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LED ZEPPELIN

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on January 12 ,1969.


Good Times Bad Times
(Page/Jones/Bohnam)
Babe I'm Gonna Leave You
(Page/Plant/Anne Bredon)
You Shook Me
(Willie Dixon/J.B. Lenoir)
Dazed And Confused
(Page)
Your Time Is Gonna Come
(Page/Jones)
Black Mountain Side
(Page)
Communication Breakdown
(Page/Jones/Bonham)
I Can't Quit You Baby
(Willie Dixon)
How Many More Times
(Page/Jones/Bonham)
ロックミュージックに触れ始めたのは70年代後半の頃である。当時は中学生。そのころの王道リアルタイムは、KISS、QUEEN、AEROSMITHあたりがヒットチャートを賑わし、それらに夢中になっていたわけだ。でも当然ながらそれ以前の時代のバンドにも興味は湧くわけで、いろいろ遡って背伸びして聴きまくってた。

やれクラプトンはギターの神様だとか、ベックを聴かないとやばいとか、やっぱパープルでしょ、とか。その中でLED ZEPPELINは自分の中では一番”むずかしいバンド”であった。ポップなハードロックが好きな少年には”大人な曲”だったのかなぁと思うのである。世間では、同時代のハードロックバンドとしてディープパープルと比較されることが多いのだが、当時は全然パープルの方がしっくりきたんだな。パープルは曲のフォーマット構成がきちんとしていて、起承転結が分かりやすく、いくらアドリブの嵐になろうとも安心感があるのに対し、ZEPはつかみどころがなく、いらいらいたしたもんだった。ジャケットのアートワークも暗いものや重いものが多く、本作もどよーんとしたムードが漂って健康的でないなと感じてた。

世の中”ZEPを聴かにゃロックは語れねえぜ”なんて風潮があったりしたのだが、中学の俺にはなかなか理解出来なかったもんだ。いわゆるオタクなやつらの”観賞用ロック”のたぐいに近いと思ってた。ところがである。聴けば聴くほどジワリジワリと印象は変わっていくのである。特に年をとるとね(笑)。

さて、ファーストアルバムである。1969年の発表である。確かにあの時代にこれが出れば、みんな騒ぐわな。当時のビートルズが最高峰であり(ホワイトアルバムとかアビーロードのあたり?)、ジミヘン、クリームがロックの新しい流れを作ろうとしていたあの頃にリアルタイムで聴けばショックは大きいと思う。クリームも当時は先進性を騒がれただろうけど、所詮スゴ腕ミュージシャンのオタクな集合体的、ジミヘンもロックミュージックを大きくを変えた男だが社会的なセールスに当時は成功したわけではない(誤解をされないように書いておくと、俺はクラプトンもジミヘンもZEP以上に好きである)。それに対してZEPはそれらをもっと崇高に芸術的にした感じ。実はジミーペイジはZEPのような音のバンド構想をこれ以前のヤードバーズ時代にもっておったそうで実験的に結成前にもいろいろと試みている。彼のアイデアマン的な才能は若いころから冴えていたんでしょうな。

ちなみにジェフベックグループのファースト(1967年?)に”ベックスボレロ”って曲があるんだけど、この曲にはジミーペイジが参加していて、本アルバムの最後の曲”ハウ・メニー・モア・タイムズ”にそのパーツ流用が考えられる部分がある。(そう思ってるのって俺だけかな?) 俺は彼らがデビューしてから何年か経ってからこれを聴いたわけだが(この頃は”プレゼンス”が出た頃)、彼らの曲は単体で聴くよりもアルバムとして聴くと魅力を増す。いや、アルバムで通して聴くものなのだ。そんなことは当たり前のことかもしれないが、それが他のバンド(いわゆるハードロック系)との大きな違いであった。

中学生の身分ではアルバムを何枚も買えるわけではなく、優先度の高いアーティストに対しては少ない小遣いを工面しLP盤を入手したが、たくさんの曲を知るのにはラジオがすべてだった。FM雑誌をくまなく見て、エアチェックでカセットのライブラリーを増やすことがいちばんお金がかからない。ZEPの曲も初めはFMで探し録りしながら、カセットで曲を集めていったもんだった。ファーストアルバムの完成形で録音出来たのは中3の終わりくらい。(幸運にも友人のお兄さんがツエッペリンを何枚かもってた)

ジミーペイジという人はギタリストしても素晴らしいが(スムーズさに欠け、ヘタだが)、アレンジャー、プロデユーサーとしての才能に非常に優れてるわけで、曲の順番とかはあたりまえ、次の曲にうつる時間配分とかまで絶対にうるさいはず。”コミュニケーションブレークダウン”の始まるタイミングのかっこよさとかは、アルバムでないと分からない。

彼らの曲やアレンジ、音に影響されていないハードロックバンド(いやロックバンド以外でも)は居ないと言っても過言ではなく、少なからずとも何かの形で表れている。まぁ、直接的でなくても二世代的に影響されてる訳だ。KISSのエース・フレリーだって、QEENのブライアン・メイだってさ。ハードロックのリフなんてほとんどがペイジからの発展形に思えるもんね。

話はそれるが、TVドラマの”太陽にほえろ”の当時の音楽担当は井上堯之バンドであったのだが、シリアスなシーンによく使われる挿入曲で”幻惑されて”とそっくりなインストがあり、日本の誇るギタリスト、井上堯之さんも影響をうけてるのだなぁとTVを見るたびに思ってた。

俺の中ではZEPのアルバムとしては他に好きなものはあるのだが、何はともあれ、その後のロックの流れを確実に変え、影響を与えたスーパーバンドとしてのこのファーストアルバムは、ロック少年からロックオヤジへと年をとった今、ますますもって”ZEPを聞かなきゃロックは語れねえぜ”と俺に言わせる重要な1枚となっている。(ブラック軍団2号)
●1968年、クラプトン、ベックに続く3人目のギタリストとしてヤードバーズに在籍していたジミー・ペイジはバンドの崩壊を前にして新たなバンドの構想を立て、かつてのスタジオ・ミュージシャン時代の知り合いであった”ジョン・ポール・ジョーンズ”そして無名の”ロバート・プラント””ジョン・ボーナム”と共に「ニュー・ヤードバーズ」と名乗り活動を始めた。その後にドイツで作られた鉛の飛行船から”LED ZEPPELIN”と改名するが、それがTHE WHOの”キース・ムーン”と”ジョン・エントウィッスル”の酒の席での冗談から産まれたバンド名である事は有名なエピソードだ。

ポピュラー・ミュージック界に衝撃を与えた本作”ZEP1st”は、先ずはアメリカのヒッピー次世代ティーン・エイジャーに爆発的な歓迎を受ける。一曲目”Good Times Bad Times”のイントロにおける「引き込まれる様なブレイク」。勝負はすでにココで決まった!



LED ZEPPELIN  II

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on October 22, 1969.


Whole Lotta Love
(Page/Plant/Jones/Bonham)
What Is And What Should Never Be
(Page/Plant)
The Lemon Song
(Page/Plant/Jones/Bonham)
Thank You
(Page/Plant)
Heartbreaker
(Page/Plant/Jones/Bonham)
Living Loving Maid"She's Just A Woman"
(Page/Plant)
Ramble On
(Page/Plant)
Moby Dick
(Bonham/Jones/Page)
Bring It On Home
(Page/Plant)
やっぱ、これでしょ。大人になり徐々に徐々にZEPの良さを痛感してくるのだが、これは中学の頃から一番理解しやすく、キャッチーで好きだった。(要は単純なお子様だったのかぁ)
ファーストアルバムと基本的には同じ路線上なのだが、こちらのほうが全体を通して暗くなく、軽快でパワフル。商業的にもすごく成功したらしく大ブレークし、チャートは’69年に1位に君臨していたあのビートルズの”アビーロード”を抜いてしまったらしい。アビーロードが色々なタイプの人達に支持され売れたのは良くわかるが、ZEPがそれを抜くとは、欧米というのはなんとも音楽に対して奥が深くオープンなんだろう。しかもあの時代にだ。やはり日本は音楽後進国だったのだなぁ。

キャッチーでまとまったと言ってもアメリカンロックのストレートなそれとは違いひねりが効いてて、音楽性の広さを感じさせてくれたし、なにしろギターがカッチョエーのである。もう、ロック小僧、ギター小僧にはたまらないエッセンスが凝縮されている。

一曲目”胸いっぱいの愛を”からもうノックアウトである。ギターリフにベースとボーカルがのっかり、これにドラムが入ってくる。もうゾクゾクするのだよ。ギターソロ部分なんか気絶するぐらいにかっこよくて、このフレーズ以外は考えられないってくらいはまってるし、”レモンソング”、”ハートブレーカー”のリフは一度聞いたら忘れられない。続く”リヴィング・ラヴィング・メイド”にすかさず入るとこなんか何てイカすんだろうと思った。

アコースティック系もブルース系の曲も、キャッチーなハードロック群をうまく繋げる為の良い接着剤となっており、無駄な曲が無く、気分によって、この曲は今日はとばそうなどと衝動にかられない(笑)。

ジミーペイジという人は、本当に才能のある人である。クラプトンもベックもギターの腕前での才能はすばらしいが、音楽を創造するという点では、ペイジに及ばない。ギタリストとしてもリフの構成、バッキングのコード、リードソロの音の選び方、アコースティックギターの使いかたなどセンスが常に光る。(彼に意図した音をスムーズに弾く能力があったらもう鬼に金棒(笑))

ギターの音色もレスポールとマーシャルを使ったサウンドの駆使(今、思うとそんなにヘビーではないし、音もどちらかというと腰のない中音の抜けた特徴的な音)と視覚的効果はその後のフォロワーと、世にサンバースト・レスポール症候群を生み出すことになる。ドラムのジョン・ボーナムの存在も神話化してたもんね。周りでドラム叩く奴らは、みんな神様扱いしていた。(ツーバス踏んでるのかと思えば違ってたんだよね)まあ、言い出せばきりがなくて、ジョン・ポール・ジョーンズもロバート・プラントもものすごいのだけど。

とにかく、みんなすご腕ミュージシャンであり、センス抜群で、このようなリズム感やグルーブ感を醸し出すハードロックをやるには、子供のころより、坊さんの木魚や盆踊りのリズムで育ち、納豆や漬物を主に食らう菜食系の日本人体格には程遠く、欧米人ならではの成せる業なのだなと、自分の技術やセンスの無さを国民性のせいにしていた。

当時、俺はエレキギターを弾き始めた頃だったのだが、某国産メーカー(G社)のレスポールのコピーモデルを入手したのだった。マニアックな話だが、それには教則本とカセットが付録についていて、講師の成毛滋氏が”胸いっぱいの愛を”とサードアルバムの”移民の歌”のリフ紹介があり、そこで彼はこう解説する。”日本人はどうもリズム感が悪いので、西洋人のようなノリを出すのは難しい。このようなリフを弾くのが苦手なので、空ピッキングをこのようにアップダウン交互に必ず入れて弾いてください”と。そーなのかぁ、納得。俺は必死にその通りに何度も練習したのであった。(ブラック軍団2号)
●デビューアルバムの成功と共に組まれた過密ツアースケジュールの合間をぬって各地のスタジオの様々な条件のもとで録音された為、音の仕上がりに若干の不満を抱えたままでのリリースとなったが、1stでの勢いは全く失われていない。そして3rdへの新たな発展をも予感させる。ファンの中では本作をNO.1 に上げる人は多い。



LED ZEPPELIN  III

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on October 5, 1970.


Immigrant Song
(Page/Plant)
Friends
(Page/Plant)
Celebration Day
(Page/Plant/Jones)
Since I've Been Loving You
(Page/Plant/Jones)
Out On The Tiles
(Page/Plant/Bonham)
Gallows Pole
(Traditional, arr. by Page/Plant)
Tangerine
(Page)
That's The Way
(Page)
Bron-Y-Aur Stomp
(Page/Plant/Jones)
Hats Off To (Roy) Harper
(Traditional, arr. by Charles Obscure)
1970年の発売である。このアルバムは当時、世間では相当に非難されたらしい。ハードロックバンドらしくないと・・・。といいながらアメリカでもイギリスでも1位になってるけど。

だが、確かに好き嫌いはあるとは思うが、非難された部分が殆ど後半のアコースティックな曲に対してだった訳で、しかも1st、2stとヘビーブルース・ロック路線を開拓したことによるある種の固定観念からの(希望的なものも含めて)ブーイングであり、ZEP自身はハードロックのみに執着してるわけではなかったわけだ。というか音楽を創作するということは、心の中の思いや感情を表現するということなのだから、この時、彼らはこのような気分であったのだ。

2ndの成功によって彼らはとてつもないお金と名声を得、ツアーを無事終了し、母国イギリスに戻ってきた。精神的にも肉体的にも疲れた(しかしながら成功感と自信感に溢れてたはず)彼らは休養の意味も込め、静かな田舎のウェールズに引っ込むわけで、そこでのいろいろな見聞が曲作りに反映されているのだ。

まず、初めて見たLP盤のジャケットのアートワークの凝り様は、びっくらこいたもんだ。訳のわからない絵がたくさん散りばめられてる表紙の所々に穴があいてて、そこから内側に入ってる円盤に書かれてるアートが覗くという前代未聞のデザイン。CDになってこのような細工デザインが表現できないのは残念だ。このジャケットデザインはペイジが春の田舎風景を見て、自然界(動植物)の様々な季節の動きを表現したかったらしいが、デザイナーとの意思がうまくつたわらず、出来上がったものはペイジの意図と違ったものになってしまったらしい。(あの神経質そうなペイジであったら、作り直しも考えてもよっかたはずだが、リリース時期のスケジュールもあったのかな?)こいういジャケットに凝るのも今思うとZEPの魅力なんだな。これだけでなんか購買意欲とかそそられるもんね。1st、2ndはなんかデザインも暗いがこれはちょっと明るい。

曲についての印象を書きなぐると、一曲目の”移民の歌”。すごい曲である。初めて聞いたときから戦いの曲だと思ってたが、訳詩をみて、やっぱりと。闘争心をかきたてる。中学の時、これを騎馬戦のテーマソングに提案したいと常々思ってた。ジャーっってところは剣と剣がぶつかり合う音のよう。アドレナリンが大量に放出される。ロバートプラントは当時、英雄伝承に凝ってたらしいが、歌詞と唄い方が見事に曲のアレンジとマッチしている。

”フレンズ”はアコースティックギターのコードと音色が印象的だが、あのフォーククルセーダスの”帰ってきた酔っ払い”はこれに似てない?なんか時期的にちょうどあの頃な気がするけど(笑)。”祭典の日々”はのちにライブなどでもよくやるナンバーだが、初めて聞いたときはギターのバッキングがビートルズの”ゲットバック”からパックったと当時は思ってた(笑)。”貴方を愛しつづけて”。彼らのこの手のヘビーブルースは幼いころには非常に理解しづらい部分で同様に”幻惑されて”なんかも同じである。特にボンゾのドラムがこの手の曲にどうしようもない重さを持ち込み気分的にどーっと落ち込むのだ。しかしながら年をとり、社会にもまれ、裏切られ、傷つき・・・の今は酒を飲みながら聞くと・・・どうか?こりゃまたより一層暗い(笑)。でも味があるんだな。

後半のフォーク・ブルースっぽい部分は、マスコミから袋叩きになったが、自分的には嫌いでない。ドヨーンとしたヘビーブルースよりもむしろこっちの方が、明るくてナチュラルで良かった。後で知ったのだが、ペイジとプラントは田舎に引っ込んで曲を書いたのだが、そこには電気も無かったらしい。ランプでの生活で当然エレキギターも使えないので、アコーステックギターで曲を作ってたらしい。それがそのまま、音になってるのだ。

ブリティッシュトラッドフォークの引用でイメージをふくらましたその曲達はマスコミから安易なコピーと非難される。しかし、前作と違い時間をかけてつくった本作はやはり当時の彼らが納得して、心底やりたっかたことなのだろう。驚いたのは、スチールギターやマンドリンなども弾いていて、ジミーペイジは単なるロックギタリストではなく、器用なひとなんだなと思ってた。多分、家ではエレキなんか触らないで、好きなトッラッドフォークなぞを聞きながらアコースティック楽器を爪弾いてるひとなんだろうと思う。

何はともあれこのサードアルバムから彼らの音に対する考え方が変わってきてることは事実で、
単なるハードロックバンドというレッテルを貼られない為にも、次の”W”や、後の”プレゼンス”を作るのにも、この時期の”変化”がとっても重要だったのだ。(ブラック軍団2号)
●ジャケットは”リチャード・ドルウ”



LED ZEPPELIN  IV

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on November 8, 1971.


Black Dog
(Page/Plant/Jones)
Rock And Roll
(Page/Plant/Jones/Bonham)
The Battle Of Evermore
(Page/Plant)
Stairway To Heaven
(Page/Plant)
Misty Mountain Hop
(Page/Plant/Jones)
Four Sticks
(Page/Plant)
Going To California
(Page/Plant)
When The Levee Breaks
(Page/Plant/Jones/Bonham
/Memphis Minnie)
世の中で一番有名なZEPのアルバム(?)という解説が手っ取り早いか。

”ロックンロール”と”天国への階段”という両極端な名曲を収録していることに起因しているのだろう。ただし、お子様や一般ピープルにはこの2曲以外はうけないのでは...と思う今日この頃。

事実、俺もそうだったのだ。世の中も”天国への階段”がシングルカットしてなかたので、アルバムを買うしか手は無かった。しかし、ZEPのアルバム全般に言える奥深さはこのアルバムは最も突出している。よく言われることだが、このアルバムにはアーティストクレジットやタイトル、曲名などが一切割愛されており、このアートワークには当時のレコード会社重役達はびっくりさせた。

ZEPが過去3枚のアルバムが成功しまくり(といっても前作はけっこう酷評された)、バンド名が大きくなりすぎたことに対しての自分達のへの挑戦状だった。作曲とレコーディングは古い幽霊屋敷(メンバーにも幽霊が目撃されてる)を借りてライブ的にセッションを行っている。あの”ブラックドッグ”もちょっとしたセッションから出来上がったもので驚かされる。アルバム全体に独特のエコーがかかったグッドサウンドで録れていて古城だか幽霊屋敷だか、それ風である。

この時のセッションで出来た曲はすべてアルバムに収録されているわけではなく、ボツになった曲はその後の”フィジカルグラフィティ” で日の目を見る。あれに入ってる”夜間飛行”なんか個人的にはすごく好きなんだけど・・・、このアルバムとのカラーではやっぱちょっと違うのかなぁ?ミキシングはかなりジミーペイジも参加しており、当時としては、ありとあらゆる録音アイディアを駆使して作られている。意味深なジャケットアートワーク、中ジャケの絵やフォーシンボルとよばれる4人それぞれを現す記号、幽霊屋敷での録音・・・・中身を聞かなくても、とにかく何か大きな興味をそそられるアルバムに仕上がっている。

まあ、このような演出は実はビートルズなども使っていた手で、ファンにあれやこれやと神秘的に想像させることに成功している。ZEPメンバーも狙ってたに違いない。

曲に関しては、俺にとっては”ロックンロール”、これに尽きる。ZEPの活動の中、一般市民にもたぶん一番分かりやすい形の曲であり、ロックを感じさせる。何度も言ってることだが、ZEPは若い頃のポップ志向な自分には消化不良を起こしやすかったが、この曲は単純にかっこよかったな。ディープパープルの”ハイウェイ・スター”と同じくらいのインパクトのあるハードロックンロールの名曲。

よくこの曲の出だし(ドラムのカウントが終わったあと)のタイミングがよくわからず、コピーしたもの同士でも、バンドでやってもうまく合わなかった。思い出すのは俺だけじゃないのでは?

”天国への階段”、この曲を知らない人はいないのでは、というくらい有名になってしまってる曲であり、つい、去年に佐藤浩一主演の某TVドラマの主題歌にもなっていたのは記憶に新しい。(こんな曲をテーマにするなんて、きっと番組プロデューサなんかもロック馬鹿に違いない)一般的に有名な曲だが、オタク的に語るとギターアレンジなどすばらしく凝っていて、ペイジの才能が爆発している。こも曲を弾きたいが為にアコースティックギターや12弦ギターがほしくなるはずでしょ?じつは、かなり後に知ったのだが、例のあのギターソロはギブソン・レスポールではなくフェンダーのテレキャスターで録ったものらしい!

高校生の頃、このアルバム(といってもカセットテープだったが)の途中の曲をかなりとばして聞いてたが、今となっては全曲通して聞かないと収まりつかない。個人的にはZEPPELINUのほうが聞いた回数は多く、フェイバリットであるが、この”W”は何か変に引き付けられるものがあり(やっぱ幽霊が呼んでいる?)、メジャーアルバムという理由だけでは片付けられないで、特にここ5年くらい良く聞いている。サウンドだけでも意義があることであるが、ZEPの音楽すべてにあてはまることとして英語歌詞の意味の深さの理解という点で日本人はハンディキャップがあると思う。詩の内容がもっとダイレクトに伝われば、ZEPはもっともっと幅広く、しかももっともっと哲学的に語られたのであろうな。(ブラック軍団2号)
●”ZEP4”と呼ばれる本作にはアルバムタイトルのクレジットがどこにも無いく、メンバーのシンボルマークが記されているだけでる。そのシンボルの2つが北欧の古代文字”ルーン文字”であることから”ルーン・アルバム”とか”4シンボルズ”とも呼ばれていた。

セールス的にはZEP史上NO.1



HOUSES OF THE HOLY

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on March 28, 1973.


The Song Remains The Same
(Page/Plant)
The Rain Song
(Page/Plant)
Over The Hills And Far Away
(Page/Plant)
The Crunge
(Page/Plant/Jones/Bonham)
Dancing Days
(Page/Plant)
D'yer Mak'er
(Page/Plant/Jones/Bonham)
No Quarter
(Page/Plant/Jones)
The Ocean
(Page/Plant/Jones/Bonham)
発売当時は例によってプレスから散々酷評されたアルバム。
とは言ってもZEPに対するプレスの反応は、だいたいこんな物だったらしい。邦題「聖なる館」のジャケットはピプノシス。私がZEPのアルバムの中で一番好きなデザインであり、多くのヒプノシス作品の中でも上位ランクに位置する傑作と思っている。ZEPにとって5枚目となる本作は前作ほど長期に渡りチャートインしたわけではないが、全米チャート1位獲得後99週にわたりランクされた傑作である。そしてZEPのアルバムの中でも歴代2位の売上をあげているらしい。もちろん内容的にもバンド絶頂期にあり見事な作品となっている。

ZEPの音を大雑把に分けるとすると、リフを繰り返しブルースを基調としたいわゆるハードロック路線と、ブリティッシュ・トラッド系アコースティック路線の二つになると思うが、私個人としてはZEPを象徴する音は間違いなくトラッド系アコースティック路線と思っており、極力、黒っぽいイメージが薄い曲が好きなので「聖なる館」の頭の3曲の並びなど快適に聴く事ができ、人から「ZEPのアルバムで・・・」等と聞かれようものなら迷わずに「聖なる館」をあげる事も少なくない。このアルバムを初めて聴いた頃、私はハードロック以上にプログレにも興味が沸いて来ていたので、よけいに感じるのかもしれないが。

そんなプログレ嗜好も有り、前4作以上に私は反応したのだが、と言っても小学生の小憎であったため多くの音楽体験をしているわけではない。しかし、間違いなく前4作とは受け止め方が違っていた。このアルバムからZEPを好きになったわけだが、オヤジになった今でも当時の嗜好は変わっておらず、誰かに感化された訳でもなく、コノ手の音が自分で欲した音であると実感する。

”The Song Remains The Same”の複雑なギターの絡みに欲していた何かを具体的に見せられた気がしたが二曲目の”The Rain Song”でその感覚は決定的なものになった。極限に美しく劣化したストリングス音のメロトロンに、開放弦で文字通り開放的な広がりを見せるギター。涙腺をこじ開けるようなピアノとドラムは”天国への階段”以上に孤高のZEP節を感じたのであった。そして”No Quarter”のヴォーカル・エフェクトと心地よく揺らぐ鍵盤の音と共に幻想的な奥行きは深みを増す。実際、ヒプノシスのアルバムジャケット画にマッチするのは”The Rain Song”と”No Quarter”であり、この2曲がアルバム全体を印象付けしているのだと私は思う。とは言え、全ての曲に関しても前4作を上回ると言うか、進化していると言うか、明らかにZEPの変化を感じるのだ。

しかし”The Ocean”で聴かれるボンゾのスネアの音は何なんだ!フラムのようでフラムじゃ無いが、明らかにキメの部分での音圧が違う。MIXでの事なのか、ボンゾの気が鳴らしているのか(笑)。この曲のスネアの音はとにかく凄い、私はこのドラムの音を聴きたさに”The Ocean”をPLAYする事もあるほどだ。恐るべしボンゾ!

少年期に聴いた本作”HOUSES OF THE HOLY”によって、私の頭の中の分類ではZEPは完全にプログレなのである。”The Rain Song”と”No Quarter”この手のZEPが一番好きだ。だからこのアルバムが好きなんだな。(ブラック軍団3号)



PHYSICAL GRAFFITI

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on February 24, 1975.


Custard Pie
(Page/Plant)
The Rover
(Page/Plant)
In My Time Of Dying
(Page/Plant/Jones/Bonham)
Houses Of The Holy
(Page/Plant)
Trampled Under Foot
(Page/Plant/Jones)
Kashmir
(Page/Plant/Bonham)
In The Light
(Page/Plant/Jones)
Bron-Yr-Aur
(Page)
Down By The Seaside
(Page/Plant)
Ten Years Gone
(Page/Plant)
Night Flight
(Page/Plant/Jones)
The Wanton Song
(Page/Plant)
Boogie With Stu
(Page/Plant/Jones/Bonham/Ian
Stewart & Mrs. Valens)
Black Country Woman
(Page/Plant)
Sick Again
(Page/Plant)
ZEPの最高傑作と言うか、この2枚組アルバムはZEPのエッセンスの全てが詰め込まれた、ある意味ではベスト盤と言っても良いのかもしれない。

当時、小学生の子供だった私が洋楽の情報を得るには”MUSIC LIFE”あるいは”音楽専科”と、この2冊の雑誌が中心となっていた訳で、洋楽聴き始めはとにかくバンド名を覚えるだけでも大変な事のように感じていたが、子供ってーのは流石なもので、興味のある事は苦も無く驚くべきスピードで学習し開拓していくものだ。とりわけ”MUSIC LIFE誌”の年間人気投票なんてーのに釘付けになって当然で、ZEPの”PHYSICAL GRAFFITI”も人気投票で年間1位になっていたので「これは是非聴かないとロック小憎として失格だ」と世の中の批評を素直に信じ込んだのである。

これがZEPに興味を持ち始めた最初のキッカケで、早速1stから順番に聴く事となる。それでも全てのアルバムが子供心に求めていたロックとは程遠く退屈なものだったのは事実で、無理やりにでも聴く事を美徳としていた。正直な話、私がZEPを本気で耳が欲したのは23歳を過ぎた頃で、本作”PHYSICAL GRAFFITI”こそが最高作と宣言できるに至ったのは30歳を過ぎてからだ。それでも子供心に”In The Light”と”Night Flight”は大好きだった。当然、今でも私の中でのZEPベスト5にランクされている曲だ。

本作”PHYSICAL GRAFFITI”はZEP独自のレーベルであるスワン・ソングの設立に伴ってリリースされた。内容はアルバム用に新たに作られた8曲と、以前のレコーディング・セッションから産まれた素材で構成されている。

参考までに内訳を記してみよう。

70年”3rdアルバム”のセッションから
● Bron-Yr-Aur
● Down By The Seaside

71年”4thアルバム”のセッションから
● Night Flight
● The Wanton Song

73年”聖なる館”のセッションから
● The Rover
● Houses Of The Holy
● Black Country Woman

本作”PHYSICAL GRAFFITI”の為の新曲。
● Custard Pie
● In My Time Of Dying
● Trampled Underfoot
● Kashmir
● In The Light
● Ten Years Gone
● Boogie With Stu
● Sick Again

アルバムの曲順を年代ごとに入れ替えることによって、何か年代的な変化が曲や音に聴き取れるかもしれないと思い、カセットで編集したり、今ではPCによって簡単に編集CDも作れるので、上記のような曲順で再生もしてみた。しかし、全くもって意味は無かったようだ(笑)。確かに、ほとんどの曲をミックスし直したキース・ハーウッドの手腕によるものか、様々なスタジオで録音されたにも関わらず、トータルな質感は損なわれていない。本作に限った事ではないのだが、ジミー・ペイジは様々なギターを使い、様々なセッティングを試みているので、音色としては曲ごとの聴こえ方に違いは有れども、年代によって変化している様に感じられるものでは無いようである。よって完全に独立したアルバムとしてZEPの総体を表していると言っても過言ではないだろう。前アルバムの”ボツテイク寄せ集め”などと酷評する輩もいるが、リスナーにとってはアルバムを聴いた時点で全てが新曲なのであり、録音時期なんて事は本作を聴く上で実は何も問題には成らない事なのである。

本作のレコーディングは途中に延期を余儀なくされるのだが、その理由としてジョン・ポール・ジョーンズの病気説が一般的に良く書かれているが、ジョン・ポール・ジョーンズがウィンチェスター大聖堂の聖歌隊指揮者の地位に就く為にバンドを辞めたがってダダをこねてスタジオに入らなかった事が真相であると書かれている本もある。どちらにしても、この中断時にマネージャーであるピーター・グラントがマネージメントを兼任していた”BAD COMPANY”のスワン・ソングからのリリースに時間を割くことが出来、結果”BAD COMPANY”がスタートから成功する事が出来た。らしい。

これまたジャケットは凝った作りと成っており、ニューヨークのセント・マークス96番地のアパートが描かれ、繰り抜かれた窓から中が覗ける仕様になっている。とにかく当時のアルバム・ジャケットは、それ自体が作品として成り立っている物も多く、眺めているだけでも良いくらいに、新譜を手にする楽しみの一つであったのだが、今のCDにそれを求められないのは悲しい事だ。

とにかく”In The Light”の、曲調がメジャーになってE・ピアノにギターが乗り、光が射し込むような瞬間の快感と、”夜間飛行”のオルガンの音に涙腺が緩む感覚は今でも変わらない。私にとっては間違いなくZEP最高傑作。(ブラック軍団3号)



PRESENCE

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on March 31, 1976.


Achilles Last Stand
(Page/Plant)
For Your Life
(Page/Plant)
Royal Orleans
(Page/Plant/Jones/Bonham)
Nobody's Fault But Mine
(Page/Plant)
Candy Store Rock
(Page/Plant)
Hots On For Nowhere
(Page/Plant)
Tea For One
(Page/Plant)
本作の製作直前、1975年8月4日にロバート・プラントはギリシャのロードス島で交通事故を起こし、重態で死にそうだとか復帰不可能につきZEP解散なんて噂が飛び交っていた。

中学校に入学し、しばらくして手元に”PRESENCE”が届いたのだが、リアルタイムで聴いている事もあり、ZEPのアルバムの中では格別に思い出深く、”Achilles Last Stand”の三連に鳥肌が立ったことを今でも鮮明に覚えている。”Deep Purple”や”KISS”の様にわくわくする事は無かったのだが、何となくレベルが高いと言うのか、知能指数が高いというのか、そんな感じで格上のROCKと自分なりに位置付けしていた。

そんなロバート・プラントの事故も有ったのだが噂に反し完全復帰を果たし、”PRESENCE”は西ドイツのミュージックランド・スタジオで、一日18時間に及ぶ集中的なセッションによって、わずか三週間のレコーディングで製作されたらしい。しかし実際には十分に納得出来るな時間があったわけではなく、ミュージックランド・スタジオではRolling Stonesによる ”Black & Blue”の録音予定が次に入っていたため、ジミー・ペイジがミック・ジャガーに泣いて頼んだかは知らないが二日間延長の了承を貰い、オーバーダビングの全てを終らせたらしい。これほどのギター・オーケストレーションをたったの二日間?、これだけ多くのギタートラックを二日間で処理していくのは相当な集中力とEASYな考え方でないと無理だろう。完璧主義者のように言われるジミー・ペイジだが結構「OK!OK!」の楽天的な一面も有ったのだろうか?時間と共に薄れてしまうセッション時のインスピレーションを優先させたのか?単純に時間が無かったので仕方なくキリの良いところで終らせたのか?どうも私としては、このエピソードが気になって仕方がない(笑)

本作”PRESENCE”が中後期ZEPのアルバムとして決定的に違う事は、ジョン・ポール・ジョーンズによる鍵盤楽器でのオーケストレーションのたぐいが全く無い事と、アコースティック・ギターによって構成される曲も全く無い事だ。いかなる意図によって行われた事かは知らぬが、結果としてメロディアスな部分が殺ぎ落とされ、緊張感に満ちた攻撃的なロック・サウンドを作り出している。

何と言っても”Achilles Last Stand”だろう。正直言って、この一曲を聴いてプレイヤーを止めても十分に価値はある。私的には”Achilles Last Stand”が余りにも凄すぎて他の曲まで意識が回らないのである。ギリシャの詩人であるホーマーの”イリアド”に登場する英雄の名だが、何てったって”アキレス最後の戦い”だからねー、タイトルだけでも痺れてしまうほどに、とてつもなくドラマチックだ!

アルバム・ジャケットは”ヒプノシス”。なにやら意味ありげなオブジェに興味をそそられる。
”PRESENCE”(存在)を、あの不思議なオブジェによって表現されているらしい。

商業的には過去のアルバムと比べると大成功とは言えないのかも知れない。しかし、余りにも過少評価されすぎてはいないだろうか?私にとっての初めてのリアルタイムなZepと言う事もあり、特別な思いも有るが、他のアルバムには無いエネルギーを確かに感じる。(ブラック軍団3号)



THE SONG REMAINS THE SAME

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on September 28, 1976.


Rock and Roll
Celebration Day
The Song Remains The Same
The Rain Song
Dazed And Confused
No Quarter
Stairway To Heaven
Moby Dick
Whole Lotta Love
1970年代後半はROCKのライブ盤レコードが日の目を見る。DeepPurpleの”Live in Japan”やKISSの”ALIVE"、そして空前の売上を誇るPeter Framptonの”Comes ALIVE"など、非常に録音状態が良く、そのバンドの音をうまくプロデュースしたアルバムが世間に出回り大ヒットをさせていた。当時はMTVもビデオも発達してなかった時代であり、(というか無かったに等しい)、アーティストの生々しい音を聞くのにはこのようなライブアルバムでしか味わえなかったわけだ。
ごひいきバンドのライブテイクを聞けるだけで幸せになるのがファンというものだが、これらのアルバムはファン以外にも十分にアピールできる内容となっていた。KISSやFramptonなどはそのライブアルバムで火がついたようなものだが、ZEPの場合には既にスパースターとなており、満を持したということだったに違いない。この日本語タイトルはなんたって”狂熱のライブ”なんてタイトルがついていて、当時のライブ音源の貴重性を表している。
 
’73年音源の収録で新作”聖なる館”の曲をアピールしながら、全体的にバランスの良い選曲だ。3年も経ってからこの音源をあえて世にだしたのは同名タイトルの映画の作成があったからである。ただ、このアルバムが発売されたのはリアルタイムで経験しているが、当時、実際の音を聞いた時にはあまりピンとこなかったことが思い出される。(”RocK’n Roll”のテイクは当時からお気に入りだが)これはスタジオ盤も同じ扱いで、自分がZEPの音にのめり込んでいなかったが故の現象で、途中、飛ばし飛ばしで聞いてたな。これが熱烈なファンであれば、プラントの熱唱、ペイジの低く構えたレスポールやダブルネック、ジョンジーのオルガンを弾く姿、ボンゾのクレージーなドラミングがイメージされたのだろうが、実をいうと映画で映像を見るまでは、そんなに好きなアルバムではなかった。

自分ではDeepPuepleのライブ盤の方が、好みに合ってたが、あれでさえも訳の分からないアドリブなんかは聴くに絶えられなく(笑)レコードを飛ばしてたもんだ。演奏能力に優れたバンドはメンバー各々の力量を見せ付けるかのごとく、ソロコーナーで炸裂するわけだが、それを音だけで聞くのには少年期には辛かったのだろう(映画でもちょっとつらいかも)。テルミンで”ヒューヒュー”やるとかとか弓で弾くとか音だけじゃねー。’(でも驚いたけどな)

もともとZEPの曲はストレートなものが少なく、えらく混沌とした曲調が多いのに、ソロパートになるとそれがもっと専門的にエスカレートする。こういうソロコーナーみたいなのは、あのエリッククラプトンが作った"クリーム”から始まってると思うのだが、どうも楽器をひく自分でも”なんかなー”って退屈してた。画像無しだときついよね。俺なんかドラムソロだったら子供心にRainbowのコージーパウエルみたいな演出されてるのが好きだったもんね。
映画ではネガティブ要素は少なく、それぞれのキャラクターを演奏以外でも巧く表現したストーリー性のある映像がZEPの神秘性(特に”W”で醸し出したフォーシンボル化された雰囲気)ををうまく植え付けるのに役立っている。この映画の成功は後に、ポールマッカートニーに映画”ロックショー”の製作を決断させるきかっけになったといわれている。
 
まあ、絶頂期のZEPのライブパフォーマンスを味わえる公式唯一作品であるわけで、それを理解するには貴重な作品である。(かなりオーバーダブやパッチがあるらしいが)この後、西新宿の裏側あたりでは、ZEPの様々な海賊盤が出回り、ペイジのスムーズさに欠けるギターはレコード以上に世に知られてしまうのだが、そんなことは彼らの評価を下げる要因にはなり得ない。彼らはプロミュージシャンではあるが、なんといってもアーティストなんだな。ペイジにしたって、弾きにくさを分かりながらも”あの低い位置”でレスポールを構え、ビジュアルに訴えていた。そういうことが重要なんだよ。音楽性の高さは十分にレコードで表現できてるわけで、ライブはまた違う部分を見せなければ。彼らのビジュアルイメージは永遠にハードロックの様式美を確立させた。
ハードロックバンドはブロンドのロングヘアーを振り乱し唄い、ギターを低く構えてリフを刻むというある意味での固定概念を植え付けたのはなにを隠そう、この時期のZEPのライブパフォーマンスなんだから。(ブラック軍団2号) 

映画”永遠の詩”が劇情公開された時、新宿歌舞伎町の確か”地球座”とかいう映画館で観たのだが、とにかく初めて動くジミー・ペイジを見たわけで、いきなりタコの様に足をクネクネさせてギターを弾く姿に予想しなかった衝撃を受けたことを覚えている。まさか、これほどまで積極的なパフォーマンスを行うギターリストのイメージは、私のジミー・ペイジ像の中にはカケラも無かったのだから・・・。

しかし、食い入るようにスクリーンを見つめていたのだが、子供にとっては、とてつもなく退屈なシーンも多く、容赦なく襲い掛かる睡魔に勝てなかったのも事実で、当日2回続けて観たのだが、不覚にも2回つづけて寝てしまったのである。それでも何とか2回で全編は補えていたと思ったが、ボンゾのドラムソロでは気が付くと毎回子供が叩いているシーンになっていたので、ソロの本編は観ていなかったようだ。まーその後はLDもDVDも真っ先に買ったわけで、いつでも観る事が出来るのだが、今でも途中で寝てしまい、全編を通して観るに至ってはいない。

ライブ盤は同名映画のサントラ盤として発売されたわけだが、収録されている曲目に若干の違いがある。”ブラック・ドッグ””貴方を愛しつづけて””ハートブレイカー”の3曲はアルバムには未収録であり、”ノー・クォーター”の位置も映画とサントラでは違う。そして実際のライブではそれ以上に5曲ほどが演奏されており、噂どおりに長丁場のライブだったんだなーと思うのである。

当時、中学の先輩たちは「ジミー・ペイジのギターがヘタクソ過ぎて、今まで恥ずかしくてLIVE盤が出せなかったんだぜ」と親切に教えてくれながら、実際にブートライブLPを聴かせてくれたのだが、確かに海賊盤の音源から聞こえて来るジミー・ペイジのギターよりも、先輩が弾いたギターの方が上手に聞こえたのは事実であり、では、この正規のライブ盤は誰が弾いているのか?といった話題になっていくのだが、最終的な結論はジミー・ペイジ本人が弾いているがスタジオで幾度となくパンチインしながらのオーバーダビングで、泣きながら、叱られながら、なんとか出来上がったという事に落ち着いていた。これは全くのデタラメでもなさそうな気もする。

その後にジミー・ペイジを映像で見たのは”ライブ・エイド”でのステージであったが、ロバート・プラントもジミー・ペイジも、あまりに悲惨なPLAYをぶちまけ「やっぱりジミー・ペイジって凄いよね」と多くのファンを苦笑させたが、またその後の、確かアトランティク40周年なんてイベントだったと思うが、TVに写ったジミー・ペイジの凄まじい演奏に対して、我が友人は即座に電話をよこし「ふざけるな!」と怒りを露わにしていた。確かに私も、この時のジミー・ペイジには無条件に白旗を揚げた。
恐るべしジミー・ペイジ!(ブラック軍団3号)
●1973年7/27.28.29”マディソン・スクエア・ガーデン”にて収録。しかし、同名映画の製作が遅れたのか、発表は1976年。



IN THROUGH THE OUT DOOR

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on August 15, 1979.


In The Evening
(Page/Plant/Jones)
South Bound Saurez
(Plant/Jones)
Fool In The Rain
(Page/Plant/Jones)
Hot Dog
(Page/Plant)
Carouselambra
(Page/Plant/Jones)
All My Love
(Plant/Jones)
I'm Gonna Crawl
(Page/Plant/Jones)







70年代も後半になってくると、ROCKは大きな変化の時代に突入していた。いわゆるPUNKやNEW WAVEが広がりを見せている頃である。そもそもPUNKは旧態スタジアム級産業ロックを否定する哲学を掲げており、私も血沸き肉踊り制御不能の生殖衝動をあらゆる方向へ反発させていた普通の高校生であったため、全く抵抗無くPUNKを受け入れていた。その新しい衝撃によって全ての旧態ロックを否定し離れていたわけでは無いが、熱心なギター小憎だった私であっても、ギターソロを美徳とするロックにいい加減飽き飽きしていたのは事実であり、ギターソロがフューチャーされるハード・ロックとは決別していたに近く、ロックに少なからず大義名分を求めていた。

そんな時代に旧態スタジアム級産業ロックの象徴のようなZEPは新譜を送り込んだ。前記したように私は多くの旧態ロックに興味を持てなくなっていたので、ZEPの新譜ですら、周囲の友人が騒ぎ出すまで知らなかったし、”ALL MY LOVE”が松田聖子と同等に扱われているような風潮にも違和感を感じ、ZEPの新譜といえども飛びつく事は無かった。それでも聴く機会は程無くして訪れた。

ジャケットが6種類も有り、”ALL MY LOVE”なんてPOPな一般リスナー殺しの曲が有り、”HOT DOG”なんて間抜けなカントリー風の曲で毎度の様にペイジのギターは滑らかで無い、とか、壮大なZEPの最高傑作とか、周囲の好意的な批評と失望論が音より先に耳に入っていたのだが、私はどちらかと言えば批判的な気持ちで、大した期待も抱かずレコードに針を落とした。

話は前にもどるが、パンクを持ち上げ産業ロックを否定し、旧態ロックの終わりを宣言した多くの音楽メディアがイギリスを中心として幅を利かせていた時代にかかわらず、本作”In Through The Out Door”は、衰退しつつあったアメリカの音楽産業の救世主と成り得たほどの商業的成功を収めている。当然と言うか、イギリスでも第一週でトップに踊り出ている。そして、このアルバムの成功をキッカケに旧譜も売れ始め、アトランティック・レコードは驚異的な枚数の旧譜再リリースを行っている。

70年代半ば以降、ROCKは新しい年代のリスナーが産まれることによって、新しいロックが支持されたのだが、結局、レコードを大量に売り、多くの音楽雑誌の人気投票でも君臨したのは、時代が否定したかった旧態スタジアム級産業ロックの象徴であるZEPであったのだ。確かに商業的な成功”その事自体”を否定したのがPUNKで有るのでPUNKがウソだとか、不合理で浅はかな考えとは思わないが、こんな時代においてもZEPが新しい年代のリスナーを獲得し指示された事は事実である。

アルバムは、ロバート・プラントの息子が感染症によって死亡するという悲劇的なニュースから二年あまり後、ストックホルムのABBAのスタジオで録音されている。前作”PRESENCE”の時のようにセッションしながら時間をかけて曲を構築していく駆け足での録音ではなく、事前に入念なリハーサルを終えてからの落ち着いた録音期間であったようだ。

音的には前作”PRESENCE”とは逆に、ジョン・ポール・ジョーンズの鍵盤楽器が大きな比重を占め、レコーディングの主導権をも握っていた感もあり、”ALL MY LOVE”を始めとし、アルバム全体をPOPな方向へ導いている。しかし、POPと言っても一曲目からZEP節は炸裂し、リスナーを唸らせる事に間違いは無く、PUNKに熱中していた当時の私の中にも再びZEPブームが沸き起こり、旧譜を聴き返しながらギターをコピーする日々がしばらく続く事となった。

ジャケットはお馴染みのヒプノシス・デザイン・チーム。酒場での登場事物のそれぞれの目線から見た場面を6種類のセピアカラー写真として使用している。市場に出た6種類のジャケットは茶色の紙で完全包装され、売り場では中を確認できない形がとられた。そのため私の友人などは、レコード屋に行きカッターで袋を切り、中を確認して自己所有物と重複しないと解ってから万引きして、全ての種類を集めた大バカ者がいたが、なんとも無意味で迷惑なこの行為の責任はZEPに有る。

ちなみに、ライブ映像等でお馴染みジミー・ペイジを象徴するギターの一つである、ワインレッドのSG・Wネックだが、スタジオで録音に使用された唯一のトラックは本作の”CAROUSELAMBRA”だけらしい。本作の中でも極めて古典的なZEPらしさが表れており、本アルバム中のベスト・トラックと私は思っている。しかし残念な事にWネックを持った姿でLIVE演奏される事は一度も無かった。

確かに本作は他のアルバムほどの洗練された内容ではなく、名盤と言うにはチョイト厳しい部分も有るのだが、基本的にZEP最後のアルバムという事実だけで感慨深いものはあるのだ。(ブラック軍団3号)



CODA

Produced by Jimmy Page.
Executive Producer: Peter Grant
Released on November 19, 1982.


We're Gonna Groove
(Ben E. King/James Bethea)
Poor Tom
(Page/Plant)
I Can't Quit You Baby
(Willie Dixon)
Walter's Walk
(Page/Plant)
Ozone Baby
(Page/Plant)
Darlene
(Page/Plant/Jones/Bonham)
Bonzo's Montreux
(Bonham)
Wearing and Tearing
(Page/Plant)
”IN THROUGH THE OUT DOOR”発表から一年余り、USツアーを目前にしたリハーサル途中、嘔吐物による窒息でジョン・ボーナムはこの世を去った。この事故によってバンドの存続は絶たれる事となったが、アトランティックとスワン・ソングの契約上の理由もあり、残された3人はファイナル・アルバムの製作を始める。

内容は未発表音源の編集盤だが、必要に応じてオーバーダビングも施され、ロバート・プラントの1stソロアルバム発売時期と重ならないように配慮され、”11時の肖像”から約5ヶ月後に発売された。

本作の発表までの経緯にはバンド不在の商業的な意味合いも強く、終ったバンドの無理やりな編集盤に興味を持てなかった為、私がこの音源を耳にしたのは発売から10年以上が経ってからであった。とにかく無意味なアルバムと決め付け、全くもってバカにしていた。

それでも本作に対して、残された3人は懸命に編集作業をしたようだ。その作業がどれだけの良い効果を表しているのかは解らないが、過去の音源の寄せ集め的な駄作と言ってしまうには勿体無いほどに良いトラックも有る。初めてこのアルバムをCDで聴いた時、10年間も放って置いた自分の間違った認識を反省したものだ。

一曲目の”We're Gonna Groove”なんて余りにもカッコ良すぎる。セカンド・アルバムでのセッション・テイクという事だが、こんな曲のテイクをここまで正規に使用しなかったなんて「どうかしている」と感じるほどである。とにかく凄いが、バンドに勢いがある70年のテイクなのだから当然か。

個人的なベスト・トラックは”We're Gonna Groove”と”Wearing and Tearing”。

”I Can't Quit You Baby”のLIVEなんて必要ないし、ボンゾ追悼であろう”Bonzo's Montreux”に対するエフェクトには、当のボンゾも草葉の陰から苦笑しているのではないだろうか。だいたい、こんなテイクでボンゾの良さは伝わらないと思う。このテイクに対するジミー・ペイジの姿勢は全く理解できない。

とにかく全体的に内容は薄いが、批判するよりも楽しめる事に間違いはない。しかし、ZEPのオリジナル・アルバムとしてカウントするのは如何なものか?

ジミ・ヘンドリックスに代表されるように、死後、本人不在でリリースされる大量の音源には疑問を感じる。たとえ遺族の為との前提が有るにしても、商業主義的な音楽産業寄生虫の喰い物になっている事は事実であり、未発表音源と言うものはリスナーにとって嬉しくもあり怒りもあり複雑な心境である。亡くなったアーティスト本人の意思は何処にも反映されていないのだから・・・(ブラック軍団3号)

● アルバム・リリースの日付表記に関して
”HOUSES OF THE HOLY”以外、UK/US同時発売、又はUS先行の為、ここでの表記は全てUS発売日となっています。

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