし。
 期待通り、いや期待以上。演奏も、録音も、大満足でございました。うーん、至福。

 これがあるから、輸入版探し(あさり?)はやめられないです。

 それぞれの感想は、ぼつぼつと、と思っております。
 感想を書きたくて、まだ書いてないCDがかなりあるんだけどなぁ。苦笑。ま、それはソレで幸せなことかもなぁ。


【2001年11月25日(日)】 〜 御礼

 第17回の演奏会を「無事」開催することができました。

 これも、本当にみなさまのおかげだと思っております。心から感謝いたします。

 そして、私個人として、OPE会員を含めた私の周りの方々全てに御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。

 今年は改めて「歌う」ことについて「考えた」年でした。
 なぜ自分は歌いたいのか・・・ちょっとそんなところまで考えてしまいました。
 その答えは極端に個人的だし内省的で、しかも内容はあまりまだまとまらなないので、このスペースにすら書き付けることはできません。
 でも、一言でいえば「自我の解放」なんだと強く思いました。

 申し訳ありません。
 貴重な時間とお金を使って、会場に足を運んでいただいた方に、こんな自慰的なうたうたいが居る事を心苦しく思います。
 ただこれからも当分は「解放」とことが、私自身の歌い「テーマ」になりそうです。
 なので、単なる暴力的な解放でなく、「表現力」をもった解放にしたい。
 たくさんのことはできないので、一つづつ目標を決めて歌ってみよう。そんな風に考えています。

 もしよろしければ。
 これからもお付き合いいただければ非常に幸せです。


【2001年10月15日(月)】 〜 ミサ曲ト短調:個人的な考察(2)

 Gloria。「栄光の賛歌」である。

 「秘めた想い」。

 私は旋律からそんな感覚を受ける。
 「密やか」に神を称える。
 ほんとうの事ってのは「密やか」に想うことの方が、実際には多いのではないだろうか。

 ともかく。

 早いメリスマでのはじまりの"Gloria"は、各声部が重なり合うところが多い。6小節からのSoprano-Alto、10小節からのTenor-Bass、そして13小節からのSopranoと他声部などは、BACHとしては珍しいのではないのだろうか。10小節の動きは歌っていて心地よい。聴く側となってみれば、Sopranoの旋律は非常に魅力的である。また付点八分+十六分+八分(らぁん・ぱ・らーん)のリズムでの"Gloria"、そして八分+十六分+十六分+八分(らん・ぱぱ・らん)のリズムでの"De-o"は歌っても聴いても楽しいと思うので、歌う時にはリズム感で「際立つ」ように表現してみたいと思う。
 45小節からの"et in terra pax,.."。ここは器楽の音がぐっと薄くなり、合唱は「フーガ」形式で進行するこの部分が私はたまらなく好きだ。同じ3拍子の音楽だが、先ほどの"Gloria..."とは異なり、リズムではなく音で聴かせたい・聴きたい部分である。「地には、善意の人の平和あれ。」の歌詞を大切に「詠う」ことにより、自然に「フーガ」が浮き上がってくるのではないだろうか。レガート(音のあいだを切れ目なく演奏すること)唱法で歌いながら、言葉についてはアクセントを意識し明瞭するよう心がければ良いのではないかと思う。蛇足であるが、この部分を私は「祈り」の気持ちを特に込めながら「大切に」歌っている。
 64小節"Lau-da-mus te"からのは非常にポリフォニックな感じがする。基本的に"Lau-da-mus te"の「だぁ」、"ado-ra-mus te"の「るらぁ」、"glorifi-ca-mus te"の「かぁ」に重みを与え歌うように心がけている。ここでも、私はSopranoの旋律が好きであり、歌いながらSopranoの動きを確かめているのである。


【2001年10月1日(月)】 〜 ミサ曲ト短調:個人的な考察(1)

 演奏している曲について細かく話したことはないのだけれど、今年の演奏曲「J.S.バッハ ミサ曲ト短調」について、私が感じていることを書いてみたいと思う。音楽的な「バック・グラウンド」がない私がこんなことは無謀かもしれないが、一人の歌い手として率直に「感じて」いることをそのまま書いてみよう。

 いきなりなのだが、どうして"Moll(短調)"の音楽こんなに「切ない」のか。特にバッハはそれが際立っていると感じてしまう。第1曲"Kyrie"の前奏もたまらなく切ないのだ。
 この前奏に導かれて4声で"Kyrie"と歌い(唱え)、Altoがメロディを歌う。導入の"Kyrie eleison"は多少「和声的」な雰囲気なのだが、Bassの私にとっては39〜44小節の「進行」が好きだ。この"basso continuo"を活きいきと歌いたいと思う。活々というのは「ぶつぎれ」とは異なるところが、歌い手としては難しいところでもあり楽しいところでもある。
 そして"Christe eleison"であるが、これもなんとも言い難く「美しい」。非常に「多声的」であり「内省的」ではないだろうか。旋律もさることながら、下降の3連符がそう感じさせる。そして62小節からの内声(Alto,Tennor)と外声(Soprano,Bass)の「やりとり」は歌う側にとっては「喜び」を感じる部分だ。
 終わりの"Kyrie eleison"の入りは正直なところを言うと「苦手」である。普通ならばBassらしく「朗々」と歌えば良いのだろうが、私は「抑制」して歌ってみたい。それが出来ないのが辛いところだ。オクターヴの跳躍もそうだし、高い位置(音)でのメリスマ(一つの言葉で音を動かしながら伸ばす歌い方)が苦手と言うのは、Bassとしてまだまだ練れていない証拠だと思う。こういうフレーズが満足して歌えるようになれば良いのだが14年歌っていても、まだまだである。
 またこのメリスマは、基本的に8分音符の「遅い」進行である。これがまた「難しい」と思う。各パートが進行の中でそれぞれ「主題」を歌うのだが、その主題を「浮き上がらせる」ためにはパート同士がきちんと聞き合わないと、なかなか「くっきり」浮き出てこない。ここをなんとか全員で巧く表現したいのである。


【2001年9月25日(火)】 〜 圧巻。。。

 言葉がなかったりする。
 果たして、私の表現力でどこまでこの気持ちを表すことが出来るのか。困難な作業だが挑んでみたいと思う。

 グレン・グールド。。。鬼才、奇才、異才、偉才と言われたピアニストである。。。らしい。
 らしい、というのはその異彩を直接実感することがないからである。私は少しの期間だが、彼と同じ時代を生きたのにも関わらず、私はその異彩を感じる機会がなかった。

 私がグールドを知ったのは、恥ずかしながらこの2・3年だ。彼が亡くなったのが1982年であるから約20年間、私は彼の存在を「知らない」まま生きてきた。
 それが幸福であるのか不幸であるのはよく分からない。もし20年前に彼の演奏。。。正確には彼の演奏を記録した録音物。。。を耳にしたとしても、果たして、今ほど感銘を受けたかどうかは分からない。きっと、私はまだまだ幼かったのでなにも感じないと思われる。今だからこそ、これほどまでに惹きつけられるのではないかとも思える。しかし、リアルタイムに彼の演奏を、例えレコードやテレビ放送だとしても、耳にできたかもしれないと考えると、少々悔やまれるのだ。彼と「同時代」に生きていたのにそれに気がつかなかった事に。

 まぁ、過ぎてしまったことなので、仕方が無いことなのだけれども。

 9月22日の深夜、NHK-BSでグールドの映像が4時間放送された。「演奏する」グールドの映像を観たのは、これがはじめてだった。
 その演奏する姿には、きっと「賛・否」というよりも「好き・嫌い」がはっきりするのではないかと思う。歌いながら、それも外声ではなく内声らしいのだが、その旋律を声に出し、左手で「指揮」をしながら、グールドは左利きなので指揮も左手である、左手を動かしながら演奏をするその姿は「奇異」としか言葉では表現できないかもしれない。
 でも。圧巻だった。
 特に練習風景と思われる映像は、声に出しながら演奏し、自分の歌、きっと歌はグールドがイメージしている旋律だと思うのだが、歌に指が合わない時には腹立たしそうに立ち上がり、窓辺で何度かその旋律を歌ってからまたピアノに向かい鍵盤を軽やかに「たたく」。
 バッハ、ベートーベン、放送された「エロイカ」は素晴らしかった、そして現代曲の演奏、チェンバロでのバッハ、そしてオーケストラの指揮。。。若い三十歳前のグールドと、亡くなる数年前の深く考え込んだような面持ちのグールドとさまざまな映像が4時間流れた。

 音楽の全てを引き出そうとする、きっとそうだと私は思うのだが、その姿は圧倒的である。「圧倒的」としか表すことの出来ない、自分の表現力の乏しさが悔しい。彼の演奏から受けた感銘を、言葉で、そして自分の演奏で表現できればと切に思うのだ。


【2001年9月23日(日)】 〜 帰還・生還?やっぱりバッハ!

 恥ずかしながら、戻ってまいりました。

 もう恥ずかしくて「日記」という看板を掲げていられない。 ので、「Monologue」へリニューアル?ですが、内容は全く変わらずワタシの「ぼやき(関西風味)」であります。

 慌しい日常。。。まぁ慌しいのを「日の常」にはしたくないのですが。。。の中、音楽をたくさん聴いて、ちょっぴり歌を歌っております。

 で、やっぱりバッハ。なにをおいてもバッハ、かな?と思う今日この頃。

 ワタシは自室にいる時は基本的に音楽を聴いています。
 かみさんによると、ワタシの部屋から流れてくる音楽で、ワタシの状況が分かるそうであります。うむぅ、恐るべし。。。まぁ、かなり分かりやすいらしいようなんですけど。私の機嫌って。
 POPSを聴いている時は威勢をつけたい時、ロマンティック楽派以降を聴いてる時はノッている時、そして落ち着きたい時は古典派以前、やはりバッハを聴いているようなのだそうだ。さすが。。。わが妻、こうしてワタシを観察して日々の操縦をしているのだな。ふむふむ。

 色々と音源に手を伸ばして聴いているのだけれども、どうしても手が伸びるのはバッハである。まぁ、所有している枚数が多いこともあるんだけど。
 んで、ここ最近ハマっているのは、ズバリ「クリスマス・オラトリオ」。。。クリスマスにはまだまだ早いが、堅いことはいわないで下さい。特に、第4部のTenorのAria「われはただ汝の栄光のために生きん」を繰り返し聴いている。
 所謂バッハの「4大宗教曲(マタイ,ヨハネ,ロ短調,クリスマス・オラトリオ)」の中で、クリスマス・オラトリオはワタシとしてはそれほど惹かれるものではなかった。しかし或る日突然、ハマる時があるのです。そんなことってないですか?私だけなのかしらん??。
 Aria「われはただ汝の栄光のために生きん」は、保守的と言われようとも、リヒター&ヴァンダーリヒと思うのです。私はこの「透明感」ある演奏が好きなのだ。Tenorと2本バイオリンの絡み合い、そしてそれを支えるコンティニオ(涙)。。。この前に「歩み」を進めようとしている通奏低音に、私の陳腐な表現力では追いつかないような心の「震え」を感じるのだ。
 音楽による「推し進めていこうとする力」。勇気が湧いてくると思うのだけど、どうだろうかなぁ。
 コンティニオに喜びを感じるあたりがBassらしいといえばらしいんですけどもね。

 蛇足〜最近こればかり聴いてるので、かみさんからは「またか」という顔をされています。。。

 


【2001年5月31日(木)】 〜 Gender?

 先日、知人が某有名ホテルに女性ばかりで宿泊した時に感じたことを話してくれました。
 「やっぱりね、女性だけだと、どうしてもホテル・マンになめられてしまう。ホテル・ステイを楽しむには、それなりの流儀と作法があるんだけど、それがわかっていないとね。。。」
 「ホテルマンになめられる」。。。やはりそうなのか。僕はホテルでそう感じた事が無いのは、高級ホテルに泊まった経験が少ない上に鈍感なのだからでしょうか。
 まぁ、あまり感じたくない感覚ですね。僕はそう言った感覚には「過敏」に反応する方なので、今度機会があったらアンテナをはってみます。。。ハイソなホテルに泊まる機会があるかどうかはわかりませんが、ね。

 やっぱりなめられる、ってのは性差のせいなのでしょうか。
 そうだとしたら嫌なことです。

 女性だから。。。男性だから。。。いわゆる「紋切り型」の判断基準。ちょい今風(そうでもないか)に言えば"Gender"かな。

 僕は性別による「差別」という感覚は自分では希薄だと思っています。。。正直言ってゼロではないでしょうけれども。
 でも「区別」という感覚を強く持っています。だって、女と男は違いますから。機能的に。それぞれ、得手、不得手があるから。それと性差による傾向もあると思っています。だけど、固定的なものじゃない。あくまでも傾向だもの。
 でも、その辺りの僕の感覚はなかなか女性には理解してもらえないみたいです。
 かみさんには「やっぱりあなたには基本的に”男尊女卑”が根底にある」って言われてしまいました。
 うむー、それに関してはそうかもしれません。僕は地方(山口)の出身なので、どうもその土着的な、ある感覚が染み付いているようです。自分では分からないのですが。
 多分、マスコミに出ている「頭の良さそうな」女性をことごとく「コイツ嫌い」って口に出して言うからでしょうねぇ。かみさんは僕の事を「高学歴の女性が嫌い」と理解しているようです。そんなことないんだけどなぁ。
 例えばある東大卒のタレント・女優さんがいましたが、僕は一時期すごく苦手だったのでそれを口に出して言っていました。そしたらそんな判断をされちゃった。僕が彼女の何処が苦手だったかというと、彼女から「東大卒」とちょっと可愛い「見た目」を差し引くとすごく空虚な感じがしたからです。でも、「東大卒」ってブランドに本人もまわりも浮き足立ってるような感じを受けたので苦手だった。ま、それほど彼女の事を詳しく知らないくせに判断してはいけないのかもしれませんが、そう思ってしまったのです。
 加えてこれまた東大卒の大物歌手の方(うーん、ばればれじゃん)もどうも苦手で、そう口に出して言っていたら、かみさん的には「この人は「東大卒」の女性が嫌いなのね」って事になってしまいました。
 うーん、それも違うのだけれども。僕が彼女の苦手な点は、彼女の政治的、思想的な発言や行動がどうも僕と合わないからなのです。
 まぁ、説明するのが面倒になっちゃって、まぁそれでもいいかなぁ、なんて諦めてしまいました。
 同じ東大卒でも「菊川怜」ちゃん、なんてのは悪くないけどなぁ。。。(笑)。上記の理由にしたって、後から付けた感も否めませんけどね。

 別の知人と酒飲みながら話したことで印象的なものがあります。
 「本当に陰湿なのは、女性よりも男性だ。特に会社組織の中では」
 この言葉、理解はできますが、未だ納得はできません。だって、僕は、自分で身をもって実感しないと分からないのです。
 でも。。。実感したくないなぁ。実感した時って、多分自分が非常にヤバイ状況に陥るって事だものね。

 女と男、それぞれ性差による傾向はあると思います。

 でもそれは固定的なものではない。あくまでも傾向だし、個人によって違うもの。
 だから紋切り型でその個人を判断してしまうのは、いかがなものか、と思えてならない。
 そりゃカテゴライズした方が簡単だけど、人間ってそんな単純なものなのかな。

 だから、男だからカサツ、女だから感情的、若いからバカ、おばはんだからあつかましい、おっさんだからくさい、とは僕は思いません。ふたご座だから、A型だから、未年生まれだから。。。その人のパーソナリティって決まるのかな。遊びとしては面白いけど、万事それで人間関係を規定して型にはめてしまおうとしてないだろうか。

 だから、僕は紋切り型ではなくその人個人を知りたいから、ゆっくり話をしてみたいと思う。
 でも、これが非常に悲しいことに、紋切り型通りの人が実際には多いから、世間一般ではそんな風に簡単に捉えられてしまうのでしょう。

 紋切り型で捉えられないような人間にならなくちゃね。オレもくさいおっさんにはなりたくないし。
 おーい、女性ばかりだからって、なめんじゃねーぞ!。


【2001年5月30日(水)】 〜 コンプレックス

 僕は常に「コンプレックス」と戦い続けてきた。二十歳代はまさにそうだった。。。うむー、文章にするとめちゃめちゃ大げさやなぁ。
 その(本人的には)激闘の末、ようやく折り合いがついて「のほほん」とした三十歳代を過ごしているわけだが、一つだけ落ち着かない事がある。

 僕は、身体が弱い。
 風邪をよくひく。左足は膝と踵がいかれている。首と腰の痛みは慢性化している。
 まだ、三十路なのにぃ。自分のこれからを思うと少なからず憂鬱である。
 これが今、僕が克服すべき「コンプレックス」である。

 今週、来週は仕事がピークなのにもかかわらず、今日はとうとう寝込んでしまった。
。。。それでもこんな文章を書いてる。ま、分別あるはずのオトナがすることなんだからいいじゃないですか。今日は無理すりゃ出勤できたけど、来週末から巡業に出るので、ココでバシっと治しておかないとマズイと思い、療養の英断を自己判断で行いましたぁ。
。。。って、自分で言ってどうする!。
 などと言っておりますが、本人的には少なからずへこんでいる。
 はっきり言って風邪なんかひくのが悪い。「健康管理」がきちんとできてこそのオトナでしょう。
 でも、できない。できていないのがワタシです。

 努力はしているのだけどなぁ。お酒を翌日に残さない、とか、無理な徹夜はしない、とか、地味に気を付けているのだけれども。
 だけど、風邪は少なくとも年2度はやられています。マスクとか、うがいとかマメにやっているのだけどなぁ。夜更かしがいけないのかもしれませんが、これを止めてしまうと本当に平日は家に眠りに帰るだけの生活になってしまいます。
 うーむ。そこまでの「健康管理」は必要なのだろうか?。多分必要なんだろうな。でもなぁ、23時に帰宅して24時に寝て、翌日の6時半で出かける毎日って、果たして良いのだろうか?。寝る時間1時間削ってメールや駄文を書くことはイケナイことなのかしら。。。と思わなくも無いのだ。

 風邪。。。言うか、喉の弱さにはずっと悩まされている。子供の頃は直ぐに扁桃腺が腫れて高熱(40度くらい)をよく出していたので、小学1年時に切ってしまった。最近は扁桃腺を切らない事が多いらしいのだが、もう切ってしまったんだもの。もうあの日にはかえれない。。。おかげで高熱を頻繁に出すことは少なくなったが、一度喉をやられるとひどいことになる。即、気管支炎。あっという間に肺炎の一歩手前である。
 また空気が乾燥するとすぐに喉が痛くなる。まぁ、元来の声の大きさが幸いして痛いなりにも大声はでるのだけれども。
 でも、去年交通事故に遭ってからは今度は湿度が高いと身体が痛くて仕方がない。

 本当に困ったことだ。
 コレって気合だけの問題かぁ?。僕は根性だけではどうにもならんと思うのだがなぁ。
 かと言って、「体質改善」のための「栄養補助食品。なんとか」「健康食品。ほにゃらら」てぇ物に手を出す気は全く、ない。

 うーん。果たしてこの感覚はいったい自分の中でどんな風に「折り合い」をつけるのかしら。
 ま、克服べき課題がまだあるってのは、人間の進歩の源だと思ってやっていこう。。。やっぱり、体調が低いと文章も低調だな。


【2001年5月29日(火)】 〜 やり手ビジネス・パーソン?

 みなさま、こんにちは。
 最近、このコーナー、ワタシの仕事関連の話が多いとの評判を耳にしております。
 が、気にせず仕事の話から書き出してしまいます(笑)。

 ただ今出張中です。
 OAP大阪帝国ホテルにて、マイクロソフト社の”2001 Spring Conference”に参加しておりまして、基調講演前の時間に、NECのモバイルギアでこの文章を書いております。。。なんて書くと、いかにも「やり手」みたいなのですが、全くそんなことは無いのが少々悲しい現実であります。
 ま、悲しくもないか。こうして出張中に非常に個人的な文章を書けるくらいの人生なのですから、そんなに悪いものではないのでしょう。

 大阪帝国ホテルは数度来たことがあります。。。でも泊まったのは一度きり(笑)、しかも社用で特別だったので(普段泊まれる事は「絶対」にありません!)、身銭を切って泊まった事はないのです。その時は河側、多分対面は造幣局だと思うのですが、河と緑が窓の目前広がるツインルームに男2人で泊まりました。しかも当日は泥酔状態だったので、まーったくシティ・リゾートを楽しむ事もなく、ホテルを後にしたのです。
 その時に朝のビュッフェで食べたオムレツは旨かったな。シェフがオーダーに従い目の前でオムレツを焼いてくれました。私はシメジのクリームオムレツを食べたのですが、絶品でした。まさに中がトロリ外がふわり、って感じでした。

 さて、基調講演。
 私はJR大阪駅から帝国ホテルのシャトルバスに乗って来たのですが、定員40名強のバスがほぼ満席でした。私の席の隣の人も参加証。。。いわゆる「プレスシート」みたいなヤツで首からぶら下げるもの。。。を持ってはったのですが、どうも個人で参加申し込みをされたみたいです。初老、会社で言えば部長職以上の年齢だと思うのですが、なんでまぁ個人申し込みをしたのだろうか?。もしかしたら熱心なMS製品の購入者でOfficeXPを1000本買ってしまう人なのかもしれませんが。。。よくわかりませんでした。ま、MSの株を購入しているのかもしれません。

 私は自社のマイクロソフト社製品の一応「集中購買窓口」の業務を担当しています。

《ここで基調講演がはじまりモバイルギアでの書き込みから帰宅後PCからの書き込みにへ》

 一応。。。ってのがこれまた悲しい。
 だってね、MS製品って弊社がMSの「仰せの通り購入させて頂いている」って感じなんだもん。ま、マーケット・シェアがいかに偉大かってことを実感いたします。

 基調講演会場は大広間のパーティションをぶち抜きで、3部屋分使っています。正面には2枚の大型スクリーン、中央に演台が据えられています。演台上に置かれている10台のPC。。。客席は1000席はあったのかな?。席数をちゃんと数えていないのでよくわからないのですが。。。
 10時半定刻、まずは凝ったMSのイメージビデオが流れます。
 "Where do you want to go today?"のMSのキャッチフレーズが画面に表示された後、MS日本法人社長阿多氏が登場。1時間半、製品デモ(OfficeXP&WindowsXP)を交えながら熱のこもった講演をされました。
 予定時間通り、終えるのがエライ!。流石って感じです。

 阿多社長の一番印象に残った言葉。。。
 「マイクロソフト日本の社員の中の多くが「.net」について充分に理解しているとは言えないのです。私(阿多社長)が社員1000人の前で説明すれば理解してもらえるか。。。それを実現するプロセスのために。。。」
 動機付け、問題意識の醸成は、どこの組織にとっても大きな課題のようです。
 世紀を越えた今、まずは高いモラール(志気)を得た組織だけが21世紀型の(ビジネス)モデルを創出できるのでしょう。。。なーんて思ったりしたのですが、じゃ、具体的など言われて、明解な回答ができれば私は経営者になっています(笑)。

 会社組織に限らず、個人の動機付けをいかにするか、ってのが本当に問題だよね。
 だって、動機付けなくて、なーんとなく生きていてもそれなりに生きていけるのが今の世の中だから。逆に深く考える人の方が苦しいってこともある。特に「平凡」な人間ほど深く考えるのが辛いのが今の日本だと思えてならないんのです。

 でも、なーんかおかしいよね。

 今が「過渡期」と思いたい。んにゃ、過渡期にしないとまずい。自分が快適に過ごそうと思ったら、そうなるようにしないと。やっぱり、困ってる、って感じてる人間が自らなんとかしないと物事って変わらないんだもの。
 あ、それが「問題意識」なんだな。今、気がついた(笑)。


【2001年5月27日(日)】 〜 発泡酒は。。。

 あくまでも「発泡酒」って、思っていました。

 飲むならビール。「税金」を飲まされているかもしれないけれど、ビール。「高い」と言いながら、少し安くなっているビール。
 。。。ぼくが飲み始めた頃は、350ml = \245-だった記憶がありマス。朝5時、バイト上がりに自販機に\250-を投入し、朝刊を読みながらクピクピ、と、寛いでから寝るってことをしていたのが、ついこの間のことのように思われる。もう、10年以上前のことなのねー(遠い目)。
 思い返せば色々なビールを飲みました。
 一番最初に好んで飲んでいたのはアサヒの「生」。ドライではありません。アサヒの普通の生が好きだったのです。
 「ピュア・モルト」ってのもあったかなー。これも好きだった。

 大学2年の頃に憎っくき(笑)「スーパー・ドライ」が登場。コイツが日本のビールの味を変えてしまったと苦々しく思っている。。。ま、今でも支持されてるからなんとも言えないですけどぉ。
 After Dry...の当然の帰結(?)として、キリン・ラガーを手にとりました。ビールはやっぱ「苦い」ビールだよね。
 そうそう。キリンにブルーラベルの「生」があったの、覚えていらっしゃいますか?。これもよく飲みました。
 で、そうこうしているうちに、ラガーが「生」になっちゃって(ラガー・ビールって長期熟成ビールの意味なので熱処理は関係ないらしい)、味もマイルドになったしまった。。。でも、キリン・ラガーがやっぱ好きなのですがね。

 それから「発泡酒」というものが出てきた。
 巷では「節税ビール」とも言われているらしいが、ぼくは発泡酒はビールとは異なる飲み物だと思っている。蛇足だが、ぼくは「個人的」にはドライも「ドライ」という種類の飲み物と思っている。。。
 ビールはビール。発泡酒は発泡酒。ドライはドライ。と思っていたのだ。

 ともかく。

 コレはなんだろうと思う発泡酒が出現したのだ。
 サッポロの「生搾り」。
 うまい。
 うまいのだ。失礼な言い方をしちゃうと「発泡酒」なのに、うまい。ビールが飲みたい時にも充分ビールしている発泡酒なのだ。

 これって、反則ちゃうの?。

 ジュニア・ヘビー級なのにスコット・ノートンを投げ捨てる。
 660ccなのにGT-R(R32)をぶち抜いてしまう。

 そんな感じだぁ。
 2週間で1ケース飲んでしまったのです(苦笑)。
 しばらく飲み続けようと思っております。難点はぁ、ちょい安価だからってたくさん飲んでしまいます。懐にやさしい発泡酒なのに、意味がなーい。ま、同じ金額でたくさん飲めるからヨシとすべきか。。。

 ところで、「発泡酒」って日本以外にあるのかしらん。


【2001年5月26日(土)】 〜 今日の音楽(3)

 今日は久しぶりに大阪日本橋に買い物に行きました。PC関係の買い物ではありません。
 CDを物色に行っておりましたぁ。


【今日の成果物】
 J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集1・2,フーガの技法,音楽の捧げもの(全曲:7枚組)
 シューマン:交響曲1−4,謝肉祭など(4枚組)
 モーツアルト:ホルン協奏曲1−4


 昨日がペイ・ディだったのですがぱぁーっとCD代として使ってしまった。貰った次の日に使ってしまうなんてぇ、小学生レベルですな。
 日本橋までCDを買いに行くのは年数回なので、多めに買い込んでしまう。CD、ホントはあと何枚か欲しかったのですが(苦笑)、全部使ってしまうとさすがに困るので我慢しました。。。ビールも買えなくなるしね。
 「欲求に正直に、本能に素直に」を旨としてる私ですが、さすがにこの程度の抑制はあるようです。まぁ、他の本能を優先したいから今の本能を抑えるのですが、ね。ってこれって「本能」とは言わないか。。。

 別にクラシックだけを聴いてるわけではありませーん。
 でも今はとてもクラシックが欲しい耳なので、買い込んでしまった。

 とか何とか言うわりにはこの前、モー娘。のDVDなんかを買ってしまったりする(笑)。。。しかも中古だけどね(苦笑)。
 モー娘。はいいね。つんくの聴いてきた「アイドル」や「洋楽」の匂いがするので、好き。ぼくは彼と聴いてきた音楽が多分似ているのでしょう。つんくとは年代も近いしね。。。でも、歌っている彼女達自体にはあまり興味がなかったりします。
 でも、「ラブ・マシーン」のプロモはよく出来てると思いましたけどね。あれは可愛いわぁ。
 あと「サマーナイト・タウン」はよく出来てるよな、曲として。「サマーナイト・タウン」は一昨年の夏、2週間くらいハマりまくって聴いとりました。ほとんど「刷り込み」に近い状態。

 メロディーが耳から離れなくなることがあるのだけれども、そんな状態ってありませんか?。
 つい最近はB'zの「Ultra Soul」のサビ・メロがアタマをくるくる回っておりました。。。

 椎名林檎も去年の今ごろめちゃハマっとりました(笑)。
 「本能」と「歌舞伎町の女王」は、これまた2週間くらい自室&車中でずーっと聴いてましたね。
 林檎はあの「確信犯」的なとこが好きですね。車で聴いているとかみさんにすごーく嫌な顔をされましたが、ねぇ(「本能」的に合わないらしい)。林檎もビデオを買ってしまったしぃ。。。

 ま、私の耳はばらばらなのです。
 いや、耳に限らず、万事がそうかな。ワタシの嗜好は。一次的欲求については特にね、そう。

 で、今のワタシの耳はクラシックモードなのです。

 今日の最大の成果はモーツアルトのホルン協奏曲。
 いつもの如く、輸入版なので詳しいことがわからない(悲)。演奏情報をまたWebで調べないとなぁ。せめて、CDに書いてあることくらいを読める語学力が欲しいと思う今日この頃です。
 演奏はぼくの耳に非常に馴染みました。モーツアルトはつい最近まで苦手だったのですが、この頃好んで聞いています。
 我がOPEの音楽監督も「ぼくも若い頃はそうだったなぁ」とおっしゃってました。ってことは、ワタシもソレナリの歳になったってことかしら。
 音楽を聴く耳、音楽性、そして人間性が成長したと思いたいのですが、どうなんでしょうね。

 グルードの演奏を全部集めたいのだけれど、高いなぁ。ソニーレコードさーん、なんとかなりませんか?


【2001年5月23日(水)】 〜 今日の音楽(2)

《J.S.バッハ:”ゴールドベルク変奏曲”BWV988》
 グレン・グールド(1981)〜再録音版

 バッハをもう10年(まだ10年)歌っているけど、グールドの演奏を聴いたのはつい最近だ。じっくりとその演奏を聞いたのは去年の大晦日のNHK−FM、礒山先生が出演していたグールドの特集番組だ。
 放送を聴いて、すぐにこのCDを手に入れた。そしてこのところ、このCDばかり聴いている。

 バッハの鍵盤曲をピアノで聴くのはどうも苦手だった。特にロマンチック。。。という表現が正しいかどうかわからないが。。。な演奏はどうもだめだった。好きになれなかった。
 だが、グルードは違う。明らかに違うと感じる。
 特にこの彼の最期の録音「ゴールドベルク」は際立って特異だと思えてならない。

 グールドのバッハは「歌っている」のだ。

 ポリフォニーの「旋律」が浮き上がって聴こえてくるのだ。
 。。。これも妥当な表現ではないと思う。言葉をかえるなら、グルード「言わん」としている旋律と、ぼくが聴きたい旋律が合う。いや、グールドの想うバッハの旋律がどんどんぼくの中に入ってくるのだ。
 ぼくはポリフォニーを学術的に理解はしていない。音楽理論はわからない。だけど、グールドの弾くピアノのバッハは紛れもないバッハの音楽だと思えてならないのだ。

 癒し。。。という言葉はあまり好きではない。
 でもグルードのバッハに普遍的。。。かわりのない安らぎを感じて止まない。


【2001年5月19日(土)】 〜 職人気質

 ぼくは、コンピュータ・システム・エンジニアを生業としている。
 だけど、「職人」になりたいと思っている。「アルチザン」っていった方が意味が合ってるかな?。

 「アルチザン」。。。フランス語らしい。職人の意らしいのだが、日本語では「名人芸」「職人芸」と言う意味の方が近いかもしれない。ぼくはその言葉に「匠」への甘美な響きを感じるのだ。
 もちろんぼくは企業組織の一員だし、しかもコンピュータ・システムという「目に見えない」ものを創っている。そこで「職人」という感覚は相容れないのかもしれないが、それはそうだろうか?と思うのだ。

 例えば。。。
 家を建てる。有名ハウスメーカーで建てる。大手企業組織ってのは仕事ってものを標準化(材料が均一で製作も手順化されている)することにより品質と納期、価格を一定の水準に保っている。
 だけど、家を建てるのは大工だ。柱の一本いっぽんの特性を見極めて組み上げるのは職人の仕事だと僕は思うのだがどうだろう。

 やっぱり人なのだ。成果物は創る人の資質が大きく影響する、と思う。

 ぼくはシステムを創る。
 目には見えない。見えるとしても、論理や考え方を記述されたドキュメント。。。紙の資料くらい。 だけど、その論理や考え方の中に「こだわり」を持ちたいのだ。

 私のもの、私らしいもの。

 観点や切り口ってものは、非常にパーソナリティーの出る仕事だと、ぼくは勝手に思っている。
 もちろん。SEの仕事にも標準的なアプローチの仕方、手法ってのがある。それを踏まえた上でぼくはぼくの独創性を入れたいのだ。
 マス・プロダクトの工業製品ではなかなかそうもいかないかもしれない。
 また、コンピュータ・システムにおけるプログラムにおいてはコーディングレベル(プログラムの実際の記述工程)で凝ったものを作るのはご法度だと思う(修正などの維持管理がたいへんになる)。特に個人利用のプログラムではなく業務システムの場合はそうだ。
 だけど、その前工程ではシステム化リーダーの「名人芸」が要求されるのだ。
 だってね、場合によってはコンピュータ・システムを作らなくても発想ややり方を変えればプログラムなんて必要なくなる場合がある、と言うかそんな場合が多々あるのだ。SEなのにシステムを創らない?。いえいえ、コンピュータ・システムを創るだけがシステム・エンジニアの仕事じゃない。結果として、その業務が円滑に行えるようになればいいのだ。そこにはコンピュータ・システムの開発が必須ではない。やり方、業務のプロセスを変えるってのが企業SEのミッションなのだ。
 コンピュータ・システム屋なのにコンピュータ・システムを創らないで成果をあげる。いーじゃん。
 逆に。。。というよりこっちが普通なんだけど、コンピュータによるシステム化を行うことがきっかけとなって業務プロセスが変わって仕事がやりやすくなるってのもある。
 それらを判断するのはリーダーSEの「技量」なのだ。

 コンピュータ・システムってのはわかりにくい、目に見えない、手にすることが難しいってのがツイラとこなのだが、そこが「わかるヤツだけわかてくれりゃいい」というってのもある。ハードボイルドだねぇ。

 やっぱり「アルチザン」になりたい。
 どーだ、これがオイラの仕事だぜ、って言えるってのはかっこいいと思うのだぁ。


【2001年4月17日(火)】 〜 モバイルの実際

 モバイルはぼくには身に付かない、と思っていた。
 過去形、である。今は(多分)3度目のトライアルを試みていることろだ。

[過去の失敗その1]
 東芝のLibrettoを購入。カードモデムと携帯電話用データ通信カード(9600bps)も合わせて入手。
 。。。利用時間があまりにも短く(1時間強)て、挫折。。。
[過去の失敗その2]
 松下のPinokio(PHS内蔵携帯情報端末)を購入。
 。。。文字入力、時に手書き入力が相性悪く、あえなく挫折。。。

 以上のような貴重な経験から、今回はNECのWindowsCE機(MobileGear2)を購入した。懲りない、との声が聞こえなくはないが、ま、堪忍して下さい。
 既に使用を開始して1ヶ月。ようやく、これは「使える」みたいだ。

 「使える」と思った、その理由。
 この「日記」のような駄文のほとんどが、WindowsCE機で書かれているのです。
 通勤途上、片道1時間の電車の中で、ここの文章は書かれているのです。
 そう聞くと、「使える」と思うのは。。。私だけだなぁ、きっと(苦笑)。

 今回はやはり過去の経験が少しは役に立っているみたいで、一気に機器を揃えるのではなく、確かめながら遊んでいる。先日、ようやくデータ通信用のPHSを入手した(笑)。

 さて、これからどうなることやら。ロードテストのはじまりである。私に根付かなかったモバイルが、果たしてどうなっていくのかが、自分でも興味があるのだ。枯れるか、花が咲くか。こう、ご期待でございます。


【2001年4月16日(月)】 〜 文字のコミュニケーション

 ぼくは文字によるコミュニケーションが好きだ。

 もちろん、会って話をするのも好きだけど。
 ま、ぼくは基本的に人好きだし。。。女好きという声もあるが(笑)。。。寂しいのが好きではないという性質だから、そうなのだろう。
 今や懐かしい響きのある「文通」なんてのも、男の割にはよくやっていた方であろう。同時期に最大で5人のヒトと文通してたことなんかもあった(笑)。中学・高校の5年間続いたヒトなんかもいる。そんな人間である。イマ風に言えば「メル友」だろうね。
 現在は定期的、例えば週1回必ずメールの交換をする決まったヒトがいないわけではない。ネット上のみの知人も結構な人数がいると思う。もっとも人数を数えたわけではないし、世間一般のメル友平均人数なんてのもしらないんだけど。
 仕事の上ではメールは不可欠である。1日40通受信し、10通送信するってのは普通である。ぼくのメールは同報メールが多いので、人数にすると30名くらいだ。300名の同報メールコードを複数持っていて、月に数回使う。業務上必要なんだけど、我ながらかなりすごいと思っている。WORM系のコンピュータウイルスにかかったらかなりヤバイ、と思う。

 最近、特に仕事上よく聞く言葉なんだけど、こんなのがある。

 「仕事を進める上で、直接会って話すことはもとより電話で話す機会が極端に減り、電子メールの比重が大きくなってきた」。
 そして、こんな風に口にする人の多くは「しかし、直接のコミュニケーションが大切なので、極力相手方に出向いてお話をしたい」と言っている。

 この言葉にぼくは大きな違和感を感じる。
 それは、対面以外のコミュニケーションは「直接」的なコミュニケーションではない、と言っているようにぼくは感じる。その感覚に対しての違和感なのである。
 対面によるコミュニケーションは、日本(の文化)においては「正」であるという考え方が根強いのかもしれない。でも、ぼくにとっては、対面であろうがなかろうが、コミュニケーションは「直接」的なのである。
 だって、そのやり取りの中には 第三者 が介在してないんだもの。手段が異なるだけで交歓(交感)については全てダイレクトで行っているのではないかと思う。
 多分、対面のコミュニケーションが一番である、と思う人は、対面しないコミュニケーションは「視覚」的な情報量が圧倒的に少なくなるから、伝達が正確にできないと思われているのではないだろうか。

 だけどぼくは少し違うように思っている。視覚が少なくなれば他の感覚に注意すればよいのだ、と考えてしまう。電話の声のトーンだってそうだし、文章にだって注意して見れば「雰囲気」を強く実感できる可能なのだ。
 むしろ、情報の入力経路が少なくなる分、その「雰囲気」は対面の時よりも顕著に出てくるのだ。文章はその人の個性が圧倒的に出てくるものなのだ。
 そう思うと、ぼくは文字によるコミュニケーションに一番緊張感を覚える。自分がそんな風に感じるってことは、相手もそう感じる取ることができるということなのだから。
 そのことを実感できれば、ネットのコミュニケーションは時間・場所を超越することができる。
 限りなく無限に近い「リレイション」を持つことだって、可能だと思いませんか?。

 繋がりましょう。。。


【2001年4月4日(水)】 〜 テクノロジーに関する独断と偏見

 ぼくの職業は「歌手」だ。。。といいたいのだけれど、そうではない。

 ぼくは「コンピュータ・システム・エンジニア」である。「SE」と略する職業が最近多いので、他の人に質問されたらこのように答えるようにしている。枕に「いちお」とつけると更にイマ風である。「いちおSE」。。。でもイマ風が嫌いだから、ぼくは「なーんちゃって」ってのを付けることが多い。 ともかく世間的には、ぼくはIT業界のヒトなので、テクノロジーについてはソレナリのうんちくを持っている。もちろん含蓄は、無い。

 でこのところ、IT、アイティと持てはやされているけど、テクノロジーってのは、たった一つのことが欠けると進歩しないのだと思っている。
 例えば。。。
 ワタシは半年の間に2台の携帯電話を購入した。この世界は「ドックイヤー」とか揶揄されているように商品サイクルが短い。でも、まぁ半年間なので勘弁してほしい。なぜこんな短期化に携帯電話を切り替えたかと言えば、唯一理由、「バッテリーの持ち」である。仕様数値としてはほぼ同じの電池寿命のだが、明らかに先代の携帯の寿命は短かったのだ。「電池の不良」「電池メーカーが異なる」というのが理由もしれないが、ぼくは違う理由を考えている(あくまでも想像)。
 我が社の東京オフィスは都心のド真ん中のクセに非常に携帯電話の電波が弱い。気がつくと直ぐに圏外になってします。そこの出張した時、2台の携帯電話の電池寿命が明らかに異なるのだ。先代の方は、あっと言う間にローバッテリーである。見るみるうちにメーターが減っていくのにはさすがに驚いた。だけど今持っている携帯電話は3倍以上通話ができる。
 これは多分、こういう理由だと思う。「圏外になった時の電源制御の考え方が異なる」のだ。
  先代の携帯は電波が弱くなると、電波を拾おうとがんばるタイプ。そうすると消費電力は格段に増えるはず。だから圏外にいると、全開で電波を探すからあっと言う間に電池切れなのである。対して今もっているやつは、電波が弱くなって圏外になり、ある程度時間が経つと「まぁしょうがない」とあきらめるのであろう。あきらめるから電池を使わない。よって長持ちする。

 無論このことにはっきりと気がつく前に、携帯を買い換えたんだけど、実際はそんなところだろう。ワタシは電池製造メーカーに勤務しているけど、さっきもいったように「なーんちゃってSE」なので、電池の細かいことは知る由もない。でもね、電源制御をするのは多分ソフトウエアだから、なんとなく私の想像は外れていないのではないかと思う。
 この違いはなんなんだろう。というより、テクノロジーとしてどちらが正しいのだろうか、と思う。がんばって電波を拾うほうが真面目で、あきらめちゃうのは不真面目なのかもしんない。でも電池が長持ちするのははっきりいってうれしい。もっと言えば無駄な努力して疲れているのはぼくにはあほらしく思えてくる。
  ぼくなんかは、電池が長持ちの方がうれしいので、半年で携帯を買い換えてしまった「不真面目派」である。

 つまり、工業製品ってのは使い手の望んでいるものをいかにタイムリーに提供できるか、ってことなのではなかろうか。だってさー、いくら実直でも使いもんにならんもんにお金なんかだせないよね。
  もちろん、作っている方からすれば、みんな一生懸命作っている。ぼくはメーカー勤務なので、その状況や気持ちが理解できているつもりだ。だけど買うとなると、やっぱり自分の価値観に適合したものを手に入れたくなる。
 良いものは売れる。売れるから機能が進歩して価格が安くなる。
 テクノロジーってのは、使い手のコトを考えた小さな「心配り」があって、はじめて進歩するんじゃないかな。うーん、これって自戒のことばだよね。


【2001年4月3日(火)】 〜 「料理」(をさせる)のコツ

 ぼくは、料理が好きだ。「趣味」と言ってもよい。

 でも食器の洗い物は嫌いなので、兼業主夫には向かないと思う。専業ならば、まぁなんとかこなせると思う。だって、他にだれも洗い物やらないんじゃぁ食器の汚れ物がたまる一方だもんね。
 「生活」としての家事は、ぼくはたぶんこなせる。かみさんと比べて手際が悪いのは料理くらいだと自分では思っている。密やかな自信だ。でも、文句言いのワタシにかみさんもよく対応してくれている。影ながら感謝だ。

 で、普段あまりしないのだが、料理を趣味として作る。自分の作ったものは(かなり)旨いと感じている。結構やりたがりなので、作って人に食べさせたいなんて思う。昨日も書いたが、ぼくは自分で良いと思えないものは他の人に勧めることができないので、料理はそれなりの自負があるのだ。
 料理を作るのはとても楽しい。ぼくは作り始める前に、作りたいものの味や盛りつけをイメージしてから料理をする。イメージと実物をすり合わせていく感覚が好きだ。楽しい。また、よそで食べたもの。。。特に味を再現するのが面白い。もちろん味の再現は難しいが、自分の舌の記憶を蘇らせる過程にわくわくする。

 ぼくはどうも、かみさんよりは味覚が敏感らしい。かみさんは目盛りが1センチの物差しを、対してぼくは1ミリまで測れる物差しをそれぞれの舌に持っているようなものではなかろうか。なぜならば、かみさんとぼくの食べ物の「旨い」と感じるスイートスポットの大きさが異なるのだ。かみさんは、かなりなんでも美味しく食べることができる。ぼくが不味くてもう食べたくない時(店)でも、そうである。ぼくはポイントにあたるのは難しいが、当たるとデカイみたいだ。どっちが幸せなのかはわからない。こんなふたりなのだが、料理でモメないのは「食」に手を抜かない、食べることが好きという点で一致しているからだ。基礎が同じならば上にのってるものが少々違っても夫婦は結構やっていけるものだと最近実感している。基礎ってのは「価値観」と言い換えることができるのかもしれない。
 んで、趣味と公言しているぼくの作る料理を、かみさんは旨そうに食べてくれる。実際に「美味しい」と言ってくれる。これは、かみさんのネライにノセられているとも思うのだが、まぁ、悪い気はしないのでまた来週も作ってみようかと思ったりする。

 言葉にするってのは意味があるよね。特にポジティブな事柄はなおのコトね。
 単純なワタシは次回、先週作って、少し不満が残っているチキンドリアのリベンジをもくろんでいるのだ。


【2001年4月2日(月)】 〜 すこし上を向いて歩こう

 久しぶりの更新です。

 毎日掲載する事を旨としていたのだが、ぷっつりと途切れてしまった。理由は、まぁ月並みで「仕事が忙しかった」んだけど、やっぱり理由にはならないよね。他の事はしてたんだけど、Webの更新をしなかったのは、一言「気分がノらなかった」ということに尽きるのだろう。
 実は更新できない(しない)間も、ぽつぽつ文章は書いていたんだけど、どーも掲載する気にならなかった。「書いた文章が自分が読んでも面白くない」「ネタ的に偏り過ぎている」など、掲載しなかった理由についても色々あるんだけど、詰まるところ「気分がノらなかった」に帰結するのだ。
 ま、ワタシの文章はたいしたものではないのはわかっているのだが、自分が「つまんねー」と感じるものを公開するなんてことはできないのだ。仕事にしても、私生活にしても、自分が「良い」と思えないものを他のヒト勧めることは、少なくともぼくにはできない。「自己表現」の上で「自己満足」できないものを公衆の面前にさらすわけにはいかないのだ。例え、それが自分の駄文であっても、と思っている。

 てなわけで、「日記」と言いながら先週書いたものは「お蔵入り」です。蔵出しがあるかどうかは。。。その時の気分ですね。

 さて、世間は思いっきり「春」だ。桜も六分咲きである。今年は関東の方が桜の開花が早いらしく、上野公園は既に満開だそうだ。知人が先週末にお花見をしたそうだが、花冷えが厳しく、ひどく寒かったと嘆いていた。
 私の住む裏六甲山麓では、まだ三分咲きと言ったところだ。窓から見える有馬温泉もまだまだ桜の色が確認できない。会社の構内の桜は五分ってとこかな?。
 てなことは、視線が少なくとも水平でないと気がつかないと思う。足下ばかり見ていたら、まず周りの風景なんて目に入らないのだ。
 むかし。。。といっても12年くらい前、まだぼくが大学生のころ。季節は秋だったんだけど、実感したことがある。
 当時、大学の勉強よりもクラブ活動(もちろん合唱)に入れ込んでいた。秋から冬にかけての時期は、大学祭から演奏会へ向けてのイチバンきつい時期である。今にして思えば、なんでもないコトなんだけど、当時その渦中にいる時は心身ともに消耗してた。とにかく「疲労」していたのだ。
 で、大学祭の最終日、と言うより片づけの日、クラブ主催の模擬店をたたんだ後にとある先輩がドライブに誘ってくれた。車の助手席に座ってぼぉぉーっと流れる景色を見ていると、ふと、目の前の小山の色に気がついた。燃えるような真っ紅だった。山全体が紅葉なのだ。その山は特別なものではなかった。いつも、学校の行き、買い物の帰りに目にする普段の山だった。
 その時、気がついた。
 おれは、夏から秋への季節の移り変わりが目に入らないほど、視野が狭くなっていたんだな、と。
 そう、自分の足下ばかり見ていたんだと自覚したのだ。いつもの山が美しい紅葉に包まれている風景を見て、自身が厳しいと感じてる時こそ、自分の目線を上げないといけない。でないと、大事なコトを見落としてしまうんだな。

 だから、今日も自分の視線を少し上げてみた。やっぱ、春は桜だよね。

 今週末は、缶ビール片手に桜並木の下を散歩しよう。
 週末はちょうど京橋にいるはずだから、大阪城まで歩いて見よう、かな。


【2001年3月23日(金)】 〜 旨いビールは。。。

 ビールの旨い季節になった。

 お酒に限らず、食べ物は季節・温度・湿度・ロケーション、そしてそのヒトの気分によって感じ方が全く異なってくると思う。旬のものは美味しいし、収穫地でいただくものは格別である。あと出来立てってのもイイ。

 さて、ようやく(ぼくにとっては長かった)冬が終わった。先週までは自室ではストーブを灯していたんだけれど、今週は1日も使わずに過ごせた。その愛用の石油ストーブは昨日かみさんが物置に収納してくれた。
 ありがとう。
 そんな季節の変わり目、冬の終わりに飲んだビールは格段に旨かった。「これこれ」って感じである。
 そりゃ寒い冬に部屋を暖かくして飲むビールも美味しいのだけれども、春を感じ始めたこの季節独特の味わいには勝てるわけがない。夏のあつーい時、カラカラの喉に流し込むビールも大好きなのだけれども、春先のビールはそれとは違った趣がある。

 春のビールって、ゆっくり飲みたい気がする。
 ビールの楽しみは「喉越し」だとぼくは思っているのだけれども、春のビールは「味わい」かな。でも日本のビールメーカーは味の濃いビールを秋に売り出すよね。だから、一般的にはみんな秋にビールを味わっているのかもしれないけれども、ぼく個人としては春の方がビールの味わいを楽しんでいる。特に濃くなくてもよい。それこそ、バドみたいにあっけらかんとした味のビールでも全く問題なし。もちろんエビスのように「濃い」系も美味しく飲んでいる。
 他の季節ではそうでもないのだけれど、春は味覚が敏感なのか、素材の味が感じることができるような気がする。バドなら「米」の味だしエビスなら「麦」、ハイネケンなら「ホップ」の味を強く感じている。ビールの銘柄当てをするならば、ぼくは春がよいかもしれない。かなりの打率で当てることができると思ったりする。

 季節を問わず好きなのが、キリンの「ハートランド」というマイナーレーベルだ。昔は缶でも売ってたんだけれども今は瓶でしか見かけない。しかも、普段、酒屋では見かけないのだ。しかーし、近所のコープこうべのお酒コーナーにおいているのだっ!。ぼくは切に切に入荷を継続していただきたいと思っている。商品入れ替えならないように、買い続けております。ささやかな努力抵抗である。
 このハートランドの緑色の瓶を、その瓶のままコップに注がないでいただく。飲み方がちょいワイルド風なのが気に入っている。

 明日は春の日差しと風を浴びながら、ハートランドを瓶のまま飲んじゃおう。。。ふふふ。。。


【2001年3月22日(木)】 〜 冷たいヒト?

 ぼくはひどく冷たい人間だそうな。

 「ようである」ってのはあまり自覚がないからだ。今日、知人に言われて「成る程、そうかもしれんな」と思った。そんなふうに思うこと自体が冷たいヒトであり、自分がそうであるという自覚がない証拠かもしれない。

 「冷たいヤツ」といわれても仕方がないかもしれん。いやぁ、むしろそう言われて当然なのかな。

 ぼくは他の人にSuggestionをする時に、本当に相手にわかりにくいように示唆をしている、ようでなのである。ふむ。ぼくは示唆なんてたいそうなことしてないんだけどもね。あんまりそんな意識したことないんだけどなぁ。
 ぼくは、わざとわからないよーに「それはいけないと思うよ」ってなカンジで喋っているんだそうな。
 ふーん、そう言われればそうかもしれんかな、と思う。

 で、その人のによると「そんな時はだねー、ズバリ言う方がいいのよね」だそうだ。

 ふーん。ぼくはとてもはっきりと「そりゃあかんやろ」なんていえないのだ。だって、だめって断言なんてできないじゃないですか。っていうより人のことを断定する気がないんだよね。

 それが「冷たい」んだそうな。

 今一つ理解できないのだ。ちょっとアタマをひねってみよう。
 でも、確かに「あんたは冷たいヒトだ」ってはっきり言うヒトのほうが暖かい人なのかもしれないよね。


【2001年3月21日(水)】 〜 「春」がきた

 とうとう、待ちにまっていた春の到来である。

 「春ねぇ」と思わずオネェ言葉になってしまう。ちなみに、夏は「あー!夏だ!!」、秋は「秋やなぁ」となり、冬は「くぅー!冬め」となる。それぞれの言葉で、ぼくの季節に対する感じ方が見えるように思う。オプションで梅雨ってのがあるのだけれども、梅雨は「あぁぁ。。。梅雨か。。。」である。ぼくははっきり言って、梅雨だけはキライだ。対して、四季はそれぞれに趣があって好きである。梅雨と四季を並列に扱うことは少々気になるところだけれども。

 春はイイ。

 何故かといえば『春・イコール・出会い』という感覚が擦り込まれているからだ。青臭い話だが、誰と同じクラスになるのか、できればあの娘と同じクラスになれるのか、なーんてコトを思っていたカンカクを想い出すのだ。ま、宮仕えの身になってからはクラス換えによる新しい出会いなんてのはないんだけども。そもそも好きなあの娘ってのもいないと言うのがゲンジツだ。
 少し寂しい気がしないでもないけど、春を感じると条件反射的にソノ感覚を想い出してしまうのだ。この歳になって、そんなことでウキウキしている自分を冷静に考えるとかなりのアホである。なんだかなーってカンジなのだ。そのクセ、そんなアホな自分自身が可愛かったりする。
 ま、自分のコトを自分自身が可愛いと思ってやらないとかなりむなしいかもしれない。ぼくは「自己愛」が強いのかしらん。

 ぼくが季節のうつりかわり実感するのは「鼻腔」だ。つまり鼻の奥である。吸い込む空気のニオイや温度で季節を強く感じるのだ。春の訪れをカンジるのは、ずばり「沈丁花」の芳香である。春の暖かい空気に沈丁花の花の香りがすると、ワタシ的には春の訪れといえる。そうすると、ありもしない「出逢い」にわくわくしてニタニタしているというのがワタシにとっての春のはじまりなのだ。

 最近は、一般的には「くしゃみ・はなみず・はなづまり」が春の到来なのかな。花粉症の方は今が一番キツい時期ですね。。。


【2001年3月20日(火・祝)】 〜 休日出勤の過し方

 。。。と、言いながら、今日はウチの事業場全体が「出勤日」なのだ。だから、厳密には休日出勤、ではない。
 ウチの業種は「製造業」なのです。製造は「ライン」で行われます。「ライン」はいわゆる機械ですから、始動時と終了時に「ロス」が発生します。自動車が一番燃料を消費するのは始動時であるのと同じことです。
 ラインは連続運転するものも多いですし、原動機は24時間稼動しています。となると、週の真ん中で停止することは無駄になるわけです。地球環境にとっても、会社にとっても。
 ってな理由で、ウチの事業場は火・水・木曜日の祝日は他に振り返られてしまうのです。 入社10年、このことに対し、あまりギモンに感じたことはなかったのですが、コレってフツウなのか、なぁ??。

 それはともかく。世間がお休みの時に働くのは、普段とは色々と違うことがある。

 まず、通勤が楽勝なのだ。ぼくは西宮市裏六甲山麓(注:こんな地名はありません)に住んでいる。いなかなんだけど、通勤電車はかなり混雑する。そりゃぁ依然住んでいた大阪交野市から京阪電車での通勤と比較するとラッシュ度はかなりマシなんだけど、でも座るにはひと苦労なのだ。だけど今日は祝日。大阪駅への上り電車はがらがら。211系の1Box(対面4人掛)をひとりで占有してしまった。ちょっとした小旅行気分だ。ちなみに丹波篠山に向かう下り列車はかなり混んでいた。平日よりも(笑)。
 難点は休日ダイヤなので、電車が平日と比べ間引かれていることですね。

 さて、今日の勤務。事務所にいても、なーんかのんびりムード。まず電話の数が絶対的に少ない。外線が少ないのは当然のことながら、社内も休暇を取っている人が多いので内線電話も少ないのだ。私は1日15本前後の電話をさばくのだが、今日はほとんど私宛の電話がなかった。仕事もスムーズで計画通りに進むので、とても気分がイイ。
 最近痛感するのだけれども、「電話」は本当に「暴力的」だと思う。だって電話って、こっちの都合なんてお構いなしなんだもの。ぼくは事務所でも指名電話が多い方なので尚更、電話が嫌いである。これは我がままなのかもしれないが、電話をする方も、もう少し受け手の状況を考慮して欲しい、と思う。だって受ける側の都合なんて、全くとは言わないけれどほとんど考えていないんだもん。コレを望むのは酷だとは思うのだけれども、ぼくの業務はコールセンターではないのだから、カンベンして欲しいよね。

 ぼくのここ最近の行動規範。。。って書くと大げさだな。ポリシーは「自分の嫌なことは他の人にはやらない」という事にしている。当たり前のことなのかもしれないけれども、それが当たり前にできないので、意識をして実行するようにしている。

 それはともかく、今日はかなりサクサク仕事が進んだのでイイ感じである。毎日そうならば仕事の効率も高いのかもしれないが、今日のような状況が「平均的」になってしまうと、果たして今感じているほど快適に働けるかどうかは少しギモンだ。
 「晴・褻(ハレ・ケ)」ではないのだけれど、メリハリがないとものごとの良さなんて実感できないのかもしれない。

 でもね、休日のシゴトって、ほんまはかどるんだわ。特に、本来の「休日出勤」だったら平日の3倍くらいの結果が出るような 気 がする。まぁ、気のもんかもしれんけど。


【2001年3月19日(月)】 〜 忙しいわけ

 直接的な副題だなー。興味の無い方、業界関係で無い方、今日は読み飛ばして下さい、って最初からかくなよなぁ(ごめんなさい)。。。そういえば昨日は「競馬」ネタだったっけ。

 「忙しい」。そりゃ真顔で「私は暇を持て余しています」って自分から言えるヒトはそんなにいないと思う。。。たぶん、いないんじゃぁないかな。本気でにそう言えるヒトにワタシは憧れたりする。
 ま、そんなにたいしたことではないかもしれないけれど、細かなことがぱたぱたぱたしてうっとおしいのだ。もともと面倒くさがりやのワタシですから、ね。

 うん、たいしたことないっす。たかだか100台のPCを大阪市内のオフィスに移設するだけですから。時間はたっぷり1ヶ月あります。。。コレ、精一杯の嫌味です。
 まぁ、要するにPCの引越しやさんです。ワタシとしては、コンピュータに関してはプロの端くれでいると自負しているのですが、如何せんPCの引越しなんてのは素人ときている。
 なにが邪魔臭いかと言えば、100台のPCは当然のことながら「ネットワーク接続」が前提なわけですよ。しかもM/F系,W/S系のクラ・サバシステムとWebアプリも混在する、素敵なシステム環境です。
 1ヶ月の期間はあるとは言え、実際物理的に引越しできるのは土・日曜の2日間のみ。しかも、100台ってのはウチの事務所から移動する数のみで、総数にすると600台くらいなの。ぜーんぶ、オンラインでの使用。

 PCの移設の背景には高き理念があったのだが、このところは全体の雰囲気としては、PCの引越しが目的となってるのだ。なんだかなー。ほんまにこんなんでえーんかいな、と、しょーじき思う。

 でもね、自分としてはやっつけ仕事ではないのだな、これが。

 ココからも、色んなものが見えてくる気がするのよね。
 誰が、なにをしてくれたら物事が動くか。
 自分が、どう動けば他の人が協力してくれるのか。
 本当に(ぼくにとって)信頼できるメンバーは誰か。。。

 もしかしたら、このきついオーダーの中で、自分自身が試されているのではないか、と勘ぐってみたくなるくらいだ。だってね、自分独力でできることって、たかが知れてるんだもん。でも、みんなの知恵と気力を集めれば、2倍とはいわないけれどプラス・アルファのコトができるんだもの。

 何事にも学ぶべき事がある、ってのはここ最近のワタシの実感である。。。ちょっと説教クサイかな。
 まぁ、今年34歳なんだからしょうがないよね。


【2001年3月18日(日)】 〜 祝福・渡辺騎手への恋文

 競馬ネタでごめんなさい。

 きました。トップロード。
 最近、勝馬投票券(馬券)を買っていないワタシです。前回獲った馬券はナリタトップロードが勝った菊花賞なので、あれからどれくらいの時が過ぎたのでしょうか。

 いつも自信のなさそうな渡辺騎手。「ぼくの力不足で。。。」が口癖だった渡辺騎手。そんな言葉は誰も聞きたくないのに、そう言ってしまうあなた。
 当時から、四歳実力ナンバー1はオペラオーと言われたいた中で「でもぼくはこの馬(トップロード)の力を信じています」と言った渡辺騎手。
 そして、菊花賞を獲った。 ぼくは、菊でのあなたの涙(に見えた)を今も忘れていません。

 それから、どれくらいの時間が経ったのでしょうか。
 一番人気に押されていながら、勝てない。
 「ぼくの力が無いから。。。」。
 誰もそんな言葉を聞きたくないんだよ。
 あなたも、あなたの馬も、絶対に力はあるんだから。あなた自身が、あなたの力を信じないと、あなた達を信じている他の人は何を信じれば良いのですか?。

 しばらく、あなたは彼と離れた。自発的なのか、そうではないのか、本当のとことは私の知る由もありません。。。でも、あなたは還って来た。彼に跨って仁川のターフに還って来た。

 そして、勝った。人気を背負い、プレッシャーを背負い、あなたは勝った。
 いつものようにあなたは「ぼくの力が足らず。。。」とインタビューで答えた。
 でも、その瞳、あなたの視線は下を向いていない。涙に滲んでいない。
 見据えるものは、勝利。パートナーを信じ、自分を信じているあなたの唇。一文字に結ばれたの唇。

 勝つ。チャレンジャーとして勝つ。最強のオペラオーに。
 春天はあなたに賭けよう、とぼくは決心した。


【2001年3月17日(土)】 〜 ねむい!

 ほんとに春らしくなりましたねー。
 これだけ暖かいと「ねむい」ね。

 通勤に1時間半くらいかかるのだけれど、最近はほとんどねてる。
 なかなか立って寝るわけにはいかなのので、眠い時は座ろうとする。そのため混んでる早い快速を見送って、空いてる普通電車に乗ってしまう。座ると「爆睡」だ。「熟睡」と言っても良いかもしれない。
 ぼくは非常に寝つきがイイ。普段でも、布団に入ると3分以内に寝付いてしまう。
 隣にかみさんがいるんだけど、会話をしていて次の言葉には寝息をたてている、らしい。

 ドラエもんの「のび太」くん状態だ。

 それはともかく、電車でも同じ状態。座ると次の駅に着く前にぐぅぐぅとなってしまう。いなかの路線(JR福知山線)とは言え、ちょいあぶないかもしれない。スリとかね。ま、たいしたもの持ってないからいーか、ってカンジで寝てるんだけど。
 んで、たまに寝過ごすこともある。さすがに新幹線ではないんだけど(実はこだま号であった。終着が新大阪なので安心してたのだけれど、車掌サンに起こしていただいた)、在来線では、寝過ごししていまう。。。特に酔っ払っている時(苦笑)。大概終電なので、寂しくタクシーに乗って帰宅となる。飲み代と同じくらいタクシー代がかかるから泣いちゃいそうである(涙)。
 今は冬だからやらないけれど、眠くてねむくてしかたがない時があって、それこそタクシーに乗るのも耐えられないくらいだったので、駅前の駐車場に留めてある通勤用の軽自動車で朝まで寝てしまったことが2度ある。朝4時過ぎ、朝日と暑さで目が覚めた。かみさんに説教されたのは言うまでもない。。。かみさんは説教しているつもりはないようだけど、後ろめたい本人的には「叱られっ子」状態だ。

 車を走らせている時も眠くなる。ぼくの睡魔は「撲殺」的にぼくの頭を殴りつけるので、ヤバくなったら即、最寄のパーキング・エリアに直行。そこで3時間くらい寝てしまう。人の車に乗るのはタクシーかバスくらいしかないのだけれど、車の音とゆれがひじょーに気持ちイイのですぐ眠くなってしまう。
 あと、在来線の線路の音(レールの繋ぎ目の音。「たたん、ととん。たたん、ととん」って音)も、たまらないくらい眠気を誘うよね。

 「居眠り」てイイよね。


【2001年3月16日(金)】 〜 今日の音楽(1)

 ようやく週末だよーん。今週もあっと言う間でした。
 このままじゃ、ろくに歌いこみできないまま本番がキそうだな。うーむ。

 今日はわりと早く帰宅できたので、自室で音楽を聴きました。題して「今日の音楽」。。。シリーズ化できるか?

《ドヴォルザーク:”新世界より”》
 ヘルベルト・フォン・カラヤン&ウイーンフィル(1985)

 このCDはもう12年前くらいに購入したのかな?。ぼくのCDの中ではかなり初期に買ったもの。確か当時「レコ芸」なんか特選とかになった録音ではなかろうか。ぼくのは輸入版なので、日本語解説がありません。確か日本版は¥3,500−くらいだったので、買い控えをしていたのだ。大学2年の時に、今は亡き(悲し)梅田オオツキ楽器で購入。¥2,000−くらいだったかな。
 買った同時は「圧倒的な」演奏と思ったのだけど、久々に今日聴いたら、平凡な演奏に聴こえたのだ。
現在のシステム(アンプ+プレーヤー+スピーカー)で聴いたのは初めてだからかな。でも、学生の時に聴いた音圧を感じることができなかった。
 システムのせいか、聴くワタシの耳が変わったのか、ディスクが古いのか。。。

 古楽に馴染んできている今日この頃、DIGITALカラヤンの演奏でさえ「重く」感じるのかしら。。。
 当時は弦と金管の歯切れよさを感じていたのだけどなぁ。むかしの感じ方がよいのか、今の感覚が鋭敏なのかはわからないなぁ。

 ガーディナーの”新世界より”の演奏ってあるのかしら。聴いてみたい気がする。


【2001年3月15日(木)】 〜 平日のタイムテーブル

 既に日付が変わってしまった。。。眠いっす。
 帰宅は23時で、夕食とってお風呂に入って、メールをチェックしてようやく一息ついたとこ。平日は毎日こんなんやもんなぁ。

−ワタシの一日(平日版)−

 6:30 起床
 7:11 JR西宮名塩駅発の快速電車に乗車
 8:00 京阪京橋駅発の普通電車に乗車
 8:30 始業
12:15 昼休み&昼食
17:00 終業&休憩→残業
21:30 退社
21:55 JR京橋駅発の快速電車に乗車
22:50 帰宅,夕食,入浴
。。。。。 だらだらして。。。
25:00 就寝

 月曜から金曜は繰り返し。。。

 世のさらりーまんはこんなもんなのかしらん。
 このタイムテーブルで生活して気が付いたこと。「印象に残ったTV−CMがかみさんと違う」ってこと。ま、好みが異なるからそうなんだろうけど。でもね、TV−CMって時間帯によって傾向が異なるじゃないですか。私の見る時間は「ビール」が多いね。「発泡酒」も多いけど、嫌いだから印象薄し。KDDIのCMはかなりキワものぽくって好きだなー。
 だけど、かみさんが見てるCMは違うらしい。どうもCMの話が合わないのだ。もっとも、ウチのかみさんはあまりTVを見ないヒトってのもあるのだけど。。。
 でも、コレって明らかに生活の核となる時間がズレてるってことだよね。そういえばココのところ、平日は家には寝に帰っているだけに等しいかもしれないのだ。

 これはよくない。
 日本のさらりーまんのほとんどがそうかもしれないけど、ワタシしてはマズかろうと思う。

 なわけで、Webでの日記をはじめたのは、じつはコノながれの打破を目論んでいないわけでもないのだな。


【2001年3月14日(水)】 〜 セレモニーについて

 今日はユニオン(労働組合)の春闘結果報告大会だった。 ウチの業界はベア五百円で妥結したそうな。
 でもね、それって3日前に全国紙に書いてあったよ。 なのに「依然労使間は平行線」なんて、朝ビラに書かれても、かなり冷静になるよね。ってゆーか、醒めちゃうんだよ。

 だから、「大会」イコール「セレモニー」って思ってしまう。

 勤め人になっても、セレモニーは多い。下手したら、生徒(中学〜高校)時代よりも多いかもしれない。もしかしたら、学生(大学)時代がいちばん少ないかもしれない。
 駆け出しの頃は、会社のセレモニーが大嫌いだった。なんで社会人にもなって、こんな無為な時間を過ごさにゃならんのか、と思ってたのだ。ホントに嫌だったので、セレモニーのある日は休暇を取ったり出張予定をいれたりしてた。今にしてみりゃ、なにもそこまでやらんでも、と自分でも思う。でも、それくらいイヤだったのだ。

 だけどこの頃、セレモニーも必要かな、考えたりする。
 そう考えることができるポイントは、セレモニーも「参加してる」と思い込めば、ソレナリに意味を見出せないこともない、と言う風に実感できるようになったのです。

 例えば。。。ワタシは4月から、転勤となる。ま、勤務地は変わらないけど。。。
 先週末、責任者から「内示」があったんだけど、その内容3ヶ月前から「暗黙の了解」「公然の秘密」といったものだった。だけど、やっぱり「内示」→「辞令」ってものがないとケジメがつかない。会社的にもだけど、個人としても、ね。
 んで、自分も「内示」というそのセレモニーに「参加」してるのだから「それでは今回の組織変更の目的と私の配置転換の意義をお教え下さい」などと責任者に質問したりしてみる。
 訊きたいことを聞く。
 なーんてことは、なかなか機会がないのだ。特に下っ端にはね。なーらば、公的なチャンスを生かさにゃぁソンだわ。
 ココでのポイントは相手の口からちゃんと言わせるってことかな。でも、たまーに、やぶへびってことがあるけど、そこがまた面白いところだよね。

 やっぱり、セレモニーもやっぱり「いんたらくてぃぶ」でなくちゃね。そう、「双方向」「参加型」ってことかな?

 むかし、ぼくがまだ生徒だったころ、セレモニーは主催者が「わざわざ 参加させて やる」といったものだったように思う。主従とも、その価値観が一致してたから問題にならなかったんだと思う。そもそも「主・従」だもの。関係が。
 だけど、いまの時代は違う。
 現代は、主催者と参加者の価値観が違うのだもの。
 参加者は「お客」だと思ってる。だけど主催者はむかしのまんま。
 だから、今年の成人式は、あんな騒ぎになったんじゃぁないかな。

 もちろん、セレモニーの意味や意義は異なるのでひとことでは断言できないけれども、主催者も参加者もお互い理解し合うことが必要なのだぼくは思う。

 でもねー、中には本当に納得できないセレモニーがあるよね。納得できないままだと、時間の無駄以外なにものでもないものが、ある。だけども主催者が側には意味がある、のかもしれない。それなら、そのセレモニーにどんな面白みを見出せるか、と自分の視点を少し展開させてやると。楽しめるモノが見える、かもしれない。
 参加させられるならば、面白くなるよう少しは努めた方がいいとぼくは、思ってる。

 どーしても面白みが見出せないセレモニーは、主催しているヒトは本当に本気でこの儀式に意義を感じているのだろうか??、と考えてみると面白く(。。。滑稽に)見えてくるのだ。


【2001年3月13日(火)】 〜 「氷の世界?」Nishinomiya

 寒い、のである。
 今日なんか朝、雪が降ったのよ。うそーみたい。

 3月半ばに「雪」を見るなんて思いもよらんかった。
 現在、兵庫県西宮市六甲山の麓(有馬温泉のそば)在住。ココはいままでワタシが生活した中で、最も寒い場所である。
 一番驚いたのは、夜、車のフロントガラスが汚れていたので、ウインド・ウォッシャーを使うと、見るみるうちにガラスが凍っていったこと。。。シンジラレナーイ。。。
 寒冷地の方には当たり前かもしれないけれど、そりゃぁあなた、はじめてならびっくりするよ。前が見えなくなって危なかったので、泣くなく路肩に車を止めて、氷を削ったのだ。キシキシ、ガシガシ。
 かなり、むなしかった。
 そう、ガラスに張った氷を除く「氷削り」(正式な名称は知りません)と「タイヤチェーン」(軟弱者なので、スチールではなくゴム製)を常時車に携行してるのよん。
 ココは一応「兵庫県」なのですがね。。。ちなみに隣は神戸市だったりするのに。ま、隣ってのは、神戸がめちゃめちゃ広いってのもあるけど。

 今朝のニュースでいってました。3月14日以降に大阪市内で雪が観測されると記録なのだそうだ。
 そういやぁ、明日は「ホワイト・デイ」か。語感だけなら雪もお似合いだけども、寒いのはもひとつだなーと思ったりする。雪のクリスマスなら「ホワイト・クリスマス」だけっども、雪のホワイト・デイは「ホワイト・ホワイト・デイ」かぁ?。。。などと、くーだらないことを考えているうちに日付がかわってしまったのでした。

 果たして記録的な「ホワイト・ホワイト・デイ」となるのか否か?


【2001年3月12日(月)】 〜 ホット・ウヰスキーにはまってる

 「お酒」の話をはじめると、止まらないかもしれない。

 かなり、書ける「ネタ」があるんだけど、ま、それはぼつぼつ書かせていただくとして。

 今年の冬は、ずばり「ホット・ウヰスキー」("ヰ"ってのがミソね)にはまってしまった。
 ぼくは飲むお酒にかなり波がある。昨年・一昨年の冬は「日本酒」ばかり飲んでた。はじめは熱燗が好きで飲んでたのだけれども、そのうち冷やが好きになって日本酒は定番になってしまった。
 ワタシとウヰスキーとの出会いは実はかなり早い。はじめて好きになったお酒かもしれない。
 で、しばらくウヰスキーから離れていたのだけれど、知人が「マッカラン」が旨い、なんて言うもんだから「今年の冬はウヰスキーかな」なーんて思ったりした(影響受けやすい人である)。
 それで、バランタイン・ゴールドシール12年を買ってきたのだ。
 ぼくはウヰスキーと言えばストレートかロック。なのだけれど、六甲山の麓の寒い。シャレにならんくらい、サムイのだ。
 そんな中、ロックなぞ飲めますかいな。
 んで、ホットにした。
 ウヰスキーを割るなんて、しかもお湯。開高せんせーのウンチクに感化されてウヰスキーを飲み始めたワタシとしては、ブレンドウイスキーをホットで飲むことはかなり軟弱だなと思っていたのだ。
 いままでは。 むかしは。
 でも、いまは「旨けりゃいーじゃん」ってカンジである。
 そう、うまいのだ。ホット・ウヰスキーは。
 うまいので毎晩飲んでたら10日位でボトルが空いてしまったぁ。
 それじゃもっとと思っていると、ボトルが4本自室に並んでしまったのでした。
 ホット・ウヰスキー用の電気ポットも自室に置いたりしたりして(^^;。
 そりゃ、順調に消費するわなー。

 現在のウヰスキーリストは次の通りです。バランタイン(ゴールドシール12年)*2。。。1本は今夜空けてしまった(苦笑)シーバス・リーガル(12年)ニッカ・竹鶴(12年) 今回、一番のHitは「竹鶴」。値段は手頃なのだけれども、旨いのだ。こんなに旨くていーのだろうか、ってカンジだ。

 狭い自室はウヰスキーの芳香に満たされるのは、冬ならではのシアワセだと思う。
 でも、翌日の残り香は、単なる「飲んだくれ」の残骸かなとも思えなくもナイ。

 もうすぐ、春です。春といえば。。。花見とビールだー。。。ビールは季節は問わないけど。ワタシのバヤイは、ね。


【2001年3月11日(日)】 〜 休日の過ごし方(1)

 「休日の過ごし方」はシリーズ化しそうなので、とりあえず「その1」としました。つづくかな?。

 今朝は8時半起きだったのです。いつもは6時前後なのでわりとゆっくりめでございます。
 んで、ナニをしたかと申しますと「朝風呂」(笑)。
 最近、入浴剤が好きなのですが、昨日の夜も入れてました。で、今朝の風呂は当然昨日の残り湯なんだけど、風呂のふたをあけた時の「もわ〜ん」という感じが「おお、温泉みたいじゃん」と思ってしまった。
。。。ビンボー臭いかもしれんけど、かなり「幸せ(^○^)」。朝風呂ってイイですね(オーハラショースケ??)。

 実はヤリたいことが結構タマっとります。
 列挙するとキリがないのだけれど、かなりあるのだ。
 このWebの手入れもその一つなんだけど、正月にさわってからほとんど更新していない。面目ないはなしでございます。。。
 でもまぁ、焦ってもしょうがないのでぼつぼつ出来ることを片付けている。
 で、前述の通り、かなりテンパってるので、めんどくさーいことは基本的にしたくない。
 そ・れ・で、ナニをしたかというと「部屋の片付け」で、ある。

 えーなんでーめんどくさー、と言われるかもしれない。
 いえいえ、片付けはイイのですよ。
 ごしゃごしゃごしゃーとなったカオス状態が、自分の手足で解決してゆくプロセスはかなりイイ感じなのである。部屋が片付くと同時に、頭の中のもつれたイトもほどけてゆく気がするのだ。ワタシだけかしらん?。
 年末年始&かみさんの実家の引越しの関係で、狭い我が家の1室が物置状態だったのだが、先週末とこの休みですーっかり片付けしたのであーる。
 今日の15時くらいに完了したのでけど、とてーも気持ちがイイのだ。ホット・ウヰスキーをちょぴちょぴ飲みながら、山下達郎御大のFM「サンデー・ソングブック」をBGMに整理をするなんざぁーかなりシアワセですぜ。こんなにシアワセでえーんやろか、とも思う。

 15時からは遅い昼食をとりながら「ドリーム競馬」を観たりして、コレもうれしい。

 フィリーズレビュー(馬齢変更に伴ってレース名称が変わった。。。なんか違和感がある)の小牧騎手。あのVサイン、なかなか良かったと。好き嫌いはあるかもしれないけど、私は好き。ペリエ騎手もこの前やってたよなー。桜花賞はオーシャンよりも小牧+ローズバドに投票しようかな。小牧騎手、桜花賞にも乗れたら良いのだけれど。。。

 夜はゆっくりと夕食(メインは私のリクエストでハンバーグ←子どものようだね)。

 イイ休日でした。
 さぁ、明日からもうちょいヤリますか。。。でもー、ちょい寂しいのは、最近歌ってないことかなぁ。


【2001年3月10日(土)】 〜 練習休んじまったぃ

 はっきり言って、私は久々にメシのタネを稼ぐ活動の方が忙しい。
 入社して4年くらいはめちゃめちゃ忙しく感じていた。。。けど、それは要領とか自分の能力とか人間関係などもろもろの理由だったので、本来の意味で「シゴトが忙しい」ものだったのかはいまではギモンである。まぁ、今の状況も同様に己の未熟さ故かもしれないが、でも、忙しいと感じている今日この頃。
 はっきり言って、夢にシゴトが出てくるくらいだよーん。
 うーむ。オイラはとてもシゴト人間とは思えないのだが、今朝は事務所でうなっている気がして目が覚めたのだ。
 いかん。これではいかん。
 本来、私の生活は週末を中心に平日をいかに過ごすかというのが正しい(?)サイクルなのであるが、それが逆になってきている。心身が週末を「休日」として要求しているようである。ま、世間的にはそれがふつーなんでしょうけれども。

 とりあえず、今日は岡山往復運転に、気力・体力がついていきそうにない。
 勇気ある「撤退」である。えらいなー、おれ。20代と違って分別あるじゃん、って思ったんだけど、やっぱり、無茶できないってコトは「おじさん」ってことなのかしらん?
 そりゃーさー、思考と嗜好と志向は10代のころからおじさんしたたけどね。

 うむー、流れに抗わねばならぬが、とりあえず、くたびれてるので今日はだらーっとしておこう。

 。。。休んじゃってごめんなさい。今年2度目です。。。


【2001年3月9日(金)】 〜 とにかく、はじまり!

 なんとも、ちゅーとはんぱな日にちからの書き出しだしである。
 ふつー日記って、元旦とか年度始めとか書き始めるもんやと思う。
 でも、ワタシは3月9日からという月の初めでもなければ週の初めでもない今日から、唐突にWeb上に日記を書くことにしたのだ。
 はっきり言って勢いだ。
 深い考えは全く無い。OPEのオフィシャルなサイトであるココで、管理人の所謂「ぼやき(関西弁)」を書くことが妥当なのかというギモンもないわけではない。内容にしたって、文体にしたって、果たしてどないなことになるのか全くわからない。と、いうよりぜーんぜん考えていない。
 とにかく、ワタシは書くことにした。
 ある意味、無謀だ。33歳のささやかな ていこー かもしれない。
 。。。と言いながら、誰に対する、ナニに対する ていこー なのかしらん?

 とにかく、はじめてからかんがえよーっと。


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