上海・北京旅行記

 12月25日 
 安いツアーなので初日と最終日はほとんど使えないとはわかっていても、成田を午後7時過ぎに発ち、現地到着が9時過ぎ、ホテルに着くと11時になろうとしていました。この日は結局ほとんどの時間を日本で過ごしていたような…。上海でのホテルは「上海賓館」で、地下鉄静安寺駅から歩いて5分ほど南へ行ったところです。ホテルを出て少し南へ行くとローソンがありました。更に南へ行けば淮海路にも行けますが、こちらはちょっと歩きます。パックツアーならバスで移動するので、ホテルの立地はあまり問題ではないでしょうが、私のようなフリープランの場合、もう少し地下鉄駅に近い方がいいかとも思いました。
 12月26日 
 この日は一日、日本で事前に申し込んでおいた蘇州ツアーへ出かけました。他の客と一緒になることもなく、我々家族三人のみでした。蘇州までは車で一時間ちょっとです。高速道路も出来、上海の市街、蘇州の市街で若干の渋滞があった以外は極めて快適な旅でした。
 蘇州で回ったところは、虎丘、盤門、寒山寺、拙政園で、その間に刺繍研究所とシルク研究所に寄りました。前四者はごく一般的な観光地でしたので問題はありませんが、後二者つまり両研究所は研究所とは言うものの、実態は観光客向けのお土産やでした。旅行会社にバックマージンが入るのだろうとはわかっていますが、どうしてこういうところへ連れて行きたがるのでしょうか。
 12月27日 
 一日上海の市内観光をしました。まず歩いて長楽路にある藍染めの店に行きました。ここは母がどうしても行きたいと言っていたところです。以前、テレビで日本のタレントがここを訪れたのを見たのがその理由です。ここでお土産などを選び、更に歩いて地下鉄の陝西南路駅まで行って地下鉄に乗り上海駅へ向かいました。更に明珠線に乗り換え、虹口足球駅で降りて魯迅公園到着です。ここは私も初めて訪れました。ガイドブックなどで見慣れた魯迅の銅像を見て、公園内を一回りしました。
 公園の南口から出て、四川北路、多倫路、また四川北路を通ってバンドへ向かいました。このあたりは多倫路はいかにも作った感じですが、旧租界時代の建物が比較的残っています。南京路・淮海路や浦東のように都市化していないところが残っていて心が和みます。途中、栗を売っている売店があったので、食べながら歩きました。
 南京路を少し歩いて河南中路駅から地下鉄に乗り浦東へ渡り、バンドの対岸から夕暮れのバンドやライトアップされる建築群を見物しようと待ちましたが、この季節はやはり寒いものです。なんとか夜景と呼べる時間まで粘り、地下鉄に乗ってホテルへ戻りました。
 12月28日 
 この日もホテルから歩いて南へ向かい、常熟路駅から地下鉄に乗って黄陂南路駅で降りました。地上に出るとユニクロがあります。ここから上海の新しい名所・新天地の側を通り、東台路骨董街を目指しました。午前中のためかまだ開いていない店もありましたが、どこから見つけてきたのかというようなガラクタを並べた店が軒を連ねています。そんなお店を見ながら方浜中路を通って豫園に到着しました。豫園は、昨年は正月元旦に重なってしまい、ものすごい混雑でしたが、それを知っている目で見ると今回は実に空いていました。南翔饅頭店も15分から20分程度並んだだけで買うことが出来ました。それにしても8元で16個も入っているとは。ウマイ!
 その後、豫園の雑踏の中を少し散策しながら、南京路へ向かいました。「狗不理」の肉まんを食べ、人民広場駅から地下鉄に一駅乗って石門一路駅へ行き、そこから南京西路を静安寺まで歩きました。伊勢丹デパートを覗いたり、景徳鎮の食器屋へ寄ったりしつつ、途中にあったパン屋でパンとケーキを買い、ホテルへ戻りました。
 12月29日 
 この日は朝起きて朝食を済ませると北京へ出発です。国内線は虹橋空港ですので、ホテルからは30分もかかりません。北京では今回も新僑飯店に宿泊です。ホテルにはお昼前に着きました。清掃中で部屋には午後1時にならないと入れないというので(だったらもう少し遅い飛行機にすればいいのに…)、荷物をフロントで預け、ホテルの南にある新世界デパートへ食事に行きました。ここの最上階はフードコートになっていて、中国各地の料理が食べられます。日本風のものもあります。安いのはいいのですが、ボリュームがすごく、また味付けも完全に中国人向けです。それにちょうどお昼時なのですごい混みようです。幸い席も確保でき、パオズと焼きそばを食べましたが、相当な量でした。
 ホテルの部屋で旅装を解き、一服してから前門へ向かいました。前門に登り、しばし見学した後、前門から大柵欄へ向かいました。人出はそれほど多くないというのが率直な感想です。お茶などを購入してホテルへ戻り、夕食はホテルの斜め向かいにある便宜坊で北京ダックを食べました。ここの北京ダックは日本の中華レストランのよりはるかに美味しく、安いです。でも「便宜」の発音は「pianyi」ではなく「bianyi」です。
 12月30日 
 この日はまず地下鉄に乗って雍和宮へ行きました。雍和宮は何度来てもおもしろいところだと思います。そして毎回思うのは中国の人は若者もずいぶんと熱心に祈りを捧げているなあということです。日本ではまず見られない光景です。
 雍和宮を後にして、孔子廟・国士監の前を通り、胡同めぐりの気分で鐘楼へ向かいました。ここは登れますが、内部の階段はかなりの勾配です。でも上からの景色はいいものでした。
 鐘楼から后海へ向かい、宋慶齢故居を訪れました。このあたりはのんびとしていて、冬でなければ、もっとよい印象が得られると思います。途中、后海沿いの通りでテレビドラマか何かの撮影をしていました。私も映っているかも?と思いつつ、主人公とおぼしき若い男女、男性の方はどうってことない人でしたが、女性の方は非常にきれいな女優さんでした。
 宋慶齢故居からの予定は梅蘭芳記念館、魯迅記念館という、歩くとちょっと強行軍ですが、北京市街の大渋滞を考えると一番確実な方法として徒歩を選択しました。ところが梅蘭芳記念館と魯迅記念館が電気工事や内部改修とかで休館でした。結局、北京を北から西へ散歩しただけの結果となりました。
 ところで白塔寺の前には、ずいぶんと大勢の身体障害者の人が缶を持って寄付を求めていましたが、今回の旅行では身体障害者の人を大勢見かけました。また魯迅記念館へ向かう阜成門内大街のある部分には、十数軒ものトロフィー屋が並んでいました。日本でも見かけるトロフィー・賞状などのお店なのですが、どうして同じ店が同じところに固まって店を構えているのでしょう。中国ってそういう傾向がありますね。
 魯迅記念館がやっていなかったので、阜成門から地下鉄でホテルへ帰りました。
 12月31日 
 午前中に再び前門へ向かい、お土産にお茶などを買いました。そして昼前にホテルへ戻り、中国人の友人の家へ向かいました。お昼はその友人の家で「しゃぶしゃぶ」をごちそうになり、夕方辞去しました。友人の家は北京の北方やや東より、東直門からタクシーで30分くらいのところですが、新興の住宅団地で高層のマンションが何棟も建っているような場所でした。
 その友人の薦めもあって、ホテルにいったん戻った後、建国門内の長安大戯院へ京劇を見に行きましたが、夜の京劇は始まるのが意外と遅いので、またの機会にし、王府井へ買い物に行きました。よくよく考えると、ツアーなどでありがちな京劇鑑賞は夕食後にセットされていることが多いですが、そうなると始まりも遅い時間になりますね。
 1月1日 
 この日はまず天安門へ向かい、天安門・端門・午門を通って故宮を見学しました。少し前にテレビドラマで「最後の皇弟」を見たので、そのドラマに登場した紫禁城を改めて見たくなったのが理由です。故宮はいつも通り、日本人のツアー客もいましたが、中国人の旅行客もかなり多かったです。神武門から出て、その北にある景山に登りました。山頂までの階段が多少整備されたようで、以前よりは歩きやすく感じました。
 この景山で私は一生の不覚、スリに金を盗まれるという失態を犯してしまいました。山頂から写真を撮っている時に、コートの外ポケットに入れてあったお金を持って行かれたのです。全く気づきませんでした。油断していた証拠でしょう。ポケットの中には20元札2枚と10元札1枚、それに5元、10元札などで合計60元から70元くらいが入っていました。今の北京の人からすれば、それほどの大金とは言えないかもしれませんが、それでもそれなりの金額でしょう。とても悔しく、また新年早々今年は嫌な一年になりそうな気がしました。幸い百元札などは内ポケットに入れておいたので盗られませんでしたが…。
 その後、景山を降りて東へ向かい、美術館前を通って王府井へ出て、日本へのお土産などを買いました。
 1月2日 
 朝5時に起床、50分にホテルを出発し、8時頃の飛行機で日本へ向かいました。安ツアーとはいえあまりにも早いと思います。上海・北京9日間などと言っても、実質7日間ですから。せめて朝ご飯をきちんと食べられる程度に時間にはならないものでしょうか。でも、そうなると激安ツアーじゃなくなってしまうのでしょうね。
 成田には昼過ぎに到着。自宅に辿り着いたのは4時頃でした。
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