ROCK ARTISTS BIOGRAPHICAL DEPARTMENT
JAPANESE ROCK ARTISTS SECTION



COOLS / クールス

「暴走族→ロックンロールジャンキー」
 SHINGO

「暴走族」。これに対する日本においてのイメージは“喧嘩上等”などの漢字文字が刺繍された特攻服に身を包み、チーム旗を振り回しながら日本製の改造バイクで暴走するというものである。

一方アメリカでは“ヘルスエンジェルス”に代表される、皮ジャンに皮パンでチョッパーのバイクを乗り回すというスタイルが暴走族のイメージであるようだ。COOLSは日本においては数少ないアメリカンな暴走族であり、当時非常にスタイリッシュであった。

館ひろしを中心に結成されたこの暴走族が最初に世に出たのは1975年、矢沢永吉率いるキャロルのラストコンサートで会場の警備を務めた時だった。ローリングストーンズの警備を務めたヘルスエンジェルスのようなこの行動にマスコミが目をつけ、そのファッションスタイルを取り上げたのだ。

そうして世に知られることとなった“暴走族COOLS”の一部のメンバーが、その年にバンドとしてデビューしたのが“ロックンロールバンドCOOLS”の始まりである(といってもこの頃私は5歳、当然この話はウチの兄貴から聞いたもので、実際には体験していないが・・)。この頃のCOOLSのアルバムはSHA-NA-NAのようなオールド・アメリカン・ロックン・ロールのカバーと、そこから派生したかのようなオリジナル曲の数々で構成されている。

“紫のハイウェイ”“シンデレラ”“ミスター・ハーレー・ダビッドソン”など(3曲とも※1)のオリジナルの名曲はこの頃の作品である。その後1977年にリーダーの館ひろしが脱退し、COOLS.R.C.(クールスロカビリークラブ)と改名してからも、様々なサウンド的挑戦やメンバーチェンジがあったものの、ロックンロールをベースにした基本的なスタンスはまったく変わらなかった。この頃の名曲としては、重厚でロマンティックなバラッド“CLIMAX”(※2)やドライブ感全開の軽快なロックンロール“T-BIRD CRUISIN”(※2)、また中期COOLSのキーマンである横山剣作詞作曲でCOOLSらしい世界観に溢れている“シンデレラリバティ”(※2)など、数え上げればきりがない。

元シャネルズの山崎寛明が加入した1992年あたりには完全に円熟したグループとして貫禄十分の演奏を聴かせてくれていたが、1996年にCOOLSの楽曲のほとんどを作っていたジェームス藤木が脱退し、活動に一応のピリオドをうった。しかし現在もSHA-NA-NAの来日ステージやハーレーミーティング、ドラッグレースなどのロックンロールを愛する者たちが集まる場所に出没し、ゴキゲンな王道ロックンロールを演奏している。

現在、オリジナルメンバーは村山一海、佐藤秀光の二人だけになってしまったが、こうして振り返ってみるとこの二人のロックンロールジャンキーぶりに改めて驚かされる。デビューして25年、同じバンドでロックンロール一筋に演り続けるということは並大抵ではない。キャロルラストコンサートのビデオの中に暴走族時代の村山一海の若き日の姿が収録されているが、それを現在の顔と見比べてみると思わずニヤッとしてしまう。

眼差しは若き日のまま、素敵に重ねた年月が刻み込まれた顔つきに惚れ惚れしてしまうのである。私は彼らとはまったく違う人生を送っているが、自分もあの年にはあんな顔で笑っていたいとつくづく思う。

「バカのひとつ覚え」と鼻で笑う奴もいるかもしれない。そんな奴にはこういってやろう。「バカで結構。でもアンタはこんなことが出来るかい?どんな人生送ってるんだい?」と。


☆これを聴け!☆

COOLS 「コレクション」 ※1
COOLS 「コレクション」  KICX-7075
舘ひろし在籍時の代表曲を網羅したBEST盤 。
これを聴けば初期COOLSの世界が味わえる。
COOLS 「MYTH”神話”」 ※2
COOLS 「MYTH”神話”」 PSCR-5078〜9
中期から後期にかけてのBEST盤。
円熟した中にも激しさのある大人のロックンロールが聴ける 。



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