"THINKING SOCIOLOGY" THEME :
ROCK MUSIC


「B'z という商業成功への嫉み」        SATO-P

 
どうも所謂自称ROCKファンには、”B'z"に対して批判的な話を聞くことが多い。やれ売線主義だの、洋楽のパクリだの、お子様向けだの、ある意味異様なほどの反応を示す人が多い。要はあんなの認めないと。

しかしながら本当にそうなのであるか? ’98年に発売された2枚のベストアルバムは1000万枚を越す怪物セールスなんて話も有るし。ベストだけではない。デビュー当初から15年間、シングル、アルバムのほぼすべてをチャート1位に押し出し、しかもそれらが2位、3位を常に圧倒的な数字差で距離を離す。真意のほどは解らんが、なんと売上総数で語ると世界でもベスト5に入るなんて噂もある。

確かに売れりゃいいのか?といわれればそうではないが、この事実は避けて通れない。聞きたい人がそれだけ多く存在するということだ。

B'zのファンは幅広いという。中高生からOLのお姉ちゃん、サラリーマンから、主婦、ギター小僧までカテゴリー化されていない。”だからROCKじゃねえんだよ!”と反論が聞こえてきそうだが、もともと”ROCK”の定義なぞないわけである。かつて1980年代に”商業ロック”なるムーブメントが到来する。主に当時のアメリカンロックをさしていたわけでジャーニーやスティックス、フリートウッドマックまでが標的にされ批難をあびた。ちゃんちゃら可笑しいが、ROCKはもっとハングリーなもので不健康なもんなんだというある種の固定観念から商業成功に対する嫉みがほとんどである。

歌を唄う者、ギターを弾く者、バンドをやる者すべてが、貧乏を目指してるわけではないわけで、バンドは成功を目指しているのである。誰しもが自分の音楽を幅広く聞いてもらえればと願うものである。

さてB'zの話であるが、彼らの洋楽パクリ論争の詳細はまた別の機会にでもじっくりと語ることとする。ここでは稲葉氏、松本氏のルーツに焦点をあてると、まさに俺と同年代であることも影響しているが、生粋のハードROCKファンなのである。大勢の観衆の前でシャウトする、ギターをかき鳴らすことが、ずーと彼らの”夢”であったのであろう。

日本でも80年代後半に国内ハードロックブームが訪れる。老舗のBowWowを筆頭に、LOUDNESS、アースシェーカー、マリノ、44マグナムなどなど。みんな演奏技術にも非常に長けていたわけであるが、ある意味、へービーメタルミュージックを大衆ファン層まで広げられていない。要はアングラであったわけ。俺もハードロックファンとして日本での活性化を望んでいた一人だが、なかなか市民権を得られないことにいらいらしたもんだった。やっぱだめなのかと。

B’zの松本氏は基本は彼らと一緒だったはずだよ。ただ、彼が望んだのはきっと自分のギターをたくさんの人たちに聞いてもらいたというなんとも素朴な願いだったに違いない。同年代としては、評価云々ではなく、非常に共感できる部分が多いのである。彼はROCKだなんだではなく、ZEPやPURPLEやKISSのようなスターになりたかったのである。しかもそれを時間をかけて実現させていく。15年の奇跡の中で彼らは徐々に徐々に自分達のルーツを見せ付け始めてる。それを実現させる為にも稲葉氏のキャラクターが必要であったわけだ。松本氏はそういう意味では単なるギター馬鹿(失礼)では語れない先見の才能をもっている。

俺は実は彼らがデビュー当初は大嫌いだったんだけど、あるタイミングで彼らが俺と同世代で、俺とまったく同じものに共感してて夢を追う姿勢に気付いた。俺らの中学、高校時代に夢見たことを、この日本で実現した数少ない人である。パクリ云々だって、俺にしてみりゃROCKのオリジナリティーてなによ?てことになる。それ言い始めれば他のバンドもキリがないのよ。

日本にはうまいバンドもギターリストも数多くいるわけである。スタジオミュージシャンとしてではなく、あくまでも前面に露出する方法論でディストーションギターをうならせ、圧倒的な長者番付1位を独走する、このハードロック・オタクな松本氏がプロデュースするROCKユニット”B’z”を俺は指示する。


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