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 2000年問題も何のその、と言いつつちゃっかり2000年になる瞬間を避けて、1月2日から8日まで北京へ行って来ました。久々という感じがします。
 一方でまた北京か、という感じがしないでもないですが、今回は母と妹も一緒だったので、この2人は北京は、と言うよりも大陸中国は初めてだったので、あちこち行くよりも、まずは北京をゆっくり堪能しようということで1週間行ってきました。以下はその旅程です。
 今回は写真を撮る場合、原則として母と妹を撮りましたので、単純な風景写真などは一切撮ってきませんでした。従っていつもの「中国写真帳」は作れないので、文章による「旅行記」を掲載します。

2日 星期日 晩、北京着
3日 星期一 故宮、景山、北海
4日 星期二 十三陵、長城
5日 星期三 動物園、頤和園
6日 星期四 雍和宮、天壇
7日 星期五 買い物DAY
8日 星期六 早朝、北京発

2日

 往復とも航空会社は中国国際航空でした。日本航空などで使っている最大クラスのジャンボよりは若干座席数が少ないかな、という感じでしたが機内は比較的きれいで快適な空の旅でした。
 離陸の時、少し前から機内のモニターで非常時の対処方法などのビデオが流れるのはどこも同じでしょうが、その後は機体の最前部に取り付けたとおぼしきカメラからの生中継でした。ちょうど操縦席からだとこんな感じに見えているのかな、という映像です。
 飛行機が苦手な人にはこの映像は恐怖心を煽るだけかもしれませんが、私としては楽しく眺めておりました。離陸してしばらくすると、今度は機体の中央下に取り付けてあるようなカメラからのアングルで地上が映し出されました。成田付近のゴルフ場や畑、住宅などが見え、徐々に雲がまじってきました。

 初めのうちはこの映像を楽しんでいたのですが、その後怖い思いをしました。このカメラ、オートフォーカスなのだからでしょうか、適当にズームを働かせます。これがものすごく怖いのです。窓から外を見ていれば問題ないのですが、このモニター映像だけを見ていると、飛行機がやたらと上昇と下降を繰り返すのです。時には一気に地面が近づいてきます。
 じきにこの映像は終わりましたが、慣れるまではかなり怖い体験でした。

 そんなこんなで予定より30分ほど早く北京へ着きました。大陸へ行く場合、私は飛行機が遅れたことがなく、むしろ到着が早かったという経験を何度かしています。今回もそうなりました。こりゃホテルへ着いてから少し散歩ができるな、と喜んでいました。
 北京空港は数か月前に開業したという新しいターミナルビルで、一見するととても明るくきれいで、ようやく一国の首都の国際空港としてふさわしいものになった感じがします。が、気候のせいもあるのか、開業数か月にしては、どうも薄汚れているのです。それにやはり、成田なんかに比べると発着している飛行機の絶対数が少ないからか、空港自体が物寂しい感じがするのは以前と変わりありません。それでも以前の空港ビルを知っている者には隔世の感を抱かせます。

 今回の旅行はフリーのツアーに参加したのですが、初日と最終日の空港とホテル間の送迎は手配されています。我々3人の他に4グループか5グループが同じホテルへ行く集団として現地ガイドさんに案内されました。
 ここでおきまりの帰りの航空券の予約確認ですが、どういう訳かある家族の分だけうまくいかず、ずいぶんと時間がかかってしまいました。この結果、せっかく早く到着したのにむしろ空港を出発したのは予定よりも30分以上は遅れてしまいました。この間、母と妹は初めて見る中国に興味津々という感じでした。

 ホテルは崇文門にある新僑飯店で、私にとってはもう4回目の宿泊になります。ここもやはり少し前に新館ができ、昔は東交民巷側に入り口があったのですが、現在は崇文門側にあります。以前の少し薄暗いフロントとは一転、広々と明るいきれいなエントランスでした。
 我々と一緒のバスで到着した人達はみなこの新館に泊まるようでしたが、私たち3人は旧館に泊まりました。正直に言えば、旅費をケチったわけですが、次回北京を訪れる時には、もうこの旧館も取り壊されてすべて新しくなっているかもしれませんから、それはそれでよい思い出になったのではないかと、私は個人的に思っています。それに旧館も決して汚いわけではないですから。また我々のように1週間も滞在する人はいないようで、ほとんどの人は2泊3日か3泊4日の旅のようでした。

3日

 初めての中国北京ときたら、何はともあれ天安門ではないでしょうか。私自身はもう何度も来てるし見ているところではありますが、母と妹は初めてですからまずは天安門広場に向かいました。ホテルを出て、地下鉄環状線が地下を走っている大通り(前門東大街だったっけ?)を前門まで歩きました。
 前門に到着し、天安門広場に入る手前の新聞・雑誌スタンドで私は北京の旅遊図を買いました。今回バスにどれだけ乗るかわかりませんが、バス路線が細かいところでかなり変更されているので、この地図は毎回新たに買わないとなりません。ちなみにしばしばサービスで日本の旅行社がくれたり、現地のガイドさんがくれる日本語版の北京地図は、バス路線やバス停名が省略されていたりして使い物になりません。

 地図を買い、天安門広場の中へ入りました。左手に前門を見ながら毛主席記念堂の方へ向かいます。正月だからなのか、大勢の観光客がいます。ほとんどは中国国内各地からの客のようで、日本人らしい人は見かけませんでした。毛主席記念堂には入らず(私は今まで一度も見学したことがないんです!)、人民英雄記念碑を見上げ、天安門の前に出ました。
 人民英雄記念碑は昔は台座の所に登れたはずですが、今回はロープが張ってあり、周りから見上げるだけでした。そして中国国旗の所まで来て、向かいの天安門に掲げてある毛沢東を眺め、例によって記念写真です。それから長安街を渡りました。ここだけは北京でも早くから地下道が整備されていましたが、中国の地下道はどうしてあんなに暗いのでしょう。やはり電力供給問題とかが絡んでいるのでしょうね。

 天安門に登ってみる? などと話ながら天安門をくぐり入場口を見ると、ここも先程と同様、中国各地からの旅行者が長蛇の列を作っています。我々はこれから1週間(厳密には5日間)いるわけでもあり、またこの日は曇り空だったので別の日にしようということになり、そのまま端門を抜けて午門へたどり着きました。
 切符を買って中へ入りましたが、ちょうど年末にテレビで「ラストエンペラー」をやっていたので、母や妹はその時の場面などを思い出しながら見学したようです。建物の名前と大雑把な役割などを説明しながら外朝を見終え、内廷ですが、その前に「鐘表館」を見学しました。更にそこから出てきて九龍壁などがある故宮東北側のブロックを見学しました。

 以前は外国人料金というのがあって、かなり高めでしたが、その代わり故宮の中ではどこを見るにも改めて切符を買う必要がなかったのですが、今回は「某々館」とかあらゆる入り口で5元とかの料金を更に徴収されました。あるいは「通票」もあったのかもしれませんが、切符売り場では特にそんな表示はなかったような気がします。
 九龍壁のある一角は、中国文物展みたいな企画をやっていたのですが、平べったいプラスチックというのか発泡スチロールというのか、とにかくそんなものででき得た草履を買わされました。これを、履いている靴の上から履いて見学するのです。ちゃちなゴムで留めるようになっているのですが、フリーサイズですから歩いているうちに私の履いていた大きな靴からずれていき、事実上履いていないような状態になりました。よく見ると私と似たような状況の中国人見学者もかなりいます。係の人も別段注意するわけではないですから、いったいこれを履かせることに何の意味があるのかと思います。建て前では一応「文物保護」ということになっていますが…。

 この一角を見終わると神武門のかなり東の方へ出てしまいます。とは言え、まだ故宮の中ですから今度は神武門の方まで歩き、北から故宮の内廷を見学しました。主立った宮殿郡を見て、方向転換をし、今度こそ本当に神武門から故宮の外へ出ます。
 神武門外の駐車スペースでは、たくさんの中国人がお土産品を売りつけに寄ってきますが、これといったものもないし、無視して景山へ向かいました。

 景山へ入ってまずは崇禎帝自殺場所をかすめながら東側へ回り、東側から景山を登り始めました。ここまでの行程で母はかなり疲れているようでしたが、それでも頑張って登りました。途中の亭で景色を眺めながら休息をとり、頂上へようやくたどり着きました。景山は私も結構きついなと感じるほど、階段が急なところもあります。
 先に述べたようにこの日はあいにくの曇り空で風も多少あり、歩いている時は息も荒いですが、立ち止まるとすぐ冷えてきます。頂上の売店で、妹が飲むというのでホットコーヒーを買いました。これは町中でしばしば見かける、粉にお湯を注ぐだけの、とてもコーヒーと呼べるような代物ではないのですが、とりあえず体だけは温まったようでした。ちなみに景山の入場料は2元ですが、このコーヒーは3元です。缶ビールが売ってましたが、それはなんと4元です。頂上でその缶ビールを飲んでいる日本人の夫婦と会いましたが、高いビールだと言ってました。
 ここではこの夫婦以外にも日本人の観光客が数名いたようです。故宮ではかなり日本人がいましたが、景山まで来る人は少ないようです。まあ日本人旅行者は年寄りが多いですから、故宮を見た後に景山を登のは大変でしょう。
 今度は景山を西側から下ります。これはこの後北海公園へ行くためでもありました。登る時にきつい坂というのは下りも結構大変なものです。母も頂上で一休みして元気を多少取り戻し、勇躍下っていきました。

 景山から下りてきたので、北海には東門から入場しました。そして北海を右手に見ながら南下し、南門の方まで来て白塔へと向かいます。が、ここでお昼時を過ぎていましたので、何か食べようということになりました。ここは北海公園の中ですが、前回来た時に北海公園内のケンタッキーで食事をしたのですが、そのケンタッキーがまだあったので、そこでお昼にしました。
 中国へ行ってまでケンタッキーか、と思う方も多いと思います。私も以前はそう思っていました。他に幾らでもおいしくて安いものがある中国で、わざわざ食べ慣れたものを高い金払って食べる必要がどこにあろうかと、私も思っていました。が、以前北京のマクドナルドでハンバーガーとフィレオフィッシュを食べた時の衝撃以来、こりゃ中国へ来たからこそ食べてみる価値があるぞと思い、ケンタッキーやロッテリアなど滞在中に一度は寄るようにしています。なにせコーラ以外日本と同じ味のものはないのですから。
 この時食べたチキンフィレサンドも日本とは味が違うと、母も妹も言ってました。ポテトもなんか違います。飲み物だけが日本と変わらない味ですね。暖房の効いた店内でお腹も満たされ、さて出発ですが、ドリンクが残っていたので、それを飲みながらの北海見学になりました。寒い時に冷たいジュースというのも変なものですが、外が乾燥しているので、水分補給という面ではそれなりの効用があったのではないかと思います。

 白塔の所まで登り、凍った北海を見下ろしながら山の北側を下り、今度は島の東側の橋から東門の所へ戻ってきました。今度はそこから北上し、北海を一周することにしました。北海の北西にはちょっとした建物と九龍壁があります。それらを見学して氷の上を渡ってくる冷たい風を受けながら北海公園の南門を出ました。
 外へ出た我々は今度は西へ向かい、西四へ出ました。そこから南下して西単まで行く途中、西単のデパートへ立ち寄りました。王府井の百貨大楼をしのぐ大きなデパートですが、中は人も多いせいか非常に狭苦しい感じでした。一通りフロアを覗いて、北京市民のごく普通の生活用品やその価格を確認しデパートを後にしました。

 外へ出ると曇り空から雪が舞い下りていました。我々は帽子とコートのフードがあるので傘もささずに歩いていましたが、北京の人も傘をさしている人は皆無といってもよい状況でした。本来なら既に建国飯店の先の方まで伸びている地下鉄東西線(車内の案内図では「一線」となっていたような…)で西単から東単まで行けばよいのでしょうが、運悪く手近に地下鉄の入り口を発見できず、歩いて天安門方面へ向かいました。雪道なので滑ることに注意しながら、寒い北京の長安街を東へ向かいました。
 天安門も過ぎ、少し冷えてきたので北京飯店1階の喫茶室に入りました。外から見るとさすが北京飯店というどっしりとした構えですが、この喫茶室などもどうも高級感がない、広いけれどなんとなく場末な感じがする所でした。トイレも済ませ温かいお茶を飲み、ちょこっとお土産屋などを覗き、十分休息した上で北京飯店を出発し、再び雪の中、新僑飯店に戻りました。

 この日の晩は3年前に北京へ帰った友人と会うことになっていました。そしてその友人と4人で、ホテルの斜向かいにある「便宜坊北京ダック店」で夕食にしました。私はこの店はこれで3度目で、ここの北京ダックのおいしさを知っていましたが、母と妹はもちろん初めてで、北京ダックもせいぜい日本の中華料理屋で食べたことがあるくらいでした。
 テーブルのすぐ前までダックを持ってきて、我々に見せながら切って皿に盛りつけテーブルに出してくれるのには母もかなり驚いていましたが、味に関しては申し分なく、日本では食べたこともないおいしさだ言って頬張っていました。考えてみれば、ダックの本場・北京の老舗レストランで食べていて、日本の中華料理屋の北京ダックと比べるなんて「便宜坊」に失礼な話です。
 食べきれないほどの北京ダックを満喫し、部屋に戻って友人に日本からのお土産を渡し、その日のスケジュールはすべて終了しました。母だけでなく私にも、一日歩き回ってかなり疲れた北京の初日でした。ちなみに北京ダックはダック2匹、に前菜4皿、スープがついてあとはジュースとビールを頼んだのですが、友人がお金を払ってくれましたが、200元出してお釣りがきたみたいでした。なんて安いのでしょう!

4日

 この日は、日本で旅行の申し込みをした時にオプショナルツアーとして合わせて申し込んでおいた十三陵・長城見学に行きました。どちらも市街からは距離があり、タクシーをチャーターして行く人もいるようですが、また北京の街角では長城への遊覧ツアーを斡旋していますが、値段から見てそれほど法外に高いわけでもないのであらかじめ申し込んでおきました。

 前日からの雪がまだ若干残っているような空模様で、家族3人だけ乗用車で連れていかれるのは怖いなあ、できれば同じような日本人旅行者が何人かいて大型観光バスで行けたらなあ、と内心では思っていました。ホテルのロビーで待っていると、それらしき日本人が何人かいました。これなら小型マイクロバスってことはないな、と一安心していると旅行社の人が迎えに来ました。他のホテルの日本人を拾って最後が新僑飯店だったようで、ここからは一路北へ向かいました。そしてバスは予想通り大型観光バスでした。
 徳勝門付近から出ている長城高速で十三陵へ向かうはずでしたが、ガイドさんの話では長城は天候不順で見学不可能だということで、バスの中一同がっかりしていました。が、ガイドさんは先に十三陵へ行き、昼を食べる時まで現地の状況を確認してなんとか長城へ行ける可能性がないかあたってみると言ってくれました。そしてもし結局長城が無理なら、七宝焼きの工場見学に変更しますという発表もありました。
 私自身は七宝焼きの工場見学も悪くないかなと思っていましたが、最終的には天候が悪くならなかったお陰で、長城へ行くことができました。先に述べた長城高速はほんの1キロか2キロ走ったところで、これより先、路面凍結のため通行止めとあり、一般道へ下りて進みましたが、このため道路は大渋滞で、恐らく本来の予定の倍以上の時間がかかったのではないでしょうか。ただ、そのお陰で時間が遅くなった分、天気の回復に重なり長城に行くことができたかも知れないので、どちらがよかったのかはわかりません。

 さて十三陵です。ここは私が短期語学研修で北京に1か月滞在した1988年に来て以来です。多少は見覚えのある風景でもあり、写真を撮りながら参観しました。参道などは雪道を歩いて見学しましたが、バスに揺られて少し気分が悪くなっていた私にはむしろ幸いでした。
 定陵の地下宮殿は中国人観光客もいてかなりごった返していましたが、日本でも地下鉄をはじめ地下の嫌いな母はかなりこわごわといった感じでした。私から見ると中は広々としていて地下であるということを忘れてしまいそうな感じでした。

 十三陵を見終わり食事を取りました。これはツアーの料金に入っています。比較的日本人の口に合うおいしい料理が出ましたが、私は上述のように少し気分が悪く、この後もまだバスに揺られることがわかっていましたから、あまり食べる気がしませんでした。
 食事を取ったのは「某々友誼商城」とかいう、十三陵と居庸関と八達嶺との間にある場所で、回りには何もないところです。つまり長城・十三陵というおきまりの観光コースでツアー客に食事をさせて買い物をさせる場所なわけです。1階が土産物屋で2階が食堂になっています。我々の一行以外にも日本人、中国人の観光客がたくさんいました。お土産屋も建国門外の友誼商店と同じで、どれも高価なものばかりでした。我々はまだしばらく北京にいますし、こんなところで買うつもりはないので、むしろどんな商品が幾らくらいするのかを確認するために見ていましたが、2泊3泊くらいの駆け足ツアーの方々はずいぶんとお土産を買っているようでした。

 この後はバスで居庸間に行って見学するという次善の行動予定でしたが、高速に入って確認したら八達嶺の見学できるようになっていることがわかり、予定も当初通り八達嶺に向かうことに変更になりました。
 私が長城に来るのはこれが2回目ですが、初めて来た時も雪でした。次回は晴れた時に来たいものだと思いながら、やはりこの雪原……「原」と言うほど平らではないですが…、は歴史のロマンを感じさせる部分があります。
 が、やはり今回も雪ですから滑る坂道との格闘でした。母も妹も初めは手すりを使ってこわごわ登っていましたが思うに任せません。実際、手すりのある隅の方は、人が何度も通っているので、路面がつるつるになっていて、却って滑りやすくなっているのです。むしろ何もつかまるところはないものの道の中央を歩いた方がサクサクとした雪が残っていて滑りません。我々も途中からは真ん中を歩いていました。

 長城は男坂と女坂がありますが、この雪ですし、初めての母と妹が一緒ですので女坂の方を登りました。でも行ったことのある人はわかると思いますが、これでも女坂?と言うほど急勾配の部分もあります。この時撮った写真を日本へ帰国後現像して見てみますと、時間が経つに連れて母の顔に疲れが表われてくるのがよくわかります。しかし、母も妹も「やはり一度は来ておくべき所だ」と言ってましたから、それなりに楽しんだのではないでしょうか。

 4時過ぎに長城を出発して北京市街へ戻りました。帰りは高速が使えるのでかなり速かったですが、市街中心部は相変わらずの渋滞です。基本的に現在の北京は地下鉄環状線の内側は渋滞がひどくバス・タクシーなどを使うのはあまりお奨めできないですね。どこかへ行く場合はまず地下鉄で最寄りまで行くのが正解だと思います。
 そんなこんなで市街に戻ってきましたが、我々3人以外の人達はこの日の晩は北京ダックを食べるというのが、オプショナルツアーに含まれていました。確かにもう幾らか足せば、北京ダック夕食付のコースでした。しかし我々は、結果的に昨日食べてしまいましたが、私自身が便宜坊に食べに行けばもっと安いことを知ってましたので、夕飯までは申し込んでいませんでした。
 で、ガイドさんからホテルまで行きますか、それともダックの店は王府井なのでそこで下りて帰りますか、と聞かれました。そこで我々はまだ王府井に行ってないし、デパートとかお土産屋を見て回るのもいいなあと考え、皆と一緒にバスを下り、北京ダックのレストランの前で分かれました。ちなみにそのレストランは王府井の美術工芸服務部付近になる全聚徳でした。王府井通りには面しておらず、少し東単に向かって路地を入ったところです。
 そこで別れた我々は新装なった東安市場と百貨大楼に入り、その他帰りながらいくつかのお店を覗いて新僑飯店に戻りました。

5日

 この日も雪でした。この日の予定は北京動物園と頤和園の見学です。それに疲れていなかったら、帰りに瑠璃廠へ寄ってみようということでした。
 上述したように北京の地下鉄環状線の内側は渋滞が激しいですから、いきなりバスやタクシーを使わず、地下鉄でまず西直門へ向かいました。ここで面白い体験をしました。
 地下鉄が復興門に着いた時、停車位置よりも少し手前で停まってしまったのです。そしてドアが開きません。どうも後ろの方の車両で何かあったらしく、ホームにいる人が眺めています。車内では何の放送もなく、車内の人は窓に顔を押しつけて一生懸命後ろの方を見ようとしていますが見えません。「見えねーや!」と車内でぶつぶつ言っている人が何人もいました。
 全体の様子からして人身事故のようですが、人命にかかわると言うよりも、ちょっとした接触程度ではないでしょうか。まあ、こちらは急ぐわけでもないのでのんびりと席に座っていました。なにしろドアが開きませんから、下りたくても下りられない、乗りたくても乗れない状態でした。

 およそ10分か15分くらいたって、ようやく電車は少し進んで規定の停車位置に停まりました。そしてドアが開いて乗降が行なわれました。ラッシュを少し過ぎていたのか、庶民はあまり地下鉄を使わないのか、それとも内回りは流れが逆なのか、比較的車内は空いていましたので、それほどの混乱もなく乗客の移動は行なわれました。確かに停車位置に停まっていないから当然といえば当然なのですが、ドアを開けないというのは、なかなかよい判断だったと思います。

 さてドアが開いている時に車内放送がありました。それによると次の「阜成門」とその次の「車公荘」は通過し、次の停車駅は「西直門」だと言うのです。もちろん北京の地下鉄には快速とか急行なんていう種別はありません。これは運行の遅れを取り戻すための措置だと思います。それにしても日本では考えられないようなリカバリーではないでしょうか。個人的にはよく車内放送をきちんと聞き取れたものだと自分に感心する一方、我々の目的駅が通過されずに済んでよかったという安堵の気持ちでいっぱいでした。

 さて西直門に着きました。ここからちょっと距離はありますけど、動物園の前までは歩きです。私は過去にも、渋滞を避けるために今回と同じ方法を採り、何度もこの道を歩いていますが、外国人も多くなく、庶民の活気みたいなものも感じられ、この場所がわりと気に入っています。車が多いのはちょっと嫌ですが、それでも王府井あたりの外国人に顔を向けたような街並みとは違う雰囲気が好きです。考えてみれば、外国人のいる場所は限られていますから、ここのような場所は北京の街中至るところにあるのでしょうが…。

 さて動物園前まで来ました。頤和園を先にするか、動物園を先にするかちょっと考えました。動物園から頤和園まではバスを使うつもりでしたが、小銭が無かったからです。全くないわけではないのですが、頤和園まで3人でバスで行くにはちょっと足りないかな、それ以外だと金額がでかすぎるし、というような状態でした。動物園の入場料ならそれなりの値段になるだろうと思い、そこでまずは動物園に入りました。もちろん目当てはパンダです。パンダ館は別料金を取られるのを知ってましたから、もともとそれも込みの入場券を買いました。

 パンダ館はまだ午前中であいにくの雪ですから見物客はほとんどいませんでした。ロシア人らしき西洋人の一団10人ほどがいたくらいです。が、同じようにパンダがいません。1頭いるのですが、かなり奥の方にいてこちらへは出てきません。
 そこで仕方なく我々はパンダ館の中にある売店でお土産などを見ていました。以前は正門を入ってすぐの広場に、ぬいぐるみやらTシャツやら、パンダ関連グッズが恐らく北京でも一番の品揃えで並んでいたのですが、今回はたぶん雪のせいですね、何もお店がありませんでした。母や妹はそんなこと知りませんから、私が「パンダグッズなら動物園だよ」という言葉を信じ、どこかにショッピングセンターでもあるものと思っていたようです。が、パンダ館に入ったところ、それほど大きなものではないですが、売店が3か所あり、それなりにパンダ関連の品物を売っていました。たぶん北京市内をよく捜せば、ここ以外でも売っているものばかりでしょうが、やはりパンダにかかわるものを効率よく捜すならここがよいのではないでしょうか。

 そんなこんなで品物を見ていたら、檻の方で(檻と言ってよいのでしょうか? 実際にはガラス張りの部屋なんです…)歓声が聞こえました。我々もそこへ行ってみると飼育係の人がパンダをガラスを隔ててはいますが、我々の側まで連れてきてくれました。そしてパンダも芸と言えるようなことはしませんが、のっそのっそと歩き回り、非常に愛らしい姿を間近で見せてくれました。飼育係の人がパンダを作り物の木に登らせましたが、そこからうまく下りられなくなって、飼育係の人に手を伸ばしたり逆さまになって枝をつかもうとしたり、とてもかわいいパンダを見ることができました。
 その場には我々のほかには先程言ったロシア人と日本人の親子連れがいるだけでしたが、皆大満足でフラッシュをバシバシたいて写真を撮っていました。ちなみにこの時、私も写真を撮りましたが、ガラスが反射してしまい、ほとんど訳の分からない写真になって現像されてきました。

 この後、雪の降る寒い中、動物園を軽く一回りしました。丹頂鶴がいたので手を伸ばしたら嘴で手をつつかれました。幸い手袋をしていたので無事でしたが、してなかったら血が出ていたでしょう。元気な動物はシロクマだけのようで、それ以外の動物はじっとしているか、奥の建物の中に入ってしまっていて見ることができませんでした。ここはパンダが見られればよかったわけですから、この天気を考えれば十分ではなかったかと思います。もちろん金糸猴など珍しいものもいますが。

 動物園を出て次は頤和園です。バス停は相変わらずすごい人です。バスを待っていると同じ系統ではありますが、車両が小さなマイクロバス程度の「専線」と書かれたバスが来ました。行き先は同じだからこっちでもいいやと我々3人は急いでそれに乗り込みましたが、運良く3人とも座れました。動物園から頤和園までは1人2元でした。北京大学だと1元のようでしたので、そこからのわずかな距離で一気に1元上がってしまうのですね。初乗り区間が長いといえば理解しやすいでしょうか。
 バスはこれが今回の旅行では初体験で、結局帰りもこの「専線」を使いましたが、その2回だけになってしまいました。路線図の見方やバスの乗り方に私は不自由しませんが、何度も繰り返すように中心部の交通渋滞を考えると、とてもバスを利用する気になれないのです。それに地下鉄も利用すれば、環状線内は歩いた方が楽しいですから。ちなみに北京の友人に後で聞いたのですが、この「専線」というのは定期券が使えないバスだそうです。たいていの人は定期券を持っていますから、必然的にこちらは乗客が少なく、そのために快適さがアップするのですね。中も少しはきれいです。地方からの観光客など定期券のない者にはどちらも同じですから、便利な制度です。

 小1時間程度で頤和園に着きましたが、相変わらずの雪です。切符を買う前に少しお腹が空いていたこともあり、それに寒かったので何か食べようと言うことになりました。たまたま通りすがりの中国人がおいしそうに焼き芋を食べているのを見かけ、我々もすぐ近くにいた焼き芋屋で焼き芋を買いました。かなり大ぶりの焼き芋1つとその半分程度の1つを買って7元です。日本とは比べものにならないくらいの安さですが、これは少しふっかけられたのでしょうか?

 頤和園は若者たちが特に多いですが、老若男女が雪の中を散歩したり雪合戦をしたり、凍った湖の上でスケートをしたりと楽しんでいました。入場料は取られるものの、ここは市民の憩いの場として存在しているようです。歴史的な場所、観光地という感覚で入場している我々にとっては少し不思議な感じがします。
 頤和園では長い長い廊下を歩き、仏香閣に登り(これ自体には登れません、あくまでその下までです)、石舫を見て回りました。ここでも日本人を見かけたのはほんの数人で、いわゆる日本人団体旅行客には遭遇しませんでした。中国各地の団体客は何組かいたようですが、あとはやはりロシア人の団体がいました。中国の高校か中学の遠足(?)のようなグループも見かけました。正月早々雪の日に遠足とは思えませんが、確かに見ました。

 頤和園を後にして、往路と同じ経路をたどって、しかし今度は瑠璃廠へ寄るので、和平門で地下鉄を降りました。日程も半ばを過ぎ、そろそろお土産なんかも考えないとあっと言う間に時間が経ってしまうだろうと言うことで、ここへ寄ったのですが、汲古閣が部分的に工事をしていてゆっくり見ることができず、あとはどの店も同じような感じで、結局他の店には立ち寄らず、瑠璃廠の街並みだけを眺めながら胡同を通って前門へ出ました。せっかく寄った瑠璃廠ですが、王府井にある工芸美術服務部と売っているものにそれほど違いはないでしょうし、値段にしてもそれほど変わらないのではないかと思います。それにこの時点で母はだいぶ疲れていたようで、前門から崇文門の新僑飯店まで歩く間もかなり機嫌が悪かったです。

6日

 この日はようやく晴れました。太陽を久しぶりに見た、という感じがしました。が、これが間違いのもとでした。太陽が出ているということで、昼間は結構暖かくなるだろうと思い込んだのです。
 この日の予定は午前中に雍和宮、午後からは天壇公園でした。

 まずは地下鉄で動物園の時とは逆回りで雍和宮駅まで行きます。ここは雍和宮の北の外れになりますので、少し通りを南へ向かって歩かなければなりません。ホテルの前に地下鉄の入り口があるので、あまり気にならなかったのですが、ここを歩いている時に、その日がかなり寒い日であることを実感しました。とにかく風が強いのです。しかし太陽に騙されてマフラーとか手袋を持ってきてなかったので寒いのを我慢しながら見学しました。
 雍和宮は比較的空いていました。思えば今回の旅行はどこも空いていたようですが、季節と天候を考えれば当然ですね。さすがに故宮と天壇はそれなりの人でしたが、頤和園などは雪で遊ぶために近所の人が来ているようなにぎわいでしたから、観光客で混んでいるというのとは違います。

 さて雍和宮は実際に修行しているラマ僧がいるわけですが、あるお堂で朝の読経をしているところに遭遇しました。僧侶が全部で30人から40人くらいいたでしょうか。仏像の前に並んで座って、鐘の音もにぎやかに一心不乱にお経を読んでいるのです。こういったシーンはそうそう見られるものでもないのでしばらく見学していましたが、だんだんと足から寒さが襲ってきます。ちなみにここは一番奥にある高さ20数メートルの大きな仏像のある堂の一つ前の堂でした。
 そして最後にその大きな仏像を見ました。私はこれまで5回の北京旅行で必ず雍和宮には来ています。この薄気味の悪さを持ちつつも一方で荘厳な空気が好きなのだと思います。薄気味悪いとは言葉が悪いですが、日本の「わび・さび」なんかを感じる仏様(ほとけさま)に慣れている目には、ここの仏像はあまりにも強烈です。
 一方で、この雍和宮で不思議だったのは、比較的若い人、そう20歳になるかならないか、どう見ても学生のようですが、そういった人たちが数人連れで来ていて、各お堂の所へ来ては一生懸命、線香をあげ祈りを捧げているのです。なんて信心深いのだろうと思いますが、町中と比較すればわかるように、こんなところまでわざわざ来るような若者はそもそもが信心深いのでしょうね。こういった若者が少なからず雍和宮にはいました。

 雍和宮の後、すぐ前の孔子廟へ行きましたが、ここは本当に観光客がいませんでした。いったい何なのだろう、というくらい誰もいません。もっと寒いだろうと思い、奥にある碑林(十三経の石碑)までは見学せずに、大成殿だけ見て終わりにしました。
 孔子廟を出て、前の通りを南下すれば東四です。街の散策かたがた南へ向かい歩きましたが、風と寒さとの戦いでした。歩いているから、太陽にあたっているぶんにはまだよいですが、たまに風がピューと吹くとたまりません。よく見ると昨日までの雪が、毎日雪かきをしてましたからそれほど残ってはいませんが、雪かきが中途半端だったのか、それとも北京の寒さのせいなのか、この日には氷になっていて、道路は半分近くがスケートリンク状態でした。中途半端に雪かきをすると、それが溶けて水になりますが、乾く前に夜が来て、気温が下がり見事に凍ったというわけです。その氷の上を吹いてくる風ですから冷たいわけです。

 東四の辺りまで来て、隆福大厦へ寄りました。別に目的があったわけではないですが、前回北京で買ったコートがだいぶ疲れてきたので新しいのを買おうと思っただけです。外国人が行くような毛皮屋とかではあまりにも高価ですから、普通に北京の人が行くデパートに寄ったわけです。このあたりは年輩で古い北京を知っている方には「ロンフースー」の縁日としてなじみ深い界隈ではないでしょうか。確かにそんな昔の雰囲気が感じられますが、このデパートもなかなかよかったです。
 1階はスーパーになっていて、私が捜していたジャスミン茶がたくさん置いてありました。種類も幾つかあります。王府井のデパートではほとんど見かけなかったのでうれしかったです。2階だったか3階だったかにはちょっとしたお土産コーナーというか民芸品コーナーなどもあり、友誼商店なんかの何分の一の値段で買えそうな感じでした。
 ここからあとは東安市場や北京百貨大楼などを見ながら王府井を歩き、工芸美術服務部にも寄ってお土産の品定めをしました。途中、東安市場の3階(2階かな?)にあったクロワッサン屋でお昼兼お茶にしましたが、北京にもこんなしゃれた店ができてきたんだなと感慨ひとしおです。それに私は初めて語学研修に来た時に、当時は東風市場と呼ばれた東安市場に来ています。それ以前を知っている人から見れば大したことないでしょうが、私の知っている東風市場もかなり昔の、露天の集まりといった雰囲気を残していたところで、とにかく品物は豊富で安いという印象がありました。それが今では東京などのデパートと変わらないようなこんなすごい建物になっているなんて…。数年来ない間に北京は、というと語弊があるかも知れないので、王府井は全く変わってしまいました。

 さて寒い風の中をようやくホテルに帰り、少しばかり買ったお土産を置いて一休みし、今度は天壇です。天壇も大変広い公園ですから、かなり歩くことになるのは覚悟していましたが、この風ですので私はまずホテルからタクシーで天壇の南門まで行きました。日本とは右左逆の道路なので、方向転換のため若干の回り道を余儀なくされてしまいましたが、もしこれがなければ初乗りの10元で済みそうでした、結果は11元でしたが。

 天壇の南門から入ったので、圜丘から祈年殿へ向かうという、もしかすると通常の観光コースとは逆になったかも知れませんが、そのような順序で見ていきました。
 ここはどこも大理石ですが、雪とそれが凍った氷のためにツルツルで、階段などはかなり歩くのが怖いものでしたが、祈年殿近くの階段で、とうとう母が私の脇をドドドドと滑っていってしまいました。ちなみに滑りそうになった時に母は必死に何かにつかもうとして、妹を道連れに二人仲良く滑っていきました。

 ところで天壇には回音壁という反対側の囁きが聞こえるという壁がありますが、私が昔来た時には、それこそ丸い壁のそこらじゅうで人々が壁に口を付けてゴチョゴチョ言っていたものです。しかし現在は壁の前1メートルほどの所に柵が設けられ、直接壁に触れることができなくなっています。そういえば、時々、昔は中まで入れたはずなのに、という思いをした所がありましたが、徐々に自由に公開される場所が減っていくのですね。
 祈年殿を見学し、今度は北門から外へ出て通りを東へ向かい、しばらく行って交差点で進路を北に変えれば、あとは一直線でホテルです。距離はありましたが、これまた風の中をホテルまで歩きましたが、その途中、崇文門の少し南側にある市場とさらに南側に最近出来たらしい立派なビルの中にあるショッピングセンターに寄ってみました。ショッピングセンターは東安市場を小さくしたみたいな感じで、市場の方は、これは昔からありますが、いわゆる市民の台所です。日本人の目にはかなりグロテスクな食材どころか、生きたニワトリが籠の中で売られていました。

 あとで友人から聞きましたら、この日は年が明けてから北京で最も寒かった日だったそうです。私もこんなに寒い北京は初めてだと思います。

7日

 いよいよ今回の北京旅行も最終日となりました。もちろん厳密に言えば帰国は明日ですが、早朝ホテルを出てしまうので、事実上、この日が最後です。
 この日は1日買い物に当てることにしました。もちろん天候や前日までのスケジュールなどで変更があっても構わないように予備日としての側面も多分にありましたが…。しかし私はともかく母と妹は初めての中国ですから、やはり友人とかにお土産を買っていかないと、買っていきたいな、と思うのは当然ではないでしょうか。

 前日までに王府井のデパートや工芸美術服務部へは行ってましたが、お土産といえばここ「友誼商店」がまだでしたので、この日は友誼商店へ行くことから始めました。ホテルを出て東へ向かい、北京駅の前を通り過ぎ、古観象台の脇から長富宮飯店(長城と富士山を組み合わせたという日中友好とはいえ安易なネーミングですね)の前を通り、秀水街へ行きました。ここはこのところ日本人観光客にも知られてきたショッピング街ですが、以前来た時に比べると、それほど魅力のあるものではないような気がしました。一通り眺め回してから隣の貴友商城へ行きましたが、ここもちょっと手狭な感じがします。ただ、この2つとも、それに友誼商店も含めてですが、大使館街ということもあり、比較的外国人が多く、街の空気もどことなくほかとは違う感じがします。そしてその違いは具体的にどことは言えませんが、店の中でも感じられます。
 結局我々は友誼商店へ入ったのですが、ここでも買ったのはパンダクッキーだけでした。(間違ってもパンダの肉なんて入ってませんよ!)品物がないわけではありません。外国人向けと言うことでシルクやウールの衣料品から民芸品までトータルでの品揃えはいまだに北京随一だと思います。が、やはり値段が高いというのは否めません。もちろん、たぶん民芸品なら工芸美術服務部でも同じような値段なのでしょうが、だったらホテルに近い服務部で買えば済むことですから、相対的に友誼商店の存在価値が低下しているとは言えますね。
 それにこの旅行中、日本人観光客をあまり見かけなかったと書きましたが、この友誼商店も、平日の午前中だからという言い訳は中国では関係ないようですが、とにかく店内が閑散としてました。日本人も少ししかいません。一昔前は、いつ行っても日本人観光客やちょっとお金を持っている中国人、大使館関係の欧米人がたくさんいて買い物をしていたものです。それが今回は非常に寂しい店内なのです。むしろ万里の長城へ行く時に寄った土産物屋の方がにぎわっていました。たぶん春から秋にかけての旅行シーズンなら、日本人観光客の集団が大型バスで押し掛けて店内も大にぎわいになるのでしょうが…。

 そんなわけでこれなら先日行った隆福大厦の方がいいや、あっちへ行こうということになり建国門外大街を西へ、東長安街から東単まで戻りました。今度はここから東四へ向かって北上です。
 前回の北京旅行では、この東単の角にはパオズ屋などが何軒か並び、おいしそうな肉まんを売っていて、私も毎晩のようにそこでパオズなどを買ってました。が、その辺り一帯は広々とした空き地で、王府井の角から続く巨大なインテリジェンスビルの一角に取り込まれてしまったようで、今は跡形もありません。それでも東単から少し北へ行けば、確かに西洋風なブティックは増えましたけれど、昔ながらの商店街が続いています。王府井が本当に見違えるほどきれいに変わってしまいましたから、ここも数年後にはどうなっているのやら…。

 我々は東四まで行かないうちに進路を西に変え王府井へ出て、さらにそこから北上しました。隆福は結構北にあるものですね。母はだいぶ疲れたみたいです。隆福ではまずジャスミン茶を買いました。ここに売っているということが前回わかったので、今回は土産用(日本で自分が飲むため)に大量に買いました。また上のフロアで防寒コートも買いました。さらに民芸品コーナーで幾つか小物を買い、あとは王府井の工芸美術服務部で物色すれば土産は終わり、という感じです。が、荷物も増え疲れも溜まってきましたので、ひとまずホテルに向かいました。
 ホテルへ戻り買ってきた土産をチェックし、あと誰に買う必要があるかなどを確認しながら一休みしました。あまり休みすぎると却って疲れが出てきますし、あまり休んでいて夕方になると外は寒くなってきてしまいますので、1時間ほど休んだらもう一度王府井へ向かいました。

 今度は東交民巷を通って、天安門広場まで行きました。やはりこの道は歴史もあっていいですね。天安門広場へ着いた時は夕方で空がきれいでした。天安門前がにぎわっていましたが、ちょうど国旗を降ろすところだったようです。我々はもう一度天安門広場の広さを感じながら東長安街へ出て東へ向かい、北京飯店の前を通って王府井へ来ました。もうあとは工美で最後の土産を買うだけですから、行動もはっきりしています。あとは最後の思い出になるかわかりませんが、東安市場と百貨大楼を覗いて、もうすっかり暗くなった街をホテルへ戻りました。この時点で、晩飯にはまた崇文門南の市場でパオズを買うつもりでしたが、その分を加えても現金は50元ほどになっていました。最終的には晩飯を買ったら30元そこそこしか残りませんでした。きれいに使いきったものです。

8日

 早朝6時半にロビーに集合ということでしたが、帰るのは我々の他にも若いカップルを中心に6組くらいいました。マイクロバスがホテルの前に着き、皆が乗り込んで出発です。
 外は極寒、真っ暗ですが、ロビーでバスを待っている時、宿泊客である欧米人が短パンにランニングシャツ姿で玄関から外へ出ていきました。欧米人がホテルの回りをよくランニングするというのは知っていましたが、この寒さの中、あの格好で出て行くなんて私にはとても信じられないような光景でした。

 さてバスは一直線に長安街を東へ向かいます。来る時は空港高速から東直門、建国門を通ってホテルへ来ましたので、帰りも同じようなコースかと思っていました。が、運転手は車を建国門からさらに東へ進めます。現在はほとんど出来上がっている四環路、五環路の方へ向かっているようです。最終的には四環路(五環路だったかな?)で向きを北へ変え、そこから空港高速へと向かいましたが、その途中とんでもないトラブルがありました。

 四環路の高速を走っていると急に車のスピードが遅くなってきたのです。別に坂道と言うほどのものでもなく、どうしたのかなと思っていると、とうとう停まってしまいました。どうやらエンジントラブルか何かのようです。時間的にはまだ余裕がありますが、あとの距離を考えると心配ではあります。
 運転手が下りてエンジンを見てましたが、何か修理をしたほどの時間も経たないうちにまた乗り込んで、一生懸命エンジンをかけています。その間、バスの中では旅行者の人が携帯電話(中国人、持っている人多いですね!)で事務所へ電話をかけ別の車を手配してました。
 動いたり停まったりしながら、なんとか空港高速との合流地点までは来ましたが、もう全く進まなくなってしまったようです。あとは別の車を待つかと、こちらものんびりと構えていましたが、運転手は相変わらずエンジンをガチャガチャやっていました。ところが突然エンジンがかかったのです。音も調子いいみたいです。そして前と同じようにスムーズに走り出しました。

 私自身はまだ信じられず、途中でまた停まってしまうのではないかと思っていましたが、旅行者の人は再び携帯で車が治ったから別の車の手配は要らないと事務所に連絡してました。これはあまりにも楽観的すぎると思います。案の定、空港にあと1キロというあたりからまたエンジン音がおかしくなり、ノロノロ運転になってしまいました。ただこの辺りは空港の目と鼻の先で交通量も多く、道が渋滞していたので、エンジンがおかしくなくてもスピードは出せませんが…。とにかく私は停まってしまわなければノロノロでもいいから、このまま進んでくれと祈っていました。

 マラソンランナーが体力を消耗してふらふらになりながらゴールするような感じで我々のマイクロバスは空港に到着しました。時間的にはまだ大丈夫なものの、本当に慌ただしい出国手続きになりました。だいたい中国というのは、混雑する上、係の手際があまりよくないのに、窓口をギリギリまで開けようとしませんね。今回も荷物を渡すカウンターでは長蛇の列が出来ました。

 この時、我々の前には日本人の女性(年齢的には私より少し若いくらいでしょうか?)が一人で並んでいました。そしてその隣には、つまり私の斜め前に割り込むような形で並んでいたのですが、中国人の女性とその弟分のような男性が大きな荷物を持って並んでいました。その中国人女性はあたりを見回して、私の前の女の子に一人旅かと聞いていました。女の子がそうだと答えると、じゃあ一緒に手続きをしようと言い、その時はその女の子も、もちろん私もどういう意味なのかわかりませんでした。
 いざ順番が来て荷物の検量をすると、その中国人男女のスーツケースはそれぞれ41キロと42キロでした。一人あたり30キロまでのはずですから、当然オーバーチャージです。係官はこれまたしっかり者の中国人のお姉ちゃんで、あっちへ行って重量オーバーの手続きをしてこいと伝えます。そして私もようやく悟ったのですが、その中国人女性は一人30キロなら我々3人(!)なら合計90キロだからオーバーしてないだろうと言い張ったのです。一人旅の日本人の女の子は一人旅でもあり、ボストンバッグにリュック一つという出で立ちで、どうみても10キロがせいぜいでしょう。それを見て「にわか同行者」になろうとしたのです。

 さあ、ここからが楽しい漫才の始まりです。係のお姉ちゃんと中国人猛女とのやりとりです。あわれ日本人の一人旅娘はなす術もなく見ていることしかできませんでした。誰が見たってこの2人と1人が仲間には見えませんから、係のお姉ちゃんにもお見通しです。
 埒があかなくなって、その3人を脇へやり係のお姉ちゃんは我々3人の手続きを始めました。うちは家族3人でスーツケースは2つ、計ってみると2つで31キロです。してみると、確かに大きなスーツケースですが、あの中国人の荷物はいったい何が入っていたのでしょう。
 我々はさっさと手続きを済ませ荷物を預け、所持品検査の方へ行きましたが、あの中国人と哀れな日本人の女の子がどうなったかはわかりません。
 飛行機に乗り込むまでの時間はそれほどなく、せいぜいトイレに寄るくらいでしたが、お茶でも飲むかと寄ってみた売店でコーヒーなどすべて40元、50元と書いてあるのを見て、30元しか持っていない我々は空港では何も買うことが出来ずにおりました。

 またいよいよ搭乗という時に、中型のスーツケースを持った中国人のおばちゃんが、スーツケースは預けてこいと言われて足止めを食ってました。たぶん預けると重量オーバーになってお金を払うことになるので、そのまま知らん顔してここまで持ってきたのでしょう。それにしてもよく搭乗ゲートまで途中引っかからずに来られたものだと思います。

 最後の最後まで中国の楽しさを感じながら飛行機は別に揺れることもなく、無事成田へ着きました。それにしても北京の町中ではあれだけ無愛想で、人にぶつかってもお前が悪いという態度の中国人が空港の税関を過ぎたとたんに、ちょっとぶつかったりしても「対不起」とか「スミマセン」と言うのには驚きです。税関を過ぎたところで人格改造でもするのでしょうか?

番外

 さて、今回の北京旅行も無事終わったわけですが、旅行中は朝と晩に部屋で中国のテレビドラマを見ていました。朝っぱらからテレビショッピングをやっているのにも驚きましたが、扱っている商品やその値段に中国の今を感じることができました。
 さてそんなテレビですが、私が今回気に入ったのは北京テレビ(BTV)で毎朝やっていた「布袋和尚」というドラマです。主人公はタイトルどおり布袋様ですが、小僧さんがいつも一緒で、その小僧役は女性でした。ドラマの中の設定でも尼のような感じでしたが…。結構きれいな女性です。
 話としては布袋さんとその小僧が旅をして、行く先々で難儀をする人達を助けるという、ごくありふれたものです。だいたい1か所の滞在がドラマでは数回分になり、私が北京にいた5日間でも最初の3日と後半の2日では他の出演者や場面設定が変わっていました。そういえば滞在半ば頃、すべて解決大団円というようなシーンがありました。これが北京時間で朝の7時過ぎくらいにやってました。

 この中で前半の話に登場したヒロインがとても可憐な感じの女優さんでした。歌の時の字幕で確認すると韓「女尼」という人です。かっこいい貴公子が登場するのですが、けがをした彼を介抱し、思いを寄せるという設定なのですが、彼には許嫁がいて悪人にとらわれているのです。結局布袋様の力で悪人は退治され、貴公子はその許嫁と結ばれ、彼女は失恋してしまうのです。例の小僧さんが彼女の気持ちを察して貴公子にいろいろ言いますが、貴公子は、ある意味で立派ですが、許嫁のことが忘れられず、彼女は妹のような存在であると答えるのです。とてもいじらしい女性を演じていました。

 後半の話は、ある地方の知事とその美貌の嫁、そしてその嫁をいびる姑という、ほとんど現代劇のような話でした。帰国してしまったので、この人たちにどんな難題が降りかかり、それを布袋様がどのように解決したのかは知りませんが、この嫁役の女優さんもとびきりの美人でした。

 晩に見ていたのは「水滸後伝」です。たぶんストーリーは小説の「水滸後伝」によっているのでしょうが、私は小説を読んだことがないのでわかりません。ただ好漢たちの首領は既に死んでいて、その娘が皆を束ねていました。そしてその仲間たちが何人かいますが、その中の一人である若い男性がテレビドラマの上では主人公のようでした。ジャッキー・チェンタイプの愛嬌のある感じの青年で、この彼の恋人役がかわいい女優さんでした。これも失恋していた彼女を主人公が慰めたところから恋に発展するというありがちなパターンでしたが、この女優さんがかわいかったので私は許してしまいました。ちなみにこの女優さんは楊敏娜といいます。

 この「水滸後伝」は晩の8時くらいにやってましたが、これと同じ時間帯に、たまたまある日チャンネルを回していて見つけたのですが、「陳香梅」というドラマを見ました。それまでは「水滸後伝」を見ていたせいもあり気づかなかったのですが、これは戦時中の上海(だと思われる)を舞台にしたドラマです。陳香梅というのは主人公の女性の名前で、ある家庭の次女です。
 私が見たのは1回限りでしたので詳しいストーリーはわかりませんが、両親は登場せず、この主人公が近所(だろうと思う)の子供たちと一緒に比較的大きな家に住んでいるようでした。いや、住んでいるのは主人公だけで他の子は立ち寄っただけかも知れません。とにかくその主人公は高校生かそれよりちょっと上くらいで、中学生・小学生の子供(主人公の妹も混じっている)数人と家に帰ると、家の中が荒らされているというシーンを見ました。

 ここで私は「日本鬼子」というセリフを聞きました。ある女の子(妹か?)は壁に隠してあった宝物が略奪されていなくて喜んでいましたが、彼女たちはここも安全ではないと考え避難するようでした。このドラマはたまたま1回だけ、それもわずかな時間見ただけなので、全く前後の脈絡もつかめませんでしたが、近代モノということで興味を引かれました。こういうドラマをもっと日本でも放送して欲しいものです。なお、これらは「紅星劇場」という枠のドラマでした。
 しかし、このドラマの視聴率がどれくらいかわかりませんが、確かにある程度の事実に基づいているとはいえ、このようなシーンを見ていたら日本人に対してよい印象を抱かなくなるのではないでしょうか。そんな気もちょっとしました。早くすばらしい日本人が描かれるドラマが増えてくれることを願います。