ROCK ARTISTS BIOGRAPHICAL DEPARTMENT
JAPANESE ROCK ARTISTS SECTION



BLACK CATS / ブラック・キャッツ

「本物の不良たち」
  SHINGO

今は「PINK DORAGON」っていうのかな、原宿にあるロックンロールブティック。昔は「CRAM SODA」っていってテディボーイファッションの品物を扱っていた。

BLACK CATSのメンバーはみんなソコの店員であり、1stアルバムのタイトルを見てもわかるように(※1)このCREAM SODAのプロデュースでレコードデビューしたが、そのルーツはもう少し前に遡る。最年少15歳を含む6人のメンバー達はどうしようもないならず者で、ワルの限りを尽くしていたそうだ。

保護観察中という状況を背負った者も二人いたという、そんな奴らがケンカの合間の悪事にと見つけたのがロカビリーだったようだ。その昔は伝説となったライブハウス跡の廃墟を練習場にオールドロカビリーの演奏に明け暮れていた本物の不良たちは、そのうち当時ロカビリアン、テッズといわれる者達が入り浸るブティックの店員になった。

そしてそのブティックの社員旅行で訪れたロサンジェルスでライブデビューすることになる。CREAM SODAの社長である山崎真行サンが仕掛けたことだったようだが、さすがになにもなかった原宿を若者の街に仕立て上げたヒトである。まるでSEX PISTOLSをデッチあげたマルコムマクラレンのような冴えた感性で、グラミー賞帰りの業界人達が流れてくるナイトクラブにBLACK CATSのデビューステージを据えたのだ。

   しかしメンバーはそんなこと関係ない。不良達はまったく臆することなく自分達のロカビリーを思い切り叩きつけた。そのステージを目撃した当時全米No1ガールズグループGO−GO’SのマネージャーがBLACK CATSに一目惚れ!GO−GO’Sの全米ツアーの前座に彼らを指名してきた。大好評のうちにそのツアーを終えたBLACK CATSは、日本ではまだ誰も知らなかったが世界各国のロック好きの間では知る人ぞ知る存在になってしまった。

   なんせTHE CLASHのメンバーが彼らのファンクラブに入ってたってんですから、パンクにも影響与えちゃってたんですねー、日本のロカビリーが(笑)。そんなエピソードを経てアメリカでのデビューの話も多くあったようだが、日本の不良達はそれらを全てキック、日本に帰って何事もなかったようにレコードデビューを果たした。

   彼らにしたら、わけのわからん外国でデビューするより住みよい日本で活動したかったんだろうね。なんせ上昇志向なんてまったくなく、ケンカの代わりに好きでロカビリーやってた人達ですから。こうして日本で初の本格ネオロカビリーバンドが誕生したわけだが、1stアルバムを聴いたら案外ポップで、人によっては当時の日本でのそのテのバンド“チェリーボーイズ”“COOLS(初期のネ)”等と同じ土俵で語られることが多い。

しかし既出のバンドたちが50'アメリカンポップスの香りを前面に出して、SHA-NA-NAのコピーバンドであるかのようなスタイルだったのに対し、BLACK CATSは歌詞や雰囲気でオールディーズを匂わせてはいるものの演奏形態やソウルが絶対的にロカビリーであった。まあこの二つの音楽は密接につながっていて、ここの線引きは非常に微妙であり、人によって意見が分かれるところですけどねー。まあ一度聴いてみてそれぞれが判断しましょう。どっちにしても後の日本ネオロカ界に与えた影響は計り知れない、オリジナルジャパニーズロカビリーであることには違いないのだから。

最後に豆知識。ボクは行ったことないけど、現在も原宿にある“キャッツストリート”ってのは彼らの名前に由来してるんだってネ。

☆これを聴け!☆

BLACK CATS 「CREAM SODA PRESENTS」 BLACK CATS 「CREAM SODA PRESENTS」 VICL-2040
敢えて私は日本初のオリジナルロカビリーアルバムと断言したい。
色々な意見はあると思うが カッコイイのは間違いない!反論は受け付けませーん(笑)



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