ROCK ARTISTS BIOGRAPHICAL DEPARTMENTFOREIGN
FOREIGN ROCK ARTISTS SECTION
カタトニア
「不謹慎な聴き方」 Pantetsu
自分の好みの数パターンのテイストにハマッテいれば、私にとって好ましい音楽となり、自ら何度となくCDをPLAYする訳で、そのアーティストの人間性や経歴には殆ど興味が湧かずに音楽だけを求めるの為に、殆どのアーティストに対しての知識に著しく乏しい。
逆を言えばカートコバーン以降は興味を持つほどのアーティストは私にとって存在せず、平均点は高いが顔は見えない様と言うか、顔が見えなくても支障が無く聴ける優等生や、ポーズの上手なアーティストが多いという事だ。今のシーンには変人は少なく、模範生に成ろうと音楽に対して一生懸命である為にロックの興味としての素材が少ない事は悲しい事かもしれない。
カート・コバーンもシド・ビシャスも、昔で言えばジミヘンもジム・モリソンもシド・バレットだって、皆、音楽を愛していたし音楽での表現に努力を惜しんでいた訳ではないが、一様に限界を目の前にし自分を表現する事を一番する苦悩が、音楽を越えた音として聴き手に突き刺さっていたのであり、決して好きな音楽を上手に演る事に終始していた訳ではない。それがロックとしての醍醐味であり使命であるのは確実なのである。
しかし、80年以降は聴き手がソレを求めなくなったのであろう。身を削るようなアーティストと向き合うのは相当な体力が必要である為に、皆一様に柔らかく瞬間的に味を確認できる物を求めたのだ。
ある日、友人が私の元に「カタトニア」のCDを持ち込んだ。そのテイストは私の嗜好に合い、私は大層気に入ったが、やはり解りやすい優等生75点の音楽には音楽以外の興味を持つことも無く、バンド名すら一ヶ月くらい確認する事も無かった。
当然、この手の75点に関してはCDのライナーすら見ない。音だけでソレ以上はどうでも良い。甘めのハスキーボイスの可愛い女の子のロックは大好きだ。しかし、百聞は一見に・・・とは言ったものだ。すでに私の中でカタトニアのヴォーカルの女の子は想像の中で確立していた。きゃしゃな体を力いっぱい搾り出しながら、無造作な金髪はリズムに揺れていた。何となくフィギュア・スケートの欧選手見たいな感じで大変に満足していたのである。しかし、ある日、アーティスト写真を見てしまったのである。「おーーマジでコイツか?」・・・私の思いは崩れてしまった。立派な姉ちゃんだった・・・それ以来CDを聴いても何となく声が違って聴こえるのである。
不謹慎だが女性アーティストはビジュアルから入ったほうが間違いないのかも・・・その後も何度となく同じ事を繰り返しているので自分のバカさにも呆れているが、今後は気に入ったら顔を見ることは止めよう。音が好きならそれで良いのだ。しかし、どうしても以前のカタトニアには聴こえないのである。
百聞は一見にしかずと、この場合も当てはまるのか。
カタトニア「インターナショナル・ベルベット」 Catatonia 「International Velvet」 WPCR-1687 |