ROCK ARTISTS BIOGRAPHICAL DEPARTMENT
JAPANESE ROCK ARTISTS SECTION



友川かずき  

「生きているって言ってみろ・・・・って言われても」
    Pantetsu

   「若さとは こんな悲しい 春なのか」

テレビ東京と改名される以前は、たしか東京12チャンネルと普通は呼んでいたと思う。
中学生の頃、その12chで日曜日の午前中?(たしか午前中だったと思う)なにやらアングラな人々を紹介するドキュメント番組があった。ギリヤーク尼崎氏など思春期の私には興味津々の人々が紹介されていた。私は未だに表向きは絶対的に否定しているが、この手の人物や映画、音楽には惹かれてしまう。寺山修司だとか中上健次とかATGの映画だとか・・・俗に言うサブカルチャーと言うか反社会的と言うかアンチOOと言うか順応性無しと言うか・・世捨て的な感覚に惹かれてしまうのだ。自分の脳や性器の安全運転の方法を模索し、そして、その判断不能のエネルギーの有効利用も出来ずに、ただ悪戯に疑心暗鬼を繰り返す、そんな破裂しそうな思春期に出会ってしまったのである。

友川氏のギターは慢性的な自殺未遂者の重なり合った手首の傷の様に、度重なる自傷行為の後を明確に残し、渾身の力によって叩かれる数本の弦と共に、恐ろしいくらいに泣き叫んでいた。私はテレビの前で金縛りに会った、本当に恐ろしくなった。貧乏で無学で田舎者の労働者の歌は、革命を掲げながらも「結局お前らはプチブルじゃねーか」と自問しているような総括の果てに、絶対的な個人の表現の差を感じさせていた。人並みの生活を営んでいる事にコンプレックスすら感じさせるようなコンプレックスの爆発だ。次の日、何かに取り付かれたように友川氏のレコードを手にした。「友川かずき選集」。(現在CDで入手出来る「 初期傑作集」とは収録曲が異なる)

「青春」「おじっちゃ」「歩道橋」「とどを殺すな」・・・どの曲を取っても衝撃的な楽曲だった。感動だとか同調とか賛成とか・・・そんな感触は全く無かった。ただ衝撃だった。

私の知識の中のハードロックやパンクロックよりも遥かに力強く疾走するエネルギーに溢れ、そのエネルギーは外部への発散ではなく、自分自身の内側へ向かって増幅されたものが行き場を失って体外へと流れ出ている感じがした。聴衆を必要としない音楽だ。
子供心に「本物って、こーゆー物かも・・・」と恐怖を感じた。そして自分が、この世界観を理解し受け入れようとしている事にも恐怖を感じた。

そして一ヵ月後、私は普通のROCK少年に戻っていた。以後、友川氏のアルバムを追求する事は無かったが、常に価値観としては氏の歌唱を基準とする部分もあり、その後の自分の音楽の好みを左右する事にもなったのである。

それから25年近くが経ち、音楽仲間との交流の中から再び自分の中に友川かずきブームが起こった。現在では、ほぼ全タイトルが入手可能だ。日本の音楽業界も捨てたものでは無い。当然、今ではスンナリと聴く事が出来るくらいに私は肥満化していた。安心した。立派に無感動な大人に成長していた。伊達にバブル期サラリーマンを経験した訳じゃ無い。

そんな安心感も有ってか、氏のライブを見に行く決意をした。これは決意だ!しかし、全身の筋肉を収縮させ足を絡ませて搾り出された氏の肉声の鋭さは想像以上で、如何なる刺激をも緩和するはずの厚い皮下脂肪までも貫通させたのである。血が出た・・・「生きているって言ってみろ・・・・って言われても」・・・・血が出た以上、立派に生きている事を実感した。

同じ水槽の中を泳いでいる事に安心感を求めている様な幼稚なパンクの多さにウンザリしている貴方へ。柔らかいもの喰って成長したでしょ?アゴを強くしないとね。近頃の野菜なんか臭いも味も薄れて肝心の成分まで減少してるんだそうだ。


友川かずき 「やっと一枚目」 友川かずき 「やっと一枚目」TKCA-70574
秋田弁で苦しいほどに「性」と「血」を語り続ける友川かずき、文字通りの1stアルバム。
一曲目の「青春」から、胸をえぐられるかの様な言葉が搾り出される。時代は変わっても彼の声が色あせる事は無い。本気の声と言葉を求めている人にしか勧められる作品ではないので、柔らかいものを喰い過ぎてアゴが弱っている人は決して手を出すアーテイストでは無い。
友川かずき 「初期傑作集」 友川かずき 「初期傑作集」23JC-457
「怒る事は大切である。対象や理由はどうであれ、ただ何かに怒りを持っていることが大切なのだ」と友川氏は語っている。そして今、50歳を過ぎた氏が、ある俳人の句を紹介した。
「若さとは こんな悲しい 春なのか」
私はこの句が耳から離れなくなってしまった。そして又このCDを聴いてしまうのである。


Back

Top