ROCK ARTISTS BIOGRAPHICAL DEPARTMENT
JAPANESE ROCK ARTISTS SECTION



フィンガー5 

「私の原点」 
       Pantetsu


私は音楽と酒とタバコが有れば大抵の事は我慢できる。ただその3つにおいては一般的な量では無い。我ながら酒の飲み方には呆れる事が有る。アル中では無いと思うが、液体の内容を脳が判断してくれないので、ウイスキーでも焼酎でも、水で割ってもストレートでも内容のアルコール濃度を正確に脳が判断してくれないのである。脳が判断するのは液体の容量だけであり、したがって300mlの酎ハイを呑もうが300mlのウイスキー原液を呑もうが同じスピードで呑むのである。しかし、当然に体はアルコール度数の強弱によって変化はする。よって泥酔するが飲酒は止まらない。幸いな事に夜に弱い体質なので呑み始めが遅いと終るのも早い。時間と持ち金だけが飲酒を終らせるのである。しかし賭け事と下半身産業には全く縁が無く、神様は上手に人間を作ったものだと感心する。よって金を使う大半は音楽と酒しか無い。 私は子供の頃から歌謡曲が大好きで、TVと言えば歌番組と仮面ライダーしか興味が無かった。しかし、ココまで音楽にのめり込むキッカケは「フィンガー5」だったと思う。とにかく衝撃的な出来事で、その日から髪を伸ばした。

彼らの1stアルバムの大半はジャクソン・ファイブのカバーだったが、子供心にも事実上デビュー曲と言って良い(正確には5枚目のシングル)「個人授業」は従来の歌謡曲とは違う大陸的な臭いを感じたが、当然に当時の子供としては予備知識としてジャクソン・ファイブを知っていた訳では無いし、頻繁に洋楽を聴いていた訳でも無い。確実にコレを境にして洋楽に目が向いていったのであり、私は楽器を持つ事にも興味が湧くに至り、人前で歌を唄う事に全く抵抗が無かったので、私は小学校だろうが道でだろうが唄いまくっていた。振り付けも完璧だったと思う。人前で披露する事に快感を感じ、心の底からフィンガー5のメンバーに入る事を日夜考えていたのである。そしてスター歌手になる事を夢見ていた。

新曲が発売される事をあれほど待ち望んだ事は無い。毎日毎日、新曲を歌う姿を想像していた。「恋のダイヤル6700」のレコードが友達の家に到着した日を、私は今でも克明に覚えている。クラスの女の子の家だった。何度も何度も繰り返して聴いた。ワンコードのエイトビートに「リンリン」のコーラスが重なって来る、ロックンロールだ。私はサビ前のブレイクから16のスネアがクレッシェンドしてくる部分が無性に好きだった。私にとって歌詞はどうでも良かった。ただ8ビートに痺れたのだ。

コノ頃になると芸能雑誌などで克明に振り付けを解説しており、又もや振り付けの習得に没頭した。そして「学園天国」、又もやロックンロールだった。定番的ロックのお約束が詰め込まれた楽曲だ。私は8ビートに完全に目覚めた。生まれて初めてコンサートまで観に行ったのだ。又、同時期にマッカートニー・アンド・ウイングスの「ジェット」にKOパンチを喰らい、カーペンターズの美しいメロディに心惹かれ、ビートルズを知り、ギターを持つのである。

特別な趣味も持たず、酒と音楽にしか行動する力を持てず、ロックと文学しか信用できる教科書を知らない私の原点は間違いなく「個人授業」なのだ。私にとって重要な楽曲である。そして、おそらく多くの同世代のロックオヤジにとっても同じであろう。

フィンガー5 「個人授業」 フィンガー5 「個人授業」 PHCL-8057
移籍デビュー当初は楽器を持ちバンド形式を取っていたフインガー5の1stアルバムである。ジャクソン5のカバーを子供向け?に楽しく日本語化されてあったりして何とも不思議な世界が展開されている。それにしても声変わり前の晃氏の卓越した唱には子供とは思えないソウルを感じると同時に、圧倒的な勢いで歌謡界を席巻した姿は一種の社会現象と化し、今では伝説と言って良いだろう。




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