SUPERIOR ROCK ALBUM DEPARTMENT
JAPANESE SUPERIOR ROCK ALBUM SECTION



Kazmi with Rickies 「Who」             Nakadelic
Toshiba EMI  TOCT-9422


Kazmi with Rickies 「Who」女の子がブロークンなイングリッシュで歌ってその拙さが SO CUTE!みたいなタイプにはもう飽き飽きっていうか不思議ちゃん(CUTiE読者とか)っぽくて大嫌いなんですけど、このアルバムだけは許してあげるっていうかそこそこ聴くっていうかすこぶる大好きなんですが、その理由を考えてみるにやはり楽曲の多様さにあるのではないかと。ボサノバやジャズからポップスまで脱力系のボーカルでアヒン。中国語の朗読などもあったりして覚えたばかりの「我是日本人(ウォーシーリーベンレン)」を呪文のように呟いていた大学1年生時代を思い出しました。9曲目の「Preach」は今をときめくASA-CHANG作/プロデュースでして、巡礼のアルバム「花」でセルフカバーしてらっしゃいます。大友良英さんがキュッキュッしてるみたいですし音楽語りな人にも納得のメンツが揃っていると思いますよ。

ところで日本人が英語で歌うことについてなんですが、日本では英語がほとんど通じませんし英語圏への進出も特にこれといった道があるわけではないので商業面における理由が見当たらないわけです。実際英語詩による曲がヒットチャートの上位にくることは稀ですしせいぜい歌詞の一部が英語なだけです(例:止めないで!Don't Stop!)。それでもなぜ全編英語詩の曲を作るのかといいますと「英語がかっこいい」からに他なりません。ほんとこの呪縛から日本人が逃れることはできないでしょうね。いや日本だけじゃなくて世界的な傾向なわけですが。例えばドイツ人が英語で歌っても違和感ありません。ていうか私にはアメリカ人とドイツ人の明確な区別がつきません。しかし日本人が英語で歌うと違和感ありまくりです。よってサブカルチャー的方法論になってしまうわけです。簡単に言うと「ちょっと変わったもの」になるってことです。その英語をブロークンに歌うことは「英語がかっこいい」という思想に対するカウンターカルチャーでありサブカルチャー的方法論の一つと言えます。

私が何を言いたいのかと言うと見え見えなサブカル思考は興醒めだってことです。でも本当に言いたいことは「男のブロークンイングリッシュには殺意を覚える」ってこと!全然かわいくないっつーの!(←この言い方かわいいね)


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