SUPERIOR ROCK ALBUM DEPARTMENT
JAPANESE SUPERIOR ROCK ALBUM SECTION



A.R.B 「トラブル中毒」                         Pantetsu
ビクターエンタテインメント VICL-18189


A.R.B 「トラブル中毒」ニューヨークから始まったアート・ロックの波はイギリスに渡り、生活観がブチ込まれる事によってPUNKとして確立されたムーブメントを巻き起こす事になった訳だが、ほどなく日本にも各地で新しいロックの姿が誕生しライブハウス・シーンを盛り上げてた。いわゆる多くの現在進行形日本ロックの原型はコノ時期1970年代後半から80年代前半に形成されたといっても過言ではないだろう。

東京や大阪では、演劇的な流れからの実験的な要素を取り込み、フォーク時代からアンダーグラウンドに生き続けたメッセージ性を引き継いだ、いかにもアンチが前面に出たスタイルが多かったわけだが、俗にメンタイ・ビートと言われた九州は博多や福岡を中心に浮き上がったロック・シーンは、東京・大阪のような内向きなエネルギーではなく、聴衆に熱く語りかけるような、外に放出されるエネルギーを武器としたスタイルか、50's R&R にスピード感を持たせたスタイルが目立っていたと思う。

私が持つメンタイ・ビートの印象は”とにかく速い”って事で、伝統的九州昭和のフォーク・スタイルに高速な8ビートがむせ返るように叩き出されたソリッドな音には、正にロックを感じたものだ。そして、ファッション発信地である九州ならではのスタイリッシュな臭いを感じぜずにはいられなかった。そこにはユニフォーム的な象徴は存在しないが、東京のニューウエーブ、テクノ系の様な創られたファッションとは違い、九州のバンドに土着的なファッション感覚の臭いが存在していたのは間違いない。私は長くファッション業界で仕事をしているが、東京という土地は、単に確認が出来るだけの土地であって、確認を取るが為に、志のある人間が集まって創造が行われているに過ぎないと思っている。そもそも東京人でオシャレな人を私は見たことが無い。東京的な「粋」ってーのは別としてね。

そんなメンタイ・ビートも今となっては原型を留めて一線にいるのは、一度のメンバーチェンジも無く現役で活動している”THE MODS" だけであるが、茶の間の頻度としては”石橋凌””陣内孝則”の2人であろう。そして石橋凌とキースによる ARB は未だに衰えの無いステージを維持している。

とにかく理屈抜きでARBはカッコ良いのである。ここまで”男”である事を表現しながらもイヤラシサは微塵も感じられない。石橋凌は労働者を唄う、しかし当時のリスナーにどれほど労働に従事していた人間がいたであろうか?ARBを支持した多くのリスナーは学生だったはずだ。それでも若者の鬱積した感情は労働歌をも共有する事が出来ていたのだ。労働歌は石橋凌のドラマだからだ。実際に自分が社会で仕事に従事しても石橋凌の歌の様にドラマチックな場面に遭遇した事も無いし、それっぽい感情を持った事も無い。それでも石橋凌の世界はカッコ良いと感じるのである。大金持ちのジョン・レノンが市民運動を考えるよりも、何倍もリアルなのである。

基本的には田中一郎氏がギターで在籍していた時代のアルバムは全て素晴らしいと思っているが、何度も繰り返し聴いた一曲といえば、トラブル中毒の中の”トラブルド・キッズ”だ。何故かどうしょうもなくコノ曲が好きだ。オヤジやオフクロなんて言葉がすんなりとロックに乗せられるのは石橋凌だけだと思っているが、昔からコノ曲で気になっていた部分は「お前は、友達も無く、恋人も作らないで、毎日コンピュータと部屋の中で戯れてる」ってフレーズで、発売された84年当時はファミコンなんてゲーム機が家庭に浸透しつつある頃で、ココで唄われるコンピュータってのはゲーム機の事だと解釈していた。まさか約二十年後には一家に一台コンピュータが有る時代が来るなんて想像もしていなかったからね。まー石橋凌が今の時代を先見の目を持って想像していたなんて思っているわけじゃ無いし、今の時代では気になるようなフレーズじゃないんだけど。

ファッションってのは洋服を着飾ることでも、流行を受け入れる事でもなく、いかに人間個人の臭いを漂わせる事かって事と、男が負けようが泣こうが、熱く語りかけるって事は、決してカッコ悪い事じゃ無いって為にも、ARBは日本ロックの財産として存在価値が十分にあるんだな。




Back

Top